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 『水惑星の旅』(椎名誠、新潮選書、2011.5.25)

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 季刊「考える人」(新潮社)2009年冬号から2010年秋号までの連載に加筆修正を加えたものであるとのこと。

●警世の書

 神話時代のひとびとはわが国土を豊葦原瑞穂国となづけた。豊かにひろがる葦原と水稲のみのる田んぼが日本の2大特徴だったからだろう。これほど淡水にめぐまれた国は、世界を見わたしてもめずらしいようだ。そのため「湯水のごとく使う」ということわざが生まれた。

 椎名が水に関心を持ったのは、若いころから日本中の離島を旅してそのたびに水に苦労したからだ。水にめぐまれた小島などない。流行作家になって世界各地を旅するようになると、先進国も途上国も深刻な水問題をかかえていることを痛感させられる。地球の人口がふえ水問題がますます深刻の度をくわえてきたため、各国は日本の水資源を狙うようになってきた。それに気づかずぼんやりしている日本人に対する本書は警世の書だ。《できるだけぼくが世界各地でこの目で見聞したことを中心に、それぞれの専門家の意見を取材してまとめていくことに徹底してきた。》

 本書にサブタイトルを付けるとすれば、「迫り来る世界規模の水飢饉に向けて」といったところだろうか。そのせいか笑いが少ない。

 唯一の笑いといっては……。海水淡水化生活を取材するため、椎名たち「地球の水問題コツコツ取材班」は、瀬戸内海にある釣島(ツルシマ)を訪れる。この島では2002年から東レのRO膜による海水淡水化がはじまった。島民は100人、1人あたりの1日平均給水量は100リットル。

 《島の水の歴史は、四期に分けられる。/江戸時代以来、天水に頼っていた時代。/井戸で喧嘩しながらなんとかその日暮らしのように水を得ていた昭和時代。/船が運んでいた平成初期の時代。/そうしていまは「海水淡水化時代」という夢の時代がやってきたのだ。》淡水化装置の導入には男性より女性のほうが積極的だった。水仕事は女性の役割だからだ。

 《井戸まで水を汲みにいくのを子供時代に体験していた六〇代の女性は、/「つるべを何度も持ち上げるので、手にいつもマメができていて、冬はそれが痛くて辛かった。あの井戸の時代から考えると、いまの科学装置は夢のようですよ」/と、大きくうなずきながら話していた。/「やっぱり一番苦しかったのは『"井戸"時代』なんですね」/とぼくはとっておきの冗談を言ったが誰も反応してくれなかった。》わたしが笑ったのはここだけだ。事態は笑いを許さないほど切迫しているという危機感が椎名にはあるようだ。

●まぬけな裕福に迫る危機

 日本がいかに水にめぐまれているか。まず第一に雨量が多い。《四季が定期的にあって大量の雨が供給され、秋には台風がさらに大量の雨水を運んでくる。》さらに日本の川は国土全体に流れている。《人間の体になぞらえれば血管の動脈みたいに全土的に平均した密度で流れている。》アメリカや中国のように大河を擁していてもそれがうるおすのは国土の一部にすぎず常に渇水状態にある国は少なくない。日本にはまた島国ゆえの利点がある。《世界の多くの川がいくつもの国を経由して流れていく「国際河川」という一種の緊迫感と利害関係を含んだ「紛争」のもとになる要素をはらんでいるのに対して、日本の川は全部自分たちの国の川「国有河川」だ。》

 《その一方で、恵まれすぎた環境にいるとそれに慣れてしまい、住んでいる人がその「豊穣」なるものに感覚的に気がつかない、という現象を生む。》それを椎名は「間抜けな裕福」と呼び、もはや「深刻な危機」に追いやられつつあると警鐘を鳴らす。

 それほど水資源にめぐまれていても、《これからも主要穀物や畜産物はアメリカ、中国、オーストラリアなどに頼らざるを得ない。今後そうした輸入対象国が干ばつなどに見舞われれば、日本も共倒れになるのである。》バーチャルウォーターの観点から見れば、日本はそんなに潤沢な水にめぐまれているわけではない、とあくまでも警戒心を解かない。

 2011年に地中海沿岸のアラブ諸国で民衆が蜂起し、チュニジア、エジプト、リビアなどで政権が倒れた。独裁政権に対する民主化要求だというが、オーストラリア、ロシアなどの干魃で小麦の価格が急騰し、パンが庶民の口に入らなくなったことが原因だろうとわたしはみている。ロシアは2010年には小麦の輸出を禁止した。自国民を守るためにはやむをえない措置だ。《水不足と爆発的な人口増によって「水戦争」の発火点は次第に世界中に広がってきている。》人口増加と水不足によってこれからも世界各地で紛争が起きるだろう。

●ダムの功罪

 人口がふえ、農産物の需要が高まると、まず必要なのは水だ。だが上流に灌漑設備を作り我が田に水を引くと、下流の分が不足する。河口まで水が届かないという事態までひきおこす。

 《黄河はそのむかしは「人殺し」の川として恐れられた。飲み水や灌漑用水を黄河に頼っている流域人口は五億人と言われているが、これまで幾度となく洪水などで流域は破壊され多くの人が犠牲になってきた。》それを大がかりな流路調整・灌漑工事などでおさえつけ、小麦やトウモロコシの生産量を世界一にふやした。万々歳の大勝利であるかに見えたものの、こんどは下流の水量が減り、「暴れ川」はいつしか「枯れ川」になってしまった。ダムには黄砂が溜まりさらに川の水量を減らした。そのうえ中国人は環境問題に無関心で、家屋まで川に捨てる。《黄河が流れを止めてしまう理由のひとつにはどうやらゴミが堆積してゴミダムを作ってしまう、という面もあるようだ。》事故を起こした新幹線の車両を高架線からひきずりおろして土中に埋めてしまうお国柄だ。

 《中国全域の水不足と水質汚染問題は年々深刻になっている。目下は黄河と揚子江にチベットから大量の水をひいてくる「西部大開発」がすすめられているが、こうした取り組みの前に中国の川に対するモラルが改善されていかないと、せっかく大量の良質な水を導入しても、たちまち大量の人々がそれを汚染させてしまう、ということがまだまだいくらでも起こりそうである。》

 以前わたしは「なぜ中国はチベットのような小国まで占領しなければならないのか、せいぜいチョモランマの入山料をまきあげるくらいのアガリしかないだろうに」と覇権主義を揶揄したことがあるが、そうではなかったのだな。チベットに水源を抑えられないようにするためとみえる。おのれが東南アジアの大河メコン川の源流部にダムを作って川下の国々を困らせているという自覚があればこそ、他国から同じ迫害を受ける恐怖も生じるのだろう。

 ダムは洪水を防ぎ、灌漑用水をもたらし、電気を生み出す「いい施設」ととらえられてきた。ところがエジプトのアスワン・ハイ・ダムや中国の三峡ダムのような巨大な止水は、大量の水蒸気を発散させ、無意味に水を失っている。《さらにせき止められて水流が滞ることによって上流に大量の塩が入り込み、川の水質そのものを変えてしまっている、という現実をわたしたちは知ることができる。》

 そういえばアメリカなどの大規模農業は、水を地下深くから大量に取水するため、地下の塩分が表層に溜まってしまって土地を痩せさせていると聞いたことがある。あるものが足りないなら別のところから持ってくればいいという安易な発想は、「想定外」の事態をひきおこす。浅慮というべきだろう。

●国内からの崩壊

 椎名は熊本県を流れる川辺川の取材におもむく。川と住人の関わりはいっさい見えない。川船の往来もなければ川漁師の姿もなく、ましてや川遊びする子どももいない。《まだ上流区域の筈なのだが、川と人間の接点がない。川は川、人々の暮らしはそれとは別、という割り切ったような風景だ。》まんべんなく護岸された川がただ流れているだけだ。

 以前、野田知佑(トモスケ)氏が四国の吉野川でひらいた「川ガキ養成講座」に参加したときのことを椎名は思い出す。小中学生30人ほどを全国から集めて川との接しかたを教える合宿だ。そこへ地元の監視員のようなひとがあらわれ「あぶないから川べりで子どもを遊ばせないでくれ」という。膝より深いところへ入ってはいけないキマリがあるのだ。その1ヶ月前、水深10メートルのメコン川で40センチのナマズを突く子どもたちを見たばかりの椎名は、あまりの過保護にあきれる。

 つぎにつづく一節を読んでわたしはさらに心が萎えた。《けれどその後、日本の川べりにある学校の殆どはこういう禁止事項を作っているらしいと聞いた。いま日本で見る、川と遊ぶ子供たちの関係で唯一気持ちのいい風景は、長良川の上流、郡上八幡にかかる高さ一二メートルもの橋の上から飛び込む少年たちの姿ぐらい――というのだったらあまりにもさびしい。》椎名と同じさびしさを感じたのではない。じつは2011年テレビでこの飛込みも禁止されたということを知っていたからよけい心が萎えたのだ。むかしから地元の子どもは小学校高学年にもなると低い岩場から飛び込みはじめ、段階を踏んで高みに移動しついには橋の上から跳躍するといういわば通過儀礼をおこなってきたのに、それをおとなたちが「あぶない」といって全面的に禁じてしまった。こうやって日本はヘナチョコになっていくのだ。

 かとおもえば、川の再生に取り組むひともいる。鳥飼酒造の社長鳥飼和信氏は子どものころ遊んでいた川辺川が、本流球磨川のダム建設工事が始まったとたんにすさんでいき、同時に山は土砂くずれを起こし、川や山が産業廃棄物の捨て場になっていくのを目のあたりにした。《このままでは川は完全に死ぬ、と鳥飼さんは思い、積極的に山林を買いはじめた。》山を整備するということは、ひとびとが山を下りるまえの状態にもどすということで、そのためには林業家、山師、土木事業者、庭師などを入れなければならなくなった。結果的に150ヘクタールの山林を整備し、焼酎の蒸留所をつくった。焼酎「鳥飼」は山の再建の副産物だった。

 話は少しそれるが、鳥飼氏の話のなかで気になることが出てきたので少し触れてみたい。《山は水を蓄える大事な場所だったが、次第にその機能を果たさなくなっていった。その経緯について鳥飼さんは、こう説明する。/「昭和三〇年から四〇年代にかけて急傾斜地に人工林を作っていった。雑木林を切ってスギやヒノキばかりを植えている。その理由のひとつには地方の産業構造が工業化についていけなくなったときに、補助金を出してスギの木を植えさせたからではないか。そうすると雇用が生まれるから。けれどスギを急斜面に植えると手入れや伐採も大変でコストも非常にかかってしまう。スギやヒノキは根を深く張らないから少しの雨で倒れてしまう。つづいて土砂崩れがおきる。そうして山はどんどん痩せていった。》

 2011年9月、紀州田辺で大規模な山くずれが起こった。台風12号による豪雨が原因だとされているが、無惨にえぐられた崩落現場の映像を見ると、斜面に整然と密生する樹木はすべて細くて弱々しい針葉樹だ。スギかヒノキと見える。田辺といえば南方熊楠の生地ではないか。鎮守の森を切り倒して金もうけをしようという神社合祀に身を挺して抗議した熊楠は何と言ったか。「すべての自然は複雑に関連し合っている。木を切ってはならない」。偉大なる先達のことばを忘れた村人が広葉樹を伐って材木用の針葉樹を植え、あげくのはてに安価な輸入材に負けて山林を放置した結果の惨害であるとわたしは思った。皮相な見かただろうか。

●国外からの侵略

 《今、日本各地の山(森)がかつてないほどの規模で売れている。林業がふるわなくなったいま、日本の山はその持ち主にとっては「巨大なやっかいもの」になりつつある。そういう山を買い取る動きが活発化しているのだ。》真の姿をあらわさない買い手の目的は水。《質のいい水が安定供給されている「宝の山」に外資が目をつけているのだ。硬水が多いヨーロッパ各国にとって、「軟水」だらけの日本の山は文字通り「宝の源」であり、ウォータービジネスの最高の狙い目だ。国家的な水不足に悩んでいる中国はアジアの大河の源流がほとんど集まっているチベットから巨大な水路を作って中国の川に導きいれる工事を急ピッチで進めるいっぽう、日本の山の水源にも手をのばしている。(中略)そして日本には、そうした外国からの水資源収奪を防ぐ法律が存在しないのである。》

 このままでいくと《何十年後かには水脈のない枯れた土と岩だらけのガイコツのような国土になってしまうかもしれない》と椎名は強い危機感をしめす。

●自衛のための水貯蔵

 椎名は藤田紘一郎東京医科歯科大学名誉教授に、日本のボトルウォーターで「すぐれた水」はどれかと聞いた。教授曰く、抗酸化力が強く活性酸素を抑えるという点で、釜石鉱山株式会社の「仙人秘水」がよいとのこと。この水は鉱山に降って磁鉱石のなかを20年かかってしみ出てくるため抗酸化力を持つのだそうだ。弱アルカリ性の軟水だ。同社はホームページで毎月放射性物質の検査結果を公表しているが、いずれも「検出せず」とある。20年は大丈夫だろう。わたしは震災対策もかねてさっそく購入した。

 椎名はまた雨水を貯めるため180リットル容量のタンクを自宅に設置した。 ただし天水は飲料には向かず、風呂やトイレなどに使うのが現状のようだ。上水でもなく下水でもないこの水を「中水」という。

   水に困っている地域ほど雨を活かす事業が発達している。日本でいえば墨田区。《墨田区の年間降雨量二〇〇〇万トンは、区で一年間に使われる水道水の量と同じ。「流せば洪水、貯めれば資源」。解決策の基本発想だった。》新国技館には1000トンの雨水タンク、江戸東京博物館には2500トンのタンクを設置した。これが全国規模で進めば、大都会で使う水を山奥から引いてくる必要はなくなる。水の地産地消だ。

 ドイツ人はなにごとも徹底的にやらなければ気が済まないらしく、《ベルリン市などは、雨水をそのままで下水に流すと、雨水としての下水料金を徴収するという。(中略)ビルが雨水利用の設備をすると、下水料金が免除され、雨水利用装置の設備費の早い回収につながる、というわけで、やらなきゃ損、という構造になっている。》

 ああそれにしても。中水を利用するための貯水槽から放射性セシウムが検出され、雨水の利用が禁止される事態が各地にひろがっている。本書が書かれた前とあとでは日本の水事情は一変したといっていい。諸外国も日本の水を狙って土地を買い占めるという計画を少なくとも東日本に関しては一時中止しているのではなかろうか。

 放射性物質を除去する方法を考えなければならない。RO膜によって海水を淡水化する事業では東レ・日東電工・東洋紡の3社が世界シェアの7割を占めているそうだ。納豆菌をつかって汚濁水を数分で透明にする技術も日本独特のもので、さまざまなベンチャー企業が水事業に参加しはじめている。日本はそういう技術を持っているのだから、水の除染も可能になるだろう。だが除染したところで放射性物質がこの世から消えるわけではない。放射性物質の無毒化は図れないものだろうか。