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 『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」――ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」――(アレン・ネルソン、講談社文庫、2010.3)

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 現在アメリカのホームレスの3割は戦場からの帰還兵だという。戦場で精神を犯され、母国にもどっても平時の生活に適応できないのだ。

 1970年ベトナムから帰還した著者のネルソンも、勲章4個を授与された海兵隊員でありながら、ホームレスに身を落とした。夜な夜な悪夢に苦しめられる。《金色の炎に包まれて燃え上がるベトナムの村。断末魔のさけび、われた頭から飛び出す脳みそ。ちぎれた腕。子どもたちの恐怖に満ちた顔、顔、顔。そして死んでも死んでも生き返ってわたしを追うベトコン兵……。》このようなPTSDで毎晩騒ぐ帰還兵を家族はおそれ、実家から追い出されてホームレスになってしまうのだ。

 イラクの「非戦闘地域」に派遣された自衛隊員(延べ2万人)ですら、わずかな駐留期間に35人の自殺者を出したという。戦争がいかにひとの心を狂わせるかが分かる。

●人間性を消す訓練

 ネルソンは1947年、ニューヨークのゲットーに生まれたアフリカ系アメリカ人。貧しさと暴力に満ちた少年時代。1965年18歳のとき、貧困から逃れるため海兵隊に入る。腹一杯食えて立派な制服が着られ、お金と名誉も手にはいると勧誘され、一も二もなく入隊。

 新人キャンプは、過去の自分と決別させられることからはじまる。頭を丸刈りにされ、それまで着ていたものはすべて家に送り返さなければならない。《そして教官から一人ずつに屈辱的なあだ名をつけられ、キャンプ中はずっとそのあだ名でよばれることになります。》  どんなあだ名なのか知りたいところだが、書いてない。「プライベートライアン」といったかんじのものだろう。映画タイトル「Saving Private Ryan」の意味を知りたくて京大受験生がカンニングに使って話題になった「ヤフー知恵袋」をみてみた。「プライベートは2等兵という意味です」という回答が「ベストアンサー」に選ばれていた。だがこれではなぜprivateが2等兵なのかわからない。英語の辞書を引くと、形容詞のほかに婉曲表現として名詞の「性器」が出てくる。私的な部分だからだろう。「ライアンのチンポ〇野郎」といったところか。映画のタイトルになるくらいだからアメリカではこれでも上品な部類に属するのだろう。ネルソンがつけられたあだ名はもっとひどいものにちがいない。

 訓練の中心は洗脳だ。上官への絶対服従はもちろんのこと、ひとを殺すことをなんとも思わない心をつくりあげること、これがコール・アンド・レスポンス(呼びかけと答え)の目的だ。

 「お前たちは何者だ」
 「海兵隊員です」
 「声が小さい! お前たちは何者だ」
 「海兵隊員です!」
 「お前たちのしたいことは何だ」
 「殺す!」
 「聞こえんぞ! お前たちのしたいことは何だ」
 「殺す!」
 「聞こえん!」
 「殺す!」

 夜の睡眠中にもこの訓練は突然おこなわれ、最後は興奮状態になり、「殺す! 殺す!」という喚声が兵舎をゆるがすという。

 《ナイフをどんな角度でつきたてると確実に殺すことができるか、敵ののどはどんなふうに切るのがよいのか。そんなおぞましいことが、まるで魚や肉の料理をするときのように、ことこまかに教えられるのです。/そんなふうにして、わたしたち若者の心と肉体はわずか数ヵ月で無慈悲で暴力的なものへと変えられていったのです。》おそらく軍隊というのは古今東西そうしたものなのだろうが、海兵隊はまたとりわけだ。《海兵隊は、戦争がおきればまっ先に戦場におもむき、最前線で戦わねばならないという使命を負っていましたので、犠牲となる確率もアメリカ軍のなかではもっとも高いのです。》陸・海・空の軍隊よりも海兵隊はプライドが高い。教官が発するおどし文句のなかでいちばんいやだったのは「陸軍に入れてやる!」だったという。

●ひとを殺して一人前

 1966年、新兵たちにベトナムへ行けという命令が下る。共産主義者に支配されて自由も人権もないベトナム人を救いに行く機会がやっと訪れたのだ。もっとも海兵隊員はベトナムがどこにあるか知らないのだが。

 ベトナムのジャングルのなかで敵の銃撃を受け、はじめてほんものの戦争を体験したときのこと。倒れた兵士のもとに駆けつけ、助け起こすと顔がなかった。《わたしははじかれるようにして立ち上がりました。ブーツの上に彼のわれた頭から脳みそがこぼれ落ちました。それは濃いピンク色をした、しわのある大きな卵の黄身のようでした。(中略)やがて銃声がやみ、あたりがうそのように静まりかえりました。/ジャングルには鳥や動物の声、風がそよぐ音だけが聞こえていました。》すばらしい描写力。特に戦闘後の静寂が戦闘のすさまじさを際だたせている。

 基地に戻ってからもふるえは止まらない。《そのふるえは、ベトナムにいるその間はずっと止まることはなかったのです。いや、もしかすると、ベトナムを去ってからも、なお止まることはなかったのかもしれません……。》PTSDのはじまりだ。

 初めてひとを殺したのは2度めの戦闘のとき。引き金を引いただけだ。死体は40代ぐらいの男で、自動車のタイヤで作ったゴムサンダルをはいていた。武器は持っていない。ただの農民かもしれない。ベトナムではだれがベトコンでだれがそうでないかなどわかりはしない。東洋人は日本人であれベトナム人であれ、「グークス=魂のない野蛮人」だという教育を受けている。殺すためには必要な教育だ。

 「鬼畜米英」と太平洋戦争のときは日本人も言った。1995年に起きたいわゆる沖縄少女暴行事件は、被害者が12歳の小学生だったからとりわけ日本人を憤激させるが、米兵は1945年の沖縄占領以来かずかぎりなく凶悪事件をくりかえしている。では日本人は潔癖なのかとふりかえれば沈黙せざるを得ないだろう。兵士個人の資質によるのではなく教育の結果だとすれば、このての兵士の犯罪は国家の犯罪といっても過言ではない。

 興味深いのは、源平合戦のときと同じく、ベトナム戦争でも敵の耳を切り取る習慣があったことだ。古今東西に普遍する現象なのだろうか。ひとを殺して初めて一人前と上官は褒め、記念に耳を切り取れという。ネルソンは断る。《多くの兵士が自分の殺したベトナム人の耳を切り取り、それにヒモを通して首からぶら下げていました。自分が殺した人間の数をひけらかし、自分の勇敢さを誇示するためです。でも、そんな死人の耳の首かざりをしている兵士たちからはいやなにおいがしましたし、ハエもそんな兵士のまわりを飛び回るのでした。》琵琶法師の語る『平家物語』とちがって当事者のつたえる一次情報だからなまなましい。こんな感覚まで詳細に記録しているところがネルソンの文章の特徴だ。

 さらに興味深いのは、いらないならオレにくれと言ってくるやつがいることだ。ネルソンが死体のわきで嘔吐していると上官がやってきてこう言う。「初めて人を殺したときは、だれもがそうなる。気にすることはない。すぐに慣れてしまうから、心配するな」

 われらの父祖もみんなこうやって一人前の兵隊になっていったのだろう。子孫にそれを語ることもできず、誰のおかげで平和ぼけしていられるのかといらだっていたにちがいない。

●ベトナム人女性の出産に遭遇

 ベトナムではだれがベトコンでだれが農民か区別はつかない。日中はジャングルにひそんで米兵を攻撃し、夜は村にもどってひとりの父親になる。そこで米軍は、ひるひなか男のいない村はベトコンの村だと判断し、女子供老人を皆殺しにする。隠れている男たちに見せつけるべく村の入り口に死体をならべておけばベトコンはたまらず姿を現す。

 これで「ソンミ村虐殺事件」が理解できた。なぜそんなひどいことをしたのか、なぜ告訴された米兵十数人の責任がみなうやむやになってしまったのか。米軍側があれは「南ベトナム民族解放戦線ゲリラ部隊との戦い」だと主張していたのは、言いつくろうためではなく本気でそう思っていたからであり、実際にそうだったのだろう。非戦闘員を殺してはならないという国際法など、ヒロシマ・ナガサキをもちだすまでもなく、はなから相手にしていないのだ。

 半年も戦闘をつづけているうちネルソンは数々の武勲もうちたて階級も上がり、危険な作戦ほど興奮するという有能な兵士になっていく。だが、あるベトコンにこう言われたのをきっかけに変わりはじめる。「なぜ、あなたたちはわたしの国にいて、わたしたちを殺しているのですか? わたしたちは自由のために戦っています。あなたたち黒人も自分の国では自由すらないではありませんか」アメリカ本国だけでなく戦場においてすら人種差別はあった。1960年代後半のアメリカにおける黒人の人口は12%だったが、戦死者は25%だった。キング牧師は1968年に暗殺されている。

 さらにある村を通過中突然銃撃され、逃げこんだ防空壕のなかでベトナム人女性の出産に遭遇するという体験が、ネルソンを決定的に変える。おのれの母もあの壕の中の女性のようにして自分に命を与えたのだということ、ベトナム人もまた人間なのだということに初めて思いいたったのだ。大勢の少女や母親を殺してきたことを後悔しはじめる。

●魂の再生へ

 1970年、19歳でベトナムから帰還したものの、夜ごと悪夢にさいなまれるというPTSDのためホームレスになっていたネルソンは、高校時代の同窓生でいまは小学校の教師になっている女性から、子どもたちにベトナムの話をしてやってくれという依頼を受ける。

 《わたしは、統計学者か評論家のような、おおざっぱな数や、ピントのぼやけたイメージを使って、きれいごとばかりを語りつづけました。/それは相手が子どもたちだからであり、ほんとうの戦争の話、つまり、ベトコン兵の死体がバラバラになっていたり、敵の死者数を調べるためにそのバラバラになった首や腕や足や胴体を集めたりするような話は、とうてい彼らにはたえられないだろうし、すべきではないと思ったからでした。/そしてなによりも、それをしたのが彼らの目の前にいる、ほかでもないわたしであることを知られるのがおそろしかったのです。》

 講演後の質疑応答のなかで一人の女の子が「運命的な質問」をする。

 「ミスター・ネルソン、あなたは人を殺しましたか?」

 ネルソンは何も言うことができずに目をつぶる。《わたしの心の中に深い暗闇が穴をあけていました。そして、その暗闇の中から、わたしが初めて殺したベトナム人の死体がうかびあがってきました。/彼は四〇代ぐらいの男性で、裸足に古タイヤのゴムで作られたサンダルをはき、パジャマに似た黒い木綿の野良着を着ていました。/苦しげに開けられた口からのぞく歯は茶色によごれていました。/おびただしい血が地面に赤茶色の水たまりをつくっていました。/上官の声が聞こえます。――「これでお前も一人前の兵士だ」》

 もしイエスと言ったらもはや自分は「ミスター・ネルソン」ではなく、残虐な殺人者になってしまい、子どもたちはこわがるだろう。イエスとノーのあいだで引き裂かれ沈黙していた。《気がつけば、わたしは、つぶやくようにして、しかし、はっきりとした口調で「YES」と答えていました。わたしでなく、ほかのだれかが、わたしの口を借りて答えたような感じがしました。/もう後もどりはできませんでした。自分が人殺しであることを、無垢な子どもたちの前でみとめたのです。》

 目を開ければ、おそれや憎しみに満ちた子どもたちの視線を見ることになるだろうと恐ろしく、目が開けられない。《そのとき、だれかの手がわたしの体にふれるのを感じました。》質問をした女の子がネルソンの腰に小さな手を回して抱きしめ、目に涙をためて「かわいそうなミスター・ネルソン」と言う。《頭がじんとしびれたようになり、胸が大きく波打ち、突然に息がうまくできないようになりました。深呼吸しようと、大きく息をすいこみ、そしてふるえながら息を吐きました。と、同時に、わたしの目から大粒の涙が幾粒も幾粒も頬を伝っていきました。涙は頬からあごへまわりこみ、ポタポタと落ちていくのがわかりました。》子どもたちはひとりまたひとりと寄ってきてネルソンの体を抱きしめる。《わたしの中で、このとき、何かが溶けたのでした。》23歳の黒人ホームレスは、このとき戦争の真実を伝えようと決意した。

 すばらしい内容であり文章もたくみで非のうちどころのない本なのだが、ただ一点、出自が気になる。当然翻訳書だろうと思って読みすすめていたところ、翻訳者名はおろか本書のどこをさがしても原題すら出てこない。翻訳書には原題や版元などを記したクレジットがつきものなのだが。