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 『セックスウォッチング――男と女の自然史――(デズモンド・モリス著、羽田節子訳、小学館)

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 原題は THE HUMAN SEXES: A Natural History of Man and Woman。モリスの本だから下半身オンリーだとは期待していなかったが、もう少しシモネタが入っていてもよさそうなタイトル。『マンウォッチング』にそろえたのだろう。原題にしても著者はジェンダーと謳いたかったのに、先生そんなタイトルじゃ売れまへんでと編集者に言われしぶしぶセックスをつかったにちがいない。そのかわり君サブタイトルを付けてくれたまえ。

 男女間のトラブルの根本を考えるための基礎的資料。

 《われわれの祖先は100万年以上にわたって、男女が平等な状態でくらしていたことはほぼ間違いない。これは男女が同じだったということではない。……ヒトという種の基本的な生存システムが狩猟から農耕に変わるまでは、男女のバランスは十分たもたれていた。》農耕がはじまり都会ができてから男の立場が不当に強くなったとモリスは言う。

 まず肉体のちがいを観察しなければならない――。女の脂肪は男の2倍ある。ギリシアの歴史家プルタルコスは、「死体処理係は、男10人に対して必ず女1人を加えて焼く」と書いている。

 男のヒゲにはジェンダーディスプレイ以外の機能はない。遠くからでも性別を判断できる。カミソリのない時代、男はみんなヒゲもじゃだったのだ。《髭剃りは恥をかかせる行為として古代に始まった。囚人や奴隷はその男らしさを奪うために髭を剃られた。》現代では若く見せるのが主目的。

 人間はどうしてそんなことをするのだろうと疑問に思う事柄がいくつもある。たとえばダンス。《健康をみせびらかすことは、自分をセックス・パートナーとして宣伝したいと思うどんな若者にとっても重要である。ダンスのエネルギッシュな動きは体が元気であること、つまり強い繁殖能力の持主であることを物語っている。》それならゆるやかなチークダンスはどうなるのか。あれはダンスのうちには入らないんだろうな。

 男と女では脳の内容も異なる――。狩猟がうまくなるために、男は女より単純になった。些事は切り捨てる。武器作成の技術に長け、危険を冒す覚悟が必要になった。

 女は同時にいくつものことを考えこなす。先史時代、女は社会の中心にいたので、組織力とコミュニケーション力が身に付いた。

 女はひとに関心を持ち、男はものに関心を持つ。ケアマネや介護ヘルパーに女が多いのは、文化的圧力つまり文化・社会の影響ではない。影響の及ばない幼児を見てもそれは明らか。《妊娠2週間から8週間の胎児では、女の胎児のほうが男の胎児より口をうごかす時間が長く、回数も多い。》手足をうごかすのは男の胎児。武と玲子をくらべてもそうだった。

 《女は言語的独創力と短期的記憶をつかさどる領域では細胞数が男より23%多く、聞きとる能力に関係する領域では約13%多かった。これは、言語能力におけるジェンダーの差の解剖学的根拠をしめす重大な証拠である。》男より女のほうが作家に向いているということだろう。

 《知性を天才、知的、愚鈍という3つのレベルにわけると、両極端では男が多いが、まんなかの知的なレベルには女が多い、ということになる。》

 ヒトの一夫一婦制を生物学的に見るとどうなるか。男は狩で得た貴重なタンパク源を持ち帰り、女は集落付近であつめた食料を分けあたえた。一夫一妻制は社会システムとしてとてもうまく機能し、つがい形成の衝動を進化させた。ヒトにはつがい形成の衝動が備わっているのだ。どうしてひとは結婚したがるのかという回答の一つがここにある。それでも《男女のあいだの愛のきずなは断ち切れないほど強くはない》。なぜか。《古代には、男が狩りで死んだり、女が出産時に死んだりしても、生き残ったパートナーが「繁殖上むだにならない」ことが重要であった。……生殖の効率からすると、男女のあいだの愛のきずなは、すべてがうまくいけば長くつづくが、状況がひどく悪ければ壊れる程度の強さでなくてはならない。》これをわきまえていれば暴力亭主や借金亭主を、わたしがそばにいてあげなければこのひとは生きていけないなどと仏心を出す必要はないのだという結論に楽に到達できるだろう。

 同性愛について。昔、同性愛はひどく迫害された。16世紀のヨーロッパのある地域では、《釘でペニスを杭にうちつけられて24時間街のまんなかでさらされ、それから街の外で焼き殺された。》それがしだいにやわらいでいった。《これにはある理由がある。しだいに人口が過密になってきたので、社会は、非繁殖家族をつくりたがる人々に対する敵対を無意識のうちにゆるめたのである。人口が突然減少したら、態度が急に変わって、非繁殖組はふたたび残酷な攻撃を受けるに違いない。》同性愛は都会なら大目に見られても、いなかでは白い目で見られる。その理由は人口にあったのだ。

 「ジェンダーの偏り」という節では恐ろしい数字が出てくる。女の子より男の子のほうが大切にされる地域では女の子は殺される。中国では《男100人に対して女は88人しかいない。この男に偏った比率は総勢約6000万人の女が「行方不明」であることを意味している。》一人っ子政策のもとで大部分の親は息子を望んだのだ。アメリカが中国の人権を問題にすると、おまえんとこは人種差別の本場だろうと茶々を入れたくなるが、なるほどこういう数字を聞いてしまうと放置できない気持ちになる。

 クリトリスがあると不貞の元だというので、世界中で毎年200万人以上の女の子が押さえつけられ、悲鳴をあげ、麻酔もされずに、不衛生な割礼手術を受けている。

 仕事を持つ女性はほんとうに気の毒な選択を迫られる。仕事をとれば子供を産めない。女性の受精能力は30をすぎると急激に低下する。《ダウン症の子を産む確率は40歳では30歳の8倍高いことを忘れてはならない。45歳では27倍に跳ねあがる。/もう1つの欠点は、母親が40歳を過ぎてから産んだ息子では、おとなになってからの精子の数が若い母親の息子の精子数より極端に少ない。》最近の日本の若者の精子数が少なくなっているのは環境ホルモンのせいだといわれているが、晩婚化と関係があるのかもしれない。

 原始女性は太陽であった。《古代世界をのぞいてみると、どこにでも偉大な母神像が見られる》というのに、なぜ男尊女卑、男優先の思想がかくも蔓延してしまったのか。ヒトは猛烈な勢いで繁殖し、村は町に、町は都市に発達した。人口がふえるにつれて多産に対する熱烈な需要がなくなり、都市を組織するさいの男の役割が重要になってきたからだとモリスは述べている。

 

 『剣客商売』(池波正太郎、新潮文庫)

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 賀状で再婚を知らせたら、鈴木弁護士がお祝いに自作の絵を送ってくれた。添えられた手紙で、じつは自分も3年前に再婚した、秋山小兵衛の妻おはるのようなかざりけのない女性で、一緒にいるのが楽しくて出社拒否になりそうだとのろけている。京子にそれを言うと、わたしもおはるは理想の女性で『剣客商売』は全部持っているというから第1巻を借りて読んだ。

 池波正太郎ははじめて。還暦の小兵衛が二十歳のおはると再婚する。そこへもってきて男装の麗人三冬これまた二十歳が先生先生と寄ってきておはるがやきもちを焼くという、あきらかに中高年男性読者をあてこんだ小説。

《「先生。このごろは、大変だそうでございますねえ」
 「何が、よ?」
 「朝な夕なに、木母寺のあたりを、お孫さんのようなむすめさんの手をひいて歩いていなさるそうではございませんか」
 「うん」
 「大丈夫でございますか?」
 「いまに強キツくなろうよ。あのむすめ、おぼえが早くてなあ」》

 おぼえに圏点がふってある。

《「男は、きらいかね?」
 たたみこむような小兵衛の問いに、三冬が「きらい」とこたえ、すぐさま「秋山先生だけは別」といった。口調が急に甘やかなものに変ったので、小兵衛がおどろいて、三冬を見た。》

《小兵衛を見る三冬の眼には、何やら妖しげな情熱が凝められていて、男装の下の女体がなまなましく感じられてならない。
 それをまた、おはるが気づいて、
 「あの女ヒト、きらい。ここへ来させないで下さい、先生」
 嫉妬に我を忘れ、泣き、わめくのである。》

 これだけで物語がどうなっていくのか、先が気になる。うまい。

 ただ、大衆小説にそんなことをいうのはお門違いなのだろうが、ずさんな視点管理が気になる。おおむね小兵衛の視点で描かれてはいるが、それはくるくると変転する。小兵衛と後藤の試合――、

 《小兵衛の刀身が何倍もの量感となって、後藤の眼の中へ飛びこんできそうにおもえるのだ。
 (この老人オヤジ、何者?……三冬どのに負けた老人に、おれがこのような……ばかな……)
 そのようなことが、ちらちらと脳裏に浮かんできては、もうおしまいである。》

 後藤の視点に変わったかとおもうと、最後は作者の全能視点が出てくる。全能視点で書くなら、《後藤九兵衛は控所へもどり、すわりこんだきり、しばらくは身じろぎもせぬ。自信を喪失してしまったらしい。》なぜ「らしい」のか。全能なら「喪失してしまった」とすべきではないか。

 池波はそんなことはお構いなしだ。《この悲劇を、まだ読者諸賢はおぼえておいでのこととおもう。》作者がおもいっきり顔を出す。まして《この物語が年月と共にすすむにつれ、両家の関係がどのように、田沼意次や佐々木三冬、そして秋山小兵衛父子へ影響をもたらすことになるか……筆者も実は、たのしみにしているのである。》と言うに及んではもうコウサンだ。

 このような文体は何に由来するのだろう。講談の速記本で育った世代なのではないだろうか。