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 『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』(岸田秀、新書館)

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 大局的といえばこれほど大局的な歴史観をほかに知らない。歴史観だから仮説に過ぎないが、きわめて説得力に富んだものだ。章題の一つをとって本書を要約すれば「屈辱の連鎖としての歴史」ということになろうか。

●死んだ日本兵に支えられる「史的唯幻論」

 「唯幻論」というものを唱えているひとだということは知っていたが、なんだか怪しげだから近づかなかった。本書はタイトルに惹かれて買った(タイトルに惹かれるということは共感するということだ)。それでもなぜ精神分析学の学者が歴史なんか論じるのだろうと不審な感じを抱いていた。はっきり言おう。余技で雑学本を書いたのだと思った。そうではなかったのだなあこれが。

 本書は岸田独特の「唯幻史観」にもとづく歴史書だから、まずそれについて知らなければならない。岸田は早稲田で心理学を修めた精神分析学者。1933年香川生まれ、終戦時には12歳だったことになる。

 終戦後には三つの戦争観があったという。@著者が小学生の時にたたき込まれた《大東亜戦争はわが大日本帝国が鬼畜米英からアジアを解放するために戦っている聖戦であるといういわゆる皇国史観》、Aアメリカが宣伝した《太平洋戦争は自由と民主主義の旗手アメリカがアジアを侵略する悪の独裁国家日本を打倒するために戦った正義の戦争であるといういわゆる東京裁判史観》、それとBソ連が唱えていた《日米戦争はともに帝国主義国家である日米が覇権を争い、アジアの植民地を奪い合った帝国主義戦争であるといういわゆる左翼史観》。わたしはBが実態に近いと思う。ただしソ連も同じ穴のムジナだが。岸田少年は三つとも「手前味噌史観」あるいは「自己中心主義史観」とでも呼ぶべきもので目クソ鼻クソだと思ったというからたいしたものだ。

 《敗戦直後の中学生のときに、どういうわけだかよくわからないが、死んだ日本兵のイメージが初めは少数で、そのうちだんだんと増えてゆき、ついには大挙してわたしの心の中に押し寄せてきて、そこに棲みついてしまったので、わたしは、彼らがなぜ死んだかの理由を何とか説明し理解しないでは、この世の中でどうにも落ち着けないのであった。》きのうまでと正反対のことをいう大人への不信感を口にする元軍国少年は多いが、これほど敏感なひとは珍しいのではないか。

 《史的唯幻論は死んだ日本兵に支えられている。彼らがなぜ死んだかと考えていると、関心は日米戦争から出発して日本の歴史、アメリカの歴史へと、さらには世界の歴史、歴史そのものへと向かい、歴史は幻想で動いているという歴史観に至ったのであった。》本書の執筆動機がこれで納得できた。

●民族をうごかす動機は屈辱の克服

 《それから何十年か経ったあるとき、ふと、人間は本能が壊れて幻想の世界に迷い込んだ動物であり、それゆえにこそ歴史をつくらざるを得なくなったのではないかという考えがどこからともなく浮かんできた。人間以外の動物は自分の過去、自分の種の過去のことなど気にしないが、人間が気にするのは、本能が壊れたために、自分や自分の属する集団の存在を物語化し、その物語、すなわち歴史に基づいて生きるしかなくなったからではないか、したがって、人間の歴史、世界の歴史は幻想に発し、幻想で動いているのではないか、歴史の謎を解く鍵は幻想にあるのではないか、世界の歴史が、経済的、政治的、軍事的、社会的などの現実的諸条件で動いているように思っている人たちがいるらしいが、その経済、政治、軍事、社会こそが幻想の産物ではないか、その何よりの証拠には、人類は、どうしてそのようなことをする必要があったのかいくら考えてもわからないようなことばかりしてきているではないか、と考え始め、それを唯幻史観あるいは史的唯幻論と称した。》

 正確を期すために岸田自身の言葉で「唯幻史観」を説明させたが、長いわりに「人間以外の動物は自分の過去、自分の種の過去のことなど気にしない」という箇所だけが事実であって、あとはすべて著者の思想だ。「二足歩行によって大脳が巨大化した人間」という従来の説を「本能が壊れた人間」といいかえたに過ぎないようにわたしには思われる。

 重要なのは、東京裁判史観が《対日戦に勝利したアメリカが舞い上って信じ込んだ一時的な信仰ではなく》ピルグリム・ファーザーズ(メイフラワー号でアメリカに移住したイギリス清教徒の一団)以来のインディアン虐殺の歴史を正当化し、ベトナム戦争やイラク戦争を正当化してきた欧米中心主義史観だという指摘だろう。

 《史的唯幻論とは、簡単に言えば、史的唯物論のように経済的要因とかで歴史が決定されるとするのではなく、民族や国家などの集団的自我のぶつかり合い――集団的自我を支えるプライドやアイデンティティ、プライドが傷つけられた屈辱、その屈辱を雪ぐ試み、アイデンティティが揺るがされた不安、その不安からの回復など――が歴史の動きを左右する重要な要因であると見なす歴史観である。民族や国家を動かす最強の動機は屈辱の克服である。》

 この伝でいけば中国や韓国の経済発展あるいはそれにもとづく軍事力の強化は、日本から受けた屈辱を原動力にしているということになるだろうか。両国とも内政で危機に直面すると日の丸を焼いて国内の結束を図る。

●大日本帝国はなぜ敗れたか

 では日本の経済・軍事の伸張は戦勝国アメリカに対する雪辱感のあらわれかというと、そんな雰囲気はない。半藤一利は『昭和史戦後篇』のなかで「日本人は敗戦後の思想闘争にも敗れた」といっていた。それを読んだときはどういう意味かわからなかったが、以下の岸田の発言で理解できた。《何と言っても日本はアメリカとの戦争に負けたのだから、たとえ不満でも従うほかはなく、文句を言っても始まらないではないかということで東京裁判史観を容認すれば、それだけでは済まず、論理的筋道として、アメリカの世界支配を容認しなければならなくなるという、大きな広がりを持つ問題である。》東京裁判が戦勝国による敗戦国処罰であることは知っていたが、これほど深い意味があるとは思わなかった。戦後日本がアメリカの言いなりになったのは、まさに「思想闘争にも敗れ」東京裁判史観を受け入れた結果だったのか。

 アメリカは道義的に日本に対して優位に立とうとしていまも情報作戦をつづけていると岸田はいう。《軍事の勝敗は、もしそれが道義の勝敗を招かなかったとしら、たかだか当面の利害得失の問題でしかないが、道義の勝敗は、百年先、千年先まで響く国家存立の精神的価値の根拠にかかわる問題なのだから。》思想闘争にも敗れ、おまけに道義闘争にも敗れているのだからアメリカに対する屈辱感などいだきようがない。われわれは「親分が誰であろうとメシを食わせてくれればいいや」と思っているのだ。

 15年戦争には侵略戦争の面もあればアジア解放戦争の面もあったというのが岸田の考えだ。欧米列強によって植民地化されたアジアを解放するという一面を持っていたのに、なぜ大日本帝国はそれに失敗したか。おのれを正義の味方とみなしたからだ。おのれの思想を「普遍的に絶対的に正しい」と信じてしまうと、おのれに敵対するものはすべて「絶対的な悪」になってしまう。《要するに、「(正しい)目的は(悪い)手段を正当化する」という思想が最も危険な思想なのである。》《あらゆる時代を通じて世の中でいちばん悪いこと、ひどいこと、恐ろしいこと、残忍なことをするのは正義の味方である。》

 それは日本人に限らない。《ローマ・カトリック教会がその宗教を「カトリック」(普遍的)と称したことが示しているように、ヨーロッパにはおのれの信仰や思想を普遍的と思い込む伝統があるのであろうか。》すべての人間がおちいりやすい陥穽だ。なお、岸田がヨーロッパというときはアメリカも含んでいる。

 大日本帝国がアジア解放という崇高な正義を実現しようとしているのに、無知蒙昧な中国・朝鮮は欧米にこびを売り、あまつさえ日本のじゃまをしようとする。まずこいつらをやっつけなければならない――。《近代日本はこのような論理に基づいて、朝鮮を併合し、中国を侵略したのであろうが、この論理こそが大日本帝国の企てを挫折させ、帝国を崩壊させた最大の原因ではなかったか。真にアジア解放をめざすのであれば、他のアジア人の協力は必要不可欠であって、それなくしてアジア解放ができるわけはないが、日本は、正義の観念に取り憑かれたために、その狭隘な観念にそぐわないとして、本来なら味方につけるべき他のアジア人を敵に回し、日本人だけでアジア解放ができるがごとき誇大妄想に陥ったのである。》きっと岸田少年は戦時中このいくさはアジア解放のための聖戦であると叩き込まれたのだろう。「聖戦」の思想は独善に陥りやすい。しかし「聖戦」だと思わなければ人を殺すことなどできないのではなかろうか。

●白人は黒人に差別されていた

 さて、やっとここから「世界史」の話に入る。史的唯幻論は人類の発祥までさかのぼる。人類がアフリカで発生したことは今や定説になっている。それならはじめは黒人で、そこから白人、アジア人が分岐していったのだろうと岸田は言う。《その黒人種のあいだに白子(アルビノ)が発生し、どちらが避けたのか、白子は白子で固まり、もっぱら白子同士の交配が行われて白人種が成立》したという。……しかしわたしはいきなりここで疑問をいだいた。日差しの強い土地に代々生まれ育てば色が黒くなるのは分かるが、現代人の始祖(「ミトコンドリア研究」でいう「イブ」)が誕生した20万年前のアフリカは今と同じように暑かったのだろうか。今暑いからといって昔も暑かったとはかぎらず、今寒いからといって昔も寒かったとは限らない。

 なぜ白人はかくも有色人種とりわけ黒人を差別するかといえば、もともと黒人に差別されたからだという。最初の人類黒人から生まれた白子アルビノは、黒人種から差別されたのでアルビノどうしで性関係を持たざるを得なかったという見方が本書の根幹にある(白子と白人は違うが、生理学的には非常に近いものであり、白人が白子から発生したことを否定する根拠はないと岸田は注を付けている)。

 《黒人は人類発祥の地であるアフリカ、気候が温暖で植物の食糧資源が豊かで動物もたくさんいるアフリカにとどまり、白人は寒くて土地は痩せていて、植物資源が乏しく食料源となる動物を狩るのも難しいヨーロッパへ移住したということは、白人が黒人を嫌って自ら進んでアフリカから出て行ったのではなく、黒人に差別されて追っ払われたことを示していると考えられる。白人種は人類最初の被差別人種であった。》とてもおもしろい。だがこの意見、ひとつだけ無理があるのではないか。北方へ逃げていく以前に相当数の白人がいなければ、つまりいちどきにたくさんアルビノが誕生しなければこの説は成り立たない。それほど黒人夫婦の間にアルビノの生まれる確率が高いなら、今だって生まれているはずだが聞いたことがない。……いや待てよ、マイケル・ジャクソンのように尋常性白斑も考えられるか。当時白ナマズの黒人が「伝染する」とか「先祖のたたりだ」とか言われて差別された可能性は、十分にありうる。21世紀の今日ですら庶民の医学知識はいいかげんなものだもの。

●モーセのいう「神」とは誰なのか

 岸田の仮説はこうだ。白人は黒人に差別されて約1万年前に北の寒冷地に追っ払われる。《何千年か前、アフリカに人類最初の大帝国、エジプト帝国が成立する。エジプト人は黒人であった。エジプト帝国は、征服地を北に広げ、征服地から奴隷を連れてきて使役する。この奴隷は白人であった。BC十三世紀の中頃に、この白人奴隷たちがモーセという指導者に率いられてエジプトから逃亡する。》

 ところがだ――。ここで不可解な文章に出くわす。《この逃亡奴隷たちが何十年かの苦難の旅ののち、カナンの地(今のパレスティナ)に到達し、唯一絶対神ヤハウェを信仰するユダヤ教を創始し(一神教の起源)、イスラエル王国を建設し、しばらく栄える。》エ? ではエクソダスの時点ではまだユダヤ教はなかったのか。では「モーセの十戒」は何なのか。「汝姦淫するなかれ」ばかりが有名だが、あたまのほうは神様関係のことばかりだからてっきりヤハウェ神だと思っていたのだが。ユダヤ教を信仰するからユダヤ人なのかと思っていた。ユダヤ教が創始される前の彼らは、では何者だったのだろう。ただの白人奴隷か。わからない。しかしまあ何千年も前の話だから数十年の誤差ぐらいどうということはないか。さらに岸田の説に耳をかたむけていこう。

●キリスト教はユダヤ教の分派

 パレスティナに戻って来たユダヤ人はしばらく独立国を形成していたが、ヘロデ王の時代、ローマ帝国に支配される。《AD一世紀の初めの頃、ローマ帝国に迎合するユダヤ支配層に対して、イエスを奉じて反抗する一群のユダヤ人が出現する。危険人物視されたイエスは処刑される。》イエス派でないユダヤ人たちはローマ帝国に反乱を起こしたが惨敗、離散した。《他方、この反乱に参加しなかったイエスのグループはイエスをキリストと仰ぎ、パウロを指導者としてユダヤ教から離脱し、キリスト教を創始し、キリスト教はローマ帝国の下層民のあいだに猛烈な勢いで広がる。》開祖を殺され時に利あらずと見たパウロは穏健派に転じたのだろう。

 ユダヤ教とキリスト教ってそういう関係だったのか。知らなかった。長年の疑問が解決した。なぜユダヤ教の聖典である旧約聖書をキリスト教徒も聖典としてあがめているのか、そこが分からなかった。娘がキリスト教系の大学に進み、聖書学の講義もあるというので、じゃあ先生にそこんところを訊いてきておくれとわが疑問を託したことがある。帰ってきた娘から「とても複雑で簡単には説明できないって」という答えを聞いたとき、ははあ先生ごまかしたなと直感した。

 さらに疑問が湧いた。「イエスをキリストと仰ぎ」がわからない。常識事典『広辞苑』を引くと「キリスト」は「人類の罪をあがなうために神が遣わした救い主」の意とある。じゃあ「イエス」はおとっつぁんのヨセフが付けた名前なのだな。とは思ったが、いちおう「イエス」を引くと「ヤハウェは救いなり」の意だとある。わからん。日本で「聖子」という名が字義ほど大げさな印象をあたえないように、「ヤハウェは救いなり」もありふれた名前だったのかもしれない。

 もう一つ分からないことがある。12使徒のひとりユダがイエスを裏切ったので、それ以来キリスト教徒はユダヤ人を迫害するようになったと聞かされてきたが、イエスも仲間たちもみなユダヤ人ではないか。なぜユダひとりを責めずにユダヤ民族すべてを敵視するのだろう。ひょっとしたら先生はそこに触れたくなくてごまかしたのかもしれないという気がしてきた。

 ああ、こんなところでひっかかっていたらちっとも先へ進めない。しかし本書はその疑問に解答を与えてくれたので触れないわけにいかない。支配されたユダヤ人たちはローマ帝国に対して玉砕も辞さないほどの抵抗をしめしたのに、肝心のヘロデ王はローマ帝国に対しては限りなく卑屈で同胞には残酷無法な暴君であったという(まあそれは反ヘロデのひとびとの言い分で、王様には王様の言い分があったと思うけどねおれは)。《要するに、イエスを含めて当時のユダヤ人一般は、外部の権力に迎合する傀儡政権の支配下の植民地人であった。これは、わたしがいつも強調しているように、外的自己と内的自己に分裂した人格構造が形成されやすい状況である。》それなら面従腹背していればいいものを《ユダヤ教は、その律法主義にも示されているが、外面と内面との一致、形式と内容との一貫性を重んじる厳格な一神教であった。》

 信仰と生活を両立させられない苦境に追い込まれたユダヤ人を救ったのが、イエス一派だった。戒律を厳守しなくてもいいとイエスは面従腹背を許した。さらにユダヤ教になかった「天国」の概念を導入、《今は絶望でも、未来に救われる希望があるという「福音」をイエスは説いてくれるのであった。》モーセの再来のように見えただろうと岸田はいう。

 イスラエルのユダヤ人はここで二派に分かれた。《あくまでユダヤ教に忠実であり続け、ユダヤ民族の独立を守ろうとするグループと、現実にローマに反逆するのはあきらめ、幻想の世界(神の国、天国)に救いを求めようとするグループである。》このあたりからキリスト教徒はみずからの出自を隠しはじめたのではないか。『広辞苑』で「ユダヤ人」を引くと「ユダヤ教徒を、キリスト教の側から別人種と見なして呼ぶ称」とある。自衛のためとはいえあんまりではないか。

 のちにローマ帝国に支配され、キリスト教を押しつけられたヨーロッパのひとびとは、キリスト教を攻撃するわけにはいかないので腹いせに仲間のユダヤ教徒を迫害した。これがユダヤ人差別の根本だ。

●キリスト教を押しつけられたヨーロッパが反乱

 弾圧されていたキリスト教も4世紀にはローマ帝国の国教となる。ローマ皇帝がキリスト教に改宗したのではなく、キリスト教徒がローマ皇帝になったのであり、《差別された被支配階級が支配階級を打ち倒して権力を握るという》意味で、ヨーロッパ初のrevolutionであり、なおかつrevolutionはヨーロッパ特有の現象であるという。「天命をうけた有徳者が暴君に代わって天子となる中国の易姓革命」とは異なるのだそうだ。しかも《そのおおもとの原型は、子(イエス)が父なる神(ヤハウェ)を押しのけて神にのし上がったキリスト教である。》というから意外だった。《キリスト教では、ヤハウェは殺されたのか、どこかに追っ払われたのか、まったく影が薄い。》なるほどそういうことだったのか。だいぶ視界が開けてきた。キリスト教はユダヤ教とは無関係なふりをして生き延びてきたのだが、それでもヤハウェを無視するわけにはいかないからヤハウェとキリストと精霊は「三位一体」であるなんていいだしたのだ(精霊というのが何のことだかわからないが)。

 キリスト教を国教としたローマ帝国は、植民地であるヨーロッパに強制したため、《固有の民族宗教を捨てさせられ、キリスト教を押しつけられたヨーロッパ人は屈辱に呻く。》さあキーワード「屈辱」が出てきた。《ついに十六世紀に、かつてローマ帝国から、そしてその滅亡ののちはローマ教会から押しつけられたキリスト教(カトリック教)に文句をつける諸宗派がヨーロッパに出現し、プロテスタント(文句をつける奴)と呼ばれる。》

 プロテスタントの一派ピューリタンが17世紀に「新大陸」にわたってアメリカ合衆国をつくったことぐらいならわたしも知っているが、彼らは自ら「ピュア」と名のったのだろうか。それって図々しくないか。まあアメリカに渡ったのは清教徒だけではないが、渡来人たちは原住民を殺戮し、他国を破壊した挙げ句、「強欲資本主義」の汚濁にまみれ、ついに21世紀には奢りの絶頂で崩壊の道を歩みはじめた。崩壊させたのはピューリタンのなかでももっとも厳格なキリスト教原理主義の一派だという。

 ただし本書は2007年の発刊であり、まだアメリカ経済の破綻も、それにつづく世界恐慌も知らない。(つづく)

 

◆O氏(50代男性) 【私の知っているキリスト教 1】
毎月書評を感心しながら、にやにやしながら読んでいます。
今月の「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」を見て、
私の知っているキリスト教をお伝えしようかなという気になりました。
だって私はクリスチャンのはしくれですもの。

まずユダヤ人がなぜエジプトにいたのか、です。
これだけでも長くなりそうです。
簡単にいうと、カナンににいた一族(アブラハムの血族)が飢饉のためエジプトに助けを求めると、
そこには死んだはずの末子が宰相になっていて、受け入れたという話です。
そのままエジプトにい続けた一族は年月とともに人数が増え
権力者に疎んじられて奴隷になっていったと聖書にあります。
神と民との関係は弱く、モーセの出現からはっきりとしたユダヤ教として歩みだしています。
ヤハウェと一般に言われている神の名も、モーセが名をたずねたときからはっきりしました。
それまでは一般名詞の「神」です。
ユダヤ人たちは、モーセに率いられた出エジプトを今も記念して儀式を行いますから、
始祖はアブラハムとしても、ユダヤ教としての歩みだしは、モーセ時代からと認識していると思います。

あ〜やっぱり長くなっちゃった。
第一部はここまでということにします。
ご休憩くださいませ。

【2】
すみません。
モーセ以前のユダヤ人はなんだったのかという疑問がありましたよね。
はじめ、アブラハムという人が、神と契約をします。
それでアブラハムの家族は、彼に従ったというのが始まりです。
家族といっても数人ではありません。
奴隷も含まれています。
一族といえばわかりやすいと思います。

アブラハムの子イサクも、改めて神と契約をします。
その子ヤコブもそうです。
一族の歴史はこうして続いていきます。
エジプトで人数が爆発的に増えたのは、年月のなせるわざだったのでしょう。
むろんこの経過は聖書の記述ですので、どこまで歴史的事実なのかはわかりませんが。

【3】
エジプトで人数が爆発的に増えたのは、年月のなせるわざだったのでしょう。
むろんこの経過は聖書の記述ですので、どこまで歴史的事実なのかはわかりませんが。
え〜と、それでは、イエス時代です。
モーセ時代から2000年経ってしまいます。

これだけ時間がたつと、ユダヤ教にはさまざまな派が生まれています。
地位がある、名誉があるというのは神の祝福、病気になっている、貧しいというのは罪があるから
という考えが強いのはサドカイ派(王族、貴族が中心)、
反対に伝統的信仰を重んじるパリサイ派、
この2つの派が新約聖書によくでてきます。
また、派ではありませんが、律法学者という立場の人もいました。
モーセの十戒は最低限の戒律でしたが、生活にはいろいろな場面があります。
こういう場合にはこう解釈すると解き明かしてくれるのが律法学者。
2000年も経てば、その時代にあった解釈が加わって、律法は膨大な数になってきます。
ローマの支配下にありましたから、派を超えて熱心党というものもありました。
ユダヤ民族解放戦線ですね。
ローマに対して武力的反抗を画策していました。

イエスは荒野派と呼ばれるものに近いと言われています。
伝道をはじめる最初のころ、バプテスマのヨハネという荒野派の預言者にヨルダン川で洗礼を受けていますから。
当時ヨハネはメシアの出現を預言しています。
ただしこれは、ヨハネに始まったことではなく、長い間のユダヤ人たちの願望でもありました。
ヘブライ語でメシア、ギリシア語ではキリストです。

あららら、また長くなってしまいました。
それでは、また続く、です。

【4】
何回連続になってしまうのでしょうね。
すみません。

キリスト教はユダヤ教の一派かと問われれば、そのとおりだと思います。
まったく同じ流れです。
イエスはユダヤ人に向かって、「あなたたちの神に立ち帰れ」と叫んでいます。
異邦人に向かっては言っていません。

今回はイエスの名前です。
「イエス」というのはギリシア語です(イエスースだったかな、ギリシア語をローマ字読みすると)。
ヘブライ語ではヨシュアになると思います。
マリアが懐妊したとき、天使にこの名前をつけよといわれています。
当時も、今もユダヤ人には珍しい名前ではありません。
ユダという名前もそうですね。
だから区別するため、イスカリオテのユダ、ゼロテ党(熱心党)のユダなどと呼んでいたようです。
ユダ・ベン・ハーはハーの息子(ベン)であるユダとでもいうのでしょうね。
イエス・キリストという言い方は、キリスト(メシア)であるイエス(ヨシュア)です。

じゃあ、この回はこれまでということで。

【5】
え〜と次はどちらからいきましょうか。

マサダ要塞にしましょうか。
(マサダというのはヘブライ語で要塞という意味らしいですからマサダ要塞という言い方は変かな)
ローマの圧制に苦しんでいたユダヤ人たちは、ついに武装蜂起します。
熱心党の1000人に満たない人々がマサダに立てこもり、
1万人とも言われるローマ軍相手に3年間攻防を繰り広げました。
紀元70年ごろのことです。
要塞の司令官は、ラビ(ユダヤ教の神官)によって「メシア」とされます。
最後は全員自決。
これでイスラエルという国は滅びました。
以後復興まで1900年を待たないとなりません。

熱心党に加わらなかったユダヤ人たちはちりぢりばらばら、もちろんキリスト教徒も同様です。

【6】
この回は「三位一体」論にしましょうか。
これは宗教的な話からはじめなければなりません。

イエスの刑死のあと「エルサレムに留まって祈れ」というイエスの言葉を守れず、
弟子たちはちりじりばらばらに故郷へ、他地へとのがれます。
エルサレムにいたら殺されてしまう恐怖におののいていました。
復活したイエスが弟子たちを丹念に呼び戻し、最後の晩餐の部屋で祈ることを促します。
そして弟子たちの目の前で昇天。
その後、弟子たち120人は約束どおり祈り続けます。
十字架刑から五十日後、祈っている弟子たちに聖霊(精霊)激しく降ります。
そこから人格一変して、弟子たちはイエスと同じ言葉を伝え、次々に殉教していきます。

弟子たちの激しい伝道を見て、「困ったやつらがまた邪教を伝えている」と
憤りを隠さないのは、熱心なユダヤ教徒パウロでした。
たぶん石打ちの刑(大勢で石を投げ、罪ある人を打つユダヤ教の刑)に加担して、
何人かのクリスチャンたちの死にかかわっていたはずです。
ある日、「脅迫、殺害の息をはずませ」て走っていると、光に打ち倒され、自分の名前を呼ばれます。
「主よ、あなたはどなたですか」「あなたが迫害しているイエスである」
パウロも弟子たち同様、すっかりひっくりかえってしまいますが、弟子たちは彼を信用しません。
まあ何年間もすったもんだあって、パウロも仲間と認識されてきますが・・・・・・。

これが聖書に記されている聖霊のはたらきの一部です。

教会はしかし、一神教であるはずなのに、父なる神、イエス・キリスト、聖霊と3つもあがめるものがあって困ったのでしょう。
「これらはすべて同じである」という説が「三位一体」論です。

【7】
パウロの参加によって、キリスト教の方向ががらりと変わってきます。 同胞の救い、同胞の立ちかえりが伝道の眼目だったのですが、
異邦人たちもどんどん改宗して混乱が起こってきました。
筆頭弟子であったペテロはあるとき夢を見て、
ユダヤ教で食べてはいけないとされる動物をほふって食べろと強制されます。
「主よ、それはできません」。
神が清めたものを清くないといって食べないのは違うと叱られる始末。

異邦人たちも改宗したからには、ユダヤ人と同様に律法を守らなければならないと
主張する人々と、それは形に過ぎないと譲らないパウロたちとの激しい論争を経ながら、
キリスト教は貧しい異邦人たちにどんどん浸透していきます。
弟子たちの大半、パウロもまた殉教していきました。
たぶん下層階級の人々が信仰していましたから、ローマの富裕階級の乳母や下男の
役割をしながら、その家庭に影響を与えていったと思います。
生まれたてのその家のおぼっちゃんなんかが乳母から教えられたらもう大変、
こうやってローマの中で広がっていったのではないでしょうかね。

【8】
聖書のなかで、イエスを死刑にせよという裁判の場面があります。
ローマの総督ピラトにユダヤ教の議会が訴えるのです。
ピラトはローマ流の質疑応答で、「死刑には値しない」と判断します。
ユダヤ教の議会は宗教上の理由で死刑だと主張、
「それならば、その血の責任は私は負わない」とピラトは言います。
「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」

その後のユダヤ人たちへの迫害は、ここから始まったと思うと、暗澹たる気分です。

ヨーロッパでコレラが流行ったとき、ユダヤ人の死亡率はかなり低かったとも聞きます。
律法を守っていたからです。
要するに、外から帰ったら手を洗ってうがいをしなければならない、とか
大便、小便はふだんの生活の中の外へすて、埋めなければならないなど
衛生的なものもずいぶんあったと思います。
皆がばたばた倒れていくなかで、死なないグループがいたら、これは悪魔、魔女の類と
感じますよね。
迫害の具体的動機は、こんなところにあったのかもしれません。

【9】
水木しげるの漫画に「悪魔くん」ってありますよね。
あの中で
「エロイム エッサイム 我は求め、訴えたり」
と言って、悪魔を召喚しています。
あの言葉は、西洋魔術書(黒魔術)にほんとに記されているようです。

あれはヘブライ語です。
ユダヤ人の祈り言葉を聞いて、魔術師扱いしたのでしょうか。

確か
エロヒーム(エリが神の単数形で、エロヒームは複数形)
イッシーム(炎の)
だったと思います。

【10】
すみません。
長いメールを読んでいただいて、恐縮しています。
私のお伝えしたものは、聖書に書いている歴史であって、
その検証については、いろいろな学者が行っていますので、真偽のほどは学者さんたちにお任せします。

少し補足をしておきます。
アブラハムが神と契約をしたときに、神の名はいろいろな表現で記されています。
名がはっきりしないというのは、とらえる実体が漠然としていたとも読めます。
乱暴に言えば、「うちらのお偉いさんが契約したそうだから、とりあえずこの神様で信仰しよう」、
「他にいい神様がいればお偉いさんには悪いけれど乗り換えようか」くらいのことであったかもしれません。
エジプトで爆発的にユダヤ人口が増えた(12部族になりました)のは、時間経過が長くあったと想像します。
出エジプトしたあとも民は迷います。
「エジプトにいたほうがうまいもの食えたよなあ」
「モーセさんはシナイ山にのぼったきり帰ってこやしない。あの神様で大丈夫かい」
モーセが十戒をさずかっているとき、ユダヤの民は金で子牛像を作り、それを拝みはじめています。
エジプトの風習がしみこんでなかなかぬけだせない、
結局、エジプトから2〜3か月で行けるカナンに入るまで40年荒野をさまよいます。
一世代が入れ替わる時間を経て、たぶんそこでユダヤ教が確立して、カナンの地に入っていきます。

ユダヤ人が今にいたるまで守っている「安息日」は、まずモーセの出エジプトを思い起こす儀式からはじめます。

イスラエルはその後、ダビデ、ソロモンのころに絶頂期を迎え、やがて二つに分裂、
イエスの時代にはローマに占領される植民地になっていきます。
聖書から離れて、他の書を読むと、なかなか従わない、ローマにとっては扱いにくい植民地だったようです。

【11】
補足2です、

私の説明が悪かったせいで、誤解されているところがあります。
「最後の晩餐」は十字架前のできごとです。
ただし同じ場所に、弟子たちが再び集まり、祈り続けて、
聖霊降臨の出来事が起こります。

ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵はテーブル、イスの表現ですが、
イエス時代は低いテーブルのまわりに皆が寝転がって食事をとったようです。

三位一体より二位一体のほうがすっきりするというのはもっともだと思います。
「聖霊」の表現が聖書では「神(ヤハウェ)の霊」「神(ヤハウェ)ご自身」
「キリストの霊」「イエスそのもの」とさまざまに出てきます。
場合によっては力であったり、神の実体そのものであったり、
神からつかわされて人格化していたり……。
人によっては、父なる神、イエス・キリスト、聖霊様がいると読んでしまうことも
あったのではと思います。