5(2003.10 掲載)

 『絵本パパラギ――はじめて文明を見た南の島の酋長ツイアビが話したこと――』(和田誠構成、立風書房)
 1981年に出た本の絵本版。和田誠のイラストが手がたい。むかし読んだときはえらく感動した。どこを開いてももっともなことが書いてある。もう一度読みたいと思っていた。再読したくなる本など滅多にあるものではない。しかし今回読み返してみて、ツイアビのいうことは熱帯地域のひとの意見だと思った。愚かなことだとツイアビは笑うけれども、寒冷帯に住むパパラギ(西洋人)が服を着たり機械を発達させたりあくせく働いたり時間にしばられたりするのはやむを得ないことだ。

 パパラギは頭以外は罪深いところと考え布で隠してしまう。若者が娘と結婚しようと思っても体は見せてもらえないのだよ、とヨーロッパの視察から帰ったサモアの酋長が島のひとびとに報告するわけだ。《そのうえ、子どもをさずかるという最高の喜びのために触れ合う場所も罪だと言う。》時代は第1次世界大戦前後。いまではだいぶ様子が変わってきているのではないか。簡単に見せてくれるようになった。

 ミニスカートはヨーロッパの街娼が始めたものだが、はじめは分厚いパンストをはくのが礼儀だった。ツイッギーはそうしていた。それが日本にわたって女子高生のあいだにひろまると、ナマアシではくようになった。温帯だからだろう。地球の温暖化も関係があるかもしれない。自転車をこぐ後ろ姿を車椅子から見ると、尻まであと一息。温暖化賛成!

 『蘭学事始』(杉田玄白)を読みたいと思っていた。探したこともあったが、当時はインターネットもやっておらず、図書館にも行ってなかった。ほとんど寝たきりのころだ。出版社の既刊目録をいくつか取り寄せてみたがわからなかった。ひょっとしたら解体新書というタイトルで探していたかもしれない。

 なぜ読みたかったか。小学校の国語の教科書に、杉田玄白らがいかにオランダ語の解読に苦労したかという、おそらく現代語訳された蘭学事始の一節が載っており、『ターヘル・アナトミア』を入手したはいいが、鼻の箇所にフルヘッヘンドとあるのがわからない。さんざん苦労してようやく「うずたかし」という意味であることに気づいたという話だった。それを確認したかった。

 『文庫本を狙え!』で講談社学術文庫に入っていることを知り、ネットで購入。800いくら。安い、手軽、便利。いい時代になった。

 内容は現代語訳・原文・解説の3部立て。研究者ではないから訳文だけで十分。

 江戸時代初期は横文字を読み書きすることも禁じられており、通詞ですらオランダ語をカタカナで書きとめるのみ(われわれはいかに外国語学習の機会に恵まれていることか。文法中心の学校教育のせいで英語ができなくなったなんて寝ぼけたこというやつがまだいるからなあ)。8代将軍吉宗になってから、こんなことではあちらの人にだまされてもわからないとオランダ語の読み書きを上申して聞き入れられた。初めて取り組んだのは、御医師野呂元丈と御儒者青木文蔵。それとても春に江戸参府するオランダ人に付き添ってきた通詞から話を聞く程度。数年かかって単語数個とアルファベット25文字を書きとめた。これが蘭学の事始め。

 玄白は中川淳庵・前野良沢とともに『ターヘル・アナトミア』に取り組み少しずつ理解をすすめていく。フルヘッヘンドの逸話もたしかに出てくる。原文は《又ある日、鼻の所にて、フルヘッヘントせし物なりとあるに至りしに、此語分らす。是は如何なる事にてあるへきと考合せしに、》めんどくさいから以下略。一太郎では古文は無理。旧かな用のソフトがほしい。古文漢文の研究者はどうしているのだろう。

 おもしろいことを解説文に発見した。原書にはフルヘッヘンドという文字は見えないという。verhevene(もりあがった)という単語はある。玄白の老齢ゆえの記憶違いかと思われる、と編者の片桐一男はいう。そもそも玄白が本書の執筆を思いたったのは、蘭学の揺籃期のことを《種々の聞き伝へ語り伝へを誤り唱ふるも多しと見ゆれば、》であると述べている。誤りなきを期して始めたことですら誤りはあるのだ。

 古事記編纂の動機を天武天皇は《ここに天皇みことのりしたまわく、それ聞く諸家のもたるところの、帝紀および本辞、すでに正実にたがい、多く虚偽をくわうと。》と言った。それに似ている。正しいいきさつを伝えたいというのはひとに共通する本能のようだ。それでもまちがえる。

 『書物』(森銑三・柴田宵曲、ワイド版岩波文庫)
 B6判、41字15行。文字が大きくて読みやすい。いつのまにかそんなことをよろこぶ歳になってしまった。若いころは8ポ2段組、6ポ割り注なんてのをなんの疑問もいだかずに読んでいた。戦後の紙不足時代のくせがついていて、出版社も読者もそういうぎっちりした組みでないとよろこばなかったのだろう。老人がふえて文字が大きくなった。

 むつかしい漢字にはふりがなが付けてあってとても助かるが、なかにはまちがいもある。「書名」の項に《書名に文字や、文法仮字遣の誤用のあるのなど、以ての外といわねばなるまい。》の仮字遣に「かじづかい」というルビがふってある。仮字は「かな」と読む。編集部の誤りだろう。文法仮字遣の誤用のあるのなど以ての外といわねばなるまいという箇所だからなおさらつらい。

 森銑三は30年ほどまえ著作集の1巻を読んだことがある。吉川英治の『宮本武蔵』をなにひとつ見るべきところのない駄書と断じていたのをおぼえている。宮本村のタケゾウだなんてそんなバカなことはあり得ないと。それを読んで以来、『宮本武蔵』を我が人生の書みたいに言うひと(たいていは成功者)を見ると滑稽に思える。

 昭和19年刊、これがポイント。「書物過多の現状」という一篇で森は《明治以降、活版印刷の普及発達につれて、書物の刊行率が年一年と倍加せられて今日に到った。現在わが国の書肆の概数は五千に及び、月々出版せらるる書物は三千冊に及んでいる。》書物の氾濫洪水を嘆いているのだが、月に3000冊という箇所にひっかかった。3000冊というのは文字どおり3000部なのか、それとも3000点のつもりなのか。

 現代は1998年で年間6万3000点。月になおせば5000点。昭和初期に3000点も出ていたのだろうか。『日本出版年鑑 昭和十九年〜二十一年度』で調べてみたら、戦況最悪の昭和20年5、6、7月は月に40点だ。部のほうを採れば1点が100部に満たない。いずれにしても勘定が合わない。

 「木版本と写本」のなかに《古い書物を読みこなすというだけのことが、その人の一つの強みになったりする時代がいまに来るのかも知れぬ。》とある。まさにそうなった。テレビ鑑定団で大学教授が江戸時代のものを得意げに解読している。そのうち字の書けることが特技になるだろう。4歳の彩菜は字を書く前にメールを打っていた。

 昔の本にはページの錯乱したものもあり、コピーがたくさんあれば変なところは確認できるが、1部2部しかないものはそれを元にせざるを得ず、更級日記などは長いあいだ文意の通じない箇所があって学者たちを苦しめてきたがじつは錯乱本だったのだそうだ。《支那の何という人だったか、書物の誤を考えながら読むのも、また読書の一適だといっている。》 

 橘曙覧の『独楽吟』にある歌。

  たのしみは世に解きがたくする書の心をひとりさとり得し時

 『翻訳と日本の近代』(丸山真男・加藤周一、岩波新書)
 丸山に加藤が明治初期の翻訳について質問する。高級対談。

 アヘン戦争で負けても、中国は中華思想が災いして危機感が薄かった。日本のほうがあわてて英国事情を調べ始めた。武士が支配していたおかげで、反応が機敏だった。

 幕末の内乱で戦国時代が思い出として甦ったという丸山の仮説はおもしろい。天下太平は結構なことだが、武士の存在意義がない。みんなジレンマに悩んでいたにちがいない。そこへさあ尊皇だ攘夷だの戦が始まり、関ヶ原の合戦でわがご先祖様はどう動いたかなどという伝承や家訓が見る見る今日的テーマになったというのは想像に難くない。武士の出番だ、血が騒ぐ。

 はじめから漢文に返り点などをつけてじかに読んでいた日本人は、中国の古典をおのれのものにしている気になっていたが、徂徠は『訳文筌蹄センテイ』で「われわれは翻訳を読んでいるだけだ。通じているようだがじつは牽強だ」といった。たとえば静も閑も「しずか」と読んでしまうが中国語では一つ一つ意味が異なる。和訓で訓読すると中国の詩や文の本当の意味を失いかねない。『訳文筌蹄』は漢字辞典。読みたい。

 徳川時代の文化は翻訳文化だった。その経験が明治期の西洋文化摂取を容易にした。なるほどなあ、そうだったのか。

 森有礼は、大和言葉には抽象語がないので西洋文明を日本のものにできない、英語を国語にせよと言った。馬場辰猪は、それをやると上流階級と下層階級で言葉が通じなくなると反駁。賢明なひとがいてよかった。皮相な意見は要注意だな。