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 『ことばの由来』(堀井令以知、岩波新書)

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タイトルどおり語源がテーマだから、新知識に感心するのもたのしいが、もうひとつ、日本語表記法の手がかりとする読みかたもしてみた。漢字にすべきかかなで書くべきか、いつも悩む。いちおう漢語は漢字で、和語はひらがなでという方針はたてているが、かなに関してはあまり連続すると読みにくくなるので、まあ小学校で習う程度の漢字はもう日本語のうちにはいるものとみなしている。

 漢字に関しては、「中々出来ない様です」のような無意味な漢字の濫用は論外としても、漢字表記を見て初めて意味がわかるばあいもある。たとえば自分のばあい「ないまぜ」は「綯い交ぜ」という漢字で意味がはっきりした。漢字にはそういう効用もある。

〇語源新知識

 「どっこいしょ」はもと「どっこい」であり、それは「どこへ(何処へ)」という相撲のかけ声に由来する。相手の気勢をそらすため「どこへ行くのか」「どんな手に出るのか」というからかいの気持ちで発した。「どっこい生きてる」は「どこを見ているのか、私は今でもおまえの目の前に生きているぞ」の意だろう。

 「当たり前」は漢語「当然」を江戸時代に「当前」とも書いたところから。誤記とはいいきれない。共同で仕事をして得た収穫を分配するときに、ひとりアタリのわけマエをアタリマエといい、《その分け前を受け取ることは道理に適い当然の権利であった。そこから、ごく普通のありふれたことをいうようになった。》

 「つかぬことを伺いますが」の「つかぬこと」は、「思いもつかぬこと」の上略形。

 「やばい」は江戸時代犯罪者を収容する「厄場(やば)」にイを付けて形容詞化したもの。「辛労」にイを付けたのがシンロイ、なまってシンドイになった。

 「小股が切れ上がる」の小股とは体のどの部分かということがよく話題になる。「小」にはさほど強い意味はなく要するに股のことで、《ヒップが高い位置にあって粋な感じの女性のすらりとした形容に用いた。》とのこと。むかしから長い足が好まれていたことがわかる。

 飲食店で食い終わったとき「おあいそおねがいします」という。おれはいわないけど。《オアイソというのは客へのサービスである。(中略)のちにオアイソは、料理屋などで用いる勘定書の意味に変化した。サービスに喜んでいた客が勘定書を見ると愛想を尽かす、というところから出た「愛想尽かし」の略》これを知ったらますます使えない。《愛想は本来愛らしい様子という意味であるから、愛相という漢字を当てた方がしっくりしたかも知れない。》ということは、「アイソウ」は中国伝来の漢語ではないということだ。『字通』を見ると確かに愛嬌や愛憎はあるがアイソウはない。

 ニジ(虹)は万葉集ではヌジ。いまでも日本各地でヌジ、ヌージ(北海道、沖縄など)と呼ばれる。北陸から中国・四国・九州でミョージというのは、mとnが近いから。ニジの意味は蛇、化け物。池や沼に住む魔物のヌシ(主)と同源だというのは、ロマンチックなものととらえているわれわれには意外な指摘。虹という漢字は「竜形の獣」のことだと『字通』は言っているから、古代の日本人と中国人はとらえかたが共通している。

 「くしゃみ」はクソハメ(糞食め)のことだというからびっくり。これだから読書はやめられない。《くしゃみをすると早死をするという俗信があって、「糞を食らえ」という呪いのことばは、その罵りの強さでそれを避けることができると考えられたのであろう。》

 形式にこだわり、応用や融通のきかないことを「杓子定規」という。型にはまったことをいうのかと思っていたら、《杓子は飯や汁を盛るときに使う台所用具の杓子で、当然柄は曲がっている。曲がった杓子の柄を定規にすることはできないのに、無理に定規として使うことからいう。》強引のニュアンスがあるのだ。理解が深まった。

 「バカ」も「アホ」も「ヲコ」から派生したことば。よく時代劇でお殿様が「バカモノ!」と家臣をどなりつけるシーンが出てくるが、それを見るたび大阪城あたりでは「ア〜ホ〜」と言っていたのかなと思う。「てなもんや三度笠」の平参平を思い浮かべながら。

〇語源を想起させる表記法を

   「はで」は「派手」と書くが、本来「破手」と書くべきもの。《三味線を演奏するときの曲種に組歌といわれるものがあるが、その組歌の古来のものを本手組といった。これに対して後年、新手法を加えて作られたのが破手組といわれるものである。従来の旋律を破った目新しい曲風が「破手」なのである。》「派手」では意味がわからない。

 「のたうちまわる」のノタは、ヌタ(沼田)の変化したもの。イノシシが体に泥を塗りつけるさまをいう。それなら「沼田打ち回る」と書けば意味を知りたくなるだろう。

 「めんくらう」は「面食らう」と書くが、じつはメンは面でなく麺。栃の実を砕いてうどん粉とまぜあわせ栃麺を作るときに使うのが栃麺棒。てっとりばやく延ばさなければ固まってしまうところから、あわてふためくさまを栃麺棒というようになり、相手をおどかしてあわてさせようとするときに「この野郎、栃麺棒を食らわすぞ」という。驚いてあわてることを「めんくらう」というのはここから来た。だから正しくは「麺食らう」と書くべきなのだ。

 「朝っぱらから縁起でもない」という。「朝っぱら」の「パラ」は、腹のこと。室町時代はアサファラと発音していたのでなまってアサッパラになった。「朝っ腹から」と書くようにすれば、なぜ腹を使うのか子どもたちは疑問に思うだろうし、日本語の音韻変化も身近な話題になるだろう……って、ならないか。

 「片腹痛い」のカタハラはもともと傍(カタハラ)だった。そばで見ていてもいたたまれないの意。発音が同じなのでまちがえたのだろう。これも「傍ら痛い」になおすべきもの。発音も変わってしまうが。

 「おしきせ」は会社の制服などのことだから「押し着せ」かと思っていたら、正しくは「お仕着せ」なのだとか。さかのぼれば「四季施」と書いた。江戸時代商家が四季に合わせて使用人に着物を与え、使用人はそれを来て藪入りをする習慣があったそうだ。制服とは限らない、もうすこし暖かみのあることばなのだが、時代が下るにつれ使用人たちはそこに強制のにおいを感じだしたにちがいない。雇い主もそれではばからしいから手当になっていく。そういえば中央公論事業出版に入ったころは、毎日1本牛乳の配給があり、毎月1000円まで会社の金で本を買うことが認められていた。1970年代のことだ。きっと初代社長の篠原さんが決めたのだろうが、2代目の社長は「本給を上げる」という方針でそれを廃止してしまった。わずかな昇給より現物支給のほうがおもしろいのにと思ったものだ。

 「互角」とはどういう意味か。《互角は牛角(ゴカク)のことである。牛の角が左右とも長短・大小の違いのないさまから、互いに優劣のないことをいうようになった。》この語源が正しいなら「牛角」と書くべきだ。ただし『字通』を見ると、牛角にゴカクの読みはなく「牛の角」という説明があるのみ。「優劣のないこと」という意味は日本人が付け加えたのだろう

 《東の空が白み始めるころをシノノメ(東雲)というのは、古代住居の明かり取りに用いた窓が、篠竹を編んで作られていたことによる。篠の目から来たことばである。篠の目からは、夜明けの薄明かりがさし込んだ。》日が昇るにつれて東方の雲が見えだすところからシノノメに東雲の文字を当てたのだろう。漢語の東雲には「東の雲」の意味しかない。日本人の考えだしたことばあそびだろう。シャレもたのしいが、「篠の目」にもどせば祖先の暮らしに思いをはせるきっかけになる。

〇いまさら戻せないものもある

 「やっかい」というのは江戸時代には家で生活の面倒を見てもらっているひと、つまり居候を指した。家(やか)に居るひとだから「家居」と表記すべきもの、もともと同居人という意味。それほどマイナスのイメージはなかったが、近世の公文書で厄年の厄という文字を当てて「厄介」と書くようになったために、いつの間にか他人に迷惑をかけることなど悪い意味になったという。ひとは文字に意識を左右されてしまう。しかしこれは何気なく「厄介」を使ったのではなく、そのころから迷惑な存在ととらえられるようになってきたからだろう。ひとびとの意識が変わってしまった以上、もうもとの表記にはもどせない。

 「ふつつか」は源氏物語のころは「太くてしっかりしていること」を指した。ツカはたばねたものを数える単位。あえて漢字を使うなら「太束」と表記すべきだろう。いまは不束と書くが、これでは「つ」が1個足りない。しかし「太束」と書いたら、現在の「ゆきとどかないこと」という意味と合わなくなってしまう。意味の変わってしまったものは元にもどせない。ちなみに娘の結婚式で「ふつつかな娘ですが」と挨拶すべきところを「ふしだらな娘ですが」といってしまったという話がある。アホの坂田のいうことだから、まあ作り話だろうが。

 《「どうもすみません」というときのスミマセンには「済む」を使うが、もとは心が澄まない、平静ではないという意味である。また「休む」は「屋住む」からで、家にいて静にしていることであった。》それなら「どうも澄みません」と書くべきだが、それを出版社に渡したら賢しらな校正者になおされてしまうだろう。「道ばたで屋住む」という表記には違和感がある。語源を想起させる表記をするべきだとは言っても、これらのことばを注釈なしで使うのは難しい。