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 『ほんとうの環境問題』(池田清彦・養老孟司、新潮社)
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●養老は叫ぶ「みんな死んでしまえ」と

 温暖化で北極の氷が溶けると世界の海面が上昇するという話は、酒飲みならすぐにウソだと見破れるはずだ。数年前にその説を聞いたとき、科学オンチのわたしでもホンマカイナと思った。なぜならなみなみとついだオンザロックの氷が溶けても、けしてウィスキーがこぼれることはないからだ。しかし75歳で2度めのチョモランマ登頂に成功した三浦雄一郎が「以前あった大氷原が溶けてなくなっていた」と証言するように、地球温暖化で陸の氷が溶けているのはたしかで、それがどれほどの量かは知らないが、海に大量に流れ込めば海面は上昇するかもしれない。

 だが池田に言わせれば、たとえIPCCがいうように今後100年間に35センチ上昇したところで騒ぐようなことではない。なぜなら《もともと日本では冬と夏とで、海水面の高さの差は四〇センチもあるのだ。》寒ければ海水は収縮し、暑ければ膨張する。だいいち満潮と干潮では2メートルも水位の差がある。そんなことより地下水の汲上げで100年間に4メートルも地盤沈下した東京の下町のほうがよほど危ないのだ。

 もしツバルの水没が地球温暖化のせいだとしても(確たる証拠はないようだ)、先進国は莫大なカネを不確かなことに使うのではなく、国ごと引っ越しするための費用を出すなど直接ツバルを救う方途を考えるべきだろう。

 中生代白亜紀(約1億4500万〜6500万年前)には、炭酸ガスの量はいまの5倍から10倍ぐらいあり、地球の温度は現在に比べて平均6℃ほど高かったと考えられているが、それで大きな問題があったわけではない。《むしろ、白亜紀の自然のプロダクティビティ(生産力・生産性)は相当に高かったのだろうと考えられる。巨大な恐竜がいっぱいいたということは、相応のプロダクティビティの高さがあったということである。そして、それは炭酸ガスの濃度が高かったこととも関係している。炭酸ガスの濃度と気温が高ければ、光合成の速度は速くなる。現在よりも光合成の効率は高かっただろうし、つまりそれは植物の生産性が高かったということである。》と池田は述べる。

 と同時に植物の世界も進化して、顕花植物がたくさん出てきたのだそうだ。ということはそのころミツバチも増えだし、ますます地球は花盛りになったのだろう。「虫好きとしては、温暖化は大歓迎ということだな」と養老は笑う。

 気温が2℃上がるとホッキョクグマが絶滅すると心配する向きがある。ホッキョクグマは10万年前からいる動物だが、それならいまより2℃から4℃高かった4000年前にホッキョクグマはどうしていたんだと養老はまたしても笑う。「そのうち、氷河期が来るのも地球温暖化のせいだ、という話になるよ」世間の愚かさに絶望しているのかもしれない。温暖化問題を倫理問題としてとらえる者たちに腹を立て、「それなら息を止めて、みんな死んでしまえ」と叫ぶ。

●地球温暖化など瑣末な問題

 本書は憂国の養老、義憤の池田、ふたりの科学者による政治的緊急アピールだ。発行は2008年3月15日。その年の7月におこなわれる洞爺湖サミットで福田首相が環境問題を主な議題にするというのを聞いて、世界に向けてアホな約束をしないように警鐘を鳴らすという意図もあったようだ。

 われわれは環境問題といえばすぐ地球温暖化・二酸化炭素削減と反応するが、ふたりの意見はまったくちがう。環境問題とはつまるところエネルギーと食糧の問題である、食糧自給率39パーセントはなんとかなるかもしれないがエネルギー自給率4パーセントはどうにもならない、《未来のエネルギーを確保するためにどういう戦略が必要なのかこそが、日本の命運を左右する大問題なのだ。地球温暖化などという瑣末な問題にかまけているヒマはない。》《もしもエネルギー封鎖をされたらすぐに立ち行かなくなってしまう。日本の安全保障を考える上でも、日本国憲法を改正するかどうかなんて話は別にたいした問題ではなくて、まず、エネルギー政策こそが最重要課題のはずである。》(池田)地球温暖化問題や憲法改正問題を考える前にもっと喫緊の重要課題があるだろうというのだ。昭和16年のABCD包囲網による困窮が念頭にあるのかもしれない。

●石油消費が自然環境を守った

 先入観や常識を覆してくれる、刺激に満ちた本だ。石油が地球を救ったという。メソポタミア文明も古代中国も、木を伐ってエネルギー源にしていたから木がなくなって滅亡した。

 《人間は、一八世紀に石炭を使い始め、一九世紀の終わりか二〇世紀初頭頃から石油をエネルギーとして使い出したからこそ、これだけの木が残っているともいえる。(中略)その意味では、石炭と石油は人類を救った、という言い方ができるのかもしれない。最近ではむしろ石油は環境破壊の元凶としてとらえられることが多いけれども、それは短期的な見方であって、マクロな視点からは、石油が自然環境を守ったという面だってあるのである。》(池田)

 そんな古代文明の話を出されても砂漠化の理由は何だったかわかりゃしないさと思いかけたが、いまは鬱蒼とした森林の箱根や六甲山も、わずか50年前までははげ山だったと聞くと納得せざるを得ない。そういえば幕末広重描くところの「箱根」は峨々たるはげ山だ。

 養老もまた文明は一にも二にもエネルギーだと説く。《古代文明は木材文明で、産業革命時のイギリスは石炭文明ですね。そしてその後にアメリカが石油文明として登場するのだけれども、一般にはそういう定義はされていませんよね。》原油価格が上がったとたんにアメリカは不景気になるだろうと養老は本書で予言しているが、そのとおり2008年7月に最高値を記録したあとアメリカ経済は破綻した。

 科学の業績をアメリカが独占するのも石油エネルギーのおかげ、戦争に強いのも石油のおかげ。《戦争に強いとか弱いにしてもね、日本は石油がないのに戦争をしたのだから。九割以上の石油を敵国に頼って戦争をするのがどれだけ不利だったか、ということです。それだけのことなのです。》(養老)ヒトラーがソ連に侵入したのも石油目当て。文化系のひとはそういう視点がないから歴史がわからないと嘆く。《養老 文学部の歴史学科の人間が歴史を書くから、わけがわからない話になってしまうんだよな(笑)。》

●文明はエネルギー消費と躾の兼ね合い

 《端的に言えば文明とは、ひとつはエネルギーの消費、もうひとつは人間を上手に訓練し秩序を導入すること、このふたつによって成り立っていると言えます。》前者の代表がアメリカ、後者の代表が日本だ。《僕らは、戦争のときに、アメリカ人というのはどうしようもない、躾のできていない連中だと教育されました。いま思えばそれは見事に連中を言い表していると思う。一人ひとりの躾ができていなくても、十分にエネルギーを使えば快適で秩序的な環境は維持できるということを体現しているのがアメリカ人だから。アメリカでは個人個人の秩序はない。いまだに銃をぶっ放して、年間に一万人以上が銃で死んでいる文明なんてありか、と思うよね。/一人ひとりの秩序については日本人のほうがはるかにきちんと訓練されている。》(養老)

 それは日本民族のほうが優れているからだ、などということを科学者の養老がいうはずもない。狭い国土に大勢で暮らすには秩序が必要だったのだと説明している。だけどなんとなく戦争に負けた悔しさを引きずっている雰囲気が感じられる。

●京都議定書から離脱せよ

 さてここからが本書のキモだ。《仮に、IPCCの予測が完全に正しいとしよう。》IPCCは温暖化への炭酸ガスによる影響は5割だという。世界ではいま毎年265億トンの炭酸ガスが出ている。石油・石炭・天然ガスの使用をストップしない限り100年後には2兆6500億トンふえる……と以下細かい計算があり、要するに日本はいま京都議定書を守るために毎年1兆円の予算を組んでいるから100年間で100兆円の金を費やす。それで気温をどれだけ下げられるかといえば、0.004度にすぎない。――ずいぶん費用対効果の悪い話だ。

 しかも今のところ炭酸ガス排出量は減るどころか逆に増えている。1兆円の環境税を使うということは、《そのぶん、人が動き、モノが動くということだから、エネルギーが動く。いま、エネルギーといえばそれはほとんど石油なのだから、結局そのぶんのCO2は増えることになる。》減らすための予算を執行すると増えてしまう。なんという徒労。

 それにしたって炭酸ガスの排出は少ないほうがいい。ところが省エネの進んだ日本は、1986年ごろ効率化はピークに達し、もうこれ以上減らせない。アメリカが日本並みのエネルギー効率に改善すれば、それだけで3分の2を削減できるのだそうだ。「日本はなぜ言うべきことを言わないのか」とふたりの老人は憤る。日本がこれ以上CO2を削減するには景気を悪くするしかないのだという。

●うさんくさい排出権ビジネス

 景気を悪化させないためには他国から排出権を買わなければならない。《排出権取引はいまやEUにおけるビッグ・ビジネスだ。しかし、そのためには、温室効果ガスの削減枠をまず決めなければならない。単純に言えば、それはEUの金儲けのため。》だからEUはしきりに削減枠を決めたがるのだとか。

 排出権ビジネスの話を初めて聞いたとき、わたしは月面の土地を取引するようないかがわしさを感じた。「売ったことにしよう」「買ったことにしよう」という契約書だけでカネが動くなんておかしくないか(豊田商事事件を思い出す)。誰がそんな大がかりなビジネスを考えだしたのだろう、アメリカあたりの敏腕商社マンかなと思っていたが、現在の二酸化炭素排出権に関してはイギリスのニコラス・スターン卿が一番の牽引役だったようだ。2006年10月に発表した「気候変動と経済」(通称スターン・レビュー)のなかで、ロンドンが国際排出量取引市場の中核になるという戦略を打ち出しているのがその証拠だと池田はいう。

 石油を使うのは地球に優しくないことだからバイオエタノールでクルマを走らせようという運動も、じつはアメリカの金儲け戦略だと池田は見ている。《現在のバイオ燃料というのは基本的にちっとも優れてはいない。/なぜなら、バイオ燃料というのはいま石油を使ってつくられているからだ。石油を使って穀物をつくり、さらにそれを石油の等価物に変えているわけである。それならば、最初から石油を燃料として使ったほうがエネルギー効率が良いのは明かである。》それにもかかわらずアメリカがバイオ燃料の有効性を強調するのは、穀物価格の上昇を見込んでのことだ。穀物の自給率が100パーセントを超える国にしか採れない戦略だ。金持ちが貧乏人から食料を奪うことにもなる。

 2008年秋のリーマン・ショック以来、日本の政府もエコカーやエコ家電の購入をしきりに推奨するが、それは地球に優しくするためなのだろうか(自動車と家電この2大輸出産業がふるわなくなったので内需に振り向けようとする景気対策だという見方もある)。それらのものを製造するには莫大な量の石油を燃やさなければならず、同時に莫大な量の二酸化炭素を排出しなければならない。すでにある製品も同じ過程を経てこの世に現れた。それを廃棄するにはさらに莫大な量の石油を燃やし二酸化炭素を排出しなければならないにちがいない。壊れないかぎり買い換えるべきではないと思う。ただわたしは世界中のクルマがすべて電動になれば、二酸化炭素の量は減らなくても地球の空はずいぶん青くなるだろうと夢想している。

●わが意を得たり

 わが意を得たりという一節があった。《過疎地の畑に猿・鹿・猪が出たり、北陸に熊が出たりしますよね。これは新聞では山が荒れたからだと言われてきましたが、ほんとうの理由は簡単で、犬をつなぐからです。野犬を全部排除する。そうやって秩序を入れたら、当然そのぶんだけ秩序が動物世界に影響を及ぼす、それだけのことです。だけど犬をつなげと言った奴は、まさか過疎地の畑でそういうことが起こると思っていない。人間てそれくらい知恵の足りない動物です。》(養老)

 わたしはまったく同じことを2007年にリゴーニの『動物記』に関して書いた文の中で述べたことがある。「最近日本でもシカ・サル・イノシシ・クマなどの野生動物が人里に降りてくるようになり、マスコミはそれを人間による環境破壊のせいだと報じるのだが、人類の歴史は環境破壊の歴史なのだから、そんなことばかりいっていてもはじまらない。日本人が動物とのつきあいかたを忘れたために大騒ぎしているのではないか。」犬を使って野生動物を追い払えばいいと書いたのだが、ベアドッグにしても日本にはまだ1〜2頭しかいないようだ。

 人類の歴史が環境破壊の歴史であることを示す端的な例を池田が挙げている。現生人類がオーストラリア大陸に到達したのは6万年前なのだが、それまでいた小型車ほどあるリクガメとか体重100キロの飛べない鳥とか奇妙でおもしろい動物がたくさんいたのに、アボリジニの祖先がまたたくまに絶滅させてしまったという。化石の年代測定でわかるのだろう。《人間は太古の昔から自然破壊をしてきたのだ。当然のことながら、環境破壊は今に始まった話ではない。》

 石油消費をなるべく抑え、暑さ寒さはなるべく我慢する、これしかわれわれの生きる道はないというのがふたりの学者の結論だ。