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 『とかくこの世はダメとムダ』(山本夏彦、講談社、2010.11)

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 山本夏彦は2002年死去、享年87。他界の直後に出た『最後の波の音』(文藝春秋)で読みおさめだろうと思っていた。というのも、山本はつねづね「読者はノミに似て、作者が死ぬとクモの子を散らすように去る」と言っていたからだ。それなのに本書は単行本未収録作品を集めて2010年に刊行されている。断簡零墨まで読みたいという読者がまだいるのだ。

 山本のエッセーは「寄せては返す波の音」だから、みな読んだことがあるような気がする。それでもふたたびみたび引用したい文章が頻出する。けれどもそれでは身がもたないので(わたしは一字一字書き写しているのだ)、ここでは特に「言論の自由」に焦点を当てたい。

●大衆は馬鹿である

 言論の自由は大衆の愚かしさと密接にかかわっているので、まずはそちらに主眼を置いて見ていく。大衆とは愚かなものだと山本はたびたび嘆じる。「大衆このエゴイスト」(昭43年)とまでいう。《ひとは一人でさえロクでなしである。それが大ぜい集まったら、何を言いだすか、何をしでかすか知れはしない。そのロクでなしぶりは倍増する。》言われても、自分だけは愚かでもエゴイストでもないと思っているから読者は「そうだそうだ」と共感できる。

 女子供をせせら笑い、まじめ人間を罵倒する。夏彦いわく――、まじめ人間は身辺清潔な人が大好き。常に前向きで、良心的で、正義感にあふれている。《彼らはベトナムを、平和を論じる。妃殿下を、なるちゃんを語る。寿司や酒の通みたいなことまで言う。》ここからがたいせつなところ。《みんな人から聞いた言葉である。自分の言葉は一つもない。それでいて発声したのは自分だから、自分の言葉だと信じている。》

 ここからはさらにたいせつなところ。《そこでは新聞の言葉が語られる。新聞の言葉とは売買された言葉のことである。原稿料または給金が支払われた言葉である。自分のことはタナにあげ、他を非難する言葉である。》

 「私は世論を信じない」(昭44年)のなかではさらに追い打ちをかける。《テレビで見た、新聞で読んだ他人の言葉を、自分の言葉として泡をとばして言う。アンポハンタイであれ、いい気味であれ、おかわいそうであれ、フリーセックスであれ、みなオウム返しである。/二人が語って、それはたった今読んだことだと一人が言わないのは、しっぺ返しに自分が言われるのを免れるためである。だから、聞いてなんぞいない。ただ、ぱくぱく開閉する相手の口を見ているだけである。一段落するのを待って、一段落したらこんどは自分がぱくぱくやる番である。/それを彼らは話しあいという。甚だしきは言論の自由という。その話しあいは脈絡を欠いている。毎年のように、新聞は冷害と風水害を報じる。そして秋には、史上空前の大豊作と書く。あの冷害とこの豊作の間には、脈絡がない。》

 結論。《馬鹿は一人でも馬鹿であるが、十人集っても馬鹿で、百人集っても馬鹿だと言ったら、そうでないと教えられた。馬鹿は十人集ると十倍の、百人集まると百倍の馬鹿になると教えられた。》はははと笑ったのち、自分のことだと気づいた。

●商売としての反体制

 マスコミ、特に大新聞、大テレビに対する舌鋒は生涯を通じて鋭かった。

 本書には1970年前後に書かれたものが多く収められているせいか、60年安保にふれる文章が多い。《官学の教師は、体制側から身分と給与を得ている。それが新聞雑誌に、反体制的な言辞を弄する。/総合雑誌が、進歩的なのは、もとより商売のためである。商売としての反体制である。新聞の進歩的のごときは、俗にいうマッチ・ポンプである。》60年安保のとき新聞は知識人とともにこれを阻止しようとして大衆を煽ったが、暴動が起こりそうになったので慌てて「暴力はいけない」とおさえにかかった、とつづけ、《新聞も雑誌も執筆者も、革命を起こす気のないこと、その経営者と同じである。体制のなかでの教授であり、資本主義のなかでの新聞である。》救いがないほど現実的な意見だ。

 だからといって「どうせオレは官学の教授だから体制側でいいんだ」とひらきなおるのもどうかと思う。というのも、2011年に起こった原発事故のさい、マスコミに登場して「大丈夫だ、たいしたことない」といいつづけた大学教授たちは、官学にかぎらずじつは東京電力や政府の御用学者だった。反原発派の学者は電力会社の助成を受けられないのはもちろん、政府の諮問機関にも入れてもらえないし出世もできないという事実が露見するのに時間はかからなかった。御用学者が犠牲者をふやしたのはたしかだ。

●読者が欲することしか書けない大新聞

 大新聞を批判するということは、その記者を批判するということだ。いま新聞はこのエッセーが書かれた70年安保のころほどの勢いをなくし、テレビに読者を奪われたとはいえ、テレビ、ラジオのニュースショウは新聞記事をもとにして作っているのだから、あいかわらずいちばんエライのは新聞なのだ。新聞記者批判は意味を失わない。《すぐ忘れられることを書くのは愚かである。読者は常に、気にいらない説なら認めない。読んでも、記憶にとどめない。/この認めることと認めないこと、喜ぶことと喜ばないことを弁別して、認めないことを書く愚を犯さないのが、なん百万人を相手にするジャーナリストの手腕なのである。》まあ辛辣なこと。

 何百万という読者をもつ大新聞は、読者の機嫌を損じまいとするものだからハッキリしたことが言えなくなる。《読者というものは記者を束縛する。記者は何でも書けるつもりでいるが、読者が欲することしか書けない。そして常に読者の欲することを書いていると、自分の書きたいことが何だったのか、しまいには分らなくなる。》(「分らない文章」昭53年)テレビについても同じことがいえる。あらゆるマスコミ関係者の通弊だろう。

 それなら山本は書きたいことが書けたのだろうか。

●商品である言論を用いて商品である言論と戦う

 大新聞の記者は読者の欲するところしか書けないという点について「なにが『言論の自由』か」(昭44年)という文に詳細が記してある。まずは冒頭、《言論の自由は、以前はなく、今あるといわれているが、本当だろうか。それは、以前もなかったし、今もないし、これからもないと私には思われる。》というきびしい現状認識をしめす。

 《この世に売買されぬ表現はないと言うと、大衆は立腹する。自ら信じるところ篤ければ、自費出版する方法があるという。立って街頭で演説する手段があるという。/素人考えである。何よりそれを信じないのは彼らである。謄写版で刷った言論を、タダで配布して誰が信じるだろう。その同じ言論が、大新聞に、テレビに出て、はじめて信じるのである。商品と化した言論しか信じないくせに、信じるような言辞を弄して疑わないのは偽善である。》

 ではどうすればいいのか。この先に山本の真意がつづられる。《私的な印刷物は、怪文書にすぎない。ウソにきまったスキャンダルでも、週刊誌に出ていれば信じられる。かくて謄写版で刷った言論は言論でないとすれば、商品である言論を用いて、商品である言論と戦わなければならない。》手練手管を用いてそれと分からぬように筆者の真意を文に忍ばせておくのだという。

 商品である言論を用いて商品である言論と戦うという。ほかに手段はないのだろうか。マスコミに発表した言論が信用されるのは、それが権威をもつ媒体だからだろう。ならば筆者自身がすでに権威を獲得していれば、謄写版で出しても信用されるのではないか。たとえばノーベル賞作家の大江健三郎が『フクシマ・ノート』という本を私家版で出したら、世間はそれを怪文書とはとらないだろう。

 インターネットはどうか。山本がこれを書いたときにはまだなかった媒体だ。ホームページもブログも私的な印刷物の一種だから、いわば謄写版、怪文書のたぐいだが、こちらもやはり発信者の権威次第ではないか。インターネットは今のところはまだ「売買されぬ表現」だ。「商品である言論」ではない。

 ただしネットはいわば編集者の目を経ない自費出版物であり、謄写版の域を出ない。それにwwwは「世界に張りめぐらされたクモの巣」であることを考えると、いくら発表しても人の目にふれる可能性はほとんどゼロだという欠点もある。

●悪事を働かなければ大きくはなれない

 もうひとつ、べつの角度から本書をながめてみる。山本がくりかえして書くテーマのひとつに大新聞、大企業など「大」と名の付くものなら悪しき存在にきまっているという「大きいもの嫌い」がある。その根底にあるのは、清潔だけでは事業も政治もできないという醒めた目だ。《清濁あわせ飲むとは美称で、なに、人並はずれた悪事を働くというほどのことである。二万人の従業員を動かす経営者が、清潔そのものだと思うのは、思うほうがどうかしている。経営者は秘術をつくして、経営よろしきを得るのが任務である。その男に二号があろうと三号があろうと、そんなこと事業と関係がない。清潔そのものではあるが、経営の手腕がなく、競争会社にしてやられるなら、それは経営者ではない。従業員は迷惑する。ヘソから下のことは問題にしないと、昔の男は言った。》

 「大きいもの」(昭48年)というタイトルのエッセーでは、大きいものの代表として松下幸之助と山本周五郎を槍玉にあげている。《私はちっぽけな法人の経営者である。私は私の会社を経営して二十年になるが、大きくもならなければ小さくもならない。ならないのではない、なれないのだと私は私を見限っている。経営者として私は落第である。その代り潔白である。ワイロは使わないし、貰わない。社用の交際費を私用には使わない。これが潔白でなくて何だろうと思われるほどだが、その私でさえ、よいことばかりしていては、二十年つぶれないでいることはできない。やっぱり悪事は働くのである。》肉を切らせて骨を断つ戦法とみた。

 つづけて、《松下さんは大きい。金もあるし、人手もある。どうしてあんなに大きいものが、清く正しくいられるだろう。小さいこと豆粒大の会社でさえ悪いのに、巨大な会社が悪くない道理がない。いくらPHPといわれても、承知できない。》山本周五郎は読んだことがないが、当時よほどはやっていたものと見え、《あんなによく売れる言論が、真であり善であり美であることが可能だろうか。》とヒニクっている。弱く貧しく正しい者の味方のような顔をして大金をかせぐのが気に入らなかったのだろう。

●言いまわしのたくみなことよ

 ここからさきは言わずもがな、山本は文章がうまいという感想だ。「私は世論を信じない」が雑誌「諸君!」創刊号に発表されたのは昭和44年。昭和44年は25を足して1969年、70年安保の前年だ。アイゼンハワーの葬式に参列した岸信介をテレビで見た山本は「甚しい哉その衰えたるや」とながめる。いいなあこの言いまわし、こんど使ってやろう。いやいや、いまはもうこちらが言われる番になってしまったか(笑)。

 《九年前、岸氏に関する情報はネガティブなものばかりだった。ジャーナリズムは連日書いた。/「声なき声を聞け、国民の間にたかまる岸批判」「〈アンポ〉〈ハンタイ〉〈岸を〉〈倒せ〉のシュプレヒコール」「婦人や子供までデモに参加、夜まで国会周辺を埋める、岸首相の私邸へ投石」》しかしデモ隊の9割は安保条約の条文を読んでいないと痛いところを突いたあと、山本は岸を擁護する。《いうまでもなく、私は岸氏とは縁もゆかりもないものである。けれども私は彼が一度は死んだ人だと知っている。》戦犯として長く巣鴨プリズンにいるということは、いつ殺されるかわからないということだからだ。《人はこのとき本性をあらわす。あらわして見るにたえる人は稀である。彼はその一人だったと聞いた。/それが返り咲いたのである。ひとたび死んだ男が、どうして私利私欲のかたまりであることができよう。年も七十に近い。安保改訂は最後のご奉公だと彼は彼なりに思ったのではないかと、私の常識は察する。》

 うまいなあと思う。ふたつの意味でうまい。まず「私の常識は察する」がうまい。文末の処理には難儀するものだが、この言いまわしは自説を主張するばあいにはとてもいい。おだやかでありながら有無を言わせない。「一度は死んだひとだから」という論拠もハードボイルドで説得力に富む。岸は憂国のひと、愛国の政治家だったのだなあと、わたしなどはこの一文でころりと説得されてしまった。