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 『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった――誤解と誤訳の近現代史――(多賀敏行、新潮新書)

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 外交における翻訳・通訳の問題は非常に大きいと思う。そういう話ばかり集めた本があったらおもしろいだろうと書いたのは、『秘伝 英語で笑わせるユーモア交渉術』(村松増美、日経ビジネス文庫)を読んだときだった。原稿を依頼するとしたら外務省翻訳局のひとになるだろうと考えていた(そんな部署があるかどうか知らないが)。本書は内容といい著者といい、考えていたものにほぼ沿っている。著者は1950年生まれ、現在バンクーバー総領事で、こういう話を長年発表のあてもなく書きためてきたという。

 どうやってこういうひとを見つけてくるのだろうか。出版経緯を巻末に付す習慣を出版界は持ってほしい。これだけで1篇の物語が成立するだろう。「まえがき」も「あとがき」もふつう本文脱稿後にまとめて書く。ムダではないか。まえがきは著者が、あとがきは編集者が書くようにしてはどうか。もし定着したら「本の雑誌」あたりが「全日本あとがき大賞」なんていうのを創設するにちがいない。

 ひがまないこと、これが肝要だ。著者は外務省に入り外国で暮らすようになって「日本人は多くの外国人から一目置かれ、それなりに高く評価されている」と気づく。日本国内で思われているよりも、日本は外国ではるかに高い評価を受けている。《それまで日本の新聞、雑誌などで「日本人は世界中で嫌われている」と繰り返し聞かされてきたので、これは私にとって意外な発見であった。嬉しい発見であった。/次の瞬間、日本のメディアはどうしてそのことを報じないのだろうかと不思議に思った。恐らくマスメディアの性(サガ)として良い話は報道したくないのだろうと思った。》高島俊男などもやはり、日本は世界中の国々から嫌われているが、唯一の例外が台湾だと言っている。

 マッカーサーの「日本人12歳発言」は、1951年5月5日、米国上院の軍事・外交合同委員会での証言の一部。この一部だけがひとりあるきした。17日の天声人語は《マックアーサー元帥をわが国の平和的、民主的再建に功績のあった人として、国会の議決によって国家最高の国賓に推そうという法案を政府がこの国会に出すそうだ。(中略)マ元帥は米議会での証言で「日本人は勝者にへつらい、敗者をみさげる傾向がある」とか「日本人は現代文明の標準から見てまだ十二歳の少年である」などと言っている。》と書いた。だが、それがどういう文脈のなかで述べられた言葉なのか、その後も議事録にさかのぼって調べようとした者はなかった。そこで著者はある日の昼休みに国会図書館に出かけマイクロフィルムのなかに議事録を発見、コピーを取って急いで仕事場(外務省だろうな)に戻り、《その夜自宅に帰って、はやる心を抑えながら、そのコピーをじっくり読んでみた。さて当該箇所をつぶさに見てみよう。》と、これから手柄話を展開する喜びに胸をふるわせる。

 日本がほんとうに自由の意味を理解しそれを放棄することはないかとロング委員長に問われ、《外国の軍隊の旗の下で、自由を奪われたという事例は数多くありますが、一旦自由を享受した国民が(平時に)自発的にその自由を手放したという事例は私は一つたりとも知りません。》と答えたところ、でもドイツは第一次世界大戦後ワイマール憲法下で民主主義国になったのにヒトラーに従ったではないかと指摘される。ここでマ元帥はドイツと日本の相違を強調しなければならなくなる。

 「近代文明の尺度で測れば、(ドイツも含め)われわれが45歳という成熟した年齢であるのに比べると、日本人は12歳の少年といったところででしょう」指導を受けるべき状況にあったというのだ。《指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかったのです。(中略)日本人は、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができるほどに白紙の状態に近かったのです。》白紙であることを強調するためにティーンエイジャーですらない12歳だと言ったのだ。

 要するに日本人はドイツ人と異なり、欧米の自由とか革命とかが何のことか知らずに暮らしてきた、欧米の社会の発展度合いで見ると子供のようなものだが、それだからこそ教育が可能だと、《いわば慈父の立場から弁護せんとする発言であった》と結論づけている。まあそれにしたって見おろしていることにちがいはないが。

 12歳発言を正しく理解しマ元帥を擁護していたのは吉田茂のみ。英語ができてプライドが高くなければ、誤解しひがんでしまうのだ。

 東京大空襲を発案したカーチス・ルメイに勲一等を贈ったり占領軍の親玉を終身国賓にして東京に記念館を建てようとしたりするところをみると、やっぱり勝者にへつらう傾向があるのだろう。アメリカを本気で解放軍ととらえていた節もうかがわれる。なぜ占領軍に対して武力攻撃がおこなわれなかったかという疑問に対する回答の一つがここにある。

 さてタイトルの由来になったエピソード。1977年パキスタンでクーデタが起き、首相のズルフィカル・ブットは処刑されるのだが、欧米で助命嘆願運動が起こったのに、日本は冷ややかだった。というのも彼が外相だった1965年に「日本人などは金に飢えた動物で、政治のわかる動物ではない」と発言したためだ。しかしそれは日本の新聞記者が書いたことであって、ほんとうにそういうニュアンスで言ったのではなかろうと多賀は言う。おそらく原文は"The Japanese is an economic animal, not a political animal."だろうが、イギリス知識人に聞くとエコノミック・アニマルには侮蔑的意味合いはない(ブットはオクスフォード卒)。たとえばチャーチルはポリティカル・アニマルと呼ばれた。ほかのことはいざ知らず、こと政治にかけてはずば抜けているというニュアンスの言葉だ。

 日本の無学な新聞記者があたら有能な政治家を死なせてしまったと思っているのだろう、多賀は新聞社名も記者名も伏せている。《国際社会における自己の位置づけについて今ひとつ自信がないというのが多くの日本人の気持ちだと思うが、不必要に自分の国、自分の国民を貶める表現を相手の言葉から好んで、場合によっては無理やり見つけてこようとする傾向がジャーナリストの無意識の内にあり、しかもそれを読み手である国民が嬉しがる傾向があるとすれば、少しばかり情けない気がする。》

 外国語ができないのはなにも日本人だけではなく、外国人にしても同じことだ。アメリカが日本の暗号電報解読に成功したのは昭和16年4月(半藤は15年10月説)。在米日本大使館宛に来た日本語電文を、アメリカ陸軍と海軍は交互に翻訳し、ハル国務長官やルーズヴェルト大統領に渡した。翻訳は「マジック」と呼ばれた。悪意に満ちた曲訳が多い上に、日本語の文法構造・語彙について米国側翻訳者の知識のレベルは信じられないほど低かった。《ある文や言葉で「中立的な意味合い」で解釈するか、「日本はずるい」という方向に解釈するかの二つの選択肢があると思われる場合は「読者」に受けることを狙って後者の道を選んだものと思われる。》このへんの洞察は体験に根ざしたものだろう。ひがみと憎しみを排除すること、これが外交文書を翻訳するさいの要諦だろうが、それのいかにむつかしいことか。