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 『雷鳥の森』(マーリオ・リゴーニ・ステルン著、志村啓子訳、みすず書房大人の本棚)

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 装幀は簡素、「大人の本棚」独自のフォーマット。43字16行の本文組も刷りも美しい。内容も静かな美しさをたたえ、ひょっとしたら原文にはもう少し野卑な表現もあるのではないかと思えるほど、訳文は穏やかにして手堅い。

 なじみのない作家を読むときは、やはりある程度の予備知識が必要だろう。翻訳書には必ず「訳者あとがき」が付いているが、それから読むほうがいい。昔はいつもそうしていたが、いまでは本を書見台に固定するつごう上、それがしにくい。

 「訳者あとがき」によれば、海抜1000m、森と草地と山並に囲まれたアルプス山麓の美しい町アジャーゴが舞台。アジャーゴをとりかこむのが雷鳥の森。原題は Il bosco degli urogalli、直訳すれば「キバシオオライチョウ(黄嘴大雷鳥)の森」。ウロガッロというのは立山にいる鳩ぽっぽぐらいのやつとちがって体長1m、体重4kg。それをさきにいうてもらわんと、どうして雷鳥ごときに大の男がこれほど胸ときめかせて射止めにかかるのかが分からない。せめて邦題を『大雷鳥の森』にしたかった。そのほうが正確だし読書欲もそそるだろう。

 自伝的短篇集。「わたしは小説家ではない。事実のみを語る、語り部だ」とリゴーニはいう。ほとんどが狩猟の話。著者は第2次世界大戦中ドイツ軍の強制収容所から命からがら脱走して故郷に帰還した経験を持つひとで、訳者もそのことを抜きに作品は語れない、《野生を重要なモチーフとしているが、全篇に通奏低音のように漂っているのは、歴史の息遣い、とりわけ戦争の気配である。》といい、リゴーニの友人作家も同じ指摘をしているが、もう一つ《このような時代のさなかで、自殺行為ともいうべき都市化の波と、価値観の混乱から自由に、正当であるべく己を律してきたということ》もまた奇跡的だという指摘のほうをおれは重視したい。

 どの短篇も、最後はさりげない言葉でしめくくられるのが特徴。冒頭の「向こうにカルニアが」は、著者らしき青年が、映画「大脱走」を思わせる苦難の果てにわが家にたどり着き、しばらく放心の日々を過ごすのだが、《朝に家を出て夕べに戻るまで、来る日も来る日も、何かを探し求めるかのように、一日じゅう森をさまよった。ある夕方、腰の曲がった白髪の年老いた叔父が、畑を耕そうと誘う時まで。仕事を終えたところで老人は言った、「あすはジャガイモを掘らんといかんな」》こう終わる。叔父さんは傷ついた甥のようすを見まもりながら、もうそろそろ大丈夫かなとやさしく背中を押してくれたのだろう。

 「猟の前夜」男たちも妻たちも子どもたちも猟犬たちも眠れない。老人はパイプをくゆらせながら猟の追憶にひたる。

 「オーストラリアからの手紙」というタイトルを見たときは、オーストリアのまちがいじゃないかと思った。「懐かしきアメリカ」も長年のアメリカ暮らしを終えてふるさとに帰ってくるという話。アジャーゴは移民・出稼ぎの盛んな土地のようだ。

 「アルバとフランコ」は猟犬の名前。けなげで愉快な犬のようすが活写される。

 「星月夜のキツネたち」厳冬の雪の中でのキツネ狩りはいかにも寒そう。訳者が北海道の冬を知っていることは、翻訳の助けになったかもしれない。沖縄の翻訳者では実感がわかないだろう。

 「ポーランドでの出会い」1942年、ロシア戦線に向かう列車の中で、貧しい者たちに殺し合うことを強いる戦争というものに、想いをめぐらせ自問する。「この汽車に乗っているおれたちのなかで、帰れるのはだれだろう。何人の同郷の人(コンパエザーノ)をおれたちは殺すことになるのだろう」、同じ世界に生きているわれわれは、だれもがみな同郷の人なのに、と。訳者はあとがきにこの一節を引用して9.11以降の戦争と重ね合わせている。

 「雪原の彼方に」これがいちばんおもしろい。ニワトリを狙うずるがしこいキツネをいかに退治するか。キツネがどこからかこちらを見張っているのをわきまえているマッテーオさんは、極寒の夜、妻に肩車させ牧夫用の長い外套で自分と妻をすっぽり覆い、堆肥置き場の穴蔵に入る。そして妻に自分のかっこうをさせて家に戻す。ずいぶん背が低くなっていることにキツネは気づかないのかねとは思うが、とにかくキツネはマッテーオさんが家に戻ったものと思い家畜小屋に忍び寄る。そこをズドン。

 まあこれは自衛のための害獣退治だが、ほかの話はみな獲物をしとめる楽しみのための殺戮だ。それは野蛮な行為ではないのか。《当時キツネ一匹の毛皮は、型に流したチーズ半分か小麦三十キロの値打ちがあった。だが彼らがキツネを撃つのはそのためではない。自分が自然の一部であることを感じるためだった。雪、森、寒さ、夜、静寂、動物たちの一部であるということを。おそらくいまでも世界のどこかに残っているであろう、ひとつの生のあり方なのだ。》と弁解めいたことを書いている。いや、弁解の雰囲気はない。むしろ胸を張っている。それをしない人間を哀れんですらいる。狩猟はしたことがないが、魚釣りの経験からして血のたぎるようなワクワク感は容易に想像がつく。動物記のシートンも確か限定的な狩猟の楽しみを認めていたが、しかし稀少なキバシオオライチョウを撃つのは無益な殺生というものだ。自分が自然の一部、動物の一部であることを感じるためなら、道具はせいぜい弓矢にとどめるべきだろう。

 「森の奥で」森の中で木を切っていただけの青年を、パルチザンと勘違いしたファシストどもが撃ち殺し、それをきっかけに村人がみなパルチザンになったという話。思い出話のかたちで語られるのだが、会話の途中で改行するときいちいち行頭にカギ括弧が付けられている。フランス文学でも見かける方式だが、日本人にはなじみがなく、とまどう。方式も翻訳してしまうべきだろう。

 「昇任試験」町の小役人だった著者が、昇任試験を受けるためローマに出かけたときのおのぼり紀行。《老人の姿に驚いた。老人といえば家で暖をとっていたり、村の居酒屋にたむろしているものと思っていた彼には、大都市の食堂にいる老人は意外だった。大都市の老人たちは、いったいなにをして暮らしているのだろうか。こんなふうにひとりきりで。トランプをするでもなく、小さな孫たちに囲まれるでもなく。》これこそが時代の分かれ目だ。西洋人は個人主義だから老後はひとりで過ごすものだと日本では言われているが、そうではなく、都市化あるいは核家族制度の結果であるに過ぎないことをリゴーニの観察は示している。

 「オーストラリア人との猟」オーストラリアに移住して10年にもなるというのに、春が来るたびふるさとでしていた猟が忘れられず、ついに帰郷してしまうニーコ。猟場につくと、自動車でやって来た町の連中の鼻をあかすため、目の前でしとめた大雷鳥を「なんてひどい雷鳥だ、こんなものは放り投げてしまおう」と、下にいる仲間に聞こえるように言ってその方向へ投げ捨ててしまう。町の連中は目を丸くするといういたずら話。最後が「それはそうと、きみのこの話を書かせてほしい。オーストラリアに戻ったら、それを読んで、友達と故郷のことを思い出してくれ」と結ばれている。小説家ではなく語り部と自称する作者の姿勢が鮮明にあらわれている。作品にリアリティを与える手法ともとれる。

 「猟の終わり」巻末にまた戦争の色濃い作品を配した。二人の男がドイツ軍やファシストを罵りながらシーズン最後の猟に出かける。山稜の放牧小屋にひとりで住むアルビーノ爺さんは、30年このかた山をめぐっては戦争の残骸の鉄くずを集め、里に売りに行くという仕事をしている。この爺さんのことを記録にとどめるために書いた作品だろう。

 

 『反社会学講座』(パオロ・マッツァリーノ、イースト・プレス)

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 自称、統計漫談家。イタリア人ふうの名前だが、きっとどこかの大学で社会学の講座を受け持つ日本人だろう。名前はパロディ・マッツァオのアナグラムかな。うがちすぎか。社会学なるもののインチキカゲン、新聞やテレビに出てくる論説のイイカゲンを切りまくる。《社会学者の個人的な偏見をヘリクツで理論化したもの、それが社会学です。》これでは匿名にせざるを得ない。

〇意図的な統計で情報操作

 世の中が殺伐としてきたせいで少年の凶悪犯罪(殺人・強盗・強姦・放火)が増えているといいたければ、平成元年からの検挙人員を折れ線グラフで見せればいい。元年に1250人だったものが9年には2500人と倍増している。これを見て平静でいられるひとはいない(^_^;)。これはグラフの左側、つまり古いデータが示されていないところにトリックがある。グラフを終戦直後まで引き延ばしてみると、昭和23年は強盗件数だけで3878件。35年も3000件ほどあるが、これは平成に向かってどんどん減っていく。30年代は強姦も4500件あるが、平成にはいってからは500件ほどだ。《このころの少年の下半身に何があったのか定かではありませんが、ひとつには、昭和三三年に施行された売春防止法が関係している可能性があります。ゴミ箱を撤去してもゴミはなくなりません。トイレをなくせばウンコをしなくなるわけでもありません。出るものは、出ます。法律で表面だけを取り繕うと、別の場所から噴出する可能性があるのです。もし強姦事件と売春防止法の関連が事実となれば、風俗店の存在には社会的意義があることのお墨付きになってしまいますので、この研究に二の足を踏む研究者が多いのです。》殺人も40年代を境に激減している。《たった一、二件の残虐な殺人事件をマスコミが大袈裟に騒ぎ立てることで、いかに大衆に誤ったイメージを植えつけることが可能か。情報操作の恐ろしさを、まざまざと見せつけられます。》

〇具体策を提言する著者

 パラサイトシングルが日本を救う、と意外なことを言う。大家というものがいかに金持ちで不当な利益を得ているか、低収入の若者が収入の20%を家賃に使わざるを得ない一方で、年収2000万円以上の金持ちの2割は賃貸用住宅を所有する。《管理人も兼ねて貧乏アパートに住んでいる年老いた大家なんてのは、少数派です。》自立自立というけれど、パラサイトシングルがみんな自立して一人暮らしをはじめたら家賃が急上昇してしまう。それではどうしたらいいか。この著者はイチャモンをつけるだけでなく、具体的な提案をするところが偉い。持ち家で一人暮らしをしている高齢者が多いので、下宿を復活させ、老若が助け合えばいい、そうすれば家賃全体も下がるし、空き巣も減り、孤独死も減ると説く。

 なおかつ賃貸用アパート・マンションの半分近くは親の遺産だから、金持ちの子どもはとことん有利。経営のノウハウを受け継ぐことができるというのも、商人の子どもの見えない遺産。そこで、《商売などで立派に身を立てた親の子がまた優秀では、未来永劫その家系だけが繁栄し、不公平のままです。たまに出来の悪いこどもが現れて家が没落することで、よその家系にチャンスがまわってくるのです。バカ息子こそが、社会の公平を実現するカギなのです。》と、本気ともシャレともつかない結論を導きだす。いや、一面の真理ではある。モンテーニュの言葉《若い人たちが浪費してくれるから、商人は商売が繁盛するのだし、麦の価格があがれば農民が、建物がこわれれば建築家がもうかるのだ。そして、裁判官や検察官だって、訴訟やもめごとがあればこそ、商売が成り立つのである。聖職者の名誉とか仕事にしても、われわれの死や悪徳のおかげではないか。》に一脈通じるところがある。パラサイトシングルが日本を救うと、たしかに言えないこともない。

 大学の授業料についてもグッドアイデアを披瀝している。国立大学の授業料を、学生本人と親の資産状況に応じて決めれば、たとえ親がリストラにあったばあいでも授業料が払えなくて退学という憂き目にあうことなく学業がつづけられる。《この方式はとりわけ、医学部で効果を発揮します。高い学費ゆえに、裕福な開業医の子弟しか医学部に入れない現状があるから、歪んだエリート意識ばかりが高くなって、倫理観の喪失や医療ミスの隠蔽などにもつながるのです。親の資産に応じた学費制度を導入すれば、能力とやる気のある者が医者になれるチャンスが広がります。》これは実現可能な提言だ。たとえば生活保護などの福祉制度を利用するばあいにはおのれの資産状況を明らかにしなければならない。国公立大学の授業料が安いのは税金から援助が与えられているからで、これは一種の福祉制度なのだからその恩恵にあずかろうとする者は、生活保護を申請する者と同じく資産を明らかにすべきなのだ。

〇かつて読書は悪徳だった

 今でこそ若者の読書離れ・活字離れが嘆かれているが、20世紀初頭のフランスでは労働者階級の教育水準が上がるにつれ恋愛・冒険などをあつかった通俗小説が売れはじめ、すると識者は「連載小説は女の脳みそにとって深刻な破壊を起こす」と警告した。《本は仕事の合間に隠れて読む、まさに悪徳だったのです。読書が名誉を挽回するのは、皮肉なことに、民衆の娯楽の王座を映画に取って代わられてからのことでした。》明治日本でもやはり女性の読書は品が悪いと攻撃されていたが、大正時代に活動写真が娯楽の花形になると、新聞のコラムも一転、「今は活動写真全盛の時代であって、少年少女の読書趣味を奪うこと甚だしく……」と、読書の味方になる。《時代によって悪役は本→映画→テレビと移り変わります。要するに人間はいつの時代にも、娯楽を社会が悪くなったことの原因としてスケープゴート(責任転嫁用の身代わり)にしているというだけのことです。いまだったらさしずめその役目は、テレビゲームやインターネット、携帯電話あたりが担うわけです。》