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 『昭和の三傑――憲法九条は「救国のトリック」だった――(堤堯、集英社インターナショナル)

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 憲法第9条はアメリカの押しつけだというのが現在の定説だが、堤は「そうではない、幣原喜重郎の発案であり、しかも救国のトリックであった」という。なぜか。「古来A国に負けたB国の戦力が、C国への侵略・制圧に使役される例は枚挙にいとまがない。幣原はそれを見越していた。日本は敗戦後9条を盾にとって朝鮮戦争にもベトナム戦争にも行かずにすんだ。日本の青年は1人も死なずにすんだではないか」と学生時代からいだきつづけた自説を展開する。三傑とは救国の宰相鈴木貫太郎、知略の宰相幣原、権謀術策の吉田茂の3人を指すが、鈴木はあまり出てこない。

 テーマは単純、論旨は明快、このジャンルの本を読んだことがないせいか、目ウロコ本だった。読みはじめてすぐ中央公論事業出版にいたころ担当した平野三郎さんの『天皇と象の肉』を思い出した。平野さんもその本の中で平和憲法の発案者は幣原だと述べているのだが、名前は聞いたことがあるという程度の首相でよく知らないし、平野さんはその部下だったからひいきしているだろうし、元岐阜県知事といっても丸ビルの事務所にブラリと来社する姿は普段着の好々爺だから、当時はあまり本気にもしなかったのだが、本書では「平野手記」が有力な資料の一つとして取り上げられているので、おおあのじいさんはそんな偉いひとだったのかと驚いた。

 《幣原の大仕事は二つ。天皇の「人間宣言」と新憲法の策定である。前者は「現人神」を「象徴」に代える布石となった。後者は世界初の「戦力放棄」を謳う憲法である。言うなら国の大柱二本を建て替えた。》ふたつとも占領軍の押しつけではないかという見かたが大勢を占める現在、堤は『マッカーサー回想記』(1964年、朝日新聞社)を引いて反論する。マックを訪れた幣原は「軍人には言いにくいのだが」と言いよどんだあと《首相はそこで、新憲法を書き上げる際に、いわゆる「戦争放棄」条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切持たないことを決めたい、と提案した。そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打ち消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起こす意志は絶対にないことを世界に納得させるという二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。》《首相はさらに、日本は貧しい国で軍備にカネを注ぎ込むような余裕はもともとないのだから、日本に残されている資源は挙げて経済再建に当てるべきだ、とつけ加えた。/私は腰が抜けるほど驚いた。長い年月の経験で、私は人を驚かせたり、異常に興奮させたりする事柄にはほとんど不感症になっていたが、この時ばかりは息も止まらんばかりだった。戦争を国際間の紛争解決には時代遅れの手段として廃止することは、私が長年熱情を傾けてきた夢だった。/現在生きている人で、私ほど戦争と、それがひき起こす破壊を経験した者はおそらくほかにあるまい。(中略)原子爆弾の完成で私の戦争を嫌悪する気持ちは当然のことながら最高度に高まっていた。/私がそういった趣旨のことを語ると、こんどは幣原氏がびっくりした。氏はよほど驚いたらしく、私の事務所を出るときには感きわまるといった風情で、顔を涙でクチャクチャにしながら、私の方を向いて「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、百年後には私たちは予言者と呼ばれますよ」と言った。》戦争放棄の発想はべつに目新しいものではないが、戦力まで放棄するという申し出にはマッカーサーも驚いた。自衛権は万国共有の自然権だからだ。

 (同じ場面を幣原が親友大平駒槌に語ったところによれば《そのためには世界中が戦力を放棄するしかないと述べた。マックは急に立ち上がって両手で手を握り、涙を目にいっぱい溜めて、そのとおりだと言い出したので、幣原は一寸びっくりした。=『日本国憲法制定の由来』》肝心な点ではふたりとも同じ証言をしているのに、どちらが感涙を流したかという点では、おたがい相手だと言っているのがおかしい。男ってかわいい。)

 ふたりの初会見は1945年10月11日。マッカーサーが幣原に示した基本方針は、婦人参政権、労働組合の育成、自由主義的教育、検察・警察の改革、経済機構の民主化。戦争放棄はない。米国務省もむしろ軍隊の存在を前提にして「天皇は軍事に関する一切の権能を剥奪される」と訓令している。バーンズ国務長官をはじめとする連合国側は、条約によって日本を非武装化するつもりだった。のちのマッカーサー3原則のなかに戦力放棄を見て驚いた幕僚ケーディスは、自衛のための戦争も否定するのは理に合わないとして、その部分を削ってしまったほど。憲法草案に戦力放棄条項を盛り込んだあとですら、7年後の日本独立のさいには改正されると思っていた。

 《マックが「戦力放棄」を言い出すワケもないと思える理由が、もう一つある。コトはアメリカ建国の精神・憲法制定にからむ。/アメリカは十三の州を束ねて建国された。各州とも「必要悪として」連邦政府の存在を認めた。これの専制・横暴を防ぐべく、憲法制定に当たって様々の工夫がなされた。人民に武器(銃)の所有を認めるのもその一つ。》トマス・ジェファーソンは「憲法は国家権力に対する猜疑心の大系」と言っている。アメリカ人にとって銃の所有(自衛権)は建国精神にまでさかのぼる問題であり、それを否定することなど考えられないのだ。

 戦力放棄をどちらが言いだしたのか、その決着は付いたようだ。さてそれでは幣原が戦力放棄を永久不変の真理、100年後の世界がほめそやすようなものと心底考えていたのかどうかがつぎのテーマ。堤はいかなる法律も「当用」のもの、さしあたり使用する、間に合わせのものであると主張する。《土台、不可触・不磨の大典など、あろうはずもない。欧米諸国の憲法は、何度も修正を施されている。/戦力放棄もまた「当用」のトリックだった。「当用」はいずれ歴史の有為転変にそぐわなくなる。幣原とて見越していたであろう。》

 あとを継いだ吉田茂はさらに輪をかけて老獪だ。たびかさなるアメリカの再軍備要請に対し、経済の困窮を理由に再軍備を値切りに値切る。戦力放棄の憲法を押しつけたのはアメリカではないかといって突っぱねる。米軍を番兵にすればいいと思っている。《煙に巻かれた占領総督が得々として語る「日本人十二歳説」は、幣原や吉田にすれば片腹痛い思いだったろう。》

 「しかしね、松野君。アメリカはいつまでもこのまま駐留を続けはしないよ。利用され続けるとは思わない。必ず変わるときが来る。アメリカが引き上げると言い出すときが必ず来る。そのときが日米の知恵くらべだよ」と吉田は松野頼三に語っている(松野『保守本流の思想と行動』)。日本の反対にもかかわらず占領しつづけているのだと思っていたが、この口吻からすると日本が引き留めていることになる。それなら日本政府は「思いやり予算」なんかものの数ではないと思っているわけだ。たとえ沖縄でアメリカ兵が少女を強姦しても、外交カードが1枚ふえたわいと喜ぶぐらいだろう。それぐらいの感性でなければ政治家は務まらないにちがいない。

 コマッタ本を読んでしまった。まだある。《古来、戦争は勝つか負けるか、それだけの話で、負けて賠償はあっても「謝罪」はない。負けてゴメンナサイは子供の喧嘩で、性根の坐った子供は負けても謝らない。何のための「一億総ザンゲ」なのかと不思議だった。/以後、日本贖罪論は癌細胞のように日本人の脳裡を喰い進み、挙句は「謝罪の国会決議」(一九九五年)に至った。バカげた決議である。イギリスがインドや中国に謝罪したか。フランスがベトナムに謝罪したか。オランダがインドネシアに謝罪したか。当事者双方に謝罪の議論すら起こらない。なぜか。/十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、植民地主義=領土拡張のテリトリー・ゲームは、先進国の「常識」だった。競って奮励すべき国益伸張のゲームだった。このゲームに参加する国が「先進文明国」とされた。参加しないものは「野蛮国」と見なされ、侵略の対象となる。それが世界の現実・常識だった。アメリカはスペインに勝ってキュ−バを獲得、フィリピン、ハワイを掠めて初めて文明国と目された。日本も日清戦争に勝利して台湾を獲得したとき、初めて文明国の仲間入りを許された。日露戦争に勝って五大国の一つと目された。戦争は文明国に昇格するためのイニシエーション(入会式)だった。イヤなら未開の野蛮国として、食い散らかされるしかない。トインビーの言う「アジアにおいて羊のように毛を刈り取られることのなかった唯一の国」にはなり得なかった。それが当時の世界の常識・現実であり、後の世の「常識」で善し悪しを言っても始まらない。》これは徳富蘇峰に学んだ論理のようだ。《蘇峰に言わせれば、植民地主義は当時の「世界共通の歴史」であって、コトを分けたのは上手か下手か、賢か愚かによる、正義・不正義の問題ではないとした。》

 そうか。旧宗主国は植民地のひとびとにむかって謝ったことがないのか。ほんとうにそれが当時の世界の常識であったのなら、確かに後の世の常識で善し悪しをいってもはじまらない。「新しい歴史教科書」どころの話ではない。すべてひっくりかえってしまう。

 ちなみに平凡社の『世界大百科』で【近代帝国主義の発生】をみると、《ウィーン会議から第1次大戦にいたる1世紀の間に,帝国主義は政治の論争用語としても社会科学の術語としても定着していく。この100年は,資本主義の不均等な発展によって工業先発国と後発国との分化が進み,鉄道,通信などの近代交通通信体系や戦艦,機関銃などの新兵器体系の形成とによって政治権力の他地域に対する機動性と浸透力が急速に高まった。それは,いわば世界が階層的な秩序に編成されていく移行過程であったといえる。》とある。堤の発言を裏付けているように読めないこともない。だが工業後発国を侵略してもかまわない、謝る必要はないと、日本人のメンタリティーでは押し通せないだろう。だからといって総理大臣が何度も反省と謝罪をくりかえすのも奇異な感じがする。