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 『世界を変えるお金の使い方』(山本良一責任編集、ダイヤモンド社)

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 「ネットオークションで簡単金儲け」だの、「サラリーマン100の金儲け」だの、「100億稼ぐ思考法」だの、いかに労せずに金を儲けるかという本ばかりの世の中。自らの利益を最大化することしか念頭にない者たちのせいで世界は環境破局と社会崩壊の危機に直面していると嘆くひとびとの書いた、清く正しく美しい本。《環境の保全と社会の中の様々な問題の解決のためにお金をどのように使えばよいかを示すことが目的です。百円から数千円というわずかなお金からでもできる社会貢献を紹介しています。》

 かつてアダム・スミスは「私利私欲の追求が神の"見えざる手"に導かれて公共善をもたらす」といい、マックス・ウェーバーは「鉄の意志で金儲けをつづけることが最高に道徳的な生きかたなのだ」と説いた。それならなぜ深刻な環境問題や社会問題が起きるのか。

 市場は完全なものではない。なんとなればそこには未来の世代や人類以外の生物が参加することはできないからだという。未来の世代が参加できないといえば、政策決定などはその最たるもので、年金制度も制定当時の年寄りにはよかったが、結局まだ生まれてない世代が借金を負担することになったわけだ。《生態系が人類に提供するサービスについての費用は市場に内部化されていないのです。》生態系の果たす大気汚染物質の除去、魚介類の生産などその他もろもろの経済的価値を評価すると、その額は毎年世界のGDPに匹敵する。それを人間は無料で勝手に使っている。諫早湾だったか干潟の埋めたてに対してムツゴロウが原告になって訴訟を起こしたことがあった。シャレかと思っていたが、こういう思想的背景があったのだなあ。ムツゴロウに裁判を起こす権利はないといって裁判所には門前払いを食らってしまったようだが。

 
〇歴史形成に参加するための50の方法

 ならば市場の失敗を補正しなければならない。そのためにはまず政府が環境汚染物質に課税したりリサイクル法を制定するなど社会制度を変更する必要がある。だが政府もまた万能ではない。市民は環境配慮購入(グリーン購入)、倫理的購入(フェアトレード)をおこなうほかに環境保全や社会的問題の解決のために活動しているNPO / NGOや地方自治体に寄付するべきだと山本はいう。《すなわち、製品・サービスの購入の正にその瞬間こそが、大げさに言えばあなたが世界を変える"その時"なのです。あなたは購入、投資、寄付行為において合理的な選択をすることによって歴史形成への主体的参加をすることが可能なのです。》と字を太くして強調する。

 100円でできること、1000円でできることと額を上げながら50の事例が紹介されている。アクションの入り口として活動主体の連絡先が載っているのだが、本文には住所や電話番号ではなくHPアドレスだけ。そういう時代になったのだ。

 100円でこれほど有意義なことができると聞けば、話に乗ってみようという気にもなる。死亡率が高く、手足に重い後遺症を残すポリオからミャンマーの子ども5人を守ることができる。1人分20円(世界の子どもにワクチンを日本委員会)。中国内モンゴル自治区のホルチン砂漠に植えるポプラの苗木10本が買える。1本10円(緑化ネットワーク)。植林前と植林後の写真がならんでいるのを見れば、おお1年でこんなに効果があるのかと心を動かされる。アフガニスタンの子ども5人に教科書を提供できる。1冊20円(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン)。ホンジュラスのひと10人にHIV予防のパンフレットが配れる。1冊10円(AMDA)。沖縄戦の記録フィルム1フィートをアメリカから買い取れる(子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会)。

 300円出せばカンボジアの地雷原1平方メートルをなくせる(人道目的の地雷除去支援の会)。

 太陽光発電を推進するグリーンファンドの年会費は3000円(自然エネルギー推進市民フォーラム)。

 1万円で釧路湿原周辺の森625平方メートルを保全できる(日本ナショナル・トラスト協会)。

 寄付ではないが250円でフェアトレード・チョコレートを購入したり(ピープル・ツリー)、300円で廃食油を利用した石鹸を購入したりするのも(せっけんの街)、社会貢献の一種だ。

 1万1000円でオーガニックコットン100%のパタゴニアのシャツを買うと1%が環境活動グループに寄付される(パタゴニア日本支社)。パタゴニアのシャツがほしくなる。

 自分の預貯金がダム建設や原発建設に使われていると聞けばおもしろくない。それならソーラーシステムや自然食品店を応援する未来バンク事業組合に預金したらどうかという。何のことだかよく分からないからあとでホームページを見てみよう。

 
〇だがしかしだがしかしとまよったあげく

 学者や活動家などいろんなひとの小論文が随所にはさまれている。たとえばフューチャー500理事長の木内孝が、ほんとうの豊かさを示すGPI(Genuine Progress Indicator) というものを紹介している。GDP(Gross Domestic Product 国内総生産) は、戦争・テロ・犯罪などのマイナス要因でもとにかくマーケットを通過するものはすべて勘定に入れてしまう。だからいくらGDP が大きくなっても豊かさと持続性の指標にはならない。一方GPIは《子育て・家事労働・奉仕活動に代表される、市場を通過せずに社会にプラスになる要因もGPI 計測の対象になっており、戦争・テロ・暴力をはじめとする社会にマイナスになる要因が対象外なので、私たちの願いに大きく近づいている指標です。/1955年から2000年までの日本のGDPとGPIを比較すると、何とGDPは8倍近く伸びていますが、GPIは60%の伸びに留まっていることが分かります。私たちが肌で感じる実感に近い数値だとお思いになりませんか。》

 だがしかし――。読んでいてどうも実感がわかない。ほんとうにおれの寄付で世界がよくなるのだろうか。正義感の強い生徒会長の演説を聴いているような危うさも感じる。確かに君のいうことは正しい、だけど世の中そんなにうまくいくだろうか。100円寄付すればワクチン5人分、あるいはポプラの苗木10本が買えるといっても、買えるだけであって接種や植林を実行するためにはもっとかかるだろう。それにホルチン砂漠の緑化は中国政府の責任ではないのかという疑問も頭をかすめる。自治区とは占領区の謂いだ。ODAだってたくさん渡してるんだから、日本政府への納税というかたちでもう寄付をしているのではないか。

 そんなためらいに追打ちをかけるように立教大学経済学部の女性助教授がマヌケなことを書いている。ブランド品は贅沢だと思われているがそんなことはない、50万円のケリーバッグを20年間だいじに使えば1年あたり2万5000円。2万5000円のバッグを20年間毎年買いつづけても額は同じだがエネルギーの消費量はケリーバッグ1個よりはるかに大きいというのだ。バカだねえ。2万5000円のを20年間使えばいいじゃないか。自分のぜいたくだけは死守しようとする。「世界を変えるお金の使い方」といってもしょせんお金持ちの自己満足に過ぎないのでは……。

 だがしかし――(だがしかしだがしかしと大いに惑う)。そんなふうにケチをつけるのは、じつは寄付をしたくないからなのではないか。否否、この本に目をとめて購入したということは、もう心はそちらのほうに向かっているということだ。閉めきった部屋で石油ストーブを焚きつづけているような現在の地球環境はなんとかしなくてはと悩みつづけている。おれももういい歳なんだから、あまりこまかいことはいわずに寄付をしてみよう。そうすれば相手先からレポートが送られてきてさらに理解も深まるだろう。

 さてどうするか。額としては年間2〜3万だろう。年金暮らしの重度障害者がそれ以上のことをしたら、分をわきまえぬ振舞いになるような気がする。その金をどうするかなあ、貯金の中から出していけば理論的にはいつか底をついてしまう、なんとかずーっと永続的に寄付をするには、と考えていて、いいアイデアが浮かんだ。この本にも紹介されているエコファンドに投資するのだ。環境問題に積極的にとりくむ企業何十社かの株を買って運用し、企業を応援するファンドだという。これに100万円も投資すれば年2〜3万の配当はあるだろう。それを寄付に回せば良心的企業を応援しつつ元本も減らさずに寄付しつづけることができる。ひとり財団だ。一石二鳥、あたまいい!

 だがしかし――。エコファンドのことを少し調べてみたら、数年前に1万円だったものが現在(2005年)では8千数百円の価値しかなく、とても分配金なんか出る状態ではない。ここはいったんおいといて、別の商品を探す。みずほ銀行に相談したら、ワールドソブリンなんとかというのを紹介された。社会貢献とはなんの関係もないが、100万出せば年3万ぐらい分配金が出るという。最初に手数料が1万5000円かかる上に「損をしても文句は言いません」という念書まで書かされたが、乗りかかった船、契約した。

 さあ3万たまったらどこに寄付しようかな。とりあえずパタゴニアの上等なシャツを買おうかな……といちばん自分に都合のいいことを考えたりして。この財団はスタートする前からもう腐敗のにおいがする。