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 『危ないお仕事!』(北尾トロ、新潮文庫)

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 巻頭は万引きバスター。そんなものはテレビでしょっちゅうやっているのだから書籍で取り上げるほどのものではないと思って読みはじめたが、素人の万引き犯など一目でわかる、「モノを盗もうとするとき、人間はどんなに取り繕っても、悪人面になる。その目つきが匂うんだ」というセリフをバスターから引き出すあたり、おやと思わせる。北尾は『裁判長!ここは懲役4年でどうすか――100の空論より一度のナマ傍聴――』(鉄人社)でもやはり顔に注目し、「被告の顔を見ればもうヤったかヤってないかすぐわかってしまう」と書いていた。顔に注目するひとなのだ。手ごわいのはプロのグループで、これが入店するとバスターの側も全員で息詰まる攻防をくりひろげるのだそうだ。もっとむつかしいのは店で働くスタッフの犯行。内部犯行はけっこう多く、「レジ係と組んでいれば楽勝でしょう」というセリフは、テレビでは放映できないから初耳だった。

 タイに移住した60代の日本人男性が殺されてしまうという話は、ひとごととは思えない。20代のタイ人ホステスと結婚しチェンマイで飲み屋を始めたはいいが、女房はタイ人の男性店員と共謀して夫を湖に沈めてしまう。タイでは土地・建物を外国人名で登録することができないから、店はもともと女房名義だ。警察は自殺で片づけてしまう。《タイでは警察など金でどうにでも動くのだそうだ。この国にヤクザはいないが、それ以上にタチが悪いのが警察。金はせびるしワイロも要求してくる。》タイにかぎらず物価の安い国で余生を過ごそうと考えている者は、こういう現地事情もよくわきまえておかなければならない。もっとも堅実な夫婦が移住するならそれほどの危険はなさそうだ。色がからむからやっかいになる。「妻に先立たれたり熟年離婚を食らったじいさん連中が単身タイにやってくる動機は、ほとんどが女だ」と語るのは、現地で相談屋をやっている日本人。「金にモノを言わせて女を一時的に買っただけなのを忘れて、バカみたいに狂うんだ。この国は特別だ、パラダイスだと思ってしまう。どうしようもないよ。ダマしてくれと言ってるようなもんだよ」

 ダッチワイフ業界の革命児は、世間の裏側に潜んでいるヘンタイ諸君の悩みを暴いてくれる。ダッチワイフといえば空気でふくらませるものと決まっているが、ハルミデザインズの島津氏は特殊なスポンジで少女人形さちこ(16歳・身長152・バスト80A・ウエスト56・ヒップ80)を作って大当たり、ワイフ御殿を建てた(ソノ道の愛好者はダッチワイフをワイフと呼ぶようだ)。メインユーザーは半数以上が中高年男性、最高齢は77歳。「養老院からここに杖ついて買いに来た人もいますからね」《女房に先立たれ、自殺未遂までしてうちひしがれていたところへ雑誌でさちこの存在を知り、購入。この人はお礼まで送ってきた。もはや高齢でナニはできないけれども娘のように可愛がっている人もいる。さちこが生き甲斐になっているのだ。人形の力である。口パックリのワイフではこうはいかない。こんなところで人助けまでしているとは、さすが人形師……。》マニアたちは礼状や感想文を送ってくる。そんな反響のなかからロリコン人形ゆうこ(身長110・バスト60・ウエスト50・ヒップ65)は生まれた。《案の定、反響はすさまじかった。これまで幼い女の子を見てムラムラしても、これはいけないことなんだと自分に言い聞かせて耐えてきたロリコンマニアたちにとって、好き放題に遊べ、セックスまでできるワイフはノドから手が出るほど欲しい商品だったのだ。》島津氏は「反社会的なものを作ってしまったかなとも思うけど、客の声を聞くかぎりは逆に犯罪防止に役立っているんじゃないか」と語る。「助かった」という声が多い。強姦したうえに殺してしまう犯罪者を頂点として、ロリコン趣味のヘンタイは意外に多く、保育園や小学校の職員にももぐり込んでいるご時世だ。なんとかゆうこで我慢してくれ。

 番外篇として著者の得意分野、裁判傍聴記が付されている。犯罪被告人は、拘置所で考えに考えたクライマックスの演技を披露するのだが、《これが、たいていは同じなんだなあ。涙である。/「私は……私は……(このへんで泣きの態勢になる)、やっておりません!(号泣)」/しょっちゅう同じような光景に遭遇するからだろう。ぼくはこの戦法が功を奏した裁判を見たことがない。/被告人にとっては一世一代の演技が、裁判官にとってはよくあるサル芝居なのだ。ぼくはすべての裁判官が優れているとも信頼できるとも思わないが、被告人の心を見透かす眼力については、常人よりもはるかに研ぎ澄まされていると感じる。被告人や弁護人の熱っぽい発言に心を揺さぶられているとき、アクビをかみ殺すような裁判官の表情を見て我に返ることがあるのだ。》前著では被告人の顔を見ればヤったかどうかがわかると豪語していた北尾だが、傍聴に年季がはいるにつれ認識がより深くなってきたのだろう、態度が謙虚になってきている。。

 

 『動物記――北イタリアの森から――(マーリオ・リゴーニ・ステルン著、志村啓子訳、福音館書店) 原題Il Libro Degli Animali

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 出版社は福音館だし、ルビは多いし、児童書ふうのイラストも入っているところをみると、作る側は児童書のつもりなのだろうが、すらすら読める本ではない。

 前作『雷鳥の森』(みすず書房)同様、第2次世界大戦後のふるさとアジアーゴが舞台。《そこは第一次大戦時の激戦地であり、第二次大戦末期にはドイツ軍とファシストによる抵抗者たちの掃討、いわゆる「パルチザン狩り」がおこなわれた。》悲しい歴史が随所に出てくる。素朴な山里の動物記なのにそんな話が出てくるのは、《いつもこの世に平和と安らぎがあるとはかぎらない。それは日々、守り、獲得していってはじめて可能なのだということを》気づかせたいという作者の意図による。

 そうはいってもテーマは山里の動物記、自然との共生だ。自然との共生は昨今わが国でもはやりことばにさえなっているが、容易なことではない。人類は昔から自然と闘って生き延びてきた。森を伐採して畑を作り、動物を殺して食ってきた。人間にとって鳥獣虫魚は利用すべき資源であり、ときには敵ですらある。蚊やゴキブリを見れば殺そうとする。野良猫がいるのはかまわないが、ふえすぎたら迷惑。存在してもかまわないが自分のテリトリーを犯してはならぬ、それが大多数のひとにとっての「自然」なのだ。それと共生しようというのだから頭の痛い問題も起きてくる。作者のリゴーニはその付きあいかたのヒントをくれる。アルプスの山麓にミツバチを飼いながらくらすひとだけあって、見当違いなことをいわない。

 最近日本でもシカ・サル・イノシシ・クマなどの野生動物が人里に降りてくるようになり、マスコミはそれを人間による環境破壊のせいだと報じるのだが、人類の歴史は環境破壊の歴史なのだから、そんなことばかりいっていてもはじまらない。日本人が動物とのつきあいかたを忘れたために大騒ぎしているのではないか。リゴーニは精確な観察をしたうえで解決法もしめす。ノロジカの群れが昼日中ひとびとがたちはたらく牧草地にまで出てくるようになったのはなぜか。雪の少ないおだやかな冬が何年かつづいたためノロジカたちのあいだに自然淘汰が起こらず数がふえたからだと分析。ではどうしたらいいか。牛のための牧草を食われないように、牧畜犬をつかって追いはらうという策を教えてくれる。われわれもこれを取り入れればいいのだ(チワワみたいなペットばかり飼っているから精神が弛緩する)。ただし、歳をとってやせさらばえたノロジカには犬をけしかけない。それどころか塩をなめさせたり猟犬を追いはらったりして保護してやる(「ちびのトゥルカ」)。

 「窮鳥懐に入らば」のことわざが当てはまるような情景がたびたびあらわれるのも本書の特徴だ。山で伐採の仕事中に急な雷雨にあった4人の木こりが、生まれたばかりのノロジカを見つけ、ずぶぬれになりながら雨よけを作ってやる。数年後には銃でしとめることになる矛盾をいだきながらも(「春の雷雨」)。「アカゲラ、シロフクロウ、ヨーロッパカヤクグリ」という一篇は、その心情が人間だけのものではないことを明らかにした驚くべき作品だ。病気かけがで飛びかたのおかしい1羽のカヤクグリが、季節になっても渡りをせずに著者の家の近辺に留まった。小鳥は著者の掛けた巣箱を使うこともないからどこで暮らしているかわからない。その疑問は、ある吹雪の朝猟犬のチンブロに餌をやろうと思って犬小屋に行ったときに解ける。《吹雪が吹き荒れ、木々が激しくゆれていたので、わたしが犬小屋に近づいていっても、チンブロはそうと気がつかなかったのだろう。雪がかかった睫毛の下でわたしが目にしたのは、前脚と胸のあいだでヨーロッパカヤクグリを暖めているチンブロの姿だった。人のふいの出現に驚いた小鳥は、凍りついたようになってこちらを見つめた。が、つぎの瞬間には、わたしの顔をかすめて飛び去った。チンブロは、猟への執念たるやすさまじい、勇猛な猟犬のチンブロは、情にほだされた弱みを見られてばつが悪かったのだろう、少しばかり尾を振ってみせた。》このとき著者は、なぜ野良猫やイタチがこの小鳥を襲わなかったかもさとる。チンブロが守っていたのだ。

 生態系の破壊の典型を知りたければ「ヤマネたち」という作品がうってつけだ。《ことの起こりは一九四四年だった。森にひそむパルチザンを恐れた占領ドイツ軍は、平地につづく斜面をおおっていた広大な雑木林を伐採した。》里山を裸にしたのだ。そこに棲んでいた動物たちは山のモミ林の下生えへと移動した。だが1945年に戦争が終わると今度は町から役人がやってきて、モミだけ残し雑木や下生えを伐採してしまった。失業対策の公共事業だ。「森を美しくする」という名目でおこなわれた森林開発事業のおかげで、まるで公園のように整然と美しくなったが、カタツムリもキノコも姿を消した。……どこかで聞いたような話だ。ベトナム戦争で米軍がおこなった枯葉作戦、「水辺を美しくする」という名目で河川や海岸をコンクリートで固めた日本の公共事業、河口堰を作ったため魚がのぼらなくなった河川などなど、おなじ話を想起させる。

 森林整備事業から数年後の1950年、常緑樹のモミの高木が黄色く変色してつぎつぎと倒れだす。ヤマネの天敵であるフクロウやキツネがすみかを失い、《たしかに人間の目には美しいかもしれないが、動物にとっては殺伐たる不毛の森を》出ていったため、ヤマネの数がふえた。もともとは草木の実を食べていたヤマネは食い物に困り、モミの樹液を吸ったのだ。森林破壊の第1の原因を作ったドイツ軍はもういない。第2の原因を作った役人は《そうこうしているうちに、定年で年金生活に入ってしまった。》責任者はもういない。よくある話だ。そういえば京都の北山杉の林は、シンとした沈黙の林だった。東山魁夷がうっとりするほど美しく描いたあの美林にも、何か表沙汰にできないようなことがあるのではと思ってしまう。

 ヤマネを減らすにはどうしたらいいか。国内のみならず近隣諸国の大学に提言を求めたが、「森を以前の状態にもどすこと」という答えが返ってくる。いうは易くおこなうは難し。そんなことは言われんでもわかっとる、とそろそろリゴーニの目は皮肉っぽくなってくる。ネコを放ってもダメ、テンを放ってもダメ。最後に真打ちのように登場した大学教授はこう助言する、「大型のガラスビンを地中に埋めなさい。ヤマネは冬眠のために入り込むが、春になっても出られない」大量のビンが森じゅうに埋められた。春になったが、1匹も入っていなかった。学問とは無縁のある老人は教授先生にむかってこういう。「ところで先生、あんたは本気で信じていたんですかい。地面に穴さえあれば、どこにでもヤマネは入ってゆくものだと?」結局、銃で撃ち殺し1匹いくらで町が買い取るという方法が採用されたのだった。ヤマネはかわいい。あらゆる動物のなかでもっともかわいい。おそらく散弾銃だろう。血まみれのヤマネがぽとりぽとりと樹上から落ちてくる光景が目に浮かぶ。

 「アルバとフランコ」の一節は、ある映画を思い出させた。猟犬の《アルバとフランコは森と、猟と、三人の兄弟に、ますます馴れ親しんでいった。世界ではさまざまなことが起こった。朝鮮戦争、孤立したベルリンへの空からの物資投下、北大西洋条約、選挙、スクーターの流行、オートメーション化。だが大地の上では、同じことが変わることなくくりかえされてゆく。日が昇り、日が沈み、穀物が実り、雪が降る。森のそばの小さな家の暮らしもあいかわらずだ。冬は木の桶を作り、夏は大地を耕し、木をきりだし、秋は猟に出る。ずっとずっと、昔と同じように。ずっとずっと、これから先も変わることなく。》フランスの監督が撮った渡り鳥のドキュメンタリー映画「WATARIDORI」は、幾種類もの渡り行動を追いかけたうえで、結局地上で何が起ころうと、戦争が起ころうと環境汚染が起ころうと、季節がめぐってくれば鳥たちは渡っていくのだとしずかに主張していた。両者がなんとなく東洋的思想のように感じられるのは、自分が東洋人だからであって、自然に根ざした暮らしをしているひとは同じような心境に達するのだろう。