56(2008.1 掲載) 『痛みと麻痺を生きる――脊髄損傷と痛み――』(脊損痛研究会、日本評論社)
何か解決の糸口を見つけられないものかと本書を読んだ。日本せきずい基金と脊損痛研究会が、2003〜4年に6000人の在宅脊髄損傷者に対しておこなったアンケートをもとにして書かれたものだ。脊損の75%に痛みが発症し、全体の26%が生活に支障をきたすほどの痛みに苦しんでいるという。あまりの痛みに耐えかねて自殺におよぶひともいる。にもかかわらず医師にまで「麻痺しているのだから痛くないはず」といわれるほど世間の認知度は低い。そこで障害者の生の声をぶつけて問題提起をしようというのが本書の趣旨だ。 ●専門用語から逃げない姿勢 第I部は脊髄や痛みに関する総論。ここで私は、長年わからなかった「痙性」と「痙攣」の違いがわかった。《筋肉が不随意に緊張して屈曲伸展を来たし、コントロールできなくなる事態が起こるのが痙縮または痙性である。痙性麻痺ともいわれる。(中略)全身がいきなりそり返ったり、上肢がつっぱったまま固まるということもある。下肢のつっぱりが多い。》いっぽう「痙攣」は、筋肉がこきざみに不随意の収縮運動を起こしブルブルふるえることだという。それなら大きいのが痙性で小さいのが痙攣、といっていいだろう。自分を例にあげれば、指がピクピクしたり腹筋がブルブルふるえるのは痙攣、夜中に足がガクンとつっぱって眠りをさまたげるのが痙縮だ。 話は少しそれるが、「痙性」はもともと形容詞ではないだろうか。「痙性麻痺」は「弛緩性麻痺」の対語のはずだ。激しい症状を見て「痙性麻痺者が痙攣を起こしている」というべきところをはしょっているうち「痙性が起こった」という妙な表現になってしまったのではなかろうか。痙縮という言葉を使うべきだろう。 薬品名・手術名など専門用語もたくさん出てくる。いいことだと思う。とかく出版社は「一般書だからなるべく専門用語は避けよう」とする。むつかしい専門用語をわかりやすく解説するのが一般書の役目ではないか。逃げてどうする。障害者と医療従事者はなるべく共通の言語でしゃべるべきだろう。 ●悲痛な叫びのなかの微かな光 第II部「痛みと麻痺を生きる」では、12人の脊髄損傷者(女性7人、男性5人)がみずからの痛み体験を語っている。頸損から腰損まで、事故から病気までと幅広く、女性の声が多いのも脊損関係の書物としては異色といっていいだろう。どの治療履歴も詳細をきわめ、悲痛な叫びに満ちている。この薬もあの薬も効かなかった、あの治療法もダメだったという話が多いが、なかには「効果あり」という報告もあるのでそちらに力点を置きながら「教訓」を読み取っていこう。
【大きな手術はしないほうがいい】
【劇薬は副作用がひどい】
【抗鬱剤は有効だが副作用も】
【東洋医学や気功は成功例が少ない】
【効いた薬】 体温計のような「痛み計」がないかぎり痛みは数値化、客観化できない。仮にあったとしてもひとりひとり体や環境は異なるのだから確実に効果のある医療はむつかしいだろう。だが、われわれが日頃から自宅でできる対処法もある。みんなが口をそろえるのは、十分な睡眠、入浴、暖め、マッサージだ。痙縮と寒さは大敵。これらに共通するキーワードは「血行」ではないだろうか。私はここ半年ほどペインクリニックにかかって神経ブロックをしている。痛みの強い部分の近くにキシロカインなどの麻酔薬を月2回注射する。以前にくらべて痛みは2〜3割減ったように感じている。「とにかく冷やさないように」とドクターは言う。冬場車椅子に乗るときははとくに下半身を電気毛布で包み、手には自家製のアームウォーマーをはめ、痛みの強い左腕にはホカロンを貼るという重装備だ。
(「はがき通信」第104号から転載)
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