45(2007.02 掲載)

 『身近な雑草のゆかいな生き方』(稲垣栄洋著、三上修イラスト、草思社)

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 阿佐ヶ谷駅前の書楽に新潮選書の常備棚があって、その前を通るたびに気になりながらも買えなかった『川柳のエロティシズム』。パラパラと中身を確認して買うことができないのでおもしろいかどうかわからないし、おまけにひとに取ってもらうには頼みにくいタイトルだ。しかし今日こそは買ってしまおうと棚の前まで行くと、ひとりのご婦人が、思いっきり目を棚に近づけ、あれこれと品定めをしている。「すいません、ちょっと本とってもらえますか。あ、下から3段めの左から15pぐらいのとこにある『川柳のエロティシズム』っていうやつです。いえ、3段めなんですけど。あ、その右です」棚を舐めるように顔を移動してなんとかたどりついてくれた。おばちゃんでよかった。妙齢の女性にはたのみにくい。そのとき平台に本書『身近な雑草のゆかいな生き方』があるのをみつけ、こちらは初めて見る本なのに購入を即決。しかもおばちゃんは「この本わたしも読んだけどおもしろいですよ」といってくれた。これは心強い。

 1968年静岡生、岡山大学大学院修了、雑草生態学。何冊かの著書を持ち、2002年にはNTT出版から『雑草の成功戦略』という本を出しているから、本書は草思社の後追い企画だが、前書とは異なる読者層をねらったのだろう、字を大きくしてルビを多用、タイトルも児童を意識したものにして成功している。たとえばハコベの学名ステラリアは、花の形をスターに見立てたところから付けられたものだと述べたあと、中島みゆきの「地上の星」を引き、《ハコベはまさに人知れず輝く地上の星と呼ぶにふさわしい。人も雑草も本当に偉大なスターは、ごく身近に存在するものなのだろう。》とむすんでいる。全体に説教や教訓が多い。草思社の編集者はここに目をとめて児童書ふうのつくりにしようと思いついたのかもしれない。

 動物の本はよく読むから彼らが日々いかに考えて行動しているかということは知っていたが――ミミズでさえ考えながら行動していることをダーウィンの『ミミズと土』(平凡社ライブラリー)は教えてくれた――、植物の本はあまり読まないせいか、植物たちがこんなに考えて生きているとは思わなかった。50種類の雑草がとりあげられているが、すべてにドッグイアを付けなければならないほど新鮮な驚きに満ちている。ひとつ注文をつけるとすれば、イラストに彩色してほしかった。50点もカラーイラストを入れたら値段が倍ぐらいになってしまうかもしれないが、「豪華カラー愛蔵版」が出たらそれも買う。

〇二重三重の生存戦略

 【スミレ(菫)】  種子のまわりにエライオソームというアリの好きなゼリーが付いている。アリは種子を巣に持ち帰りゼリーを食べたあと巣の外に捨てる。これで種子は遠くまで運ばれる。蜜を吸いにやって来た昆虫にかならず花粉が付くように花の形を工夫しているうえ、昆虫が来なくなったら自家受粉してしまう、と何段階にも分けて作戦を考えている。

 【ハコベ(繁縷)】 「せり なづな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」むかしはハコベラといった。ハビコルの語源説があるほどよく増える。茎には根元にむかって無数の毛が生えている。雨の少ない冬場でもこの細かい毛が、植物体についた水滴を根元に運ぶのだ。繁殖の秘訣はこれだけではなくいくつもあるのだが、もうひとつ。ハコベの花びらは10枚あるように見えてじつは5枚しかない。1つの花びらが付け根で2つに分かれている。《花が咲くのは虫を呼び、花粉を運んでもらうためである。虫に気づいてもらうためには目立つことが必要だ。だから、花びらの数を二倍に見せているのである。》さらに咲き終わった花は下を向き種子が熟すまで風雨を避ける(下を向くのはほかのまだ受粉していない花を目立たせるためでもある)。《やがて種子を落とすころになると、すこしでも種子を遠くへ散布するためにふたたび茎を持ち上げて上向きになる。植物には動かないイメージがあるが、ハコベはこれだけダイナミックな上下運動を人知れず行なっているのである。》

 【スズメノテッポウ(雀の鉄砲)】 子どものころ「みたらし団子」と呼んでいたやつかな。雀の枕という異名もあるようだ。スズメノテッポウには水田型と畑地型がある。環境の一定している水田型は大きな種子を自家受粉(ジカジュフン)で少量残し、いつ耕されるかわからない畑地型は小さな種子を他家受粉(タカジュフン)でたくさん残す。大きな種子のほうが生存に有利。水田型は《その複雑な農事暦に適応した専門家集団として発達した。》すなわち稲刈りの時期に合わせて発芽するという性質を発達させてきたのだ。ところがむかしにくらべて稲刈りの時期が大幅に早まってしまったので困っているという。植物の環境適応は驚くほどはやいから、スズメノテッポウもなんとか解決策を見いだせるのではないだろうか。

 【コオニユリ(小鬼百合)】 ユリが花粉を運ばせるのにどれほど苦労しているかが語られている。《チョウは美しく華やかなので、ずいぶんといい印象を持たれているが、花にしてみれば質(タチ)の悪い大盗賊である。チョウはストローのような長い口を持っているので、雄しべや雌しべに触れることなく蜜を盗み吸うことができるのだ。》そこでユリは花をうつむかせて蜜を吸いにくくし、雄しべや雌しべをうんとのばして、蝶が蜜を吸おうとすればかならず体に花粉がつくよう工夫した。本書にはしばしば名前の由来が出てくる。ウルチ米、クリ、クルミなど重要なでんぷん源は「ウリ」という音をふくんでいる。ユリの球根も同じくでんぷんをたっぷり含んでうまい。コオニユリはイノシシなどから球根を守るために、球根の上下に根を張った。イラストで見ると球根がヒゲ根でサンドイッチされている。上根(ジョウコン)からは水や養分を吸収する。《下根は別名を牽引根という。根が地中深く張った後、縮んで球根を土の中に引っ張り込む。そうして、容易に掘られないように球根を地中深く潜伏させていくのである。》子どものころおやじから「ゆり根は掘りだすのがたいへんなんだ」といわれたことを50年ぶりに思い出した。こういうことだったのだなあ。

 【スベリヒユ(滑?)】 古名を伊波為都良(イハイツル)といい、お祝いのとき軒先に掛けられたという。《いつまでも緑が保たれることから、その強い生命力がお祝いのシンボルとなったのだ。たしかにスベリヒユは高温乾燥にめっぽう強い。》ふつうの植物は、太陽の出ている昼間に光合成をおこなう。しかし乾燥地帯で昼間に気孔をあけると貴重な水分がどんどん蒸発してしまうため、スベリヒユはCAMとよばれる特別な光合成をおこなう。すなわち夜気孔をひらいて二酸化炭素を取り込み、昼間それを原料に光合成をおこなうのだ。サボテンもCAMシステムを採用している。

 【コニシキソウ(小錦草)】 踏まれても踏まれても立ちあがる雑草は、おおなんとたくましいことかと賞賛されるけれども、わざと踏まれるような場所を選ぶことによって生存をはかる植物もいる。ほかの雑草が茂ることがないから日光も確保できるし、《コニシキソウは、最初から地面にひれ伏して生育しているから、踏まれても折れたり、倒れたりすることはないのだ。》

 【ウキクサ(浮草)】 葉っぱ1、2枚だけの単純きわまりない姿は、葉と茎を一体化させた「葉状体」と呼ばれるもので、空気を多く含んでおり、表面には細かい毛が無数に生えていて水をはじく。さらにそこから生えた根は錨のような働きで体を安定させている。このような念の入った工夫のおかげでウキクサがひっくり返るようなことはめったに起こらない。夏には100日で400万倍にも増えるといわれるほどの増殖力をもつウキクサも、水面が凍ってはどうにもならない。そこで《冬の訪れをまえにしたウキクサは、越冬用の芽を作って水の底へ沈んで避難する。》浮き草稼業などといいかげんなことのたとえに使われるウキクサだが、そのじつイヤミなくらい堅実な生きかたをしているやつなのだ。

 【ヒメムカシヨモギ(姫昔蓬)】 といわれてもどんな草だったか思いだせないが、イラストを見ると、あああれか、そこらじゅうにあるなと気づく。これがたいへんな数学者。《どんな植物も少しずつ葉の位置をずらしながら伸びていく。このずれ方は「葉序(ヨウジョ)」と呼ばれていて、どの程度の角度でずれるかは植物の種類によって決まっている。》ヒメムカシヨモギは360度の8分の3、すなわち135度ずつずれる。《すべての葉が効率よく光を受けるためや、茎の強度のバランスを均一にするためであると説明されている。》宇宙工学かなにかに応用できそう。

 【オナモミ(雄なもみ)】 「なもみ」は「ひっかかる」という意味の「なずむ」に由来するとか。マジックテープ発明のヒントになったというこの「ひっつき虫」は、動物にくっついて遠方の見知らぬ土地に運ばれることをわきまえたうえで、実の中に大小2つの種を用意している。《やや大きい種子は先発隊である。春になるが早いか芽を出す。まさに「先んずれば人を制す」だ。ところが、先発隊には、どんな危険が待ちかまえているかわからない。除草剤がまかれたり、耕されたりして全滅してしまう可能性もある。「急いては事を仕損じる」状況に陥ったときに備えて、遅れて芽を出すのが後発隊のやや小さい種子だ。》

〇雑草が呼びさます郷愁

 【スギナ(杉菜)】 《スギナの仲間はおよそ三億年前の石炭紀に大繁栄し、一世を風靡した。当時はスギナに似た高さ数十メートルにもなる巨大な植物が、地上に密生して深い森を作っていたのである。この大森林を築いたスギナの祖先たちが長い年月を経て石炭となり、近代になって人間社会にエネルギー革命をもたらしたのだ。》高さ数十メートルの「石炭紀スギナ」にはうっとりする。人間を1センチぐらいに縮めてスギナの原にほうりこんだ感じだろうか。何の本だったか、大昔のトンボは30センチぐらいあり、それがうじゃうじゃ飛んでいて、その死骸の堆積が石油になったという話だった。

 【マツヨイグサ(待宵草)】 月見草の群生を見たい。かねてからの念願だ。夕暮れになるといっせいに咲きだし、《パラボラアンテナのように折り畳まれた花を、肉眼でもわかるスピードで連続写真のように開く》のだそうだ。野原一面のオオマツヨイグサが月明かりに照らされて揺れていたらどれほど美しいだろう。そんな夢想に陶然としていたのに、マツヨイグサが夜開くのは鑑賞者をうっとりさせるためではなく、花の数の多い昼間を避け、花粉を運んでくれる昆虫を確保するためだと聞いてはすこしがっかり。さらに媒介する虫がスズメガだと聞くと大いにがっかりする。

 【ヨモギ(蓬)】 おさないころ草餅はヨモギで作るのだと教えられ、これを搗いたところでとても餅になるとは思えないと不思議でたまらなかった。後年色やにおいを付けるのだと聞いて納得した。菊科の植物にしては珍しく花が地味で目立たない。《一般に植物は風で花粉を運ぶ風媒花から、虫に花粉を運ばせる虫媒花へ進化したといわれている。》ところがかつてヨモギの住んでいた場所は乾燥地帯で、風は吹いていても虫はいなかったので、また風媒花に進化しなおしたという。なんと適応力の高いことよ。ところでヨモギの葉裏は白く見えるほど毛が密生している。それは気孔から水分が逃げていくのを防ぐためだ。《草餅にヨモギを入れるのは、本来は香りや色づけをするためではなく、この毛が絡み合って餅に粘り気を出すからである。》おお、なんだやっぱり餅の原料の一種なのか。

 【ホテイアオイ(布袋葵)】 ホテイアオイには思い出がある。小学生のころ住んでいた名古屋市瑞穂区河岸町の家の前に、幅2、3メートルのどぶ川があった。下水などない時代だから家庭排水を流すためのものだったのだろう(便所は汲み取り式)。敏捷な上級生は走り幅跳びの要領でこのどぶ川を跳び越えた。底はどろどろ、跳びそこなうと足はひざまで泥で真っ黒になりくさいにおいがした。それでもまだ家庭排水に化学的な成分が含まれていなかったせいか、どぶの中にはイトミミズがたっぷり住んでいて、夕焼けの時刻になるとどぶの底からミミズたちがいっせいに頭を出してどぶ全体が朱に染まった。金魚の餌にするためか、目のこまかいたも網を持った業者が泥をすくってはシャッシャッと洗い流してミミズの固まりを持って帰った。家の近所にどぶ川の始まりがあって、そこにホテイアオイがたくさん浮かんでいた。金魚のさかんな土地だったから、売るために育てていたようだ。本書によれば、1シーズンで1株が350万株まで増えるというホテイアオイも、きれいな水には育たないとのこと。《生活排水や工業廃水の流れ込んだ水は窒素やリンなどの栄養分が豊富なので、それを吸収してホテイアオイは増殖していく。ホテイアオイの異常繁殖は人間が水を汚したために引き起こされているのである。》あそこのホテイアオイはいつも量が一定していた。どぶのスタート地点ということもあってさほど汚れてはいなかったのだろう。

〇植物名と民俗

 【ハルシオン(春紫苑)】 いまでは貧乏草といわれるハルシオンも、もとは大正時代にアメリカから輸入された園芸用殖物だったとか。子どものころはハルジョオンと呼んでいた。そのうちヒメジョオンという名もあるようだし、ハルシオンと呼ぶひともいるから、どれが正しいのかと思っていたが、これを読んではっきりした。ハルシオンが正式。秋に咲く紫苑に似ているところから名づけられたようだ。ヒメジョオン(姫女苑)は別種。

 【ツユクサ(露草)】 ツユクサの花が好きだ。愛らしくてすがすがしい。朝露に濡れてしっとり咲く様子にはあわれをさそう風情がある。ところが著者は、ツユクサの葉の先端には「水口」という穴があって夜のあいだに余分な水を排出しており、それが朝露のように見えるのであって、うそ泣きのようなものだとひどいことをいう。ツユクサの魅力は何といってもその色にある。《これだけ鮮やかな青い花は少ない。昔はこの花の汁で衣類を染めたという。冒頭の歌(朝(アシタ)咲き夕べは消(ケ)ぬるつきくさの消ぬべき恋も我はするかも)のように古名を「つきくさ」と呼ぶのは色が付く「付き草」の意味なのだ。》

 【エノコログサ(狗尾草)】 ネコジャラシの標準和名はエノコログサ、「犬のしっぽ」だ。ともにふさふさした尾に因んでいる。英語ではフォックス・テイル、狐。《エノコログサは熱帯から温帯まで世界中のあらゆる場所に広く分布している。文化や人種、言語が違ってもネコジャラシを見たときのイメージは世界中一緒なのがうれしい。》

 【マンジュシャゲ(曼珠沙華)】 種子はなく球根だけで増えるというのに、なぜ全国津々浦々に分布するのか。救荒食として植えられたからだ。にもかかわらず死人花、幽霊花、捨て子花などと不吉な名をあたえられ、《墓地周辺など、人が寄りつきにくいところに植えて、あれには毒がある、死人花だから掘ってはいけないと言い伝えてきた》のは、大切に保存するためだったのだろうと著者は推理する。賛成だ。

 【ススキ(薄)】 茅葺きの屋根などというからてっきり茅という植物があるのだと思いこんでいたが、あれはススキだと書いてある。ビックリ。念のために『広辞苑』で「かや」を見ると《屋根を葺くのに用いる草本の総称。チガヤ・スゲ・ススキなど。》とあった。やっと納得。ガラスの原料ケイ酸を蓄積しているススキは、コンクリートと同じぐらいの耐久力があるのだそうだ。《稲を管理する田んぼがあるように、昔は村々には必ずといっていいほど、ススキを管理する「かや場」と呼ばれる場所があった。東京にある茅場町の地名はその名残である。》茅のほとんどはススキだったということなのだろうか。

 【アサガオ】 うちの近所に11月まで青い朝顔を咲かせているお宅がある。「まだ咲いている」と訪問看護師やヘルパーが珍しがる。「アサガオは秋の七草ですから」と答えて博識ぶりを誇っているつもりだった。ところが山上憶良が秋の七草として詠んだ「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 女郎花(オミナエシ) また藤袴 朝貌(アサガオ)の花」のアサガオは、キキョウのことなのだそうだ。知ったかぶりをするものではない。

 【ガマ(蒲)】 《矛のように見えるガマの穂先は「がまほこ」といわれている。》これがカマボコの語源。昔はちくわと同じように棒のまわりにすり身を塗りつけていた。だからいまでも「蒲鉾」と書く、とこのあたりまでは知っていたが、ウナギの蒲焼きもガマに由来するとは知らなかった。ウナギも昔は筒切りにしてそのまま棒に刺して焼いた。そのかたちがガマの穂に似ているところから、かく名づけられたのだとか。だがしかし、ガマの穂綿と呼ばれる白い毛は綿の代用品として座ぶとんなどに詰められた、だから「蒲団」と書くのだと稲垣はいうのだが、『広辞苑』で「ふとん」を引くと「蒲の葉で編み、坐禅などに用いる円座。」とある。「団」は「円」の意。また『語源海』(杉本つとむ)にも、蒲団は《中世中国語。蒲の葉を編んで作った座禅用の円い敷物、円座。》とあり、どこにも穂綿は出てこない。座禅僧にふわふわのふとんは似合わない。植物に関することだからといって、生態でなく民俗のばあいは植物学者のいいぶんを鵜呑みにするわけにはいかない。