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 『旧かなづかひで書く日本語』(萩野貞樹、幻冬舎新書)

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 前書きはいただけない。前書きは読者に読む気あるいは買う気を起こさせるものでなければならない。それなのに旧かなの利点を挙げて、ケータイでメールを送るときも「きょう会いましょう」より「けふ会ひませう」としたほうが字数が少なくてすむなどといっている。字数はたしかに節約できるが、「けふあひませう」と打って変換したら「毛負あ暇背雨」だの「毛不亜非ませ雨」だのになってしまう。すべてかなならともかく、「会」だけ漢字にするのも手間のかかることだ。本書は全篇旧かなだが、原稿は手書きにちがいない。

 後書きはすばらしい。世界各地で女性のことばづかいは男性のそれより美しいとされているが、それは何に由来するのかといえば、《女性は伝統的な言葉を使ふ。日本女性は男に比べて古来の日本語、やまとことばを多く使ふ》からだと指摘する。《女性は「両者間の見解の相違が顕著だわね」といふ具合には言はない。「ふたりは考へかたが大きく違ふわね」といふふうに言ふ。》男ほど漢語をつかわないのは、漢語が外国語であって、日本人にとっては新来の新語だから実感がこもらないからだという。輸入されてから1500年も経っているのに漢語はいまだに外国語なのだ。《自分らの言葉を母国語、母語とはよく言つたもので、女性、母親が伝統的な民族語を使つてくれるものだからわれわれはその民族になれるのだ、と言つてもいいでせう。》だからこそ伝統的な歴史的かなづかいをすべきなのだと、これを前書きにもってくれば、もっと読者の「食いつき」がよくなるだろうに。

●歴史の錬磨を経て合理的に

 旧かなはべつにむつかしいものではないと萩野はくりかえす。外国人は旧かなのほうがおぼえやすい。《どうしてこれが楽かといへば、歴史的かなづかいは長い歴史の試練錬磨を経て自然に成立してきたものですから、一切不自然なところがなく整然としてゐるからにほかなりません。》たとえば「言ふ」は、

 未然(いはナイ) 連用(いひマス) 終止(いふ) 連体(いふトキ) 仮定(いへバ) 命令(いへ)

のように五十音ハ行「はひふへほ」のうち「はひふへ」と四段使っているので「ハ行四段活用」という。ハ行からずれることはない。ところがこれを現代かなづかいであらわすと「わいうえ」となってきれいにそろわない。不合理だから憶えにくい。

 かなづかいはあくまでも「文字の論理」で整頓すべきものなのに、新かなは現代語音に従うことになっている。ところが、「そーゆーこと」と発音しているからといってそう書いたら誤りとされてしまう。発音に注意してもムダなのだ。「現代かなづかい」の表記法は、原理的に成り立たないと萩野は言う。

●新かなで深まった古人との断絶

 そもそも新かなは、昭和21年の内閣告示でも昭和61年の内閣告示でも、あくまでも現代語をかなで書くばあいや、現代文のうち口語体のものに適用するとされていた。「原文の仮名づかいによる必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。」とされていた。要するにもともと旧かなで書かれたものはいじってはならないということだ。

 「君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりてこけのむすまで」など決して現代かなづかいにしてはならないものなのに、してしまう。するとどういうことが起きるか。「いはほとなりて」なら「巌となりて」の意味だとわかるが、「いわおとなりて」では「岩音鳴りて」ともとれる。

 唱歌「故郷」は旧かなだと思わなければ意味が違ってくる。「如何にいます父母」の「います」は旧かななら「いらっしゃる」という敬語だとわかるが、「ゐます」を新かなに書き換えて「います」にしたものだと勘違いすると、「どうしています」と、敬意抜きの意味になる。原意が損なわれる。……そうだったのか。わたしも「います」は丁寧語だと思っていた。新かなを採用したことによる文化の断絶が起こって、もはや小学唱歌の意味すらわからなくなっているのだ。

 古語と現代語を区別することはできない、ふだんわれわれが何気なく使っている「たとえば」も「いわば」も古語だと萩野は指摘する。現代語で言うなら「たとえれば」「いえば」にしなければならないと。たしかに現代語に含まれる古語を挙げだしたらきりがない。明治維新によってやや変化したものの、日本語は古代から連綿と続いているのだから当然といえば当然だ。

●敗戦が招いた国語の混乱

 戦後、国語審議会委員として活躍した松坂忠則は、「新かな一辺倒では日本古典が読めなくなるではないか」という批判に対して、「これからの日本人は古典など読む必要は全くない、『源氏物語』を読もうなどというのは知識人の自己満足にすぎず、国民としては贅沢であり不要である」と論じたのだとか。その影響かどうか昭和22年には文部省まで「中学校の国語教育は、古典の教育から解放されなければならない」と学習指導要領で高らかに宣言した。GHQの圧力があったとはいえ、ずいぶんな暴論を吐いたものだ。いまや日本が世界に誇れる文化は『源氏物語』ぐらいしかないというのに。

 日本語ではイという発音になる文字が「い・ひ・ゐ」と3種もあり、これが学習上の大きな負担となって科学が遅れたために戦争にも負けたのだという議論が戦後おこなわれ、新かなが制定されたと萩野はいう。これはちょっと事情を要約しすぎているようだ。『国語審議会――迷走の60年――』(安田敏朗、講談社)にはそのへんの歴史が詳しく出ている。

 安田によれば、効率を優先する「現在派」と伝統を重視する「歴史派」とのあらそいは、明治時代からつづいている。文部相は明治時代から現在派であったようだ。戦時中は日本文学報国会に敗戦後は国語審議会に参加した舟橋聖一は、被占領民に教えるための簡単な日本語セットを作ってほしいという情報局の要請を、それをやると本家の日本語が易きに流れるといってしりぞけた(そのため舟橋は特高の刑事につきまとわれる)。「ところが、このときの対立が、戦争中から戦後へかけて、依然として、くすぶっていたのである。戦後、恰もその反動のように、国語・国字の単純化の主張が、鼓を鳴らして、まき起った。正直な話、戦争中、日本の司政官たちが、南方の原住民に対して行った賤民政策は、終戦後の日本では、逆にアメリカその他によって、こちらが愚民政策をやられる立場に変り、日本人自身が、やさしい日本語を強要されるという、ドンデン返しを舐めさせられることになったのである」と述べている(「国語問題と民族の将来」)。萩野にしても舟橋にしても、敗れた伝統派の発言には悔しさがにじみ出る。

   《春の小川はさらさら流る
   岸のすみれや蓮華の花に
   にほひめでたく色うつくしく
   咲けよさけよとささやくごとく》

 これを

   《春の小川は、さらさら行くよ。
   岸のすみれや、れんげの花に、
   すがたやさしく、色うつくしく、
   咲けよ咲けよと、ささやきながら。》

と改変してしまうことはたしかにむごたらしい。だが両者を見比べれば、単にかなづかいの問題ではないことに気づく。旧かなを廃止したことよりも文語文を廃止したことのほうが日本語にとってのダメージが大きかったようにわたしには思える。

●さはさりながら……

 「さう云ふ」の「さう」は、漢字をあてれば「然(サ)う」という字になる。然ほど寒くない、然は然りながら、然様などとつかう。現代かなづかい論者は「ソーならソウと書けばいいではないか」というが、《「さう」はもともと「さ」なのですから、語源を生かす、言ひ換へれば見た目の理解を容易にする、先人とつながる、歴史に連なる、といふ意味で「さ」を生かして「さう」の方がよろしい。》これが旧かなの思想だと著者は言う。

 これは大切な指摘だ。以前わたしは『ことばの由来』(堀井令以知、岩波新書)を取り上げたさい、「語源を想起させる表記法を」と主張した。たとえば「カタハラ痛い」は「そばで見ていてもいたたまれない」という意味なのに、なぜ「片腹痛い」と書くのか。いたたまれないと腹が痛くなるのか。そうではない。カタハラはもともと傍(カタハラ)だったのを発音が同じなので片腹と混同したのだという。それなら「傍ら痛い」になおすべきだろう。萩野の言うように旧かなにもどせば語源を生かし先人とつながることができる。何よりも言葉の意味を理解しやすい。さはさりながら……。

 萩野は旧かなで書くうえでのコツをいろいろ伝授してくれる。手取り足取り教えてくれる。たとえば「なになにするように」の「よー」はもともと「様」の字音だから「やう」であり、一方「つづけようと思ふ」など、意志や推量をあらわす「よう」は和語の助動詞だから「よう」であるとか、「しませう」は、助動詞「ます」の未然形「ませ」に推量の「う」がついたものだとか。あるいは「食ふ」は「て」につづけるとき「食ひて」としたくなるが(それは正しいのだが)、音便としては「食いて」であり、「思うてゐた」の「思うて」は「思ひて」の「ウ音便」なので、「思ふて」ではなく「思うて」にしなければならないとか。……読みながら次第にわたしは怖じ気づいてくる。

 さらにまた「ず」と「づ」の使い分けはむつかしく、鼠はネズミで、水はミヅなのだ。これは江戸時代のひとにとっても厄介なことで、さまざまな憶え歌が作られた。「なずらへてねずみすずめにもずすずき みみずのかずもズのかなぞかし」本書にはこういった歌がたくさん集められていて初学者にはたいへん勉強になる。しかしそれはとりもなおさず旧かなが著者の言うほど簡単ではないことを示しているのではないか。

 旧かなは難しい。あの芭蕉もよくまちがえているそうだ。歴史的かなづかいは、元禄時代の契沖の研究が基礎になっており、同時代の芭蕉はまだかなづかいの法則がよく分かってなかったからしかたがないと著者はいいたいようだが、ということはそれまでの作者もみんなまちがえているわけだし、あの俳聖芭蕉がまちがえるようなことを自分がおぼえられるわけがないと怯んでしまう。せっかくだけどわたしはご勘弁願いたい。

●当用漢字が招いた国語の混乱

 《終戦直後のいはゆる国語改革では「現代仮名遣い」と「当用漢字」が大きな柱になつてゐました。要するに国語劣化・貧困化のための二大政策です。》現代かなづかいを斬った萩野は、返す刀で当用漢字も斬る。

 面妖なのは「人名漢字」だ。それってどういう意味なのとわたしは長年思っていたが、本書を読んで謎が解けた。昭和21年に当用漢字表(1850字)が発表されたとき、子供の名前もその中から付けるしかなくなった。それでは窮屈だという国民の苦情にこたえ昭和26年に「人名用漢字別表」なるものを発表した。おかしいではないか。そんなものをつくるより当用漢字の字数を増やしたほうが簡単だ。おそらく文部省の意地がはたらいたのだろう。いったん発表した制限の方針を曲げるわけにはいかない。そこで「お目こぼしをしてやる」という態度に出たのだ。

 わたしは萩野とちがって、事務能率向上のためには漢字制限もやむを得ないという立場をとる者だが、しかし子供の名前ばかり制限しても意味はない。苗字のほうの漢字を制限しなければ、当用漢字・常用漢字の意味がない。轡田、草g、錣山はいうにおよばず、藤川、岡田のような表外字(常用漢字以外の漢字)をつかった苗字も禁止しなければ漢字を制限したことにならない。人名だけではない。地名に使える漢字も制限しなければ、真の漢字制限にはならない。日本地図を開いてみると読めない漢字がゾロゾロ出てくる。「揖斐川」の読み書きができるのは地元のひとだけだろう。結局、日本では漢字制限などおこなわれていないと見ていいのではないだろうか。

●新字体という愚挙

 「疊」という字は当用漢字に入るに際し「畳」に変えられた。「蟲」は「虫」に変えられた。《新字体制定の根本思想は、漢字を平易にまた能率的にしようといふことでした。といふことは、三つ重なつたものは一つにすれば平易かつ能率的になるといふ思想です。それならば「品」の字は「口」にした方がいいと思ひますが皆さんはいかがお思ひですか。「森」は「木」にすべきではないかと思ひます。「三」の字は「一」にする。さすればきつと漢字は平易かつ能率的になる……。》このあたりは筋は通っているものの少々ヤケクソ気味の意見に聞こえる。わたしは同趣旨の文を書いて雑誌「月刊言語」(大修館、1981年6月号)に投稿したことがあるので、気持ちはよくわかる。

 しかしつづく意見は、じつは深刻なものだ。《「突」の字は本来「■(穴冠に犬)」だつた。穴から犬がいきなり飛び出す様子を表してゐた。いまは穴から「大」が? どうも意味不明となつてゐます。この字はまた一点を減らせばやさしく能率的になるといふ国語改革の「思想」によるわけですが、それなら「犬」は一点減らして「大」にすべきだつたでせう。ついでに「太」も「大」に。》(原文すべて旧字体。なおわたしの使用している「一太郎」という日本語ワープロソフトには旧字体も入っているが、その範囲は恣意的なもので、「突」の旧字は出てこない。日本語のワープロソフトで売り出した(株)ジャストシステムにしてこれだから、新字体制定がいかに日本語を混乱させてきたか、そして今なお混乱させつづけているかがわかる)。

 「疊」や「蟲」ならはっきり異なるからまだいい。問題は1画異なるものだ。「歩」は1画ふやされ「塚」は1画へらされた。当用漢字に入ったからだ。しかし進捗の「捗」は当用漢字に入っておらず、ということは新字体など存在しないはずなのに、現にこのように存在し、しかも正しい字を打とうと思っても「一太郎」には入っていない。1画ふえた「歩」にならって表外字の書体まで変えてしまったのだ。

 《字を知つてゐるかどうかではなく、その字が「当用漢字」「常用漢字」に入つてゐるかどうかの記憶が強ひられるのは、常人のとても耐へられるところではありません。少なくとも私には全く無理です。/そもそも新字体といふのは、学習の負担を軽減するといふことが大きな狙ひだつたのですが、結果としては非常な負担増となつてゐます。/どうせなら皆さん、全部正字にもどさうではありませんか。私は怠け者ですから、実は学習負担の軽減は大歓迎なのです。皆さんだつてそのはずです。》

 漢字制限はかまわない。制限しなければ義務教育も困るだろう。だが字体を変えてはならない。元に戻せという萩野に賛成だ。字によっては画数が多くて書くのが面倒なものもあるが、しかしそれはむかしの話、いまはかな漢字変換の時代だ。ワープロソフトの文字種が正しければそれですむ。戦前だってタタミは「畳」と書いた。手紙だって原稿だって書き文字は略して書いた。ただ印刷屋の文選工はそれを見て正しい字を拾ってくれたのだ。おそらくたいした手間ではなかっただろう。ウソ字の活字なんかないのだから。