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 『奥本大三郎自選紀行集』(JTB)

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 気温が上がると坐位がとりにくくなる。10分読んでは3分リクライニングするというペースで読んでいるのが、次第にリクライニングの時間が長くなり、ついには逆転してしまう。そのせいか立ち止まってボーッと考えることの多い本だった。

 アマゾン流域では、女の子は男の子の5倍いるといわれるほど女の数が多い。いったん伝染病がはやると男の子は死にやすいから。《その比率のせいかどうか、女の子たちは愛想がよい、というより実に積極的であって、手を振ればニッコリ、話しかければついてくる。》一夫多妻とか一妻多夫の習俗を道徳の観点からとらえるのは間違っていると思う。そうなるにはそうなるだけの理由がある。チベットの山奥では女の数が少なく、一人の女を兄弟で共有する地域がある。生まれた子は誰の子かわからないが兄弟みんなで仲良く育てる、というドキュメンタリーをしばらく前にテレビで見た。

 日本人にくらべるとガイジンは働かないという話。中国へ行ったときのこと、閉店間際になると店員は帰ることしか考えていない。久しぶりに中国へ帰ってきた通訳の青年がおこる。《「売れても売れなくてもあいつには関係ないからね。そうなったら中国人、働かない」「それはフランスやイギリスでも同じですね。僕は大英博物館の売店で本当に腹が立った。五時になったとたんに、包みかけた本を棚に戻したぜ、女の店員が」》

 北朝鮮だって建国の志は高かった。搾取のない社会を目指したのだ。平等に働いて平等の報酬を得る労働者の天国。しかしそれは幻想だった。同じ給料ならなるべく働かないでおこうというのがニンゲンなのだ。さぼっているやつを摘発するためには密告制度や秘密警察が必要になる。金日成は理想は高かったが、ニンゲンを知らなかったのだろう。

 アフリカの大草原に行けば、地平線の彼方にゾウやライオンがいることを期待する。草食獣はのどかに草をはみ 、ライオンがそれをおそう弱肉強食の世界が繰り広げられるのを見ようとするが、《それらの情景はなるほど、いかにもアフリカ的ではあるけれど、映画やテレビ、そして十九世紀以来の、アフリカ探検の書物の口絵で見慣れたものを知らず知らずのうちに探しているのではあるまいか。》と指摘し、《日本人の目の特質は、本来、自然の細部をみることにあるのではなかったか。》という。われわれは自分の目で見、ものを考えているつもりでいるが、じつはそういう行為すら文化によって枠をはめられているのだなあ。

 新聞に連載したものか、短いものが数本収録されている。長いものよりいい。ロンドンには草も生えていなければ虫もいないといい、《気温が低いのはとりもなおさず、太陽の光が弱いからで、従って昆虫のみならず、バクテリアも繁殖がおさえられているのであろうと思われる。そのせいか、イギリス人は安心して不潔なことをする。》と興味深い指摘をする。女子学生がコインをなめたり、男が道路でクルミを踏みつけて割り、中身をたべるのを目撃する。《しかし子供のときからそうやってきて無事に大人になるのだから、それでいいのであろう。》

 そういえばフランス文学の先生が「フランス人はパーティーのとき、床に落ちたものを平気で食べる」とおどろいていた。フランスはフランスでもパリかどこか緯度の高い地方の話にちがいない。その一事を以てフランス人は日本人より不潔だと一般化してしまうのは間違い。また地面に落ちたものを拾って食ったからといって、それが不潔とは限らない。なにごともそうなるにはそうなるだけの理由があるのだ。気温が礼儀道徳を決定する。

 

 『世界の言葉で『アイ・ラヴ・ユー』』(片野順子、日本放送出版協会)

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 興味のありようがちがうのだからやむを得ないが、期待はずれ。タイトルに言葉と謳っているわりには言葉には関心がないようだ。

 むかし「11PM大阪版」にアラビア服を着た怪しげな男が出てきて冒頭なにやらアラビア語ふうの挨拶をした。何と言っているのだろうと長年気になっていた。白水社のエクスプレス・シリーズのアラビア語版を買って調べると「アッ・サラーム・アレイ・コム」だった。アッはthe、サラームはpeace、アレイはonだったかな、コムはyouの意。あなたに平和がありますように。妙ちきりんな言葉でも精査してみればちゃんとした意味と仕組みを持っているのだと感心した。

 タバコのセイラムはきっとサラームの英語訛りだろう。あのタバコはアラビア人が経営しているのか。いやまてよ、エルサレムはきっとサレムに冠詞のエルが付いたものだろうから、ユダヤ人の経営なのかな、などと考えてひとりワクワクした(あとで調べたらエルサレムのエルは町、都市のことだった。まあ論旨に影響はない)。

 ユダヤもアラブも平和平和と唱えながら殺し合っている。「あなたに平和がありますように」という挨拶が交わされるのは、平和でない証拠だ。平和が当たり前ならそんなことは言わない。日本では「今日は」いいお天気ですね、と言う。「お早うございます」勤勉ですね、と言う。それなら各国の挨拶を調べればお国柄が分かるのではないか。『世界の国から「こんにちは」』けっこう面白い本になるのではないか。企画ごころがむくむくと頭をもたげた。

 だから新聞広告でこの本を見つけたときは、探し求めていたものに出会えたような気がした。先を越されたという悔しさも感じた。「こんにちは」より「アイ・ラヴ・ユー」のほうがおもしろい。

 生活人新書というのが気になりはしたが、いやいや女子供向けだからといって侮ってはいけない、そういうところにこそ気取らない宝が眠っているのだ。取り寄せて読んでみた。 夏休みの自由研究の域を出ない。見開き1ヶ国で数十ヶ国の「アイ・ラヴ・ユー」が現地の文字で表記され、発音するときの口の形を顔写真で示しているが、ひとつも参考にならない。こんなことはウィッキーさん(もしくは笑福亭笑瓶)がムービーでやらなければ意味がない。口の分解写真なんか載せずに言葉の意味を解説してほしかった。

 

 『秘伝 英語で笑わせるユーモア交渉術』(村松増美、日経ビジネス人文庫)

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 ビジネス人文庫だから交渉術というタイトルにしたのだろうが、そんなうすっぺらなものではない。同時通訳の草分けによる回想録。ただし口述筆記を集めたもので文章は粗雑。それならいっそ口語体を強調した文章にすればよかった。雑誌「面白半分」に載った「随舌」というコラムは、いかにもインタビューのテープ起こしのような体裁をとりながら、じつはそういう注文をつけられた書き下ろしだった。日経にそこまで細かい芸を期待するのは無理な話だろうが、それでも雑誌に掲載したものを本にするときは、ひと味加えるべきだ。

 飛行機のプロペラを手で回してエンジンに点火する方法は、すばやく両腕を引っ込めないと危険なところからヘミングウェイ・スタートと呼ばれる。そのこころは、Farewell to Arms。

 ユーモアとジョークはちがう。へたなジョークより自分の失敗談を語ればユーモラスになる。著者はたびたびこの点に触れる。

 もうひとつしきりに勧めるのが、エキゾティシズムを利用すること。《日本人はなにも西洋のジョークを真似なくてもよいのです。日本古来の小咄や寓話や伝説や、訳してみれば外国の人にはとても面白く、新鮮に聞こえる話は無限にあります。》たとえば「虎穴に入らずんば虎児を得ず」をNothing ventured, nothing gained.と言っても、よく英語のことわざを知っているなと思われるぐらいなもの。これをIf you want to catch a baby tiger...と言えばむこうは身を乗り出して聞いてくれる。

 フランス人はこうだとか中国人はこうだとか決めつけることをステレオタイプという。スコットランド人はケチということになっている。スコットランドのある村で葬儀屋が開業100周年記念に来月1ヶ月は最高の葬儀を半額でサービスすると言ったら急いで自殺したやつがいる、という類。《各国の国民性を材料にした笑いは、いずれも悪意のないからかい、冷やかし、といった類のもので、こういう茶めっけのある悪ふざけを、英語で「バンタリング」(bantering)と言います。》英米間、豪州ニュージーランド間で交わせるバンタリングが日朝、日中間で交わせないのは、隣人関係が成熟していないため。

 誤植があるとジョークはおかしくもなんともなくなる。天国で5人のインテリが人生でもっとも大事なものは何かを議論していた。モーゼは頭を指さし理性だといい、キリストは胸を指さし愛だという。マルクスは腹を指さし物質主義だといい、フロイトは腹よりもっと下だという。最後にアインシュタインが、《「みな違っている。万事は[総体的]である」(You are all wrong. Everything is relative.)と宣言して、議論は終わったというジョークです。》っていうんだけど何が面白いのかわからない。先を読み進むと相対性原理は英語でtheory of relativityだとある。もどって英語の部分を読んで初めて分かった。[相対的]とすべき変換ミスを見逃したのだ。内容に関心のない者が校正を担当するとこういうことになる。それにしても英語を読んで初めて分かった。アインシュタインは難しい言葉なんか使ってない。それなのに訳語がわからないのは困ったもんだ。日本のバカ学者がおのれを偉く見せたくてわざわざ難解な言葉にしたのだろう。

 車に乗りかけたレーガン大統領がピストルで撃たれ、大急ぎでその場から逃げ出す映像は何度か目にしている。手術台に寝かされたときは意識があり、まわりを取り囲んだ美人看護婦にむかってウインクをし、Does Nancy know it?(うちの女房にあなたたちのようなかわいい娘に取り囲まれているのを知られるとしかられる)と言った。いよいよ手術の段になると医師たちを見回して「君たち、みんな共和党員だろうね」「大統領閣下、きょうは私ども全員共和党員でございます」逐一報道される。アメリカ国民はみな笑って胸をなでおろしたことだろう。

 カーター大統領がワルシャワ空港に到着して「私はポーランド国民が未来に対してどのような望み (desire) を抱いているか知るために来ました」と言ったところ、未熟な通訳がdesireを性欲に相当するポーランド語に訳したためカーターは不評を買ったという。アーミテージがshow the flagと言ったとか言わないとかの問題が起こったこともある。宣戦布告の翻訳を在米日本大使館が1日放置したため日本が卑怯者呼ばわりされることになったとか、外交における翻訳の問題は非常に大きいと思う。そういう話ばかり集めた本があったらおもしろいだろう。

 

 『最後の波の音』(山本夏彦、文藝春秋)

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 亡くなってすぐ新潮社の『一寸先はヤミがいい』と競うように店頭に並んだ。質量とも文春の勝ち。

 《コラムの代表を「天声人語」のたぐいだとすれば、あれはアクチュアリテばかり扱う。昨日おこったことを今日書くから新しいように見えるだけで、不易と流行といって私は万古不易なものしか書きたくないから、いつも同じことを書くことになる。天が下に新しいことはないのだから仕方がない。寄せては返す波の音だと思えと、友の一人は私をかばってくれた。》編集者は遺稿集のタイトルをそこに求めた。

 しかしそれにしても、こんな文章《六代目菊五郎(昭和24没)は女は買っても女には買われるなと、弟子たちをいましめたという。してみれば昭和になっても役者は女に買われたのである。/芸者はいやな旦那の機嫌気褄をとる代りに、その代償で役者を買った。間夫はつとめのうさばらしと花魁は言う。芸者も言う。色は色、浮気は浮気と芸者は言う、その口まねしてホステスも言う。してみればホステスは女給の、女給は芸者の直系の子孫である。》これが何回も出てくる。雑誌掲載時はいいとしても単行本化するときは思い切って集約すべきではないか。書籍は雑誌の寄せ集めではない。

 山本夏彦のコラムは全編これ箴言集のようなものだからメモをしだすと切りがない。

 《給料を銀行振込にすると家庭は崩壊する。主人は妻君に小遣いを貰う身の上になる。中略。今からでも小切手にしてはどうか。》《アメリカ人は設計と施工を同一人がすることを許さない。建築家は施工会社(例・ゼネコン)が設計通り施工するか否かを建て主に代って監視するのが任務である。設計と施工を同一会社がすればごまかし放題になるおそれがある。》《わが国の哲学はもとよりあらゆる学問の難解は、内容の難解ではなく字句の難解である。それは生活に根のない空語の数珠つなぎで、だからまず大和言葉系の平がなで書いてみよと言ったのである。》

 抜き書きしたい文章はいくらでもあるが、つぎのふたつが衝撃的だった。

 《占領軍は原爆の写真を草の根分けてもさがし出して没収したがった。飯沢とカメラマンは七年秘しかくしにかくして待ちに待った。昭和二十七年占領軍が去る日が来た。飯沢はアサヒグラフ八月六日号の全誌面をあげて大特集をした。/筆舌を絶するという、酸鼻をきわめるという、全身の皮膚をたらしてなお歩むもの、生きながら早くも蛆虫のわくにまかせているもの、何気なく見た子供は嘔吐したという。私は妻子が見るのを恐れて押入の奥深くかくした。/雑誌がいくら売れてもたかが知れている。げんに広島市長は「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と碑に彫っている。これでは原爆を投下したのは日本人だといわぬばかりだと言ったのは外国人であるインドのパール判事だけだった。/私はこれについて両三度書いたが反響はなかった。今また書くのは今日十一月二十四日朝日新聞投書欄に被爆者だろう、アメリカに写真十枚を持参して口演したら聞くもの寂として声がなかった。その惨状をはじめて知ったというものばかりだったという。中略。それなら航空機をチャーターして某月某日を期してアジアでヨーロッパで世界中の空から雨あられとアサヒグラフの写真をばらまいてやれ。》賛成、ほんとうにそうだ。過ちは繰返しませぬも気がつかなかった。

 《テレクラというものを工夫したのは誰か知らないが、あれが商売になると思ったのはいかさまの才ある人である。十年ほど前すでに全盛時代だったから、ものはためし行ってみた。》平成14年87歳で亡くなった。文は11年だから、行ったのは70すぎ。探求心旺盛。《緊張しているかと娘に聞くとすこしと答える、それならまずリラックスする話をしよう、エッチな話は好きか、きらいではないね、昔男ありけりと作り話をして聞かせたら、だんだん興奮してくるのが手にとるように分る。作り話はまことそらごとこきまぜたポルノである、互いに見ず知らずの男女だから知っている仲なら口にできない言葉が言える、声をひそめて言うと実感がこもる、男より女が興奮するから言ってごらんと相手にも言わせる、しばらくすると驚くべし次第に呼吸がはげしくなってついに絶頂に達して叫びだす。》爺さんやるもんだなあ。