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 明治の文学第25巻 永井荷風・谷崎潤一郎』(坪内祐三編集、筑摩書房)

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 目次裏に全巻編集坪内祐三、本巻編集・解説久世光彦、編集担当松田哲夫とあるのは、作家を選んだのが坪内で、本巻の作品を選んだのが久世、実際の編集業務をしたのが松田という意味だろうか。新字旧かな。ただし《明治時代は表記法が一定ではなかったので、歴史的かなづかいによる表記の統一などは行わない。》とのこと。「地獄の花」には「頬」という字が3ヶ所出てきてすべてに「ほう」とルビが振ってある。「ほほ」の音便なら「ほお」のはず。まあ、編集者が付けたルビかもしれないし、いきさつはわからない。

 これを読んだかぎりでは荷風のほうが好きだ。谷崎はグッチョングッチョンなんだもの。中学生のころ円本の口絵で40代の二人を見た久世光彦は《二人とも私には、さほど教養的には見えなかった。一人は痩せっぽちのノッポで、いま一人は好色そうなデブだった。》生きていたら書けない。

〇永井荷風

 「地獄の花」明治35年23歳の作品

 明治という新時代に若い女性はいかに生くべきかがテーマのようだ。舞台は隅田川近辺。主人公園子(20代半ば、女学校教師)は、アルバイトで富豪黒淵家の障害児秀男の家庭教師になる。黒淵家は世間から白い目で見られている。というのも、妻の縞子はむかし西洋人宣教師の妾で、宣教師の死後莫大な遺産を受け継ぎ、出入りの通訳黒淵と結婚したため。娘の富子は向島の豪邸で世をすねている。女学校校長の水沢は園子の体を狙っている。園子を黒淵に紹介した笹村はクリスチャンの文学青年だがやはり園子の体を狙っている。園子の養母利根子は習字指南、出世と金銭のため貴族女学校の教師の座を狙っている。タイトルは、地獄のような環境に一輪白く咲く花、それが園子という意味だろうが、現代では大袈裟すぎて付けられない。

 現代人と明治人の意識のズレが興味深い。《兎に角に、人の妾と結婚する其れは明かに罪である。然し社会は何時もこの様に公平に罪ある者を罰するものであらうか。かの遊里に横行して未だ情も知らない少女が肉を弄ぶ一国の宰相、かの幾度か婦女を辱めて平然たる政治家、忌しき収賄の罪を瞞着して耻ざる教育家、社会は此等の人物をも猶且つ寛大に見逃してその地位と信用とを奪はずに居るではないか。黒淵家の財産は云ふまでもなく、卑しむべきものではある。》妾だった女性と結婚し旦那の財産を受け継ぐことを、罪とし卑しむべき行為と考えているのがおもしろい。今でも陰口はきくだろうが、村八分にすることはなかろう。

 50前後の縞子にしてみれば、器量のいい園子が教師なんかしているのが不思議でならない。望むような結婚もできない婦人、さもなくば何か余儀ない事情からそういう境遇にいたされた看護婦と同じようなものととらえている。ほかの作品でも看護婦といえばよほど結婚できない特別な事情のある女性として描かれているのが意外。

 かと思えば、時代が変わっても庶民が大金持ちの生活に興味をそそられることに変わりはない。今われわれがテレビを見て「どうして成金ていうとこんなロココ調の家具を置きたがるんだろうね」といって笑うように、明治時代の読者は、珈琲(カフェー)をすすったり、《暖炉棚(チムニーピース)の上に飾られた置時計》が9時の音を打ち出したりするのを、「へええ、さうなんだ」と楽しんだのだろう。

 くらやみ、これが今昔の最大の相違点かもしれない。向島の富子の家で笹村と出会った園子は、ふたりで帰途につく。《言問近くまで歩いて来ると、葉桜の深い茂りは星の光を遮つて、二人が行く手の道を全く闇の中に包んだ。折々堤の下の家から漏れてくる火影が、何となしに気まり悪るさうな園子の姿と、犇と並んで行く笹村の姿を照らすこともあつたが、長命寺の前を過ぎるころからは、その火影さへ無くなつた。》このような漆黒の闇を若い男女が並んでいけば何か起きるんだろうなと読者は期待せざるを得ない。「さ快くキツスして下さい」と笹村が迫るのを読んで明治の女性読者は頬をあからめたのだろうか。キャ、こんないやらしい小説を読んでいるときにお母様が入ってきたらどうしよう!《園子は先づ男の胸に挿した百合の花の香しく柔かなる花弁が、軽く自分の頤に触れたのを覚えた刹那、もう其の後は殆ど何事も弁へなかつたのである。》キス1回であっというまに結婚の決意を固め、養母や校長の了解をとりつける算段を考えている。こんなに舞い上がっちゃあ何か悪いことが起こるなと読者に思わせる書きぶりではある。

 夏休みが来て黒淵家の小田原の別荘に同道することを求められる。さあここからえらいこっちゃ。近所の旅館南陽館に水沢校長と笹村が泊まっている。縞子は笹村が小田原に来ていながら自分に教えないことを知ってどういうわけか激怒。園子がそのことを笹村に知らせに行くと、泊まっていけ泊まっていけ、夜遅く恋人と相対してしかも宿泊しないといふことが、どれだけ価値ある行いであるだらうかうんぬんと執拗にくいさがるし(この文句はいまでも使えそう。ン? いまはくいさがる必要もないか)、校長は校長で園子を酔わせて結婚を迫るしもうたいへん。

 笹村と園子の恋に気づいた縞子は、笹村が別荘にやってくると、お茶をもってこいだの下駄をもってこいだのと急に園子を女中扱い。口には出さねど《自分は苟も人の師たる身分である、夫人の身は何である! 其の以前は人の妾………外国人の肉欲の玩弄物では無かつたか!》これまた一気に差別意識むきだし。縞子と笹村の仲をさとる。

 縞子は笹村とともに東京へ帰り、小石川のお屋敷でよろしくやる。たまたま向島の富子が新聞でたたかれているのを知った黒淵は小石川へ帰り(鏡花の「貧民倶楽部」でもそうだったが、明治時代の新聞はいまの三流週刊誌以下のいいかげんなものとして描かれている)、妻と笹村が庭で戯れているのを目撃する。

 話は小田原の園子に戻る。水沢校長に呼ばれて南陽館へ。再度の求婚を断ったその帰り道、水沢に強姦される。《雨を含んだ深い雲は長へなる暗黒の中に太空を葬り、かなり強く吹き出した重い風さへ今は充分の湿気を帯びて居た。》で始まる強姦場面は、吹きすさぶ暗黒の嵐と稲光の演出で出色。《この破られ易き操の破れた婦人は最う表立つて世に出る資格の大部分を失つて了ふのである。(中略)婦人が肉体の汚れは、決して其の心の如何によつては清めつぐなはれは為ぬのである。一度肉体の罪を犯した婦人は永久に其の心の懺悔も無功に帰する。》荷風自身がそう考えていたのかどうかは分からないが、これが当時の常識だったのだろう。

 黒淵は妻を殺し自殺、園子に障害児秀男の面倒を見てくれと巨額の財産を遺贈する。笹村は居留守をつかって姿を現さない。養母利根子はスキャンダルのせいで就職がフイになったと怒るが、相続の話をすると黙ってしまう。園子も一時は女中を怒鳴りちらすかと思えば沈みこむという異常な精神状態になる。

 9月の始業式前に水沢が訪ねてくる。憤怒と恥ずかしさをどうやって乗り越え、泰然として向かい合うか。目は落ちくぼみ頬はこけている。この窮地にあって園子はじつに女らしい対処をする。白絽(シロロ)の喪服を着るのだ。これで《悲痛極り無き青ざめ果てた其の容貌と、痩せ聳えた骨格は、極めて能く白絽の喪服に調和して、何う見ても、何か恐しい哭ひを試みる女神を仰ぐが如く、云ふに云はれない神々しい中に、又戦慄する様な冷たい物凄さを現はした。》女の武器をフルに使った賢い解決策。

 《已に破られた其の肉体の操は最早や保つの要なく貞操と徳行とを看板に世渡りする地位からは、其の身を逃れ得た。》この自由な境涯にあって美しい徳を修めてこそ、初めて価値があるのだとさとる園子の頭上には、水晶の様な空よりして、美々しく又愛らしく輝き初めた望みの星! と大団円は謳いあげられる。肉体の操は破られてしまったが、もうこうなったらしかたない、この状況のなかで美しい徳を修めてこそ真の価値があるのだと、女性に味方すると同時に新しい価値観を提唱しているのだろう。身近にひどい目にあった女性がいてそのひとに向けて書いたものかもしれない。

 「すみだ川」明治42年30歳の作品

 タイトルどおり、隅田川の近くを舞台にしたラブストーリー。蘿月(ラゲツ)は質屋の息子だったが道楽が過ぎて勘当され、今は俳諧師。妹のお豊は常磐津の師匠。《其の頃は自分も矢張若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とうとう実家を七生まで勘当されてしまつたが、今になつては其の頃の事はどうしても事実ではなくて夢としか思はれない。算盤で乃公の頭をなぐつた親爺にしろ、泣いて意見をした白鼠の番頭にしろ、暖簾を分けて貰つたお豊の亭主にしろ、さう云ふ人達は怒つたり笑つたり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽きずによく働いてゐたものだが、一人々々皆死んでしまつた今日となつて見れば、あの人達はこの世の中に生れて来ても来なくてもつまる処は同じやうなものだつた。まだしも自分とお豊の生きてゐる間は、あの人達は両人の記憶の中に残されてゐるものゝ、やがて自分達も死んでしまへばいよいよ何も彼も煙になつて跡方もなく消え失せてしまふのだ………。》しみじみ同感。それがいのちというものだ。

 お豊は、商人はいつ失敗するか分からないという経験から一人息子の長吉をなんとしても大学へ入れて立派な月給とりにせねばと思っている。長吉(18)は幼なじみのお糸(16)がちかく葭町の芸者になると聞いて勉強が手に付かない。《お糸がいよいよ芸者になつてしまへば此れまでのやうに毎日逢ふことができなくなるのみならず、それが万事の終りであるらしく思はれてならない。自分の知らない如何にも遠い国へと再び帰ることなく去つてしまふやうな気がしてならないのだ。》それなのにお糸はけろっとしている。「なぜ芸者なんぞになるんだ。」「又そんなこと聞くの。をかしいよ。長さんは。」

 身近な女の子が芸者になって去っていくという話だが、芸者になるということが何を意味するのか、まあたぶんナニなんだろうなとは思うのだが、あんまり平然としているから文字どおり歌舞音曲などの芸をなりわいにする者なのかな、と悩んでいたら、並行して読んでいた山本夏彦の『世は〆切』(文春文庫)の一篇「男女の仲」にこんな一節。《故人桶谷繁雄(明治43年生)は浅草の花柳界のまんなかに生れ、小学校切っての秀才で級長をつとめた。副級長はきかぬ気の女の子で、大きくなったらあたい芸者になるのといってはばからなかった。はたしてその通り半玉(雛妓)になったが、のちに道で足をひきずっているのを見た、客から悪い病気をうつされたのだなとよそ目にも分った。》これで納得。当たり前のことはわざわざ書かないから後世の読者には当たり前のことが分からない。(なお文春文庫は要らぬものにルビを振りながら雛妓にルビを振ってない。『明治の文学』には「おしやく」とある。お酌だろうと見当が付く。)

 役者になるといいだした長吉に手を焼いたお豊は、蘿月に説得をたのむ。蘿月に当分辛抱せよと説教された長吉は、人間は年を取ると、若い時分に経験した若い者しか知らない煩悶をけろりと忘れてしまって、《次の時代に生れてくる若いものゝ身の上を極めて無頓着に訓戒批評する事のできる便利な性質を持つてゐるものだ、年を取つたものと若いものゝ間には到底一致されない懸隔のある事をつくづく感じた。》この一節が大事。大団円への伏線になっている。

 長吉は自殺に近い急病で入院してしまう。留守宅へ赴いた蘿月は、長吉のお糸に対する恋心をつづったメモを発見、もう全快しないかもしれないという不安に襲われ、どうしてあのような心にもないお説教をしたのかと後悔する。《蘿月はもう一度思ふともなく、女に迷つて親の家を追出された若い時分のことを回想した。そして自分はどうしても長吉の味方にならねばならぬ。長吉を役者にしてお糸と添はしてやらねば、親代々の家を潰してこれまでに浮き世の苦労をしたかひがない。通人を以て自認する松風庵蘿月宗匠の名に愧ると思つた。》いいなあ、ほっとする。こういうおじさんになりたい。

 《さう云ふ人達は怒つたり笑つたり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽きずによく働いてゐたものだが、一人々々皆死んでしまつた今日となつて見れば、あの人達はこの世の中に生れて来ても来なくてもつまる処は同じやうなものだつた。》という人生観も、蘿月の結論の伏線になっているのだろう。荷風の作品は伏線だらけといっていいほど周到に組み立てられている。

 
〇谷崎潤一郎

 谷崎はグッチョングッチョンの場面を描きたいのであって、ストーリーはその場面を盛り上げるための道具に過ぎない。

 「刺青」しせい。明治43年24歳の作品

 江戸時代、深川の彫り物名人清吉はある日駕籠のすだれのかげからのぞいた足に魅了され、1年後に出逢った芸者の卵がその足の持ち主だと見抜く。淫楽残忍を極めた毒婦末喜が死刑になる男たちを眺めて喜んでいる図を見せて興奮させ、その日のうちにオランダ医者からもらった麻酔剤で眠らせて背中一面にジョロウグモの刺青をしてしまう。

 「麒麟」明治43年24歳の作品

 弟子を引き連れた孔子の一行が、衛の国にさしかかると、霊公に教えを請われて逗留することになる。夫人の南子(ナンシ)は色気ばかりの邪悪な女でなんとか孔子を籠絡しようとするのだが、孔子は引っかからない。グッチョン場面は少ない。漢籍の教養を見せびらかし、おれはほんとうはこういう大文学だって書こうと思えば書けるんだから、この先どんなグッチョン小説を書いても文句言わないようにと凄んでいるようにも思える。

 「少年」明治44年25歳の作品

 「私」が20年ばかり前の小学生時代、同級の金持ちの坊っちゃん信一の家に招かれひどい目にあって嬉しかったという話。信一は学校ではいじめられっ子だが、家ではわがままいっぱいにふるまい、ガキ大将の仙吉を従えて妾腹の姉光子をいじめている。光子は殺人場面を描いた絵の愛好者で、秘密の西洋館でピアノを弾いている。

 泥棒ごっこ、狼ごっこ……残忍で激しい遊びを楽しむ。《潤ひのある唇や滑かな舌の端が、ぺろぺろと擽るやうに舐めて行く奇怪な感覚は恐ろしいと云ふ念を打ち消して魅するやうに私の心を征服して行き、果ては愉快を感ずるやうになつた。忽ち私の顔は左の小鬢から右の頬にかけて激しく踏み躙られ、その下になつた鼻と唇は草履の裏の泥と摩擦したが、私は其れをも愉快に感じて、いつの間にか心も体も全く信一の傀儡となるのを喜ぶやうになつてしまつた。》《「人間の足は塩辛い酸つぱい味がするものだ。綺麗な人は、足の指の爪の恰好まで綺麗に出来て居る」/こんなことを考へながら私は一生懸命五本の指の股をしやぶつた。》頬には「ほゝ」というルビが付いているから、やはり定まっていなかったのだろう。

 3人で光子をいじめ、西洋館を見せろと迫ると、昼間だと見つかるから晩に来てくれということになる。くらやみのなかで暖炉棚(マントルピース)の上の時計が鳴ったり(よほどはやったんだな)、青大将の置物が動いたり、恐ろしい雰囲気のうちに光子の復讐が始まる。《見ると燭台だと思つたのは、仙吉が手足を縛られて両肌を脱ぎ、額へ蝋燭を載せて仰向いて坐つてゐるのである。顔と云はず頭と云はず、鳥の糞のやうに溶け出した蝋の流れは、両眼を縫ひ、唇を塞いで頤の先からぽたぽたと膝の上に落ち、七部通り燃え尽した蝋燭の火に今や睫毛が焦げさうになつて居ても、婆羅門の行者の如く胡坐をかいて拳を後手に括られたまゝ、大人しく端然と控えて居る。》こういう場面が書きたくて小説を書いているのだ。

 ここに描かれたようなことはもちろん当時の読者にとっても絵空事だろうが、すくなくともテレビもゲームも学習塾もなかったころの子供は、バーチャルな遊びでなくライブの遊びに熱中し、濃密な時間を過ごしたのだろうということは容易に想像できる。そう考えると健全な世界に見えてくる。いまの小学生はみんなで公園に集まりながら、それぞれが持参したゲームボーイで遊んでいる。明らかに異常。

 「悪魔」大正2年27歳の作品

 これはくだらないけどおもしろい。静岡から新橋まで汽車に乗るだけで息も絶え絶えになり、何度も途中下車しなければならないような神経の持ち主佐伯(サヘギ)が主人公。六高にいたころは岡山の芸者相手に自堕落な生活をおくってきたが、大学にはいるため上京、本郷の叔母のうちの2階に下宿する。50近い叔母には照子という24の娘がいる。《蒸し暑い部屋の暗がりに、厚みのある高い鼻や、蛞蝓のやうに潤んだ唇や、豊かな輪廓の顔と髪とが、まざまざと漂つて、病的な佐伯の官能を興奮させた。》

 もうひとりの下宿人鈴木は私立大学生。叔父が生前、立派なものになれば照子の婿にしてやるとほのめかしたものだから、照子に惚れているが、頭は悪い。照子がしばしば佐伯の部屋を訪れるので嫉妬し、ある夜部屋にあがってきて照子との仲を疑う。《佐伯は話をして居るうちに、だんだん癪に触つて来て、何だか馬鹿が此方へも乗り移りさうな気分になつた。大声で怒鳴りつけてくれようかと思ふ程、胸先がムカムカしたが、ぢつと堪へて居る。其れに相手が愚鈍な脳髄を遺憾なく発揮するのを多少痛快にも感じて居る。》愚鈍な脳髄を遺憾なく発揮するという意地悪ないいまわしが小気味よい。佐伯は叔母が鈴木に惨殺される情景を妄想するのだが、その描写は筒井康隆を連想させるようなむちゃくちゃぶり。

 風邪を引いた照子があがってきて、鼻をかんだハンカチを忘れていく。さあここからが谷崎の書きたかった場面。《四つに畳まれた手巾(ハンカチ)は、どす黒い板のやうに濡れて癒着いて、中を開けると、鼻感冒に特有な臭気が発散した。水洟が滲み透して、くちやくちやになつた冷たい布を、彼は両手の間に挿んでぬるぬると擦つて見たり、ぴしやりと頬ぺたへ叩き付けたりして居たが、しまひに顰めッ面をして、犬のやうにぺろぺろと舐め始めた。(中略)人間の歓楽世界の裏面に、こんな秘密な、奇妙な楽園が潜んで居るんだ。》

 こら潤一郎、しょうがねえなあおまえはこんなもんばっかり書いて。