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 『『噂の真相』25年戦記』〈噂と真は旧字〉(岡留安則、集英社新書)

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 四半世紀にわたる編集長生活を引退するに当たり若き後進に向けてつづった雑誌づくりのノウハウと経験談。「噂の真相」はけがをするまで定期購読していた雑誌だ。つぶれるのでなくやめる雑誌というのはめずらしい。

 75年、前身の「マスコミひょうろん」を、新島史と創刊するも、ブラック・ジャーナリズムを志向する新島との路線の対立からスタッフともども追い出され、79年「噂の真相」を創刊。新雑誌創刊の資金集めは、「話の特集」にならって1口10万円の公募株主制度をとる。《大手の出版社はともかく、中小の場合には創刊号を出してから、実際に雑誌の売り上げが入金されてくるのはだいたい4カ月後。そのため、3冊出した段階で資金が足りなくなって休刊する、いわゆる「三号雑誌」と呼ばれるものが出てくることになる》ので、とにかく話題になって売れるような創刊号をつくることと、4号までは確実に出せる運転資金を準備しなければならないと具体的な実用知識を開陳。

 会社の立地条件も大切で、ゴールデン街に近い新宿5丁目に事務所を置いたのも、80m×150mの土地に200軒ぐらいの店がびっしり並ぶゴールデン街には、夜ごと芝居・映画・出版・新聞・週刊誌・広告・カメラマン・イラストレーター・デザイナーといった業界人が集まってくるからだ。《『噂の真相』を編集するうえで欠かせない、情報収集や人脈づくりにおいては実に効率のいい貴重な街だった。》深夜12時過ぎまで仕事して、それからゴールデン街におもむくと、夜回りを終えた記者たちも集まってくるので、そこで「1行情報」を入手することも多かった。校了まぎわに最新のネタがつっこめるわけだ。

 「噂の真相」という誌名は、スキャンダル・ゴシップ誌の先達「噂」と「真相」に基づく。「噂」は梶山季之が71年に創刊した"マスコミ・文壇ゴシップ誌"。作家である梶山が仲間のゴシップを暴露することには限界があり、74年休刊(休刊という言葉は苦しいが、同じ立場にいる者としては廃刊という言葉を使うのは忍びないのだろう)。一方の「真相」は、終戦直後の46年、人民社の佐和慶太郎が創刊した、数あるカストリ雑誌の中でももっとも過激な暴露雑誌。《雑誌の表紙に戦争で荒廃した日本各地を帽子を振って行幸して歩く昭和天皇の顔写真を箒にすげ替えるというコラージュのイラストを載せた。》49年生まれのおれでも分かるシャレだが、さて何歳までなら分かるか。年齢よりも知識の問題か。《さらに特集記事の中でも、最近のメディアでは信じがたいような天皇家のスキャンダル記事を掲載しつづけたが、最終的には政治家たちによる集団名誉毀損訴訟を起こされ、雑誌は潰されたのである。》かくて皇室と文壇はウワシンにとって欠かせないテーマになる。……そういういきさつがあったのか。知らなかった。

〇検察幹部とパチンコ屋の黒い関係

 創刊する前から雑誌には寿命があるのだからかっこよくやめたいという気持ちがあり、2000年に休刊宣言を出すつもりだったのに、95年に東京地検特捜部から名誉毀損罪で刑事起訴されてしまったため2004年まで延期せざるを得なくなった。

 東京地検特捜部はマスコミの絶対的タブー。批判しただけで司法記者クラブから締め出され、疑獄・大型事件などのさいに捜査情報が得られなくなってしまうからだ。だがウワシンは、特捜部長宗像紀夫が政商小針暦二から賄賂を受け取ったと批判。そのため宗像はウワシン起訴の陣頭指揮をとった。特捜部といえば本来政治家・役人・企業などの大事件を摘発、起訴する部署なのにだ。《(巨悪を眠らせない正義の味方といわれた)特捜部の正体は世間が抱いているイメージとまったく違い、時に私的感情や政治的思惑で公訴権という公的権力を行使するケースも多々ある権力機関だったのである。》検察官はもちろんのこと裁判官もウワシンの言い分なんか聞きゃしない。そこでウワシンは、パチンコ業者からベトナム接待旅行を受けている宗像の写真などを発表して対抗する。

 東京高検の則定検事長もやはりパチンコ業者から銀座の高級クラブで接待を受け、愛人の中絶費用までパチンコ業者に払わせていることをウワシンにスクープされている。則定は辞任に追い込まれたものの宗像ともどもおとがめなし。かなわんなあ、検察がこれでは誰を頼りにしてよいのやら。しかしどうして検察幹部はそれほどパチンコ屋が好きなのだ。ひょっとしたら日本の中枢は、すでに韓国・北朝鮮にキンタマをにぎられているのかもしれない。

 ウワシンはエラソーにしている公人を見ると、裏の顔を暴いて醜さを引きずり出さずにはいられないのだ。それをスキャンダリズムというのだろう。現職総理大臣森喜朗の早稲田在学中の買い春逮捕歴をすっぱ抜いたのも、長男で秘書の祐喜が六本木の高級クラブのホステスと違法ドラッグをやっていたことをすっぱ抜いたのもウワシンだった。親父は、いやあ若気の至りでポリポリといって恐縮すればいいものを、いなおってウワシンを告訴し、かえって窮地に追い込まれる。せがれは学習して黙殺に出た。祐喜だって権力者の息子でなければそんなランチキに及ぶことはなかっただろう。権力の座についてなお正気を維持するのは至難のわざのようだ。

〇皇室ポルノ事件の裏側

 大手広告主が付いたおかげで創刊1年にして経営は安定した。しかし2年めに皇室ポルノ事件を起こして右翼の攻撃を受ける。《70年代にアングラで出回っていた皇室ポルノ小説を素材に作家の板坂剛氏が執筆したものだが、記事中にカットとして掲載した美智子妃殿下(当時)と昭和天皇のふたりによるコラージュ写真が右翼団体の逆鱗に触れ、総攻撃を受けた事件である。しかも「株式会社噂の真相」という弱小出版社じたいはいっさい攻撃せず、印刷をやっていた凸版印刷や広告を出していた大手企業にターゲットを向けたのだ。》広告と印刷を失ったウワシンは廃刊の危機に追い込まれる。どこへ行っても門前払いで、日本という社会の非情さを思い知らされ、企業テロに走りたい気分だったという。ようやくある印刷屋が引き受けてくれたときは涙ぐんでしまったと書いている。印刷所は奥付には載ってないが、のちにそこの営業マンから、じつはうちが引き受けたんだとおれは聞いたことがある。

 右翼がトッパンや大企業を攻撃したという一節を読んでハハーンと思った。丸の内に勤めていたころ連日のように右翼の街宣車が大音響で軍歌を鳴らしながらやって来ては特定のビルの前で止まり、特定企業の攻撃をするのを見聞きしていたからだ。読み進めると案の定――。岡留は防共挺身隊に出向いてわびを入れ、防共挺身隊幹部のIという男の同道で主要右翼団体へのお詫び行脚をするのだが、《このIさんは在日韓国人で、片方の手の指は第二関節から3本が欠落していた。おそらく若い頃は相当のヤンチャをやった人なのだろうと推察できた。でも、在日の人がなぜ日の丸、天皇万歳なのか不思議だった。筆者を同行して右翼団体を謝罪回りに行く時、購入したばかりの中古の大型外車を隊員に運転させながら、「この車は君んところのおかげで買ったんだよ」とニヤリと笑って見せたことで、すべてが理解できた気がした。》と記している。やっぱりな。零細出版社なんか揺すっても何も収穫はない。《Iさんは文京区湯島に事務所を構えていたが、その頃はホテル・オークラの豪華な和室も借り切って定宿にしていた。このIさんはおそらく筆者が防共挺身隊に対して謝罪する前だったら、かなりコワモテの人物で近寄りたくないタイプだったに違いない。だが、しばらく一緒に行動するうちに情が移ったこともあるだろうが、意外にいい人だということが感じられた。おそらく在日として差別されてきただろう人生を送ってきたIさんにとっては、日の丸も天皇も身すぎ世すぎの生き方としての選択だったのではないだろうか。》

 この事件をきっかけに広告に頼らない雑誌づくりをすることになるのだが、これがさいわいした。なぜ裏情報をスクープできたかといえば、大手メディアの記者が大企業や公権力に遠慮する社の方針で、特ダネでも発表できないことがあるのに対し、ウワシンにはそれがなかったため、自分のスクープを匿名でもいいから形にしたいという大手メディアの記者からのリークがあったからだ。大手の週刊誌は1号あたり5000万円以上の広告収入を得ている。最近創刊される雑誌は、はなから広告収入目当てで、読者ではなく広告主のほうを向いて作られている。《皇室の内幕記事に関しては独走的に取り上げてきた『噂の真相』が参考までにバラしておけば、情報は入ってきてもなかなか記事にできない立場にいる宮内庁記者筋がネタもとだったということである。》

 ウワシンといえば質の悪い本文用紙が印象的だ。あれは「真相」に代表されるカストリ雑誌の雰囲気を出すためだと岡留は言っていたものだが、じつは金がなかったのだと本書で打ち明けている。ところが、そのうち時代とともにあの「中質のザラ」という紙が生産中止になってしまって、わざわざアメリカから輸入したために高くついたという。本づくりにたずさわったことのある身にとっては、こういう話はたまらなくおもしろい。