7(2003.12 掲載)
『声の図鑑 虫しぐれ』(蒲谷鶴彦録音、栗林慧写真、山と渓谷社CDブックス)
以前ブックウェブで注文したときは品切れだったが、もう一度検索したらあった。重版したのだろう。8月半ばコオロギの初音を聞いてから本棚より取り出す。充実の60分。
やたら大きいオビが付いていると思ったら、切り取ってCDのケースに入れろと書いてある。CDは表紙の裏側に張り付いているがケースはない。うまいこと考えたものだ。
蒲谷といえば鳥の声だが、虫と蛙もやっている。虫の写真といえば栗林、だがコオロギなどは背景が茶色だとよく分からない。熊田千佳慕クマダチカボ画伯の絵をまじえればいいのになあ。
40数種類の虫が入っている。本を見ながら聞いていても、いま何番めなのか分からなくなってしまうのが難点。鳴く前に名前を言ってほしい。むかし買った鳥のLPはそうなっていた。BGMにはうるさいという配慮だろうが、大江光君の例もある。「クイナです」はじめての発語がそれだったというエピソードは感動的だ。
窓のそとで鳴くコオロギはエンマコオロギだと思っていたが、ツヅレサセコオロギだと知った。
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『マティーニを探偵する』(朽木ゆり子、集英社新書)
新聞で広告を見たとたん買おうと思った。タイトルだけで内容が分かる。誰が最初にマティーニを作ったかというようななんの役にも立たない趣味本だろうと思ったらやはりそうだった。日本版プレイボーイに連載したもの。1年の連載だろう、12章ある。夏の夜にベッド上で読んだ。
ベルモットの量が少ないほどドライで粋とされる。シェーカーに注いですぐに捨ててしまうのをイン・アンド・アウトという。チャーチルはベルモットの瓶をひとにらみするだけだったという伝説がある。それじゃあただのジンだろう。笑える。
禁酒法は1920年から33年までの13年間。製造・販売は禁じられたが、飲むのはかまわないというザル法。しかも薬用と産業用アルコールは許可されたから隠れ蓑になった。1920年代をローリング・トウェンティズというのは、転がるように騒がしい時代のことかと思っていたが、roaring だった。してみると、マゼラン海峡のあたりを「the roaring forties ほえる40度」と呼ぶのは roaring twenties のもじりか。どっちが先か。関係ないか。
ワシントン大統領は稀代の酒飲み。酔っぱらって独立戦争を指揮した。使えるなこの話は。ワシントンと桜の木の話が出てみんなが感心しているとき、「やっこさんアル中でさあ」なんて言って水を差すの。
理想主義のジョン・アダムス大統領は、酒場を毛嫌いした。当時、《地域社会の政治的よりどころは教会と居酒屋だった。》言われてみれば、マスコミのない時代、情報はクチコミしかないわけで、人が集まるところといえば教会と酒場しかない。みんな酔っぱらってあることないこと言ったんだろう。
50〜60年代は「パパは何でも知っている」のようなテレビドラマにもおおっぴらに登場、「スリー・マティーニ・ランチ」も流行。昼食は社交もかねているからという理由だが、昼酒は効くんだよな。ビール小ジョッキぐらいにしとかないと。マティーニ3杯は飲み過ぎだろう。――と思うのは戦後世代の特徴なんだと末尾にあった。趣味嗜好は自分独自のものと思いこんでいても、案外時代の流行にながされているのだと反省。
それにしても東京ステーションホテルのバーのドライ・マティーニはうまかった。最後にレモンの皮の油をひと絞りするからその前に手をのばすと恥をかく。しゃれたバーで恥をかいたり通ぶってみたり、あのころがなつかしい。丸ビルも新しくなったことだしもう一度行ってみたい。階段がなあ……。
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『かがやく日本語の悪態』(川崎洋、草思社)
「いやならよしゃがれヨシベの子んなれ、ペンペン弾きたきゃ芸者の子んなれ」とか「たえしたもんだよ蛙のしょんべん、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」とか昔は愉快な悪態をついたもの。どうして今はなくなってしまったのか。悪態は世間の荒波に備える家庭教育だったのではないか。すぐキレてナイフを振り回す現代人のひ弱さは、その家庭教育の欠如によるのではないか。――そんな思いで本書を選んだが、すこし当てがはずれた。悪態という言葉を川崎はずいぶん広義に解釈している。バカとかアホウのような単語を中心に取り上げている。しかし悪態といったらもう少し長めのもの、センテンスやフレーズになっているものを指すのではないだろうか。
柳田国男は『不幸なる芸術』に《ラジオも映画もない閑散な世の中では、ことに笑って遊びたい要求が強かったのである。……ウソは大昔から、人生のためにはなはだ必要で平素これを練習しておかなければならなかった》と指摘しているそうだ。いまわれわれは楽しいウソやほらを吹く話術をみがかなくなり、言葉の生活が寒々しくなってしまったという著者の指摘は確かなものだ。
求めていた項目が1ヶ所だけ、「方言に表現を得た悪態」にあった。囃し言葉に分類されるのだろうか。「おまえの母さんデベソ」と言われたら「おまえの母さん大デベソ」と言い返せばよかった。《悪口が多かったから、いい意味での免疫力があったのです。》 この一言がほしかった。『日本の遊び歌』(新潮社)に詳述とある。
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『日本の遊び歌』(川崎洋、新潮社)
ジャンケンポンを沖縄竹富島では、「鳥トゥイ、棒ボー、弥勒ミルクぬ子ファ」というそうだ。ちいさいもの(ここでは虫)を弥勒様の子という。川崎の父は沖縄本島具志川市で歯科医をしていたからまちがいないだろう。夏川りみの「てぃだ」のなかの赤田首里殿内アカタスンドゥンチにも弥勒が出てくる。神韻縹渺としたわらべうた。集中の白眉。沖縄には弥勒信仰があるようだ。
はやしうたの「かっちゃん 数の子 にしんの子」のつづきは「猫に食われて 死んじゃった」(埼玉県秩父市)とある。むかし読んだものには「おけつをねらってカッパの子」とあった。さまざまなバリエーションがある。
しゃれ。鐘突の昼寝=いちごんもない。猿の小便=きにかかる。貧乏人の嫁入り=ふりそでふらん。こういうの大好き。もっと知りたい。若いころ、中條製本の老職人に搬入を早めてくれるよう交渉したとき、はじめは渋っていたが最後は「わかりました、嫁へ行った晩だ、やりましょう」と言った。首をかしげると、「言われるまま」だと笑った。いい親爺さんだった。酒でも飲みながらもっといろいろ教わりたかった。
コオロギの聞きなしとして「ツーヅレサーセチョットサーセ/ツヅレサイテ父テテ着ショ/カタサセスソサセ/ハーラン仲チョットサセ」が紹介されている。「衣のつづれを刺し季節に備えなさい」という意味。ツヅレサセコオロギだろうか。しかしツヅレサセコオロギはただ「リリリリ……」と切れ目もなく単調に鳴きつづけるだけで、とてもそんなカタサセスソサセなんて聞こえない。現在のツヅレサセコオロギではない別の種の鳴き声だろう。
平安時代は今のコオロギをキリギリスと呼び、今のキリギリスをコオロギと呼んでいたとどの本にも書いてあるが本当だろうか。根拠まで示したものは読んだことがない。鳴き声からしてコロコロと鳴くものをキリギリスと名付けるのは不自然だし、同様にスイーッチョンと鳴く虫をコオロギと呼ぶのも不自然。
イカをなぜ烏賊と書くのかを調べたときも、どの資料も「烏を賊するものだから」という『南越誌』かなにかを引くばかり。どうやればイカがカラスをいじめることができるのか。どいつもこいつも本を書くときはひとの書いたものを写しているにすぎないのだということがありありとわかった。ちゃんとした本はどのページを開いてもちゃんとしているし、だめな本はどこを見てもだらけている。
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『面白半分』(外骨著、吉野孝雄編、河出文庫)
外骨が明治37年から昭和21年までに出した8種類の本や雑誌(?)からのアンソロジー。
「字義から言う屁理窟集」――陛下とは陛(きざはし、階段)の下にいる己を指す語なのに《その自称を他称に変えて尊敬語としているのは可笑しい。》足下・殿下などもおなじ。《一般の者が盲目的に使用しているのだから、社会は痴呆タワケの寄り合いと言ってもよい。》そこまで言うか。語源の扱いは慎重にしなければ。「クイズミリオネア」がマヨネーズの語源でしくじったように、よく調べもしないで思いこむのは危険。
「地獄進化説」――辻本嘉茂著『絵本不審紙』(享保9)には、「お寺の談義を聞けば、仏を頼まぬものは地獄に堕ちるとなり。仏法は釈迦の口より始めて出たるなれば、それまでは世の人、仏という字も知らぬはずなり。しかればそれより以前は、堕ちる地獄も浮かぶ極楽もなく、釈迦以来の新地開発なり」とある。とちくるった妹がわが家へ折伏にやってきて「日蓮を信じなければ目はつぶれる鼻は落ちるで地獄へ堕ちる」と脅したときオレも同じことを言った。「日蓮誕生以前の何十億人はどうなったんだ、誕生以後もタンザニアのひとはどうなったんだ」と反論したらグウの音も出なかったが、その後もオレが会社へ行ってから電話をかけてきて豊子に嫌がらせをするなどしてついにはノイローゼに追い込んだ。妻を守れなかったオレもともに倒れた。日蓮を信じなければ地獄に堕ちるということを実証してみせたわけだ。以来絶縁。論破する intelligence だけでなく、危機を回避する wisdom がなければダメだということか。
「貧は尊く富は卑し」――漢字の熟語では上のほうに尊いものをもってくる。善悪、美醜、上下など。貧富という熟語は、貧が尊く、富が卑しいという思想の現れ。日本では陰を先にし陽をあとにする。表裏・うらおもて、前後・あとさき、日月・つきひ、昼夜・よるひる、左右・みぎひだり。ウーン、気が付かなかったなあ。
「高僧は父テテなし子か」――名僧伝を見ると、父母の間に生まれた子はなく、いずれも霊夢によって懐胎している。ブッダもキリストも弘法大師、親鸞、日蓮……。男女の性交を不浄視し罪悪視していた結果。
「男は上淫を好み女は下淫を好む」――男が己よりも身分の高い女を犯したがるのは、制服的な名誉心から。女が己よりも下流の男に接したがるのは、自分の思うがままに淫欲を遂げられるから。むかしの遊女が客よりも上席にすわっていたのは、上淫を好む男の性情に乗じた商略であった。吉原ではいっさい客に対して挨拶しない。
「芸妓ゲイギに男名を付けし起源」――蔭間茶屋の若衆は女装してはいても男名を使っていた。蔭間茶屋の流行に目をつけた深川の芸者屋が、娘に男髷をゆわせて羽織を着せ名前も蔭間ふうの千代吉、鶴次などと呼ばせた。それがもとでいまでも芸妓には男名を付ける。
「知識の逆輸入と浮世絵研究」――《それから先年仏蘭西へ輸出された日本の光琳模様が、少し加工されて新美術式アールヌーボーとかいう名で逆輸入したこともあった。》アールヌーボーってそういう意味だったのか。われわれにとっても聞き慣れない新語を、じつはむかしの人がとっくに使っていたという経験がほかにもあった。南方熊楠にサブリミナルという言葉が出てきて、しかもそれは唯摩識だったかナントカ識という仏教用語のルビとして使われていた。
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『時代を喰った顔』(井上和博写真・文、中央公論新社)
1950年生まれの井上が撮った80年代の政財界の有名人。「フォーカス」ふうのレイアウト。写真と文を組みあわせようと思ったらどうしてもこういうレイアウトになるのだろう。文章はワンパターンだがしっかりしている。赤尾敏が数寄屋橋の演説からもどり、近所の八百屋によって、片手にステッキ片手にレジ袋で帰宅する様子がいい。その人のウラの顔、素顔を活写したいという井上の方針が実現している。
発行者の中村仁とは何者。中央公論の本の奥付は嶋中ときまっていたものだが。
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