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 『仏教、本当の教え―インド、中国、日本の理解と誤解―(植木雅俊、中公新書、2011.10)

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 そもそも仏教の開祖のことは何と呼んだらいいのだろう。 ブッダ、お釈迦様、ほとけ様、いろいろあるがどれが最適なのか。 「しゃか」は開祖の属した部族名のようだ。 梵語「Buddha」が支那で音訳されて「仏陀・仏」になり、それが日本に来て「ほとけ」になったという (ブッダがホトケに音韻変化したのだ)。名前ひとつとっても文字も音も変化してきた。

 本名はゴータマ・シッダルタというようだから、わたしはゴータマさんと呼ぶのが公平な態度かとおもったが、 『広辞苑』によればゴータマはクシャトリヤ族の姓だという。 わけがわからないので、植木にならってここでは釈尊と呼ぶことにする。 ちなみに植木によればブッダとは釈尊をしめす固有名詞ではなく、 「目覚めた人」という意味の一般名詞。 「ダルマ」(dharma、すなわち宇宙の真理、またの名を法)に目覚めれば誰でもブッダといえるのだそうだ。 植木が最も重視する仏教思想はこれ、「目覚めた人」だ。何度もくりかえしている。

●原始仏教の本質は「明知」

   布教のための本ではないから「おしゃか様はえらいひとでした」みたいな話はほとんど出てこないが、 それでもつぎのエピソードには感銘を受けた。 こんな話だ。入滅のおりには、さんざん修行を積んできたはずの弟子が悲しむのを見て、 「あらゆるものは無常であり、死を免れない」と冷徹な態度をとった釈尊も、 生前たとえばわが子を亡くして悲しんでいる母親に突き放すような態度をとったわけではない。

 ゴータミーという貧しい母親が出産後すぐに死んだ赤ん坊の亡骸を抱いて 「子どもを生き返らせる薬をください」と半狂乱になって町中をさまよい歩いていたときのこと。 ひとびとはあざ笑ったが、釈尊はゴータミーをあわれんで、「わたしが生き返らせてあげよう」と言った。 「そのためには、農家から芥子の実をもらってこなければならない」

 《ゴータミーは、喜んで農家へと向かった。釈尊は、その背後から、 「ただし、その家からは一人も死者を出したことがない家でなければならない」という条件を付け加えた。》 ゴータミーは1軒1軒たずねてまわるのだがそんな家はどこにもない。 どの家でも祖母が、祖父が、父が、母が、子どもが亡くなっている。 《それを繰り返しているうちに、狂乱状態から我に返る。 子どもの死という事実を事実として見ることができなかった、あるいは見ようとしなかったゴータミーが、 死という事実を直視した。こうして真理に目覚め、釈尊の弟子となった。》

 まことに心にしみる話だ。現代ならこの女性は精神科に連れて行かれ薬漬けになって、 癒えることなく狂乱のうちに死んでいくだろう。 古来、偉大な僧侶は洋の東西を問わず偉大な精神科医でもあったのだ。 なにごともストレートに真実を突きつけてねじ伏せればいいというものではない。 みずから無常に気づくしか悲しみを乗り越えるみちはない。 真理に目覚めること、すなわち「明知」こそ釈尊の目指したものだ。

●迷信じみたことを徹底して批判した釈尊

 護摩壇に向かって護摩木を放り込み、燃えさかる火の前で禿頭に汗を浮かべながら 坊主が赤い顔をして一心不乱に経をとなえるという光景はいまでも見ることができる。 これはもともとバラモン教の「ホーマ」(護摩)という呪術の名残だ。 動物を供物とし、供物は煙に乗って天上の神に届くとされた。 《火の供儀は、火を燃やすことで過去世からの穢れをなくすことができると信じられて、行われていた。 火を神聖なものと考え、火を崇拝することによって身が浄められ、苦から解脱することができるというわけである。》 しかし釈尊は不殺生をとなえ、「ホーマ」の儀式を迷信として否定した。その否定のしかたが小気味よい。

 《釈尊は、「火によって穢れがなくなるというのなら、 朝から晩まで火を燃やして仕事をしている鍛冶屋さんが一番穢れが少なくて、解脱しているはずである。 それなのに、カースト制度では最下層に位置付けられているのはどうしたわけであるか」と批判している。》 ブッダにかぎらずキリストやムハンマドなど偉大な宗教家たちはみな理にかなったことを言ったからこそ民衆はついていったのだろう。 (もっとものちに仏教がヒンドゥー教の影響で密教化するにつれて、 このホーマの儀式が仏教の中心的なものであるかのようになってしまう。 だからいまだに日本の坊さんは顔を赤くして護摩をたいているのだ。)

 釈尊は沐浴も迷信として否定していた。 ガンジス川でバラモンが寒さにふるえながら沐浴をしているところへ、 女性出家者のブンニカー(釈尊は女性差別をまったくしなかったので弟子のなかには女性もたくさんいた)が通りかかって 「何をしていらっしゃるのですか」と問いかけた。なにをしているかったって沐浴しているにきまっている。 ブンちゃんたらちょっと意地悪。

 バラモンは「沐浴することによって、過去世の悪業を洗い流しているのだ」と答える。 《「じゃあ、魚や亀や鰐や蛙は生涯、水につかりっぱなしです。 ということは、魚や亀や鰐や蛙のほうが、より解脱しているはずですね。 それなのに、畜生として人間よりも低く見られているのはなぜでしょう」》 バラモンはそのことばでハッと目が覚め仏教に帰依することになったとか。 この一言で目覚めるバラモンもなかなかの人物だ。

 ちなみにブンニカーは《出家前は「水くみ女」と呼ばれて、カースト制度の中では極めて低い階層であった。 しかも男尊女卑の著しいインドで、女性の一言で最高階級のバラモンが宗旨を変えて仏教徒になった。 こうしたことが、原始仏典に記されており、仏教は迷信じみたことを徹底して批判したのである。》

 《仏教は通力や、おまじない、占い、超能力、呪術的な医療、呪術的祭式、儀式偏重などすべてを否定していた。 重視すべきことは、「あるがままの真実に即した道理」であり普遍的な真理としての法(dharma、真理)であった。 その「法」を自らに体現し、「真の自己」に目覚めることこそが仏教の目指したことであった。 本来の仏教は、自覚を重視した宗教であるといっても過言ではない。》

 2500年も前の未開野蛮な時代に「普遍的な真理」を求めるとは、おどろくべきことだ。 当時にくらべて学問も飛躍的に発達し、それに比例して英知を蓄えているはずの現代人が、 釈尊の否定した迷信から逃れられないどころか、それを宣伝してまわっている者の多い現実をどう解釈したらいいのだろう。

 麻原彰晃は仏教まがいのもので人心をたぶらかし、大量殺人を犯したとがで死刑判決を受けたが、 今また信者の数は若者を中心にふえているらしい。 布教用のアニメで麻原が座禅を組んだまま壁をすーっと通り抜け空を自由に飛んでいくというものがある。 それなら刑務所の壁を抜けて自由の身になればいいではないか。信者はそこをどう考えているのだろう。 オウム真理教の起こした事件が明るみに出たころ、テレビ各局は星座占い手相占いから超能力、 心霊スポットまでうさんくさい番組をいっさい放送しなくなった。のどもと過ぎた今では元の木阿弥だ。

●袈裟は死体を包むぼろ切れのこと

 釈尊が生まれる前から、インドの階層秩序は皮膚の色によってバラモン(司祭者)、 クシャトリア(王侯・武士)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(隷民)の4つにわけられていた (そのしたにチャンダーラ=不可触賤民がいたようだ)。皮膚の色で分けるのはなぜなのだろう。 おそらくバラモンは白くて、下にいくにつれて黒くなっていくのだろうが、 チャンダーラのうちに白い子が生まれたら出世のチャンスはあるのだろうか。

 釈尊はもちろんそんな階級は否定した。人間の価値は皮膚の色や生まれで決まるのではなく、その行いで決まるのだと説いた。 釈尊は出家して袈裟を着ていたが、袈裟というのはもともと「薄汚れた色」を意味するサンスクリット語のカシャーヤから来ている。 墓地に捨てられていた死体をくるんだ布のことだ。袈裟をまとうことはチャンダーラの習俗だった。 《出家することは、本来、世俗の名誉、名声、利得など一切をかなぐり捨てて、 社会の最底辺に置かれた人たちと同じ立場に立つことであった。 外見や生まれによってではなく、行ないによって、最高の清らかさを得る在り方を求めたのである。》

 一気に不可触賤民の服装を採用するとは過激なひとだ。 その過激さは、おそらく最高位のバラモンのみならず多くのひとびとからうとまれたことだろう。 仏教徒は最後までカースト制度を承認することはなかった。 それがカースト制度の支配的なインド社会において永続的に根を下ろすことができなかった理由のひとつだと中村元は考えている。

 それにしても袈裟が最もいやしい布のことだとは知らなかった。 タレントを呼んで豆まきをする有名なお寺の坊主などは「錦の袈裟」などといってえらく金ぴかの袈裟をぶらさげているし、 最高位の坊主は天皇の許しを得て紫色の袈裟をまとったりするそうだ。 色で階級をあらわすんだと。古くは「糞掃衣(フンゾウエ)」ともいったらしいから、初心に戻ったらどうだ。 仏教を説く身として恥ずかしくないのか。 絹の襟巻きをして金ぴかの服を身にまとうなんて、もしあの世で釈尊に出会ったとき、どう申し開きをするのだろう。

 そういえば、むかしデパートの催事会場でおこなわれた「大バチカン展」だか「バチカン秘宝展」だかに行ったとき、 会場に一歩足を踏み入れるや胸くそが悪くなった。金銀財宝で飾りたてられた王冠が麗々しくスポットライトを浴びている。 誰がどういう立場でこれをかぶるのか。誰の金でこれを作ったのか。5W1Hみないかがわしい。 いかなる宗教もこんな華美なことをするものはインチキと断じてさしつかえない。

●神のための殺人を是認する一神教

 原始仏典『ダンマパダ』には「すべての生き物は暴力を恐れる。 すべての生き物は死に脅える。わが身に引き比べて、殺してはならない。 また他人をして殺させてはならない」とある。 釈尊とほぼ同時代に生きた孔子は「おのれの欲せざることをひとにほどこすことなかれ」と言った。 インドと中国の距離を考えれば不思議な一致だ。

 いっぽうその500年後に中東で生まれたキリストは、「おのれの欲するところをひとにほどこせ」と言っている。 これを東洋的発想と西洋的発想のちがいのように言うひとがあるが、わたしはちがうと思う。 なぜならギリシャ以西を西洋というならイスラエルあたりは西洋には入らない。 中東だ。キリスト教も、その600年後に生まれた同根のイスラム教も中東思想というべきだろう。 西洋人はギリシャ文明やキリスト教など、すぐれたものはみなわが先祖のようにいう。閑話休題。

 仏教に神は出てこない。 出てきたとしてもギリシャの神々や日本の八百万の神のように人間的なもので、全知全能の「絶対神」ではない。 ここからは植木の意見。《もしも、ここに神様というものを介在させるならば、 「神様のために人を殺す」ということは正義であると考える人が出てこないとも限らない。 ということは、神様が目的で、人間が手段化されるのである。 仏教では、神様なしに、人間対人間という現実の関係において倫理が説かれた。 そこにおいては、人間が手段化されるのではなく、人間が目的であったわけだ。》

 現在ユダヤ・キリスト教徒とイスラム教徒はそれぞれ自分の神様の名において殺し合っているが、 じつはヤハウェもアッラーフも同一神なのだそうだ。 さらにイスラム教徒はシーア派とスンニ派に別れて殺し合っている。 唯一絶対神という概念は危険だと思う。 タゴールはこのあたりを重視して「仏教は21世紀に重要な思想になるでしょう」と言ったのだろう。

●北枕が「正しい」寝かた

 サブタイトルに引かれて本書を購入。 前々からきっとそうにちがいないと思っていたのだ。 日印間は直線距離なら6000q、飛行機なら10時間ほどだが、支那人の三蔵法師でさえ天竺往復に3万q、 16年を費やしているし、支那に伝わった仏教を日本に広めようとした鑑真は何度も渡海に失敗し、来日に10年かかっている。 とてつもない距離と時間をへだてて伝わってきたのだから、 釈尊のとなえた教えは、日本に来るころにはそうとう変質しているにちがいないと。

 日本国内では14世紀になっても京都と蝦夷地では「九訳を重ぬとも語話を通じ難し」、 倭人にとって9回翻訳しても話の通じない蝦夷がいたのだ。 まして国をへだてた文化の伝播は容易なことではなかった。

 伝播するうちにゆがんだものはたくさんあるが、俗なところでは北枕。 日本では死人の寝かたであるとして忌み嫌われている。 植木は子どものころ北枕で寝ていると祖母がとんできて「縁起でもない」としかられた。 《「人が寝る時、頭を北に向けることぐらいで、とやかく言うような、その程度のものが仏教であるのならば、 ぼくは仏教なんか信じない」というのが筆者の考えだった。》 どうやら少年時代から日本人の仏教観にうさんくささを感じていたようだ。こういう子は見込みがある。

 おとなになってインドに行ったところ、インド人はみな北を枕にして寝ていたというから大笑い。 《インドでは北に理想の国が、南に死に関する国があると考えられていて、 インド人にとって頭を北の方角に向けて寝る北枕は生活習慣だったのだ。 釈尊も、生活習慣として日頃から北枕で寝ておられたのであろう。》 『涅槃経』のなかに釈尊が入滅するとき頭を北に向けて横たわったとあるのを読んだ日本人仏教者が、 それが死ぬときの正しい作法だと誤解したのだ。 しかしよくよく考えてみると釈尊の北枕だって迷信に基づいているのだから五十歩百歩だと言えなくもない。 まあ迷信というより生活習慣だろうが。

 日本人が釈尊の教えだとおもっているもののなかには、まるで仏教と関係ない、ただの因習がゴマンとある。 お盆のときナスやキュウリに割り箸を刺して先祖を迎えよと釈尊はのたもうたのだろうか 。そもそも盂蘭盆経そのものが支那人の作った偽経だそうだから、 釈尊に問えば、「またかいな」と志の世に容れられざるをお嘆きになることだろう。
(つづく)

 ◆S氏(60代男性) 『仏教、本当の教え』、内容が良さそうですね。
長いこと『正法眼蔵』の製作をを担当して、個人的にも
少しだけど、仏教に関心があったから、面白く読めます。

著者の植木って、どんな人かと興味が湧いて、気付いたら
大兄の乱読日記は、著者についての情報を、基本的には掲載
していないのね。善し悪しを論議すべき問題じゃないけれど。
おかげで、ネットで著者の履歴を調べてしまった。中村元
大先生のお弟子さんなのね。いい宗教センスをお持ちのはずだ。

次回も楽しみ。

◆K氏(60代男性)  「乱読日記」を読んで、『仏教、本当の教え』が面白そうだから、買って読みました。
私もまさに「仏教に関する本など今まで1冊も読んだことがないから、 薄い新書1冊読んだだけで仏教が分かったなどとおこがましいことをいうつもりはないが、「仏教、本当の教え」の一端に触れ得たことは収穫だった。」ということです。
 サンスクリット語の経典や原始仏教の考え方には共感できました。どうも日本の仏教は怪しいところがあると思っていたのだが、その一端が理解できたような気がする。そもそもいまのお坊さんは経典の意味を勉強しているんだろうか、と疑いたくなりますね。
 この本も、後半はつまらんね。面白いのはサンスクリットからの変遷の部分だね。

 ずいぶん前だが、ダライ・ラマの「チベット、わが祖国」を読んで、
すっかり彼に心服しました。中国は非難したり、ネガティブキャンペー
ンを張ったりしているけれど、私は彼を信用しています。

◆Tさん(70代尼僧) 藤川さんとブッダの間に何も入らず、何人も入らずにブッダの説かれた教えが、そのままにつながっていることに“善し”と思いました。
こんな風に、続けて書いて頂きたいと思いました。
寺持ちの僧が、しがらみにしばられて、本来ブッダの説かれた説を大きくゆがめて俗世の人々にエラソーにお説法するのはきき苦しいものです。
寺を守る立場にない藤川さんの正論はまことにすがすがしく耳に心地よい。

インドでカーストの位の高い人程、肌は白くなり、目鼻立ち、容姿はヨーロッパ風でした。なぜか? アレキサンダーが侵入し、ヨーロッパ人との混血、支配があり、カースト上位者はそんな風になったとききました。
だからカースト下位になればなる程、肌は黒さを増し、容姿は身長低く、顔は鼻ペチャでみにくいのです。(これ、インドでききました。)

ブッダのお説法はすばらしく魅力的で、遠くから宗教を越えて、多くの人々がきくために集まったことでしょう。
バラモンだって、土地土地の土俗宗教者も教えをきき、心酔し、弟子になるものは多かったと思うのです。
中には身命をとして、仏教を守りたい、法を伝えるために力をつくしたい、苦しみや危険の多い現世をブッダの教えに従ってゆこうとする人々の守護をしたいと願うすぐれた人々もいたでしょう。
それらの人々が守護神としてあがめられていき、いつの間にか、仏教の多神が出来上っていったのではないでしょうか。

キリスト教の中にも聖人、聖女がいますよね。

藤川さんの健全なブッダ信仰を尊いと思います。    かしこ