65(2008.10 掲載)

 『塀の中から見た人生』(安部譲二・山本譲司、カナリア書房)

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 『塀の中の懲りない面々』(文藝春秋、1986)は思い出深い本だ。家庭が壊れかけてなんとも憂鬱な時期に読んでなお面白かった。「あとがき」のなかの「絵図が描けないやつはダメだ」ということばに深くうなずいたのを憶えている。絵図の描けない自分は有効な解決策も見つけられないままずるずると不眠の泥沼に引きずり込まれていき、翌年大けがをした。本書を企画した編集者はおそらく『塀の中の懲りない面々』に感銘を受けた経験があり、最近山本の『獄窓記』(ポプラ社)を読んで二人に対談させようと思いついたのだろう。

●判事と検事は「官」仲間

 安部はいまだに官権に対する敵意が消えず、警察のさまざまな手口を暴露するから興味が尽きない。証拠資料として段ボール箱を10以上運び出すシーンがテレビに映し出されたが、じつはほとんどカラだった、「押収シーンは検察のパフォーマンス」だと山本が暴露すると、安部が調書も気をつけたほうがいいと応じる。《調書に捺印して、綴じるじゃないですか。そうするとそのうち何枚かに、内側の綴じたところが二行分ぐらい空いているのがある、そこに書き込んじゃう悪い刑事や検事がいるんです。裁判になって弁護士が、そんな調書認めないって飛び出してきても、サインしてちゃんと印鑑押してるじゃないかってもんよ。悪いんだから、あいつら。》

 安部は四半世紀前の一時期頻繁に刑務所に出入りしていたせいか刑務所の内部はもちろん官権の内情にも詳しい。検事と判事は同じ官だから阿吽の呼吸で通じていると指摘する。《検察の求刑には、判事に対するアナウンスが含まれているわけでね、たとえば検察の求刑が二年だったら、それは執行猶予つきの判決でも検察は文句を言いませんという意味なの。これが三年だと、実刑判決を要求しますと検察は言っているんだ。だからたとえ初犯でも、検察が三年を求刑したら、判決に執行猶予がつくことはまずないから。四年以上はもう、判決に不服なら検事控訴までしますと宣言しているのと同じよ。山本さんのような二年半というのがいちばん微妙で、これはね、検察が判事にいちおう実刑判決を期待していますということなんだな。》

 同じ秘書給与の流用で問題になった田中真紀子や辻本清美などはその後うやむやになってしまった、それが普通なのに、なぜ1年半の実刑に控訴しなかったのかと安部は不思議がる。税金をもらって仕事をする政治家や役人は一般国民より厳しく裁かれるべきだと前々から考えていたし公言もしてきたからだと答える山本を「いやあ、それは大変な勇気だ、僕ならなんとか入らない算段をする」と安部はほめたたえる。一目置いたからこそ安部は胸襟を開いて洗いざらいぶちまける気にもなったのだろう。

 山本は刑務所に入って一皮むけた。吉田松陰が獄中で達した「草莽崛起(ソウモウクッキ)」、もはや支配階級には頼れないという心境が理解できたという。《吉田松陰というのは武士の家に生まれて、それまでずっと武士階級としかつきあいがなかったんですよ。それが牢に入って初めて士農工商すべての階級の人たちと言葉を交わして、それまで見えなかった新鮮な世界が見えてきたのでしょう。それだけ刑務所というのは、昔も今も閉鎖されている場所だけど、実は非常に奥行きの深い世界なんだと思います。逆に国会というのは世の中がよく見えていそうで、ほんとうは見えにくくなってしまうところだったんですね。》いい懲役をしましたねと安部は嬉しそう。

●「覚醒剤中毒なんてたいしたことない」

 あれ、おかしいなと思ったのは刑務所の運営費。刑務所にひとり入れておくのに年間300万円かかる、だから知的障害者を刑務所に入れるのでなく福祉予算で保護したほうが経済的なのだと山本はラジオで言っていたような気がするのだが、本書では「刑務所は自給自足が原則」と言っている。《受刑者の八割は懲役、つまりなんらかの生産作業に従事しています。ですから当然収益があるわけで、刑務所は基本的にその収益で運営されているんです。刑務作業製品の販売によって、その年間売上が、毎年百億円以上あるんです。その中から受刑者の生活費は支出されているんですよ。》知的障害者は生産作業に参加できないから収容費はまるまる税金という意味だったのだろう。

 安部が入っていたころには「鉄砲手錠」で懲罰房に入れられた。片方の手を肩の上から背中に回して、もう一方の手は背中の下から持ってきて、それを背中の真ん中で拘禁する。《これをされてうんこができるようになるには、もうたいへんな修練がいるんですよ(笑)。》穴を掘っただけのトイレがあり、受刑者は股が割れたズボンをはかされているから排便はできるが、両手を拘禁されてどうやって拭くのかといぶかる山本に《だからこうやってちり紙をかかとに当てて……ね(笑)。これが苦もなくできるようになったらあなた、立派な(懲役)太郎です。》と自慢する。重度障害者に通ずるものを感じる。全身麻痺の障害者は生きていく上の不自由をじつにさまざまな工夫を凝らして解決しているからだ。

 あるいはまたこんな話、独房に入れられた当初は房を出入りする小さな虫の自由にも猛烈に嫉妬するが、そのうちゴキブリでもいとおしくなりペットのように思えてきたという山本のことばと、独房に蜘蛛の巣をみつけるとほんとうにしあわせな気持ちになり、せっせと蚊をつかまえては蜘蛛の巣に落としてやったものだという安部のことばに、おのれの落魄の日々を思い出した。ベッドの上に小さな蜘蛛がスルスルと降りてくると嬉しくなり、いつしか「モックン」と名付けて友情をむすんだものだ。

 ビックリしたのが覚醒剤の話。《安部 ヤクザ映画で、覚醒剤中毒ってのが出てくると、禁断症状とかフラッシュバックとかでのたうちまわるでしょ。あれは脚本家の不勉強で、実際あんなことはないんだよ。/山本 そんなことはないでしょう。/安部 いや、覚醒剤の禁断症状なんてのは、せいぜい三日間、頭が重かったりイライラするくらいのもんで、それも酒飲んじゃえば治っちゃうんだから、コカインやヘロインに比べたら全然軽いの。だからみんな懲りずに、機会があれば何度でもやるんですよ。》「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というほど深刻な症状が現在の常識だと思うが、それとは大きくかけ離れた証言だ。精神に異常をきたし幻覚を見て凶暴な行為に走るのではないのか。さらに山本が、受刑者の3割以上は覚醒剤がらみなので予算を割いて水際で食い識止めなければいけないというと、安部はげんに昭和36年には根絶しかかったのだから警察がその気になればできないはずはない、《どこかがそれをさせないように、警察力にブレーキをかけているんだ。そうじゃなきゃこれだけ覚醒剤が増えっこないよ。》闇社会とエスタブリッシュメントのつながりを示唆する。警察力にブレーキをかけているのはだれなのだろう。

●官の鼻をあかす快感

 竹内久美子が「刑務所受刑者の21.5パーセントがペニスに玉を埋めている」と書いているのを読んだときは、ほんとにそんな資料があるのかと疑ったが、どうやら根拠がありそうだ。入所のさいにはペニスにいくつ玉を入れているかということまで調べられる。その後もタマケン(玉検か)といって抜きうちで検査され、玉の数がふえていると懲罰を受ける。「トウモロコシみたい」なのを目撃したという山本に安部は玉の入れかたを講釈する。歯ブラシのプラスチックの柄を切って木工所のグラインダーでパチンコ玉より二回りほど小さい玉にする。《大きいと女は喜ぶけど、オカマは痛がるからね。それからまだ鉛色をしているその玉を、今度は砥石を使って透明になるまで磨く。それをチンポコの海綿体と包皮の間に埋め込むんだ。メスなんてないから、道具も自分でつくらなきゃいけない。四角錐の長い箸の先を尖らして、ここから先はちょっと痛い話になるよ、皮を引っ張り上げ、海綿体との間にその箸をズブッと突き刺す。引き抜くとかなりの勢いで血が溢れ出てくるから、すかさず用意していた玉をこうギュッと押し込んで、傷口がふさがって玉が定着するまで、そこの皮をつまんでひたすらじっとしているんですよ。ね、痛いでしょ。》タマケンがあれば統計もあるだろうから竹内はそれを見たのだろうが、手術法が世に出るのは初めてではないか。

 痛い思いをして玉を入れるのも短いタバコをみんなでひそかに回しのみするのも、官の裏をかいて《ざまあみろ、この官のバカタレめという気持ちを味わいたいがため》だという。看守に対する怨みは深い。退職間近の看守には慈悲深いひともいるが若い看守は「悪い」という点でふたりの意見は一致する。誰が服役しているか情報を漏らさないために囚人をフルネームで呼んではいけないことになっているのに、山本は「山本譲司」と呼ばれたり「みちのくひとり旅」と言われたりしたそうだ。

●恥の文化を失った日本

 刑務所暮らしの長い安部の、塀の中から見た世相観察には重みを感じる。昭和40年にはウカンムリ(窃盗)6に対してゴロツキ4だったのが、10年ぶりに入ってみるとウカンムリ3、ゴロツキ7になっていた。昭和40年ぐらいまではヤクザと一般市民ははっきり区別されていた。《服も髪型も喋る言葉も出没する場所もはっきり違っていた。それがだんだんとヤクザとカタギの境界が曖昧になって、(中略)いまじゃ、普通の高校生が麻薬やってたり、それこそ街を歩いていても、誰がトカレフ持ってるかわからないんだから、ひどい国になっちまったよ。》

 昭和54年までは聾唖者、全盲、車椅子の懲役を見たことがないと安部は言う。いったい障害者はどういう法律違反で実刑判決を受けるのかという質問に山本が答える。無銭飲食、無賃乗車、万引き、置き引き、自転車泥棒。《普通だったら交番に連れていかれて、そこで一時間ばかりしぼられれば帰れる程度のことで、彼らは起訴されて実刑をくらっちゃうんです。》なぜ実刑に。「家族や福祉のケアを受けられずにホームレスのような生活をしている場合が多いので、裁判官は社会に置いておくより刑務所に閉じ込めておくほうが社会にとっても本人のためにもよいと判断する」のだそうだ。受入れ先がちがうだろう。そんなことで刑務所を定員オーバーにしてどうするのか。

 ここ20年ばかりのあいだに日本人は恥の文化を失ったとも安部は指摘する。《最近は人の顔を指差しておいて、これ誰だっけって言う失礼千万なのがいるんだ。それがまだ行儀も知らない子どもじゃなくて、普通のおばさんですよ。昔なら、名前が思い出せなければ、通り過ぎてから誰だったかなって考えるとか、それくらいの常識は誰だって持ってましたよ。》

 わたしの実感でいうと日本人が崩れたのはバブル期だ。1987年夏から1年間入院して社会と隔絶されていた。退院した当初はちょっとした浦島太郎だった。在宅になって数年後、子どもの小学校の卒業式に出席した(バブル経済まっ盛りのころだ)。式のあとで新任の男性教師が紹介された。大学を卒業したてとおぼしき若者だ。それを見たとたん、父兄席の母親たちからキイロイ声が上がった。時と場合を考えない浅はかさに驚いた。

 もうひとつ。その数年後、広末涼子が一芸入試で早稲田大学へ入った。入学式のさいは黒山の人だかりで騒ぎに乗じて広末のおしりを触る者まで出てきて大騒ぎだとテレビが報じる。ひるがえって昭和40年代、自分は当時すでに日本を代表する女優になっていた吉永小百合と机を並べたことがあるが、そんな浅はかな現象はひとつもなかった。たとえば大学近くの通りですれ違ったときも「お、小百合だ」と心のなかでは思ったが、黙って通り過ぎた。わたしだけではない。キャンパスでも周辺地域でも誰一人として声を上げる者などなかった。

 だいたい一芸入試などで入学してもまわりはみんな厳しい勉強を経て入学しているのだ、授業に付いていけないだろうと思っていたら、案の定いつのまにか退学していた。有名人を入れて学生を集めようという大学もさもしい。学者の集まりとは思えない。このころから日本は着実に恥知らずの道を歩み始めたのだ。

●なぜ高い再犯率

 初犯刑務所を出所してもまた再犯刑務所に収容される者の割合は5割。残りの5割は法を犯さなくなるのかというとそうではなく、ずるがしこくなって起訴を免れるようになる。さらに再犯刑務所を出所した者がみたび刑務所に入る確立は約9割だという。法務省は真剣に犯罪者の矯正を考えているのだろうか。《考えてなんかいないよ。だって僕は全部通算すると十年以上服役しているけど、その間一度も、法律を破らない人間になる教育なんか受けたことはないもの。》前科14犯の安部はそう語る。

 「とにかく出所するまでは、所内規則を守って、ただ大人しくしていればいいんだ」これが刑務官の口癖だったと山本も『累犯障害者』で述べていた。現在67ヶ所ある刑務所はどこも超満員で、刑務官たちは矯正教育にまで手が回らないのだと山本はいうのだが、はたしてそれが原因だろうか。小学生を何人も強姦した受刑者にも《更正プログラムは全く用意されていない。それどころか彼は、ロリコン雑誌の購読をも許可され、「やっぱり、女は小学生に限りますね」などと、刑務官の前でも燦(ハシャ)いでいた。》矯正教育などはなから考えていない。「看守にしたって、教育しようと思って懲役に接するような殊勝なのは見たことないもの」と安部は言う。

 《本当に職業訓練の必要な受刑者というのも多いわけで、そういう人たちに教育や訓練の機会を与えて、刑務所がちゃんと社会復帰の手助けをしてあげることができれば、再犯率もあそこまで異常な高さになることはないはずですよ。(中略)今後の社会のリスクを軽減する、将来の行政コストを軽減するという意味において、更正教育の必要性は高いと思いますよ。》という山本の意見に賛成だ。わが国唯一の刑務所内中学で、「新聞がすこしずつ読めるようになってきた」と喜ぶ還暦過ぎの受刑者の映像を見たことがある。いまだに貧困と無教育は犯罪の原因になっている。