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 『私が、答えます!――動物行動学でギモン解決!――(竹内久美子、文藝春秋)

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 週刊文春連載の単行本化。竹内の読者なら知っているようなことも多いが、あいかわらず語り口がうまくておもしろい。おそらく連載時のものの流用だろうが、寄藤文平のイラストもうまい。山藤章二ふうといおうか本文べったりでなく文章に触発されてわいたアイデアを描く。

 男のマスターベーションは精子の更新作業であるとのべたあと、その証明として《アカゲザルやアカシカの、交尾の機会の多いオスほどよくマスターベーションするという現象も、それだけよく交尾のための準備をしているのだと納得することができます。》と書いているが、納得しかねる。なぜなら頻繁に交尾しているのであればわざわざマスターベーションしなくても精子は更新されているからだ。

 また、女が快感を感じるのはクリトリスと膣の入り口だけだというのだが――ウーマンリブ華やかなりしころに唱えられた説だが――、これは竹内の性体験の浅さを露呈しているように思える。

 大人になっても子供の特徴を持ち続けることをネオテニーという。理系の男はネオテニーが強く、子供のような髪型サラサラヘアで、若い、無邪気、天然ボケであるという。ノーベル田中を連想した。コーカソイドよりもモンゴロイドのほうがネオテニーが強い。子供っぽいのを良くないとするのはコーカソイドのプロパガンダかもしれないという。竹内は絶対顔写真を出さないが、きっと子供っぽい顔をしているにちがいない。

 ハイヒールを履いた女の足の形はオルガスムスのときと同じ。《脚をぴんと伸ばし、つま先を足の裏側に曲げる。すると、甲が盛り上がる……あれです》知らなかった。男が目にする機会のない部分だから。

 女はマスターベーションをすると妊娠しにくくなるから、恋人とのセックスの前にはしないが、だんなとのセックスの前にはする。女がマスターベーションについて話すのを恥ずかしがるのは、そういう戦略を知られたくないから。単なる恥じらいに見えてもその裏側にはかならず確固とした意味がある、というのが動物行動学の考え方。親が子供をがみがみしかるのは、早く出ていってほしいからだとか……。

 結婚すると男はそれほどセックスしたいと思わなくなる。それは、1回の射精で出る精子数億個のうち授精係は数百万にすぎずあとはほかの男の精子と戦うための戦争係であるという事実と関係がある。結婚前は女がほかの男と交わっている可能性が高いのでそれを追い払うためには頻繁に交わらなければならないが、結婚後はそれほど警戒する必要がない(「釣った魚に餌はやらない」という心理にはこういう行動学的裏付けがあったのだ)。そこで、夫婦一緒にいると精子の数も減ってしまうから子供のできない夫婦はしばらく別居してだんなをハラハラさせたほうが良いという実用知識につながる。現に竹内の身近でこの知識が役立った経験があり、そのよろこびが本書を書かせた動機だったという。

 寄生者(パラサイト)と免疫力が、竹内を読むばあいのキーワード。ミュージシャンやスポーツマンがもてるのも、体の器官や神経系の発達を妨げる寄生者に強いことを表現しているからだという。いまいちピンとこないが、つい最近まで人類は細菌や寄生虫のせいであっけなく死んでいたことを思い出さなければならない。免疫力の強い男をどうやって選ぶか。シンメトリーな男がいいそうだ。「ルックスがよく、真に賢い、不良」がもてる。 人差し指にくらべて薬指の長い男は、授精能力が高い。胎児期のテストステロン・レヴェル(男性ホルモン)が高いと薬指が長くなる。そういう男は右脳が発達し、運動能力が高く音楽の才能がある。勉強なんかできたってなんの役にも立たないと、向上心をくじくようなことを言う。たしかに女は男の指に興味を示す。きれいな指ね、ピアニストみたい、なんて。男は女の指なんか関心ない。

 作家はなぜ自殺率が高いか。自殺体質というものがある。セロトニンなどの神経伝達物質がもともと少なくてウツになる。原因なんか追究したってムダ(こういう単純な思想を聞くとほんとうに心がいやされる)。書くとウツがやわらぐ。しかし職業として書くのはつらい。それで精神のバランスをくずす。

 動物行動学的に見た忠臣蔵の討ち入りはおもしろい。《名誉というものは、本人よりも、むしろその血縁者の方が恩恵にあずかるものなのです。》義士本人の遺伝子も間接的によく残された。大石の三男大三郎は、父と同じ石高で浅野家に召し抱えられ、娘は浅野家の重臣と結婚、内蔵助はさらに愛人お軽とのあいだにも子をもうけている。

 カッコウの子を育てるヨシキリはアホではない。《遺伝子のコピーを残すという本質においては、アホではないはずです。》もしほんとうの意味でアホなら、そのアホな行動自体が現在、存在し得ないからだという論理には説得力がある。ではなぜよその子を育てるか。カッコウは猛禽類に似ているので、ヘビなどの捕食者が寄ってこないという利点がある。だが自分たちの子は残らないではないかという疑問には、巣の近くで血縁者が繁殖しているはずだと説く。

 受胎能力を失った雌象も、子や孫の繁殖には大いに貢献しているという。「生殖能力を失った『ばばあ』が生きていることは人類にとって最大の災厄」と言ってはばからない石原慎太郎は浅慮、無教養ということになる。

 

 『小顔・小アゴ・プルプル唇――「私が、答えます」2――(竹内久美子、文藝春秋)

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 性的なことを考えるとくしゃみが出る。自分だけかと思っていたが、本書の冒頭で女性の質問者が同じことを言っているので、普遍的な事実であると知った。性的に興奮すると、性器だけでなく唇・耳たぶ・鼻・鼻の穴・乳首も膨張する。鼻の入り口から1.5センチ奥の鼻中隔の左右に小さな穴があいている。ヤコブソン器官という。どうやら性的な空想がここを刺激するのでくしゃみが出るらしいのだが、なにしろ10年前に発見されたばかりなのでよく解明されていないらしく、記述が曖昧。

 「行きずりのSEXは子ができやすい」なぜなら男にとってはガードしていなかった女なので精子がたくさん出るし、女は女で予定外に排卵する。例によってすべての行動は本人の遺伝子のコピーが増えることにつながっているという動物行動学から見た人間像。

 刑務所受刑者の21.5パーセントがペニスに玉を埋めている。体に細工をほどこす文化は高温多湿の地域に多い。ひどい傷を負ったにもかかわらず感染症で死ななかったという免疫力の強さを誇示するためのもののようだ。そういえば通過儀礼でムチャなことをやるのは熱帯が多い。

 男経由の血縁者(たとえば弟の子供)は、女経由の血縁者(たとえば妹の子供)ほどかわいくない。なぜならほんとうに血縁かどうかわからないから。

 貧乏人は子沢山(r戦略)、金持ちは少産(K戦略)。遺伝子のコピーを残すうえで有利な方法を選んでいる。われわれは19世紀の王侯貴族のような生活を送っている。当然少子化になる。少子化問題を論じるときは、こういう視点も必要だろう。

 早産や難産で生まれた子は大人びた顔をしている。そのため親は熱心に育てようとする気をそがれる。生存がむつかしい子を淘汰するという行動。親の虐待で施設に収容された子供は、子供らしい魅力に欠けた子が多い(ずいぶんなことを言う。虐待されているうちに顔がいじけてくるんじゃないか?)。

 かわいい子ほど良く生き延びたため、子供にかわいらしさが進化したという。そこから敷衍すれば、美人やかわいい子とセックスしたくなるのは、美男美女が生まれれば生き延びる確率すなわち自分の遺伝子を残す確率が高くなるからだという見方ができる。

 片親が継親のばあい、実父母にそだてられるより100倍死亡率が高い。殺すのは継父。ではなぜ養子を取るのか。利益がもたらされるから。《「おやまあ、随分クールだこと。それじゃあ聞くけど、人間の良心だとか、美しい心、他人を思いやる心なんてものは、元々ないということになってしまうんじゃないの?」とおっしゃる方もあるでしょう。そうです。その通り、元々ない。良心も、美しい心も、他人を思いやる心もない。しかし、邪悪な心も、醜い心も、他人を思いやらない心もない……。あるのは自分の遺伝子をよく残すための心、ただその一語に尽きるのです。》きついことを言うなあと思ったら、これはR・L・トリヴァースという人の意見だと逃げている。が、竹内自身もそう信じている。周恩来夫妻が養子を育てることでいかに遺伝的利益を得たかを例証として挙げている。

 罪の意識というものも、しょんぼりしていると相手が許してくれるから、そのほうが得だから進化してきたのだとか。なんだかさびしい意見だが、いちおう頭の隅に置いておくべき見方だと思う。

 あるのは自分の遺伝子をよく残すための心だけ――。エソロジーの主張はむかしからこの一語に尽きる。金科玉条、公理のように言う。だがはたしてそれは真理なのだろうか。一見真理のように見えても、あとになって時代の流行にながされた思想であったことが明らかになるケースが間々ある。紛争の絶えないヨーロッパで肉食民族のあいだに発生進歩した学問だからそう考えるようになったのではないのか。世の中の有象無象にわずらわされて迷路にはいりこんでいる人間にとっては豁然と蒙をひらかれるような救いのある思想だが、へたをすると麻原彰晃のようなやつに利用されないとも限らない。まだまだ「解釈」の段階と見るべきだろう。

 コーン・フレークは性欲をしずめ、マスターベーションを防止するための食品として発明された。ケロッグさんは、アンチ・マスターベーションの論客だった。91歳まで生きたというから、禁欲はほんとうに体にいいのかもしれない。そもそも聖書がアンチ・セックスだから敬虔なクリスチャンは当然そうなる。たしかキリストの生まれた時代・地域では男女が別々に暮らしていたはず。

 古代ローマでは「陰部封鎖」といって、ペニスの先端に包皮をかぶせピンで止めてしまった。俳優・ミュージシャン・スポーツ選手などもてる男におこなわれた。もてない男がもてる男を迫害した。いまそれらの男たちが芸能マスコミにあることないこと書きたてられるのは、かたちをかえた陰部封鎖なのかもしれない。

 竹内はどんな女性なのだろう。1956年生まれ。京大の理学部を出たことは明らかだが、結婚しているのか、子供はいるのか。「青木まり子現象」を取り上げたくだりに、夫らしき男性が登場する。便秘らしい。

 男が結婚すると太るのは、女をめぐって争う必要がなくなり、テストステロン・レヴェルが下がるから。サッカーの試合で勝った側は選手だけでなく観客もテストステロン・レヴェルが上がる。けさ(2003.4.8)の報道によれば韓国ではワールドカップの影響と見られる子供が続々生まれているとか。あのときは韓国中燃え上がったものなあ。