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 『隅田川のエジソン』(坂口恭平、青山出版社)

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●工夫好きのホームレス

 著者の坂口は1978年熊本県生まれ。早稲田の建築学科を出ているが、大規模建築に疑問をいだくうち、ホームレスの段ボールハウスに興味を持ったという。本書は小説仕立てだが、実在の人物からの聞取りとしか思えないほどリアリティにあふれている。

 本書の主人公スーさんこと硯木は無類の競馬好きで、仕事は競馬場の近くで選んだ。《地方へ行って、競馬して、その競馬新聞に載っている契約土方募集欄から探して、月に一五日間くらい働いていた。》仕事はいくらでもある時代だった。

 1998年に50歳でホームレスになり、言問橋の下へ。花川戸公園に住む路上生活者の長老モチズキさんは「路上では拾えないものなんて何一つない」と路上生活をはじめたばかりのスーさんにその楽しさを強調し、本は古本屋、家電はリサイクルショップやドロボウ市へ、テレホンカードは金券ショップへ持って行くようにとゴミを金に換える方法を手取り足取り教えてくれる。《工夫の人生はバラ色である。工夫、工夫。工夫しまくって誰にも考えつかないような路上人生を送ってやるぞと、おれは意気揚々でニヤニヤ顔になっていた。》生来の工夫好きなのだ。

 隅田川河畔、金色のうんこを屋上にのせたビルの対岸に立派な家を自分で建てているから、厳密にいえばホームレスでもなく路上生活者でもない。「移動居住者」といったところか。より快適な生活を送るための工夫がすばらしく、日々さまざまな工夫をせまられる重度障害者としてはその点にとても共感をおぼえる。ただし、エジソンはいいすぎ。発明ではなく工夫だ。

●路上生活革命の始まりは「火」

 「0円生活」を送れるのも、大都市東京にあふれるゴミのおかげ。ゴミを再利用して案外豊かで楽しく暮らす彼らは、みんな楽天的だ。衣食住すべて拾いもの。段ボールハウスを造り、期限切れのコンビニ弁当を食い、シケモクを吸いながら、朝から焼酎の大瓶で宴会だ。

 スーさんは路上生活を始めてすぐに工夫の才を発揮し、まわりから一目置かれるようになる。路上採取生活革命の始まりは、「火」の発見だった。路上生活には暖かい食い物がない。そこでイワタニのカセットコンロを入手。そういう発想のなかった仲間たちは大いに喜び、さっそく温かい料理で酒盛りが始まる。「火」を手に入れた狩猟採取民の生活はどんどんレベルアップしていく。

 火のつぎは電気だ。捨てられたバイクからバッテリーとライトを持ち帰り実験開始。まず分かったことは、家庭用の電源は100ボルトだがバッテリーは12ボルトであること。《普段使っているラジカセやテレビなんかはアダプターが付いている。あれは変圧器なわけで、本当だったらたいていの電化製品が一二ボルトで使えるわけだ。》テレビ、カラオケを備えると仲間はみんなスーさんのうちに集まってきて、それはそれは幸せそうだ。《ベンツに乗ってた元社長、やくざの落ちこぼれ、オカマの兄ちゃん。集まっていた人間は、種類も年齢も様々だった。人生これからだというのに、二〇歳の男もいた。》貧乏だけが路上生活の理由ではなさそうだ。

 段ボールハウスでなく本格的な家を建てるため、スーさんは解体現場に赴く。つい最近まで土木業についていたから勘がはたらく。親方らしいひとは「何でも持って行ってくれ。逆に助かる」と言い、別の現場も紹介してくれたうえに缶コーヒーまでくれる。こっそり持ち去らずにちゃんと交渉するのがコツだという。「すべてをさらけ出せ。そうすると、理解してくれるから。それが出来れば、その人が生きている限り、つまりゴミを出し続ける限り永遠に生きていけることを意味する」と、盗もうとして追っ払われた元中学教師のハシモトに説教。

 「なんだか、おれが昔読んでたビジネス書なんかより数倍も言葉が重いですよ」とハシモト。
 「本にそんなこと書いてあるわけないだろ。すべては体験がモノを言うんだよ」
 「おれが女だったら、スーさんは今確実に抱かれたい路上の男ナンバーワンです」

 本格的な家を建てるための木材を入手することはむつかしいと見て取ると、スーさんは竹に目を付けた。《竹の両端を土の中に埋めて何本か並べることでドーム状の構造が出来る。それにブルーシートを被せたら、あら出来上がり。》隅田川花火大会の客は巨大なブルーシートを置き去りにしていくから使い放題だ。工事現場でもらってきた木片で床と玄関を作る。これだと作るのも壊すのも簡単。――とあるのを読んで、東南アジアの津波被害地域を支援するときはこれを仮設住宅にすればいいのではないかと思った。日本から送るのはブルーシートだけでいい。

●「すべてをさらけ出せば理解してもらえる」

 2000年になるとケータイの普及でテレホンカードが売れなくなり、家電リサイクル法の施行でゴミ置き場の家電も少なくなってきた。路上生活者にとって受難の時代が始まったのだ。しかしインド・中国の経済発展によりアルミ缶の値段が高騰してきた。それに目を付け、スーさんはアルミ缶拾いに集中することにした。やみくもに動くのではなく、まず観察だ。誰がいつゴミ置き場にアルミ缶を捨てにくるかを調べているうち、どこの家がビールをよく飲むかということまで分かってくる。《おれはまるである部族の研究をしている学者みたいな気分だった。それぐらい法則に従って人間は動いているということが分かった。》

 ところがアルミ缶拾いは予想以上にカッコわるかった。テレカや家電拾いとちがって大量に集めなければならないから目立つ。ゴミ置き場に捨てにきたご婦人に「あなたは何をしているのですか、ゴミなんか拾って、税金も払っていないひとなのに図々しい」とまでいわれて落ち込み、トボトボ隅田公園の公衆便所に行くと、「水を大量に持ち帰る者がいるので利用時間を制限する」という張り紙がしてあり、さらに落ち込む。公衆便所しか排泄の場のない都会の路上生活者にとっては大きな打撃だろう。そうか、そういえばうちの近所でもホームレスのいるところといえば駅前公園と区立図書館で、共通項は公衆便所なのだ。いまや野糞可能な原っぱなど1坪もない。

 スーさんはこの危機をどうやって乗り越えたか。こんどもまた「すべてをさらけ出せば理解してもらえる」という信念だ。ある日ゴミ置き場で出会った主婦に挨拶しアルミ缶で生計を立てている路上生活者だと打ち明けると、興味津々でつぎからつぎへと質問をし、

 「へえー、すごいわね。で、こんなんでお金が稼げるもんなの?」
 「月に二万ぐらいですかね。それで路上に住んでいる私には十分なのです」

 これからはゴミ置き場でなく自宅の納戸に置いておくので自由に持って行っていいという契約を取りつける。その後もそうやってゴミを出すひととじかに契約をすすめていった。今後ゴミ置き場のアルミ缶は奪いあいになると見込んでのことだ。

 たいていのひとは応援してくれた。なかでもラブホテル「赤い薔薇」の社長はもっとも印象的だ。掃除のおばちゃんにアルミ缶をもらうべく例によって丁寧に自己紹介すると、「ちょっと待っててね、社長に許可もらってくるから」と言い建物の中に入ろうとするから、こういう展開のときはダメになることが多いのであわてて止めようとするのだが間に合わず、おばちゃんは凄い強面の男を連れてくる。なにしろ浅草にラブホテルを5軒持っている男だ。ところがこの強面社長は、しどろもどろのスーさんに、「すごいじゃないかあんた! なに? このアルミ缶だけで生活してんのかい?」あんたみたいなヘコタレない生き方は見ていて気持ちがいいと褒めてくれ、すべてのホテルのアルミ缶をスーさん専用にすることを約束した上、こう付け加える。「もしも、おれが駄目になって、会社全部潰しちまった時には、おれに路上で生きる方法を手取り足取り教えてくれよ、な」と。ここが本書の白眉だ。社長もここまで来るにはずいぶん苦労もし失敗もしたのだろう。いまは左うちわでも、人生どう転ぶか分からないことを骨身にしみて分かっているのだ。

 《おれはいつも思う。東京は一番人間があったかい場所なんじゃねえか? だけど普段の日常は、なにか仮面が覆っていて、誰にもわからない。おれみたいに、もう終わりだよー、と一度行くところまで行ってしまった人間に対しては、許容範囲広いわけよ。その真ん中がないっていうのかね。もう飛び込んじゃえばいいんだけれど、大体の人はできないからさ。やっちゃった人に対しては、尊敬の念があるのかもしれない。出家した人みたいな扱いを受けるときがあるから面白いよ。》

●真のホームレス対策は仕事の斡旋

 ある日警官がやってきて、言問橋の下は隅田公園の一部であり通路だからここで生活をしてはいけないと言う。一瞬緊張が走るが、警官はつづけて遊歩道に併設された植込みの中ならかまわないとアドバイスしてくれる。お、人情警官かと思うとそうでもなく、隅田公園は台東区の管轄だから台東区の警官としては処理しなくてはならないが、川沿いの土地は国のものだから業務外だと種明かしをする。ちなみに台東区と文京区はホームレスにやさしいようだ。ゴミ置き場から資源ゴミを持ち出すことを禁じていない。道一本ちがうだけで事情は変わる。

 では川沿いの土地はおとがめなしかというとそうはいかない。建設省の役人が月に1度ふたりして回ってくる(建設省なのか都の建設局なのか記述はあやふや)。《彼らは月に一度一時的に川沿いに無断で建設された小屋を、違う場所に撤去し、川沿いに一軒もブルーシートが建っていない写真を撮り、上の人間に見せる。それが仕事だ。》退屈な仕事だからホームレスと言葉を交わし、そうこうしているうちに顔なじみになる。

 本書に出てくる人物はたいてい温かく、警官や役人まで優しいのだが、結局東京都の役人に追い出されることになる。担当部長と称する者が「隅田川沿岸に住む路上生活者への救済手段」を報告に来る。都内10ヶ所のアパートに光熱費は自己負担だが家賃2000円で2年間住めるという。一見手篤い政策のようだがスーさんは応じない。書類の末尾に「尚、一度このアパートに入居したものは二度と隅田川沿岸で家を建てないという誓約書にサインしてもらいます」とあるのをみて、収入がなければ設備は使えないし、「しかも、二年経って仕事が見つからない場合はどうなるんだよ。それよりかは、仕事が無いやつに斡旋してやることを考えろよ。バカか」ここから追い出したいだけだろと反抗する。だがほとんどの路上生活者はこれに応じ、いなくなってしまった。遊歩道には巨大な花壇が造られベンチも横になれないタイプのものが設置された。

 「仕事を与えろ」というのが正論であることは、その後のホームレス事情を見れば明らかだ。しかしほんとうに就職したいのかどうか。定職に就きたくないひともホームレスの中にはいるのではないか。スーさんが競馬場を渡り歩きながら生きていけたのは、やはり高度成長期だったからだろう。いまやそんなお気楽な世の中ではないが、できればそういう生きかたが許される世の中であってほしい。アメリカの哲学者エリック・ホッファーも若いころは、金がなくなったら働き、金が貯まったら勉学にもどるという生活だった(『エリック・ホッファー自伝』中本義彦訳、作品社)。まあ競馬と学問を同列に論じることはできないが、許されていい生きかただ。

 最後にまたもスーさんはひらめく。《なにをおれはこの場所にこだわろうとしているのか? もっと自由になれるはずだ。もっと軽やかであれ、もっと柔軟であれ。そう、竹のように。》リヤカーの上にソーラーハウスを建て、日本一周の旅へと出発する。冒頭で「ホームレスでも路上生活者でもなく移動居住者だ」といったのは、このラストシーンをふまえてのことだが、このあたりは著者の願いを込めた小説かもしれない。