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 『犬は「びよ」と鳴いていた――日本語は擬音語・擬態語が面白い――』(山口仲美、光文社新書)

 露伴の『音幻論』を読んで以来、何国語であれすべての言語はオノマトペに始まると考えるにいたった。それを証明、あるいは論じてくれるひとを探している。
 日本語のオノマトペは英語の3倍とも5倍ともいわれる。山口は資料として狂言や説話集など庶民的なものを多く挙げている。オノマトペは庶民のもの、子どものものとも言えるだろう。
 山口は子ども時代群馬県でお年寄りがコオロギの声を「針させ 綴りさせ 針なきゃ 借りてさせ」と言っていたので今でもコオロギの声を聞くとそう聞こえるというが、どのコオロギのことを指しているのか。まさかコオロギが1種類しかいないと思っているのではあるまいな。
 秋風にほころびぬらしふぢばかまつづりさせてふきりぎりすなく(古今)《この歌に出てくる「きりぎりす」は、今のコオロギ。「つづりさせ」と鳴くことから、やがてツヅレサセコオロギという名前にもなっていきます。》平安時代には今のコオロギをキリギリスと呼んだということを示す証拠の歌。でもまだ腑に落ちない。ほかにも証拠資料があるのだろうか。この歌の作者が勘違いしているのかもしれんからな。ツヅレサセコオロギの「リリリリ」という声は、そりゃ「キリギリキリギリ」と聞こえなくもない。しかしキリギリスの「スイーッチョン」を「コロコロ」と聞きなすのは無理。鳴き声に由来する命名ではないのかも。
 日本語の擬音語・擬態語辞典の意味説明が理解しがたいという例に「にこにこ」を上げている。「うれしそうに笑って」という説明が載っているがこれでは外人にはわからないからせめて「うれしそうに笑っている様子」にしたいという。どちらもわからない。「にこにこ」は笑う様子ではない。「うれしそうにほほえんでいる様子」にすればいいのだ。これは「えむ」に「笑」という漢字を当てたことに起因する混乱だろう。「えむ」と「わらう」は異なる。
 犬の鳴き声が「ビヨ、ビョウ」から「ワン」になったのは、江戸時代に入ってから。なぜか。それ以前の犬は野性味が強くドスのきいた声で「ビヨビヨ」と遠吠えしていたのに対し、江戸時代以降はペット化して声が変わった。《野生のイヌは遠吠えをするが、「ワンワン」とは吠えない。》という宮地伝三郎の『十二支動物誌』を援用して証明している。これは山口の手柄。ここをタイトルにした編集者も的確。
 今では常識になっている猫のニャンニャンも江戸時代以降。オス猫を誘うメス猫の甘え声。「フォーカス」が高部知子のアフターセックス写真をすっぱ抜いて「ニャンニャン」という見出しを付けたのは、セックスをニャンニャンと言い換えると同時にヒット曲「めだかの兄妹」を掛けたわけだが、その語感は正しかったということになる。

 

 『幸福亡命――車いすで伴侶パートナーさがし――』(比佐岡英樹、三輪書店)

 タイトルは、重度障害者が幸福になるためには物価の安い外国へ行かなければならないという意味。重度がその国のカナリヤだとすると、これからは健常も逃げ出すにちがいない。
 頸損の書いた本は、自分が頸損だからだろうが、どれもおもしろい。しかし紀伊国屋のブックウェブで検索しても数点しか出てこない。タイトルかサブタイトルに頸損の文字を入れといてくれれば引っかかってくるのだが。これからは検索の時代。本に限らずすべての命名は検索を意識したものにしなければならない。
 1977年第4頸椎を脱臼骨折。頸の牽引には5キロのおもりを使ったとある。オレは30キロだったと聞いたが、症状によってちがうのだろうか。
 どうして病院というところはエアマットを使わないんだ! 褥瘡のために機能回復訓練が遅れてしまうではないか。医療の専門家が集まっていてこのていたらくだからお粗末と言うほかない。医療はアメリカ、暮らしはフィリピン。
 膀胱瘻の手術をするのに麻酔なし。どうせ麻痺しているのだから痛くないだろうというのが医者の判断だったようだが、冷や汗が出て大変だったという。無茶するよなあ。医者も看護婦も過反射という言葉を知らなくて困る。何のことだか分からないようだ。
 頸損特有の症状として低血糖を上げているのが不思議。初耳。だいたい運動不足で高血糖、糖尿病になるのではないか。
 痙攣が強くて体位交換できないため、褥瘡のときはリフトで膝だけ持ち上げて腰を上げるという方法が紹介されている。すばらしい。ただ長時間やると膝から下が鬱血するだろう。
 ビル経営をしたというのが、向坊さんと同じで興味深い。頸損はビル経営に向いているのだろうか。テナントのひとつにフィリピンパブがあったのが縁で、フィリピン人のプロモーターに結婚の斡旋を頼む。35のとき18のジェニーの写真を見て一目惚れ。そのとき《恋愛の対象を健常者にばかり求めていることに対して、それは介護の担い手としての労働力を当てにしたエゴではないかとか、同じ障害者を選ばないのは心のどこかに差別があるからではないか、というような自己批判を私だってひそかに感じないわけではなかった。もっとも、私は頸髄損傷の女性にも本気で恋をしたことがあるので、それほど頑なではないと思うが……。》と悩む。この悩みは重度障害者に普遍的なものだろうが、それほど気に病む必要はないと思う。こちらの事情だけでむりやり結婚するわけではない。相手にも思慮分別はある。それにしあわせを求めてフィリピンまで遠征するほどの行動力を持った男だ、魅力がないわけがない。
 とはいえやはりそう簡単に割り切れるものではない。クリストファー・リーブは奥さんに介護をさせないそうだ。妻はヘルパーや看護婦ではないという考えなのだろう。経済が許せばそれは可能だ。なるべく他人の手をふやして伴侶の負担は少なくしたい。配偶者の介護を喜びとするような伴侶であれば問題はない。ただしこのばあいは自分以外の同性が配偶者の介護に当たることに嫉妬するという問題も起こりうる。

 

 『たまもの』(神蔵美子写真・文、筑摩書房、B5横判)を斜め読み。坪内祐三がヤクザに重傷を負わされて病院のベッドに横たわる写真から始まる。小腸を切り取るほどの重傷とは知らなかった。被写体は神蔵自身と前夫坪内と現夫末井昭、それぞれの家族。バツイチの神蔵が坪内と結婚し末井と浮気、両方のあいだで揺れ動くのだが結局末井を選ぶという私的な話を私的な写真と私的な日記で構成した本。
 なぜ坪内でなく末井を選んだのだろう。詳しく読んでないからわからない。末井は貧乏人の息子で、幼いころ母親が隣家の男とダイナマイトで心中している。そのせいか無口で金や女にだらしない。一方坪内は社長の御曹司で博学にして雄弁。
 淫乱という印象ではない。ただ、好きになっちゃったものはしょうがないじゃんという感じで、文章も写真も正直なもの。セックスばかりしていたという章には末井や自分の事後の写真が掲載されている。坪内との情交写真はない。坪内が撮らせなかったのだろう。末井はそれを許した。そのあたりか。
 まあ芸術家どうしの関係だから何をしてもかまわないが、家族は一般人だからかなわない。坪内と別居して末井と暮らしていたある日、何も知らない両親のところに末井を連れて晩飯を食いに行く。知り合いの編集者と思いこんでいた父親が「ずっとお一人なんですか」と尋ねる。「いえ最近離婚しまして、今度、美子さんと結婚しようと思っているんです」冗談だと思った両親は高笑いするが娘が笑ってないのを見てギョッとする。《父は「こうなったら酔っぱらうしかない」と思ったそうで急ピッチでカパカパ飲み出して、何がなんだか分からなくなり、横にいる末井さんに「どう? 具合良かった?」とか聞いていた。母は思い詰めた表情で、石みたいに黙ってしまった。帰りぎわに玄関でさらにレロレロに酔った父は、私達がもう1年以上も一緒に暮らしていたことを聞いたので、「そうかぁ、あんたもいたんですかぁ」と感慨深く言って末井さんに握手をしていた。》さばけたお父さんでよかった。

 

 『コンビニ・ララバイ』(池永陽、集英社)

 「本の雑誌」でえらくほめられていたのでふだん滅多に読まない小説に手を出したのだが、半分で投げてしまった。図書館で借りた本書は、はじめのほうのページがブカブカ皺寄っていてめくりにくかったが、数十ページでまっさらになった。スピンが中ほどにはさまっているのは、前の読者もそこで投げ出したということを意味しているのだろう。

 

 『沖縄の言葉と歴史』(外間守善ホカマシュゼン、中公文庫)

 序章の「日本語の中の沖縄語」が一番おもしろい。今では常識のヤポネシアや琉球弧は島尾敏雄の命名であるとのこと。
 琉球方言は奄美、沖縄、宮古、八重山諸島の4つに大別できる。あるいは奄美・沖縄方言、宮古・八重山方言、与那国方言の3つ。ウチナーグチとは沖縄本島あたりの言葉を指し、宮古語・八重山語・奄美語はウチナーグチにははいらないし、おたがいに通じない。本土方言と琉球方言とでは英語とドイツ語ほどちがう。だから日本語に対して沖縄語もしくは琉球語と言いたいところだが、言語学では琉球方言と呼ぶならわし。
 琉球方言の母音はa,i,uの3個。eはiになり、oはuになってしまった。コメはコミに、アメはアミになる。ココロはククル。5母音が3母音に変化した。西洋音楽の8音階が沖縄音楽では5音階しかないのと似ている。また、キはチになる。秋はアチ、時はトゥチ、肝はチム。
 一方、琉球方言が日本語の古音をのこしているためにわかりにくいという点もある。ハ行子音はもともとp→f→hと変わってきたのだが、琉球方言では3者が共存している。ということは、花はパナ、ファナ、ハナと発音されているのだろう。♪パナは流れてどこどこ行くの。琉球方言で歌ったのではヒットしないだろう。そこが沖縄のミュージシャンのジレンマにちがいない。
 日本本土が鉄と文字を使用しはじめたのは6世紀、沖縄は13世紀。そこで両者は大きくわかれた。特に文字というものを知ると言葉は変化の速度をはやめる。

 

 『沖縄語の入門――たのしいウチナーグチ――』(西岡敏・仲原穰、白水社)

 文法概説書。楽しく読めるようにいろいろ工夫しているが、教科書だからとてもすらすらとはいかない。
 aiはエーとなり(台はデー)、aoはオーとなる(竿はソー)。フランス語も同じ。動詞の否定形は「〜ない」を「〜ン」にする。書かない→カカン、死なない→シナン。関西弁と同じ。母をアンマーというのはハングル(オンマ)に似ている。
 ヤマトの短歌が57577であるのに対し、琉歌は8886。
 明治時代に琉球王国が滅び、生活に困った士族は教養として身につけていた古典舞踊や組踊りなどの芸能を生活の糧にした。
 「ハの言語地図」を見ると、奄美諸島ではハ、沖縄諸島ではハとファ(faでなくhwa)とパが混在、宮古・八重山諸島ではパ。沖縄諸島の混在は移住の結果ではないか。《日本の政治や文化の中心から新しい言葉が同心円を描くように周囲に伝わっていった結果、周辺部に古い形が残ったのではないかと考えられるのです。》これを周圏分布という。