21(2005.2 掲載) 『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち――』(渡辺一史、北海道新聞社)
シカノは全身の筋力が徐々に衰えていく進行性筋ジストロフィー。幼少期養護施設で暮らすも、拘束の多さを嫌って23歳のとき自立生活を始める。35歳のとき人工呼吸器装着。呼吸器をつけたら退院できないという当時の常識を破って強引に退院してしまう。人工呼吸器は瀕死の患者にほどこす最後の手段――このイメージは、医療従事者ほど強く、頸損ギョーカイでもC4以上は呼吸器、装着したら一生しゃべれないというのが医者の常識。その常識も、シカノは半年でくつがえす。カニューレのバルーンのふくらみと換気量を調節して話すというから、きっとバルーンを小さめにして空気を吐き出す勢いを強くし、声帯に空気を送るのだろう。 ワガママが常識をくつがえし世の中をよくすることがある。わがままなシカノとボランティアたちの葛藤が本書のテーマ。とりわけシカノが夜寝ないことがボランティアたちにとっては大問題。真夜中にボラを起こし、バナナが食いたい、もう1本食いたいと言ったのがタイトルの由来。 自宅で暮らせない重度障害者を大規模施設に収容する――。1960年代〜70年代にはこれがみんなの希望だった。そうでなければ親は死んでも死にきれなかった。《福祉先進国といわれる北欧諸国においても、一九五〇年代までは大規模施設やコロニーが障害者にとって最高のものと考えられてきた。》それがいまでは「施設から地域へ」がスローガンになっている。施設建設をもくろむ役人を、まるで土建屋と結託して賄賂を稼ごうとする悪代官か何かのようにイメージしてかかる。何事にもいきさつはあるのだから、いったんそこまでさかのぼって考える必要がある。まあ役人も「前任者から引き継いだことをするまで」という態度は改め、なるべくフレクシブルに対応してもらいたいものだ。 シカノは同じ筋ジスのアメリカ人エド・ヤングの影響を受ける。曰く、アメリカではなにができないかよりも、なにができるかが問題。《自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何か頼むことを躊躇しないでほしい。》この言葉の重みにどれほどのひとが気付くだろう。障害者の理論武装に役立つのはもちろん、障害者をみまったときに思い出すべき言葉。 1日数十回の痰取りのため24時間介助が必要。1日4人、月のべ120人。介助者探しとスケジュール調整がシカノの仕事。道立のケア付き住宅に住んでいてベルを押せば係りが飛んでくるようになっているが、そのスタッフは吸引をしないことになっているのでどうしてもボラを集めざるを得ないのだ。チラシをまいたり新聞広告を打ったり。せっかく養成した学生ボラも毎年卒業していく。新人が来るたびにゼロから仕事を教えなければならない。体の苦痛に対人関係のストレスが加わり、いつもイライラしている。わかるわかるその気持ち。ひとさがしほど苦痛なものはない。後任を見つけるために電話をかけまくるときは興奮状態になる。血圧が上がって神経がピリピリするよなあ。安眠できるわけがない。 おれも今まで多くのボランティアに接してきたが、そのひとたちがどういう思いでボラを始めたかということはあまり聞いたことがない。「一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる」これがボランティア心理を解く一つの鍵。ボランティアのひとりは語る。《「見回してみるとボランティア界隈には、例えば家庭環境が複雑であったりとか、自分の存在意義に悩んで自殺を考えたりとか、あるいは精神科に通ってる人なんかが目につくようにも思うんですね」「今のように高度成長期を過ぎて成熟した社会になると、なかなか普通に生きてるだけでは『生きる意味』というのがつかみづらい。そういう時代にあえて意味を求めようとすると、ボランティアだとか福祉や医療の仕事なんかは、わりと目に見える形での意味を与えてくれるところがあるんでしょう」》 シカノのボランティアたちの多くが予定の進路を変えている。工学部を卒業して医学部に再入学した者、法学部を卒業後福祉大学に再入学した者、OLをやめ鍼灸師の学校に通いはじめた者、文学部を卒業後知的障害者施設に就職した者、ホステスから老人病院のヘルパーになった者……。《人間にとって「人を支えること」は、「支えられること」以上に大切なことなのだ。》 シカノが育てたボランティアの多くが福祉や医療の専門家に巣立っていくことを考えると、シカノは生きているだけで教育活動をしているのだし、ノーマライゼーション普及のための社会運動をしているともいえる。 だが、みんな大げさだ、介助されるシカノも支えるひとたちも、自分たちのやっていることが社会的に意味のあるスゴイことだというおごり高ぶりがあるとボランティアのひとり斉藤大介は批判する。《だいたい、一人の障害者を介助するくらいのことで、本当のやさしさとは、とか、人にとって思いやりとは、とかみんなすぐ論じ始めるじゃないですか。オレはそういうのものすごくイヤで、……障害者と健常者はもっとこうあるべきだとか、自分はシカノさんからこんなことを教えられましたとか、大げさなことを書いてるヤツに限って、すぐボランティアやめちゃうとかさ。》 障害者本というとセックスをあけすけに語るのはなぜなのだろう。手の使えない小山内美智子は、ベストセラー『車椅子で夜明けのコーヒー』にウォシュレットではじめて女の喜びを知る話を書いているとのこと。シカノのボランティアはオナニー介助もする。《ベッドの前のビデオをセットし、パンツを脱がせ、ティッシュを三、四枚握らせると、「あとはよろしく」と居間に引っ込む。》手は動くし感覚もある。《「チンチンは海綿体であって、筋肉じゃない。――だから、筋ジスはチンチン起ちます、ってちゃんと書いといて」》射精もすればオルガスムもあるのだろう。 シカノは5年間結婚生活も送っている。しかし妻は結局ボランティアの学生と恋をし、家を出ていってしまう。《真相に気づいたのは、離婚後の彼女の転居先が、突然ボランティアをやめた男子学生の住所に近いことを知ったときだ。「もしや」という戦慄が走り、恐る恐る学生の家に電話してみると、受話器をとったのはまさに彼女だったという。》すべての関係者に会って取材し詳述する著者も、この件に関してはあまりふれていない。むごすぎるのだ。 2002年8月、不死身のシカノも力つきて永眠。享年42。
J'EN AI VU PLUSIEURS...
J'en ai vu un qui s'etait assis sur le chapeau d'un autre
「いろんなひとがいるもんだ」
「わたしは幾人か見た……」(北川訳) 「わたしは幾人か見た……」というタイトル訳を見たときは勝ったと思った。そんな直訳ではつまらない。プレヴェールの目はどことなく冷笑をふくんでいる。やれやれといったニュアンスをこめた「いろんなひとがいるもんだ」のほうがふさわしいと思って勝利を確信した。相手は減量に失敗したのだと。 ところが北川訳を読みはじめ、面食らった。見知らぬ詩がそこにある。勝手なもので北川は何かとんでもない間違いを犯しているのではないかと思った。思い違いをしたのは自分だった。il etait pale の il を直前の un autre だと解釈したのが間違いの元。青ざめていたのは、他人の帽子を尻に敷いているほうなのだ。 読みすすむうちさらにドキリ。J'en ai vu un qui tirait son enfant par la main et qui criait... の1行をおれは「子どもの手を引くひとを見かけた/子どもは泣き叫んでいた」と訳した。泣き叫んでいるのは子どもだと思ったのだ。しかし北川は、手を引いている親が大声を出していると見ている。前の失敗がなければ解釈の分かれるところと強弁もできようが、すっかり自信をなくしてもはやファイティング・ポーズをとれない。完敗。
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