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 『世は〆切』(山本夏彦、文春文庫)

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 《口語文ならかゆいところへ手が届くと思ったのが運のつきだったのである。言葉は電光のように通じるもので、説いて委曲をつくせるものではない。言葉は少し不自由なほうがいい。過ぎたるは及ばないのである。/何より口語文には文語文にある「美」がない。したがって詩の言葉にならない。文語には千年以上の歴史がある。背後に和漢の古典がある。百年や二百年では口語は詩の言葉にはならない。たぶん永遠にならないだろう。》荷風散人や谷崎がいまだに読まれるのは、口語のふりをして文語だからである、とつづく。今これと平行して筑摩の「明治の文学」を読んでいるが、荷風と谷崎で1巻をなしている。

 《これまで広告する必要のなかった企業は広告に弱い。片カナに弱い。そこへ空前の手不足である。会社名が知られなければ学生は集まりませんぞとおどかせば広告する気になる。税金は何ものも生まないが、広告は生むと言えば、たまたま好況が続いていたから全員広告するようになった。税制は広告を助けたのである。/いま不況でこれらは総退場した。》まったく仰せのとおりだ。日本水産もおれが担当者になったころ突如電通を使って「SEAFOOD NOW ニッスイ」なんていうキャンペーンを始めた。シーフードガールだったかなあ、水着の女の子のポスターをガンガン貼りだした。そのとき売上げは増えないがいい学生が集まるようになったといっていたから、電通は同じ口吻を使ったのだろう。

 《私は曙覧の歌ならいくつか知っている。ことし四つになった娘がようよう物語などして頼もしいものに思いしを、二月十二日より疱瘡をわずらい二十一日なくなったのを嘆いて、ということば書きのある歌は忘れがたい。/きのうまでわが衣手(コロモデ)にとりすがり 父よ父よと言いてしものを》『独楽吟』読まずばなるまいと思っていま紀伊国屋の bookweb で検索したら入手できるのは1点、『たのしみは日常のなかにあり――『独楽吟』にまなぶ心の技法――』(東洋経済新報社)のみ。なんだかよけいなことまで読まされそうな気配。経済ネタとからませてるんじゃないだろうな。(追記。後日同書を入手。『独楽吟』は「たのしみは」ではじまる歌ばかりを集めた歌集で、上記の歌はなかった。明治書院の『完本橘曙覧歌集評釈』なら載っているだろうが。)

 「小説の時代去る」という一文は、映画の話から始まる。《やがてその映画の時代も終った。テレビに追われたのである。目はしのきく役者は早く映画を見限ってテレビに鞍がえした。まだ居残っているものをときどき美談のようにいうものがあるが、あれはどこにも行けないものが残っているだけである。》と毒舌を吐き、《映画に見物がなくなるとどうなるか、アバンギャルドになる。映画が全盛の時代は分らない映画はなかった。つまってもつまらなくても物語が分らないというものは絶無だった。映画の見物が激減して、映画に全盛時代があったことさえ知らない少数の客ばかりなら遠慮はいらない、その人たちにだけ分る写真を作ることが許されるようになった。》《もしテレビに見物がなくなったら、テレビにも難解が許されるようになるだろう。》これは結論に至るまでの伏線なのだ。結論は《稗史小説はもと女子供のものである。難解なものであってはならないのに、それが分らないものになったのは映画と同じく読者を失ったからである。純文学雑誌には読者がない。自分の読者だと思われるせいぜい二百人か三百人の同業者または同業者志願を相手に書いて許される唯一の場になった。映画の時代も小説の時代も終ったのである。》わずか5ページの短文だが、得るところが多い。

 《マスコミは多いほうに迎合して怒ったふりをする。ロッキード、リクルート、そして佐川事件をテレビのキャスターは連日冷嘲熱罵する。自分は正義と潔白のかたまりで、政治家は人間の屑だと言いたげである。その椅子に座れば必ず自分もすることを、座らなかったばっかりに居丈高になるのを見て、国民は同じく居丈高になる喜びを喜ぶのである。》山本はこれを何度も何度もくりかえし書いている。くりかえす価値のあることばだ。

 《戦前の図書館は上野が唯一絶対だった。当時は本と雑誌は発行のつど内務省に二部納本する義務があって、これをしないと罰しられた。社会主義とエログロの両方を取締るためで、すこしでも忌諱にふれると容赦なく発禁(発売禁止)処分にされたから版元は納本して発売許可になるまでの二、三日は緊張していた。》いまは国会図書館に納本することになっているが、検閲の名残だとは知らなかった。自費出版物の製作業者がお客に「国会図書館に2部納本させていただきます」というのはよろこばせるため。

 《おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。その頃になってあわてだすのが人間の常である。あわてて働いている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れている。かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。その間をノラクラ遊んでくらす者もある。そんな事をしているうちに子供が出来る。子供が出来ると、少しは真面目にはたらくようになる。こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。又、その子供が同じ事をする。こうして人の一生は終ってしまうのである。》いつもの夏彦節だが、小学校4年生のとき書いた「人の一生」という作文だと、関川夏央の解説「十二歳から老人歴七十年」にある。小学4年生のときの作文を取っておくものだろうか。取っておいたのだとしたらどういうつもりだったのか。この作文が己の一生を象徴するものになるにちがいないと悟って保管しておいたのだろうか。夏彦の祖父は明治42年300万円(現在の200億円)遺した。父露葉をはじめとする一族はそれをわずか30年で費消し尽くした。夏彦が15歳でパリへ渡ったというのはこの金があったからだ。17歳で自殺を試みている。

 

 『父の文章教室』(花村萬月、集英社新書)

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 集英社の若者向けPR雑誌「青春と読書」連載。小学1年から4年にかけて父親から受けた身勝手で破天荒な英才教育の思い出。萬月は父48歳のときの子。小説家志望の父親はまったく働かない。上野のドヤ街で母が妹を産気づいたときも、無一文の母を残して父は逃げてしまう。萬月親子3人を母子寮に入れたままほったらかしにしていたのを、萬月の入学を期に帰ってきて、小学1年生に旧字旧仮名の岩波文庫を読ませる。

 《ただ、学校に行かなくてもよいという父からの御墨付きをいただいた私は、それ以降、まったくまともに授業を受けないようになってしまいました。一応は登校するのですが、教室にランドセルを投げ棄てると、悪友を見繕って、連れだって学校から出ていってしまう。正々堂々と校門から出ていってしまう。諏訪神社や多摩川が私の庭でした。河原の梨畑から梨を盗み、ザリガニ釣りに励み、神社の賽銭を盗み……。担任の教師は諦めてしまい、せめて他の子を誘わないでくれと我が家にいつも文句を言いにきていました。それでもテストをすれば、私はいつも一番の成績でした。》最後のひと言が眼目。青少年読者を念頭に置いているせいか、高圧的な文章が散見される。《知識はひけらかすものではないということも、いうまでもありません。博識であって、知らんふりできるというのはじつに恰好いいし、素敵であります。でも、ほら、そこの頭の良い中学生じみたあなたは、自分の知っているあれこれを隠しておくことができません。》

 小説家になるまで満足な辞書を持つこともなく、蔵書も至って少ない。小さいころから難読漢字を類推と想像力で読んできたせいもあって、辞典なしで《その言葉の背後の詩情までをも掴み取る能力さえ獲得した。私は期せずして自分で言語をつくっていたようなものなのです。/一例を挙げれば、静という漢字です。分解すると青と争ですが『青い争い』と声にだして呟いてごらんなさい。貴方がある程度以上の感受性と知性をもっているならば、とたんに詩情に包みこまれて陶然としてしまうことでしょう。なにも感情に変化の起きなかった方は残念ながら詩人の資質はありませんね。私は小学生の時分に『静か……青い争い』と呟いてうっとりしていたのです。厳密な字義など私にとってはどうでもいいともいえる。詩が宿っている文字こそが、私にとってすべてであり、》うんぬんと感性のたいせつさを強調する。青い争いと聞いて、おれは陶然とはしないまでも詩情は感じた。しかしすぐホンマカイナと思った。『字通』(白川静)で調べたら、静は「耜(すき)を清めて虫害を祓う儀礼」とある。萬月も不安になったのか「厳密な字義など私にとってはどうでもいいともいえる」と但し書きを付けているが、いいのかそんなんで。詩が宿っているのではなくて幼い頭が誤解して思いこんだだけではないか。まあそれでいい作品が書ければ結果オーライだけど。

 「男は人前で歌などうたってはならない」と厳命されたため、音楽の試験でもうたうことができず、教師を激怒させる。父に命令の理由は教えてもらえなかったようだが、推測するに「男は3年に片頬」という美意識に類するものではないか。おれはいまだってはずかしい。日本人が人前でうたうようになったのは、カラオケ以後のことだ。むかしは酔っぱらっていてさえうたえず、流しにリクエストしてうたわせたものだ。

 4年生のとき父親が死に、一気に解放され、それからは年上の不良少年たちと喧嘩、万引き、薬、不純異性交遊にあけくれ、6年生のときに児童福祉施設に入れられる。この施設のことは、暴力慣れした著者にしていまだノンフィクションのかたちでは書けないほど、陰惨な暴力に満ちていたようだ。なにもかもあけすけに語る筋ジスのシカノが、少年のころ入った児童養護施設のことを語れないのに似ている(『こんな夜更けにバナナかよ』)。養護といい福祉といい、美しい名前が付いているわりにひどいところのようだ。用心しなければ。なにがあったのか明言を避けているが、あとのほうで少しヒントを出している。《私の根底にあるのは、おそらくは一般家庭以上に身近にあったキリスト教的価値観であることは否めないと思います。だが、施設内で神父や修道士のあまりの堕落ぶりを目の当たりにしていることもあり、カトリック作家として小説を書く気になど毛頭なれません。/施設は神父という名のペドフィリアの巣でした。血と大便と精液――あまりにおぞましいことばかりなので、これ以上はあえて沈黙しますが、私はカトリシズム自体を許しません。すべての権威は堕落するのです。それは宗教であっても例外ではありません。》ペドフィリアは小児性愛。血と大便と精液、ここまでいわれれば分かりすぎるほど分かる。

 《頑張ればなんとかなるなどと云うことを信じているような者は敗者です。(中略)嫌みなことを書きましたが、教育とは善であると信じ込んでいる民主主義が大好きな良識ある人々の目を醒まさせるためには、過激な極論が必要です。教育とは人間らしい生活云々といった能書きが附帯してしまうようなところがあって一も二もなくよいことであるとされてしまいますが、その真実は個を大勢(タイセイ)の都合のよいようにねじ曲げるということに尽きるのです。》苛烈な強制を体験した萬月は、教育に強制のにおいを嗅ぎとってひどく嫌う。かと思うとすぐ次に《ですから強制的な読書で文章が書けるようになるのかと問われれば、私の場合はそうだ、と答えましょう。脳も躯の一部であるがゆえに、筋肉と同様に負荷を与えなければ痩せ細っていくのではないか。そんな屁理屈を胸に、私はいまでも読んで理解のできない書物を好んでひらくのです。》と、相矛盾するようなことをいう。

 巻末に付された「ラン斑(ランハン:ランは文に闌)」という、父の臨終を描いた小説がすさまじい。幸田文が露伴の臨終を描いた作品も酸鼻を極めたが、あの手のものを集めてアンソロジーにしたらおもしろいのではないだろうか。おれは読みたくないけど、きっとマニアがいるにちがいない。