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 『夢声戦争日記 抄――敗戦の記――(徳川夢声、中公文庫)

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 占領軍に抵抗しなかったのは、腹が減ってそれどころではなかったからだという鶴見俊輔の答だけではなっとくできないので、庶民はどう思っていたかを探るべく選んだ一冊。昭和20年4月から8月までの日記。夢声が荻窪に住んでいたことを知って親近感をおぼえる。

 4月2日《(大本営発表)B29五十機来、十五機撃墜、三十機撃破。》と記しているが、ほんとうに大本営発表を信じていたのか、あるいは大本営がバカなこと言ってるよという気持ちで記録に残しているのか、そこはわからない。B29は時限爆弾というものを落とした。この「時限」を「寿限無」といいかえて、《どうもあのジュゲムバクダンてのはイケヤセンてな風に語ると、至極可笑味がある。》なんてネタ作りにいそしんでいる。

 ラジオでルーズベルトの死を知り《ザマヲ見ロデアル。》と感じ、その足で学校工場の祝賀式で少女たちに向かって、「ルーズベルトが死んだからといって喜ぶにはあたらない。むしろ残念である。きゃつを生かしておいて日本の勝つところを見せてやりたかった」と語っている。これは本気のよう。

 特攻隊の若い士官は人間ができていると感心。《人間というものは、二十歳ごろから二十三歳ごろまでに、略々出来上ってくるものらしい。それがたまたま特攻隊の人々は不純なものの影響を受けず、澄み切った心境で、一つの崇高なる大目的に脇目もふらず進んでいくのであるから、四十、五十の爺が見てその立派さに頭が下がる訳だ。》

 庭で家庭菜園をしている。《桜樹の根本の肥料壺には、鰊のプンと来たのや、池に浮いていた鼠の死骸など投げ込んであるが、この汚水の臭いたるや全く鼻が曲りそうである。所が、この臭くて堪らぬ汚水と、汲みたての臭くて堪らぬオワイを混ぜるとピタリと厭な臭いが止る。》なんの役にも立たないような知識だが、じつはこういう体験はめぐりめぐって意外なところで役に立つものだ。日本のロケット打上げがちっとも成功しないのはパソコンで設計図を引くからだという意見を聞いたことがある。器械が線を引いたのでは細かいところまで気がつかないのだろう。白川静が、金文のトレースをしていると細い線や太い線に込めた古代中国人の心が分かってくるとも言っている。身をもって体験することの少なくなってしまったおれは、悪い意味で現代人の先端を行っているような危機感を感じる。

 広島の原爆を大本営はなんと言っていたか。「敵がこの非人道的なる行為を敢えてする裏には戦争遂行上の焦燥を見逃すわけにはいかない、かくのごとき非人道な残忍性を敢えてした敵は、もはや再び人道を口にするを得ないはずである云々」どこまでも都合のいい、みっともない負け惜しみだ。それに対し夢声は《敵が物凄い兵器を使用するからと言って、頭から非人道呼ばわりをするのは滑稽である。日本のすることは、一から十まで人道的であるような言い方は、いくら味方のことでも甚だくすぐったい。(中略)国民を何所まで馬鹿だと思っているんであろうか?》と健全な反応を示している。

 玉音放送を聞いた日は、《何という清らかな御声であるか。有難さが毛筋の果てまで滲み透る。足元の畳に、大きな音を立てて、私の涙が落ちて行った。》と感激する。

 原爆で息子を亡くした母親に向かって、夢声はこうなぐさめる。「象(ショウ)ちゃんの死は、大勢の命を助けたことになりますよ。もし原子爆弾が現れなければ、日本は飽くまで抗戦して、恐らく何百万何千万という死者を出したに相違ありません。それが象ちゃんたちの犠牲によって、戦争が終ったのですから、象ちゃん一人の生命が、幾百人、幾千人を助けたのです」これはアメリカ人が原爆投下の正当性を主張するとき使う論理だが、それを聞いた母親は「佳いことを聴きました。それを伺って胸がずっと軽くなりました」と答えているから、アメリカ人が弁解する以前に多くの日本人はこの考えかたでなっとくしたのだろうと察せられる。8月24日の日記だ。

 8月28日、マッカーサーが厚木に飛来、朝から米軍機が帝都上空を飛び回る。《本来ならば、これらの飛行機に対し、私どもは切歯扼腕、拳を振り上げて、憎悪の瞳で白眼みつける場合であろう。それがどうだ。都民の平静なる! 平静どころか、吾が家の娘たちは、大いに喜んでいるかのような態度で、これを迎えているのだ。》憤りつつも娘たちの態度の理由を考えている。戦争終結の安堵、無知ゆえに敵愾心がない、進駐軍を大切に迎えよという新聞論調の影響、それよりもっと大きな理由として《娘らしい単純さで、アメリカの大型飛行機を、憧れ迎える、ということ》をあげている。《率直に言うと、娘たちは意識するとしないとに拘わらず、B29を透して、戦勝国アメリカの男性に憧れているのである。/どうも父親として、日本の男性として、こいつは甚だ以って不愉快千万であるが、それが女性たるものの、もって生れた生物本来のありかたであって見れば仕方ない。》

 なぜ占領軍に対して無抵抗だったのかという疑問に立ち返る。天皇が「耐えがたきを耐えろ」と言ったのは大きい。それに完膚なきまでに打ちのめされて完全に戦意を喪失していた、腹がへって戦ができなかった、日本政府にだまされていたという思いが強かった、みすぼらしい日本人よりアメリカ兵のほうがかっこよかった……こんなところか。

 

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【Paroles 翻訳勝負】

   CHANSON DES ESCARGOTS QUI VONT À L'ENTERREMENT

 À l'enterrement d'une feuille morte
 Deux escargots s'en vont
 Ils ont la coquille noir
 Du crêpe autour des cornes
 Ils s'en vont dans le soir
 Un très beau soir d'automne
 Hélas quand ils arrivent
 C'est déjà le printemps
 Les feuilles qui étaient mortes
 Sont toutes ressuscitées
 Et les deux escargots
 Sont très désappointés
 Mais voilà le soleil
 Le soleil qui leur dit
 Prenez prenez la peine
 La peine de vous asseoir
 Prenez un verre de bière
 Si le cœur vous en dit
 Prenez si ça vous plaît
 L'autocar pour Paris
 Il partira ce soir
 Vous verrez du pays
 Mais ne prenez pas le deuil
 C'est moi qui vous le dis
 Ça noircit le blanc de l'œil
 Et puis ça enlaidit
 Les histoires de cercueils
 C'est triste et pas joli
 Reprenez vos couleurs
 Les couleurs de la vie
 Alors toutes les bêtes
 Les arbres et les plantes
 Se mettent à chanter
 À chanter à tue-tête
 La vraie chanson vivante
 La chanson de l'été
 Et tout le monde de boire
 Tout le monde de trinquer
 C'est un très joli soir
 Un joli soir d'été
 Et les deux escargots
 S'en retournent chez eux
 Ils s'en vont très émus
 Ils s'en vont très heureux
 Comme ils ont beaucoup bu
 Ils titubent un p'tit peu
 Mais là-haut dans le ciel
 La lune veille sur eux.

   「葬式に行くでんでん虫の歌」
 死んだ葉っぱの葬式に
 でんでん虫ふたりで出かけます
 黒い殻着て
 角のまわりに喪章を巻いて
 それはそれは美しい
 秋の夜中に出かけます
 あれまなんたることでしょう
 着いたときにはもう春で
 死んだ葉っぱさんたちは
 みんな生き返っていて
 でんでん虫ふたりは
 がっくりこん
 そこにお日様登場し
 ふたりに話しかけました
 まあまあどうか
 そこにおすわりなさい
 ビールでも一杯いかがかな
 もしお気に召すなら
 無理にとは言いません
 今夜出る
 パリ行きの長距離バスにお乗りなさい
 見聞を広めるといい
 でも喪に服してはいけないよ
 このわたしが言っているのだ
 そんなことすると白目がにごる
 おまけにみんなのひつぎ物語を
 きたならしくしてしまう
 かなしいばかりでたのしくない
 顔色をとりもどしなさい
 生きる喜びをとりもどしなさい
 そうすれば動物たちも
 草木もみんな
 うたいだす
 生き生きしたほんとうの歌
 夏の歌を
 声をかぎりにうたいだす
 みんなで飲んで
 みんなで乾杯だ
 それはそれは楽しい夕べ
 夏の夜の楽しいうたげ
 それを聞いたでんでん虫は
 家路についた
 心から感動して立ち去った
 ほんとうに幸せな気持ちになって立ち去った
 まるでしこたま飲んだみたいに
 ちょっと千鳥足
 でもだいじょうぶ
 天の高みからお月様が見守っている。

   「葬式へゆくカタツムリのうた」(北川訳)
 一ひらの枯葉の葬式へ
 二匹のカタツムリが 出かける
 黒い殻を着て
 ツノに喪章をまき
 くら闇のなかへはいってゆく
 大へんうつくしい秋の夕ぐれのこと
 ところがなんと 二匹がついたときは
 もう春になってた
 枯葉たちは
 すっかり生きかえってる
 二匹のカタツムリは
 ひどくがっかりだ
 でも そらお陽さんがいらっしゃる
 どうぞ どうぞ
 さあお坐り
 なんなら
 ビールを一杯やんなさい
 よかったら
 パリ行きの遊覧バスはどう
 こん晩 たつ
 方々見れるよ
 だが 喪服は脱いだがいい
 わしはあえていうが
 喪服は白ろ目を黒ずませるし
 棺おけのひとの思い出ばなしを
 みにくくする
 喪服はかなしくて 好ましくない
 あんたがたの色に着換えなさい
 いのちの色に
 すると 動物たちも
 木々も 草たちも
 みんなうたい出すよ
 ありったけの声でうたうよ
 イキイキとしたほんもののうたを
 夏のうたを
 みんなお酒を飲んで
 みんなで乾盃
 とても愉快な晩だ
 愉快な夏の晩だ
 かくて 二匹のカタツムリは
 わが家へ帰ってゆく
 ひどく感激して
 ひどく幸福そうに
 さんざん飲んで
 ちょっぴり千鳥足だ
 だが あの高いお天(ソラ)から
 お月さんが 二匹を見まもってる。

 Ils s'en vont dans le soir を「くら闇のなかへはいってゆく」と訳すのは、そのあとに Un très beau soir d'automne と soir を補足する語があるのだからプレヴェールの意図とは異なるだろう。「方々見れるよ」というのもなんだかなあ。明治生まれの詩人でもら抜き言葉を使うんだな。

 prendre le deuil で「喪に服す」のはずなのだが、北川は「喪服を着る」と解釈し、「だが 喪服は脱いだがいい わしはあえていうが 喪服は白ろ目を黒ずませるし 棺おけのひとの思い出ばなしを みにくくする 喪服はかなしくて 好ましくない あんたがたの色に着換えなさい いのちの色に」と訳している。このばあいそのほうがふさわしい。おれは「でも喪に服してはいけないよ このわたしが言っているのだ そんなことすると白目がにごる おまけにみんなのひつぎ物語を きたならしくしてしまう かなしいばかりでたのしくない 顔色をとりもどしなさい 生きる喜びをとりもどしなさい」と訳したが、じつは「ひつぎ物語をきたなくする」というのがいまいちしっくりこなかった。はじめに黒い殻を着たと言っているのだから、「顔色をとりもどしなさい」ではなく「あんたがたの色に着換えなさい」にするべきだ。おそらくこの詩の眼目は「喪服は白目を黒ずませる」という思想にあるのだろう。だれか身近な人が死んだときプレヴェールは喪服を着なかったがために非難されたのではないか、自分を元気づけるために書いた詩ではないかと想像する。

 Comme ils ont beaucoup bu の comme も、「飲んだように」ではなく「飲んだので」と解する北川訳のほうがよさそう。ビール1杯なら千鳥足にはならないという先入観があった。1杯じゃ終わらなかったんだなきっと。序盤戦はおとぎ話ふうに訳したおれのほうが優勢だと思っていたが、中盤スタミナが切れたところにカウンターパンチを食らってダウンを喫する。ホームタウンデシジョンでドローにしたいところだが、僅差で北川の勝ち。