51(2007.08 掲載)

 『99・9%は仮説――思いこみで判断しないための考え方――(竹内薫、光文社新書)

   999.jpg
 新聞で本書の広告を見たときは膝を打った(こころのなかで)。そうなんだよ、おれもそうじゃないかと思ってたんだ。さっそく近所の書店に走って(電動車椅子だからどこへ行くにも「走って」いく)、訊ねたがまだ入荷していなかった。帰宅して光文社のhpを調べたが出てこない。よほど広告が先行してサイトの更新が間に合わなかったのか、まぬけな商売してやがると思った。ところがしばらく期間をおいて検索してもあいかわらず出てこない。いくらなんでもこれはおかしい。そこでハタと気づいた。『99.9%は仮説』で検索していたから出てこなかったのだ。だけど「99テン9」の表記は「99.9」だろうが。小学校以来の常識ではないか。縦組みのつごうでナカグロにしたのだろうが、両方で検索できるようにしておけばいいのに。

●すべて仮説に過ぎない

 《試行錯誤と経験によって「うまくいくこと」と、その科学的な根拠が完璧にわかっていることとは別だ》というのが本書の趣旨。飛行機もこうすれば飛ぶということが分かっているだけで、なぜ飛ぶのかその理由は分かっていないのだそうだ。

 オランダで望遠鏡なるものが発明されたと聞くや、イタリアのガリレオは自分でも試行錯誤のうえ2年で倍率33倍の望遠鏡を作り上げた(むかしの科学者はそんなことまで自分でしたのだ)。ボローニャに24人の大学教授を集めそれを披露したところ、地上のものを見せたときには賛嘆した教授連が、月のクレーターを見せたとたんに「こんなのはデタラメだ!」と怒りだした。なぜなら《当時、天上界というのは完全な法則に支配された完璧な世界だと思われていました。つまり、神が棲む世界です。そこでは、すべてのものが規則的に動き、美しく、統一ある姿をしています。》天体はツルツルの真球だと信じられていたからデコボコの月面が見えたときに信じなかった、ということらしいが、その感覚はよく分からない。デコボコだとなぜ完璧でないのか。神様が月の表面をデコボコに造ったのだと思えなかったのだろうか。仏教は2500年前、キリスト教は2000年前に生まれたもの。当時のひとびとの知識量はささやかなものだ。それはともかく著者のいいたいことは、《われわれの世界観、われわれが親から教わること、われわれが学校で教わること、そういったものは、すべて仮説にすぎません。》

●ロボトミーで思い出したこと

 宇宙に関する事実認識がまちがっていても日常生活にはさしつかえないが、医学の常識がころころ変わるのはほんとうに困る。わたしが1988年に膀胱瘻造設手術を受けていよいよ在宅生活に移行したときの国リハの退院指導は、「褥瘡に気をつけること、関節の硬縮に気をつけること」とならんで「膀胱洗浄は毎日すること」だった。それが数年後には「膀胱洗浄は細菌感染のもとだからなるべくしないこと」に変わった。褥瘡の手当にしても当時は乾かすことを心がけたものだが、いまや「傷は乾かしてはいけない」というのが常識だ。いつまた変わるか知れたものではない。

 エガス・モニスというポルトガル人医師は、精神病患者の前頭葉を切除するロボトミー手術の功績で1949年ノーベル生理学・医学賞を取った。1940年代は第2次世界大戦のせいで精神病患者が急増した。しかし薬物による治療法はなかった。だから死亡者が出ようが、廃人になってしまったという苦情が出ようが、政府自体がロボトミー手術を推奨した。1949年までにアメリカだけでも1万件の手術がおこなわれた。ところが脳科学の進歩とともに前頭葉の重要性が分かり、1952年に薬物療法が始まったとたん、ロボトミーはとりかえしのつかない治療法だったというように世論は180度変わってしまう。《わたしがここでいいたいのは、ロボトミー手術やそれを考案したモニスが良いか悪いかといった単純な話ではありません。そうではなく、時代によって「正しい方法」は移り変わる、ということをいいたいのです。》そうはいっても、施術された者はたまらない。

 持続睡眠療法もそうだった。1987年、不眠と抑鬱状態に追いつめられたわたしは、都内のS神経科医院に入院して持続睡眠療法を受けることにした。これは患者を3週間ほど睡眠もしくは亜睡眠状態に置くことによって鬱をなおすという療法だという説明を事前に受けていた。不眠に苦しむ者にとってぐっすり眠れますよというささやきほど魅惑的なものはない。さらに直前には老院長から「あなたは軽いから持続睡眠は3日ですむ」といわれた。そういわれた記憶はじつはない。あたえられた薬のせいで直前の記憶もなくなってしまったのだ。ただ療法にはいる前にわたしが当時の妻に電話をかけて診断結果を伝えていたため、あとになってわかったことだ。2週間後に病室の外側のベランダから転落して頸髄を損傷した。病室は畳の個室で2階にあった。付添婦が食事のしたくで部屋を離れたすきに「無断離院」を図ったので病院に責任はないと、のちに裁判になったとき病院側は主張した。「3日といったのは患者さんを安心させるための方便だ」ともいった。

 7年にわたる医療訴訟のかんに、さまざまな事実が判明した。わたしを担当した付添婦はそこに長く務めていたひとだが、過去に何人もの患者がベランダから飛び降りけがをしていることを証言した。これは衝撃的な事実だった。うちは開放病棟だと病院側は胸を張ったが、見当識のない患者は保護の意味で閉鎖病棟に入れるべきだろう。げんに木造2階建てだから病室のガラス戸を裏返して外から鍵をかける方法もしばしば採られていたという。わたしのばあいにはそれをおこたったのだ。

 もっとも驚いたのは、病院側証人として出廷した医師が、持続睡眠療法は、鬱病の患者が自殺を図って大量の睡眠薬を飲み、何日間も昏睡状態がつづき、運よく蘇生したあと鬱状態が改善されたところから始まったものであると証言したことだ。終戦後はやった療法で危険度が高いためもう何十年も前におこなわれなくなったものであることも判明した。「まだそんなことをやっている病院があるんですか」と、こちらがわの弁護士の問い合わせにある精神科の医師は答えたそうだ。

 そんなに危険なものであることを事前に知っていれば受けなかっただろう。まだセカンド・オピニオンなどという言葉のない時代だ。あったとしても追いつめられた精神科の患者にはそれをさがす余裕などない(いまならインターネットが助けになるかもしれない)。ロボトミーの一節を読んでそのことを思い出した。

 

 『祖国とは国語』(藤原正彦、新潮文庫)

   sokoku.jpg
●ナショナリズムとパトリオティズムは別物

 タイトルは、ドーデの『最後の授業』に由来する。普仏戦争でドイツに占領されたアルザス地方ではフランス語による授業が禁止されることになり、村の小学校の最後の授業で老先生が「国は占領されても君たちがフランス語を忘れないかぎり国は滅びない」とはげます話。《祖国とは国語であるのは、国語のなかに祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒などの大部分が包含されているからである。血でも国土でもないとしたら、これ以外に祖国の最終的アイデンティティーとなるものがない。》だから国語教育を重視せよというのが本書の趣旨だ。

 地理上他国との交流がもともと少なかったうえに鎖国までしてきっぱり交流を断ったわれわれには分かりにくい話だ。つぎに読んだ『漢語からみえる世界と世間』(中川正之、岩波書店)に理解をたすける一文を見つけた。《「日本人」、「日本語」はそれぞれ「日本・人」、「日本・語」と二語からできたものであるが、英語ではいずれもJapanese一語で表すことができる。おそらく英語では、ある人間集団をカテゴリー化する場合、皮膚や目の色とともに、その集団がどのような言語を用いているかが重要な用件となっており、民族とその言語が不可分なほど近い概念であるため一つの語に統合できるのであろう。》

 愛国心(ナショナリズム)と祖国愛(パトリオティズム)とは別物――これを明らかにしたのがおそらく本書の最大の功績だろう。《ナショナリズムとは通常、他国を押しのけてでも自国の国益を追求する姿勢である。私はこれを国益主義と表現する。/パトリオティズムの方は、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、またそれらをこよなく愛する精神である。私はこれを祖国愛と表現する。》江戸時代までさほど祖国を意識することのなかった日本人は、この二つを愛国心という一つの言葉で括ってしまった。《これが不幸の始まりだった。愛国心の掛け声で列強との利権争奪に加わり、ついには破滅に至るまで狂奔したのだった。/戦後は一転し、愛国心こそ軍国主義の生みの親とあっさり捨てられた。かくしてその一部分である祖国愛も運命を共にしたのである。心棒をなくした国家が半世紀たつとどうなるか、が今日の日本である。言語がいかに決定的かを示す好例でもある。》ちなみに祖国愛が深ければ深いほど、他国のひとびとの同じ思いを理解できるので、戦争抑止につながると藤原はいう。

●全面的に賛成とはまいらぬ

 日本の「失われた10年」の最中に書かれたものなので、外交・経済の失敗を嘆いたあと、その原因は教育の失敗にあると論を進めていく。理数離れの原因は「我慢力不足」であり、その原因は社会の豊かさであると藤原はいう。《日本が豊かになり少子化が進むにつれ、子どもたちが忍耐を強いられる機会はめっきり減った。》そのため忍耐を要する理数系の勉強ができなくなった。読書離れもすすんだ。教育の再興には《家庭と学校が決意を新たに子どもたちを厳しく鍛え、十歳くらいまでに充分の忍耐力を培うことと考える。》そうかもしれないけど先生、ちょっと反論。自分は終戦直後の貧しい時代に生まれ育ち、忍耐だってそこそこしたし、算数にもまじめにとりくんだけれども、鶴亀算以降はまったく歯が立ちませんでした。ノーミソの問題だと愚考いたします。

 《英語が下手では国際ビジネスに不利だから、IT革命に乗り遅れては一大事だから、ということで小学校に英語やパソコンを導入しろ、と声高に言い出したのも経済界であった。》しかし20世紀を通してもっとも経済成長したのは英語の苦手な日本だったし、もっとも斜陽だったのはイギリスだった。世界のITの大きな担い手であるインド人は小学校時代パソコンなど見たこともなかった、という指摘は痛快だ。イギリスで大学に工学部ができたのはつい最近のことで、工学は技術であって学問ではないとされてきたという指摘も藤原の姿勢をあらわしていて興味深い。要するに目先の実用に気を奪われていてはいけないということだろう。

 《読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。》活字文化が衰退して国民やリーダーが教養ひいては大局観を失ったものだから日本は失われた10年のあいだに危機に陥ったのだといい、国語教育の重要性を力説する。しかしだ、活字文化が衰退していたとは思えない戦前だって日本のリーダーは今よりはるかに大きな危機に日本を追い込んでいったではないか。

 《地球上の人間のほとんどは、利害得失ばかりを考えている。これは生存をかけた生物としての本能でもあり、仕方のないことである。人間としてのスケールは、この本能からどれほど離れられるかでほぼきまる。》9割は利害得失であるとしても、残り1割は「美しい情緒」でなければならぬと説く。経済だけに気を取られて安い輸入農産物に頼っていると、日本の農業は疲弊し美しい自然が失われ、ひいては世界に誇る「もののあわれ」という情緒も衰退する。《これら情緒は我が国の有する普遍的価値でもある。普遍的価値を創出した国だけが、世界から尊敬される。経済的繁栄をいくら達成したところで、羨望や嫉妬の対象とはなっても尊敬されることはありえない。》この意見には強い共感をおぼえるし、おおいに与したいところだ。がしかし異国のひとびとが日本を尊敬するのは、われわれが「もののあわれ」を有するからではなくトヨタやソニーなどの機械を生産しているからだろう。

●美しい情緒か国家戦略か

 本は自分の知らなかったことを教えてくれるから好きだ。オレンジ計画なるものも初耳だった。「戦略なき国家の悲劇」という一文には、日露戦争に日本が勝利した翌年に早くもアメリカは日本を敵国とするオレンジ計画に着手していたとある。35年後に日米が激突したとき、ほぼその計画どおりに戦いがすすんだという。また《冷戦が終焉を告げた直後の一九九〇年、アメリカのジェームズ・べーカー国務長官は「冷戦中の戦勝国は日本であった。冷戦後も戦勝国にさせてはならない」と語った。相前後してCIAは、「ジャパン二〇〇〇」という名のプロジェクトを著名な学者たちに委託した。二〇〇〇年までに日本を引きずり下ろす、の意であろう。その通りの結果となった。/ビッグバン、市場原理、グローバリズム、小さな政府、規制緩和、構造改革、リストラ、ペイオフなどが、九〇年代から今日に至るまで矢継ぎ早に登場し日本を席巻した。その間の日米経済逆転を見ると、これらアメリカ発の要請が戦略的なものであることは間違いないだろう。十年以上続く未曾有の不況は、軍事外交での盟友であるアメリカが、冷戦後、経済上では敵となったことに気付かなかった、戦略なき国家の悲劇とも言えよう。》そうか、してみると郵政民営化もやはりアメリカの戦略に乗った政策だったのか。民営化を持論とする小泉純一郎を総理にし、ハーバード帰りの竹中平蔵と組ませたということなのか。《長期国家戦略は不可欠である。しかも最高機密でなければならない。オレンジ計画も国民や議会に知らされなかった。日本の平和と繁栄と幸福を守るのは日本しかない、の自覚のもと、我が国の知力と気概を結集した長期国家戦略の策定が急がれる。》と声を張る。ただ、国民に知らされない最高機密では妄想と区別しがたいのが難点だ。できれば日本政府も長期国家戦略ぐらいとっくに策定済みで、しかもそれが的確なものであってほしいという気になる。

 でも、なんだかなあ……。「他国を押しのけてでも自国の国益を追求するナショナリズム」をさげすみ、「実用に役立たぬ教養」と「美しい情緒」を推奨したひとだ。それが最後になって他国を術中にはめるような戦略の必要性を声高に叫ばれるとちょっとなあ。その両方に共感する自分がいるのも確かだが。