66(2008.11 掲載)

 『世界屠畜紀行』(内澤旬子、解放出版社)

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 1967年生まれ、30代の女性が世界各地の屠場を回ってイラストルポを書いた。どこかで見たイラストだと思ったら、むかし「本とコンピュータ」で印刷や製本の工場を描いていたひとだ。2段組360ページの大冊。書き下ろしのわけはない、きっと雑誌の連載をまとめたのだろうとその記述を探すのだが見つからない。ようやく巻末の参考文献の末尾に小さく2002年から2005年にかけて主に「部落解放」(解放出版社)に連載したものだと書いてある。以前から主張しているように、そういうことはまえがきや目次のあたりに堂々と書いてほしい。

 現代日本では変わり者といっていい。「韓国では犬を食べる」と聞いても少しも驚かない。《むしろ食べてみたいと思った。だって愛犬オグの腿肉を撫でていると、ぷにぷにして旨そうだなあと思ったことが何度もあったからだ。》なんて書くんだから。

●「屠畜」ということば

 内澤の知名度と解放出版社の経済力では、取材費なんか出ない。すべて自腹で日本はもとより韓国・バリ・エジプト・チェコ・モンゴル・インド・アメリカを回った。本書に取り上げたのはこれらの国だが、実際にはもっと回っているのだろう。たいへんな労作。どうやって肉を捌いているのか知りたいと思っても、日本には屠畜に関する本がほとんどない。ないなら自分で調べて書いてしまおうというのが執筆動機だという。

 屠畜にまつわる差別の問題は日本だけのことなのかどうか調べようという意図もある。いや、むしろそれが本書のテーマだ。取材にあたっては必ずそのことにふれる。どこへ行っても《日本では肉と皮革に関する仕事に就く人が差別されていて、私はそれがどうしてなのか、どうしても納得できなくて、ほかの国ではどうなのか知りたいと思っていろんな国を回っているんだが》と尋ねる。結論を先に言えばこうだ。差別が存在するのは日本・韓国・インド・ネパール。その他の国では、屠られる家畜がかわいそうと思う気持ちはあっても、屠るひとを差別することはないと内澤は言う。

 たとえばチェコでは《肉屋になるには専門学校で3年間勉強して、家畜のつぶし方から、精肉、加工肉の作りかたまでを勉強しなければならない。高度な専門職として認められているのだ。》肉屋への職業差別はないのかと尋ねると、たいていのひとは質問の意外さにポカンとしてしまう。近代以前から領主に大事にされ、尊敬されていたという。

 なぜ「屠殺」でなく「屠畜」という馴染みのないことばを使うのか。殺すということばにつきまとうネガティブなイメージが好きでなかったこともあるが、《なによりも殺すところは工程のほんのはじめの一部分でしかない。そこからさまざまな過程があって、やっと肉となる。そう、ただ殺しただけでは肉にならないのだということを、わかってもらいたくて「屠畜」ということばを使っているんである。》という。内澤の造語ではなく明治時代から使われているものだとのこと。

●屠畜の方法

 屠畜の方法は世界中どこでも似たり寄ったりだ。大きさに大小はあれ脊椎動物の構造はみな同じだからだろう。絶命・放血、内臓除去、皮むき。《これが最低限、肉を食べる人なら誰でも覚えておくべきジョーシキだ。》

 食道から直腸まで内臓はひと続きに連なっている。ごっそり取り出せるという。「人間は考える管である」というわが思想に裏付けを得た思いだ。筋肉や脳は一本の消化管が生きていくうえでの補佐役だと思う。脳が生きていくために内臓があるという頭でっかちの考えかたでは、ミミズのようなほとんど消化管で占められる生物の存在理由が説明できないではないか。

 それではまず家庭内屠畜ともいうべき小規模な屠畜の様子を見ていこう。

 【バリ島の豚】子豚の丸焼きは――。@絶命・血抜き:豚を男2人でおさえつけ、頸動脈を切って血を出す。腹を踏んで出し切る(血を抜かなければおいしい肉はできないし腐りやすい。心臓をポンプ代わりに体内の血を押し出す)。血はたらいに取り、あとで腸詰めにする。A毛ぞり:熱湯をかけ、毛が縮んだところでココナツの殻でこそげ取る。爪も熱湯をかけてはずす。B内臓除去:下腹に切り込みを入れて内臓をズルンと引っ張り出す。Cしあげ:腹の中を水で洗い、香辛料のペーストを詰め込んで丸焼きに。

 【エジプトの鶏】鶏肉屋は客の注文を受けてから首をはね、静かになったところで羽を除く。それだけ。羽を取るには、熱湯に浸け、寸胴鍋のようなかたちのハネ毟り機に入れる。鳥肌になったところでビニール袋に入れて、はいどうぞ。

 【モンゴルの羊】遊牧民は羊を絶命させるのに、小刀で腹部をすこし割いてから素手をつっこみ、横隔膜を突き破って心臓近くの大動脈を人差し指と中指でひねるようにつまんで切断して窒息させる。血は横隔膜より上にたまり、大地を汚すことはない(血はあとですくって腸詰めにする)。これをオルルフという。「中国人は首を切ってしまうからね」とモンゴル人はいやそうにいう。椎名誠もモンゴル紀行『草の海』(集英社文庫)でオルルフの手際のよさに感心し、これが中国に一歩足を入れると、屠畜現場は血だらけで生首がころがっていると不愉快そうに書いていた。

 だがこれも習慣の違いだ。《同じ遊牧民でも、少し西に行ったトルコ語系遊牧民はイスラム教徒なので、ナイフで喉を切り、放血させる。血は食べない。》モンゴル人とトルコ人はお互いに「残酷だ」と非難しあう。「おもしろいなあ」と内澤は言う。

●日米の巨大屠畜場

 【日本の豚】品川にある日本最大の芝浦屠場は、都の直営。2000人の労働者のうち235人が都の公務員。1日350頭の牛と1400頭の豚が捌かれる。あらゆる段階の衛生管理が徹底している。家の庭先で羊を1頭つぶすくらいならさほど神経質になる必要もないだろうが、大量に屠畜するばあいは徹底的な衛生管理が必要になってくるのだろう。

 @絶命・放血:炭酸ガスで麻酔し、鎖で吊り上げ喉を切って放血。床には常に水が流れ汚れを洗い流している。足と頭を取ったのち、直腸と肛門を切り離す。

 A内臓除去:腹を切り、内臓を腹腔に固定している膜を切り離すと、《あっという間にずるんと内臓丸ごと、心臓から肺から胃袋からひとつながりで、傷ひとつなく引き剥がせるのである。内臓はまだほこほことあったかい。》

 B皮むき:《あまり知られていないけれど、東京都は全国一のピッグスキン生産地なのである。》《墨田区の木下川キネガワには、現在50軒の皮革業者がある。国内で毎月生産される豚革8万枚のうち、8割がここで作られる。》かつては60万枚だったが、1980年代を境に手間賃の安い国へ原皮が輸出されるようになった。皮なめしの工場で働くのもアフリカ系外国人ばかり。芝浦屠場には中国人留学生のパートが多い。

 ……と聞くと、日本と途上国の賃金格差が原因のように思えるが、そうではあるまい。別のところに木下川は《明治時代に、皮革業者が東京の中心部から郊外へと強制移転させられた移転先のひとつ》だという記述がある(明治何年のことなのだろう。江戸時代にはもっと江戸城に近いところに屠畜場があったということなのか)。結婚差別はいまも多く、木下川小学校は、卒業生が中学へ進むと「臭い」といじめられ、廃校になってしまったという。なんたること。

   芝浦屠場で働く女性作業員。はじめはやはりショックだったようだ。「血はね、見た目はそれほどでもなかったんです。ただ、放血のときの感じですか、豚がブルブル震えるのを見て、ああ、こうやって生き物を死に追いやってるんだって。なんていうか、自分で食べておいてなんですが、すごいことしてるなって思ったんです」この仕事に対する偏見や差別については、「私ね、この仕事に就いてからはじめて差別があることを聞いたんです。(中略)今でも縁戚関係で勤めていらっしゃる方もいるみたいですけど、なにも関係ないところから新規で入る方も多いですからねえ。ともかく入ってみてびっくりって感じですよ。でも、よくよく考えてみると差別する人たちも、肉を食べてるんですよね!」

 沖縄には部落差別の歴史がない。沖縄の食肉センターのひとが芝浦屠場に見学に行ったとき、撮影しようとして怒鳴られた。宿の仲居にそれを話すと、「あのひとたちは人間じゃないから」と言われた。1980年代の話だそうだ。《この人たちは肉を食べてるんだよなあ。屠畜を「穢らわしい」と思っていて、どうして肉を食べることができるんだろう。》内澤はこの1点にこだわり、ぶれない。そこが強みだ。

 《今、芝浦屠場のある品川駅北口は、再開発で、ぴかぴかの高層ビルが建ち並ぶ地域に変身した。高層マンションの住人から、移転要求が出はじめているという。(中略)屠場は、ふだん忘れられがちだけど、人間の基本的な営みのひとつだ。人間が肉体の存在すら忘れそうな、究極に都市化した空間と隣り合わせに屠畜場があることで、大事な感覚を思い出させてくれると思う。》賛成だ。

 豚小屋に対する移転要求も勝手なものだ。豚小屋がくさい汚いうるさいといって移転要求を出す住民より、豚小屋のほうが先にあったにきまっている。ひとけがなくて地価の安い河川敷かなにかに建てたのに、あとからやって来た者たちが立退きを要求するずうずうしさよ。話はそれるが、昔は町なかに老人ホームを建てることなどできなかった。周りの地価が下がるとかいわれて。最近は老人が増え介護の大変さを痛感する者が増えたのでむしろ歓迎される。だがいまだに焼き場は嫌われる。自分は死なないと思っているのだ。まあこれも団塊の世代がどんどん死ぬようになれば反対運動など起こらなくなるだろう。

 【アメリカのテキサス州】内澤がたずねた巨大屠畜場の従業員は男女半々だが、すべてヒスパニックだった。黒人も東洋系もいない。屠畜はひとむかし前までは中産階級の仕事だったが、いまでは「最低」の仕事と見られている。最低の仕事に黒人がいないのはなぜなのだろうという思いと、いまや最低の仕事に落ちぶれたのは「機械化されたからだ」という理由が腑に落ちないまま先を読みつづけると、《60年代後半まで屠畜作業は労働組合も強く、空き待ちのリストに常に人がいたくらい「割のいい仕事」であったのに、ここ30年の合併、郊外移転、巨大産業化にともない、組合の組織力は弱まり、賃金も安くなり、作業はだれにでもできるように単純、細分化されてしまったのだという。こうした仕事に就くのは、英語のできない、仕事を選ぶ余裕のない移民たちである。》単純労働で給料が安いから最低とみなされているのであって、高給取りの管理職は別だ。「最低」という評価は職業差別ではなく、給料による評価だ。いかにもアメリカらしい。

 《日本の屠畜場のように、少しでも皮を傷つけず、また肉を削って枝肉の目方を減らさないよう、細心の注意を払う「職人技」を大切にする雰囲気は微塵もない。言っちゃ悪いが「切れてりゃいい」という具合である。(中略)仕事への誇りは、今、日本の全国民が切望する「安全な牛肉」の生産へとつながる。だって「最低の仕事をしている」と感じている人と、誇りを持って働いている人じゃあ、いくら監視をつけて厳しい衛生基準を守らせようとしたって、結果に違いが出てきて当然なんじゃないか?》内澤はBSE対策に関してもくわしく観察している。日本とは屠畜頭数の桁が違うから全頭検査は無理だろうという結論を下している。

 「職人技」の喪失が安全性無視の危険をはらんでいることを指摘する内澤の目は鋭い。かつて山本夏彦は「消えた立派な顔の持主」という一文でこう述べた。《職人は自ら設計し、自ら工作した。同一の人物が設計者と施工者を兼ねた。職は多く世襲だった。これらが風貌を立派にしたのである。(中略)けれども、一人が多くを兼ね、また親の職をつぐ時代は去った。》(『毒言独語』中公文庫)単純労働は頽廃につながる。

    (つづく)