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 『エリック・ホッファー自伝――構想された真実――
 (原題 Truth Imagined。エリック・ホッファー著、中本義彦訳、作品社)

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 モノクロ写真を使ったジャケット・デザインがかっこいい。造本も美しいが、誤植が気になる。ワープロ時代特有の変換ミス。《そう思うと、急に気分が楽になり、飢えの驚異から解放された気がした。》脅威だろう。または《ホッファーとともに貧民街から道路建設に借り出された放浪者の中にも云々》誰から借りるんだ。本に誤植は付き物だが版を重ねているのだから訂正の機会はあったはず。つくりっぱなしなのだ。

 5歳で英語とドイツ語が読めた。7歳のとき事故で失明したが、15歳で視力が回復する。また失明するだろうからそのまえにできるだけ本を読んでおこうと読書に熱中。おまえは40までの命だと言い聞かされて育ったのでなにも心配することはなかったという。失明も短命も全然気にする様子なし。もっとも晴眼のまま80いくつまで生きたのだが。

 構想された真実とは旧約聖書のことらしいが、そういわれてもなじみがないので共感できない。

 金がなくなったら働いて、金が貯まったら勉強生活にもどるという暮らしだったが、やはり疲れてしまって、10年後に死のうが今死のうが同じことだと思い、ブリタニカで毒物を調べてシュウ酸を入手、自殺を図るが未遂に終わる。要するに死にたくはなかったのだ。

 「季節労働者」がこの本のキーワードなのに、それがなんだか分からない。天災で大量の失業者が出たカリフォルニアのことだと聞けばなんとはなし分かるが、よくは分からぬ。日本の放浪芸人のように春はこの地方に夏はこの地方にと巡回する労働者のことか。訳者あとがきで一言ふれるべきだろう。

 季節労働者の半分は身体障害者。《キャンプにいるわれわれは、人間のゴミの集まりなのだ》《大半は、社会的不適応者ミスフィットだった。》これだけだと見下しているかのようだが、そうではない。それどころかアメリカを開拓したのはこのようなミスフィットだったと著者は言う。《開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか。人間はめったに居心地のよい場所を離れることはないし、進んで困難を求めることもない。財をなした者は腰を落ち着ける。居場所を変えることは、痛みを伴う困難な行動だ。それでは、誰が未開の荒野に向かったのか。明らかに財をなしていなかった者、つまり破産者や貧民、有能ではあるが、あまりにも衝動的で日常の仕事に耐え切れなかった者、飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなどの欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。そして、このほかに冒険を求める少数の若者や中年が含まれる。おそらく現在、季節労働者や放浪者に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていたのだろう。》おそらくこの一節はアメリカ人たちの目から鱗を落としたにちがいない。大統領の招待まで受けている。もっともこれを外国人が言ったとしたら無視されただろうが。

 《人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する。……明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。弱者の影響力に腐敗や退廃をもたらす害悪しか見ないニーチェやD・H・ロレンスのような人たちは、重要な点を見過ごしている。/弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ。》

 柑橘類研究所と題された一章はかっこいい。苗木畑で働いていたとき、なぜ根は下にむかってのび茎は上にむかってのびるのかという疑問にとりつかれ、すぐさま事務所へ行って給料をもらい、つまりそこをやめて、サンノゼの図書館に向かい、近所で部屋と皿洗いの仕事を確保して植物学の教科書を読みはじめる。学問のために仕事を辞めることなんか何とも思ってない。もともと学問のための仕事なのだ。

 ある日古本屋の廉価箱でミューエ教授の植物用語辞典を見つける。《どんな質問にも答えてくれる不思議な賢人のように感じて愛用した。むさぼるようにくり返し読んだ後も、ずっとナップザックの中に入れて持ち歩いたのである。》それなのにだ。《貨物列車の屋根の上でのことだ。植物学とはまったく関係のない思想の難問を考えつづけていたが、暗礁に乗り上げていた。その問題を解くにはより深く考え抜かねばならない。と、そのとき私の手が無意識にナップザックに伸び、ミューエの“賢人”を呼び出そうとしているではないか。どんな問題であれ、つねに答えを知っている人間がそばにいたら、自分自身で深く考えることをやめてしまうだろう。そうすれば、私はもはや本来の思索者ではない。不愉快な発見だった。私はそうなることを拒み、ミューエの“賢人”を風の中に放り投げたのだ。》学ぶだけで考えなければいつまでたってもバカのままと孔子も言っている。耳が痛い。ひとが難儀な思索からしぼりだしたエッセンスだけをこうやって記録しているようでは、独創など生まれようもない。ホッファーの何倍も手段を持つわれわれは、極力情報を遮断するよう心がけねばならない。

 しかしだ。ケニヤでは老人が一人死ぬということは図書館が一つなくなるということだとオスマン・サンコンは言っていた。有益な本を投げ捨てるなどサンコンには許しがたいことだろう。情報を手に入れようと思えば図書館なり本屋なりの手段がある者でなければとれない態度といえないこともない。

 《聖書を読んだ者で誰が羊飼いの生活を熱望せずにいられようか。……神自身も羊飼いである。》という一節を読んで、著者の意図とはまるで関係ないことを連想した。地球の砂漠は羊の過剰によってもたらされたと、あるテレビ番組が言っていた。羊はものすごい勢いで草を食べ意外なほどの高速で移動すると(中村敦夫の番組だったかな)。放牧生活が楽なものだとは思えない。親が羊飼いだから羊飼いになるのだと思っていた。あにはからんや熱望しちゃうんだ。ということは、今日の地球砂漠化は聖書の責任ということになるのではないか。

 

 『漢字語源の筋ちがい』(お言葉ですが…(7)、高島俊男、文藝春秋)

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 もう7冊めになるのだ。週刊文春1年分を1冊にしているという。長続きの秘訣は、ふつうのひとが読まないような古典をネタにすることと見た。

 ときどき訳のわからなくなる字があって、テレビのアナウンサーが心神耗弱をモウジャクと読んでいると、ああほんとうはモウジャクが正しいのか、消耗はショウモウと読むものなあと思ってしまうけれど、それは旁の毛にひきずられた百姓よみであって、コウジャクが正しい。

 「訳がわからない」のワケも、翻訳のときはヤクと読むから、なんとなく訳の字にはワケ・ヤク2通りの読みかたがあるのかなと思っていた。西部の西はセイなのに関西の西はサイと読むようなものかと。訣の誤用だったとはね。なぜそうなったか。訳はもともと譯だが、手書きのさいは画数が多いので訳と書いた。そんな活字はないのだから印刷所ではちゃんと譯とひろった。ところが戦後当用漢字を制定するさいに画数を減らすため、手書き字を書体に採用した。それで似たような訣と混同がおこった。これを知ってしまったらもう「訳がわからない」なんて文字づかいはできない。

 行徳のまな板、バカですれている。おんもしろーい(^o^)、アオヤギの名産地だったのだろうな。

 中国語で無法無天といえば、法も天(道徳)も無視するムチャクチャやりほうだいという意味だが、法と髪はおなじファの音なので無髪無天ともしゃれる。さらにそれを和尚打傘と言い変える。坊主が傘をさせば髪(法)もなければ天もないことになる。そんな言葉遊びを中国の庶民はたのしんでいるのだが、それがシャレだとわからないと大変な誤訳をおかすことになる。文化大革命のさなかに毛沢東がエドガー・スノーにむかって「まあおれなんぞは坊主が傘をさすだからね」といったところ、少年期をアメリカで過ごしたエリート通訳はこの言葉遊びを知らず、「私は傘を手に歩む孤独な行脚僧だ」と訳してしまったのだそうだ。

 このエピソードを読んで学生時代、佐藤輝男老師が仏文学史の講義でコキュという言葉で学生を笑わせたとき、オレのとなりにすわっていたフランス語ペラペラで日仏学院の金でフランス留学をした特待生がひじをつついて「コキュってなに?」ときいた。「寝取られ亭主だよ」と答えながら、なんだこいつこんなことも知らずにフランス文学を読んでるのかと驚いたことを思い出した。

 蒙をひらかれた意外な話。「明治期の庶民は子供を学校にやる余裕はなく、余裕のある士族が行かせた」というのは偏った教育による思いこみだそうだ。明治初期は、士族よりも中層以上の農民商人層のほうが余裕があった。農民は田畑を、商人は店と顧客を子に伝えるのが生活安定の最上策。一方、禄を失った士族は、子を官吏か教員にするしかなかった。教育がメシの種になるということが誰の目にも明らかになるのは、明治30年以降のこと。それでも《資産ある農商家庭は、うちは学校へなどやらなくても食うに困りません、と、むしろ小学校中途退学を誇ったのである。》ビックリ。どうしてこういうことを学校で教えないのだろう。もしこの本を読まなかったら一生知らずに死んでしまったことだろう。

 県名が県庁所在地と一致するのをスッキリ県、ちがうのをチグハグ県と呼ぶことにすると、戊辰戦争のとき天皇がたについたところはスッキリ県になり、徳川がたについた地方はチグハグ県になった、というのが外骨の説。意地悪だったのだ。

 『漢字と日本人』に、日本語が文字を持たない未発達なところへ高度な漢字が入ってきたため日本語の発達が止まってしまったとあるのを見て感心し、メモしたものだが、その後何新書だったか国語学の大家数名による国語史を読んだら同じことが書いてあった。今や珍しい8ポ1段組の活字ギッチリ本、耐えきれずに挫折してしまい書名もわからないが、なんだ偉そうなこと言ってもけっこうパクってるんだなと思った。先生気が引けたのか、本書で専門の先生がたの著書を読んで勉強したと告白している。まあ誰だって何かを読んで勉強するのだから、こういうのはパクリとは言わないか。  《漢字の話をするのに、この字はこういうさまをかいた絵だ、だからこういう意味だ、と字(図柄)と意味だけを説く人があるが、あれはいけない。ことばは、人が口から発する、意味を持った音である。のちにそれを視覚化したのが文字である。文字は第二次のものだ。だから、かんじんの音を閑却したのではことばの説明にならない。》これを藤堂明保が身を以て教えたエピソードが出てくる。漢字も象形文字であるまえにオノマトペだったと知って心強かった。

 ふつうのひとが読まないような古典をネタにすることがおもしろさの秘訣と書いたが、根本的に文章がうまくなければ何を書いてもダメ。このひとは古典を渉猟する話ばかり書いているが、じつは体験的ルポルタージュがうまいと見た。カツオ船に乗ってゲロを吐くあたりの描写力はわくわくするほどうまい。無知な者が旅に出てもなんの利益もないと山本夏彦が書いていた(これはゲーテのパクリ)。これだけ博識で洞察力があり表現力の豊かなひとを書斎に閉じこめておいてはもったいない。