58(2013.11掲載)

 『韓国が漢字を復活できない理由』  (豊田有恒、祥伝社新書、2012.7)

   58_kankokugakanjiwo.jpg

●金容雲先生のかんちがい

 前言を撤回しなければならない。 本書を読んでわたしは、以前本欄の32でとりあげた『日本語の正体――倭(ヤマト)の大王は百済(クダラ)語で話す――』 (金容雲、三五館)をおもいだした。著者は韓国を代表する数学者であり、そのひとが、 「私は数詞の関係から見て、日韓のすべての基礎語は何らかの形で共通祖語を持っていることを確信しました。」と断言している。 また「日本語にとって韓国語がもっとも近い言葉であることを認めながらも、その直接の関係はほとんどない、 というのが今日までの日本の学界の定説になっています。」その常識をくつがえすと著者の鼻息は荒かった。 ヤマト朝廷は百済人であった、だから日本語も百済語に由来するというのがその本の大意だ。 そうかもしれないとそのときはおもった。

 しかし本書を読んで、ひょっとしたら金先生は基本的なミスをおかしているのではないか、 またわたしは韓国を代表する数学者という肩書きに幻惑されたのではないかと感じた。 金先生の思いこみの大本は、韓国で使用される漢字熟語の7〜8割が和製漢語であることを見落としていることにあると思われる。

 《しばしば、日本語と韓国語の類似が、話題になる。/ 「日本語の謎は、韓国語で解ける」式の本が、ときどきベストセラーになったりする。 たしかに、韓国語は、日本語に似ているのである。しかし、なぜ、似ているかと言うと、漢字というものが共通していて、 それが似ているからだ。》たとえば「約束」という漢語を日本人はyakusokuと読み、韓国人はyaksokと発音する。 語尾の母音が消えていったのは中国語の影響が強かったかららしい。

 語順などの文法は似ているが、言語の基層、すなわち日本でいえばヤマトことば、 韓国でいえば固有語(コユオ)を比較すると類似するものはほとんどないと豊田はいう。 《まず、身体語に、共通する単語がない。モリ(頭)、ソン(手)、パル(足)、イプ(口)、コ(鼻)、ヒョ(舌)、 ペ(腹)、ヌン(眼)など、ひとつとして共通の語源を思わせるものはない。》

 さらに金先生が絶対の自信を持つ数詞に関しても、豊田は「まったく似ていない」とにべもない。 《一、二、三は、もともと漢語だから、一(イル)、二(イー)、三(サム)となり似ているが、 一つ、二つ、三つ、四つに相当する固有語(コユオ)を較べてみれば、似ていないことがはっきりする。 ハナ、トゥル、セ、ネッとなる、まったく別である。》

 ここはもうすこし細かく説明しないとわかりにくい。表にしてみる。

漢語の                  1(イー)、2(アル)、3(サン)、4(スー)
を朝鮮訛りで音読みしたものが   イル、  イー、   サム、   サー
日本語訛りで音読みしたのが    イチ、  ニー、   サン、   シー
 ただの訛りのちがいだから似ているにきまっている。しかし土着語で見てみると――
朝鮮の固有語では           ハナ、  トゥル、  セ、    ネッ
ヤマトことばでは             ヒトツ、 フタツ、  ミッツ、  ヨッツ
(あるいはそれのバリエーションで  ヒー、  フー、    ミー、   ヨー)
 まったく共通するところがない。

 金先生は音読みに気をうばわれたのだろう。半島固有の数詞と列島固有の数詞はまったく異なる。 豊田のほうに軍配をあげざるを得ない。

 ところでSF作家がなんでまた韓国語の話なんか書くのだろうと思ったら、豊田は島根県立大学総合政策学部名誉教授の一面を持ち、 在職中は、日韓の古代史書を比較することを研究テーマにしていたとのこと。

●和製漢語に頼らざるを得なかった中韓

 わたしはNHKラジオ第2の第1期「アンニョンハシムニカ」を学び始めたとき、自動車はチャドンチャ、 自転車はチャジュンゴ、落下傘はナッカサンであることを知り、日韓とも漢字文化圏だから、 発音は多少異なっても同じ中国語を使っている以上そうなるのだとおもった。 中国語を朝鮮訛りで読むか日本訛りで読むかのちがいに過ぎないと。 だが一部の韓国人は、「いや、すべての韓国語は中国語由来ではなく韓国独自のことばである、 だから漢字は使わずすべてハングルで表記すべきだ」と主張していると聞き、苦笑したものだ。

 本書を読んで、じつは韓国の多くの漢字語は、日本人が作った漢字語を韓国音で読み替えて使っていることを知った。 「新聞」「科学」「物理」など日本の先人が欧米語から翻訳して作った、いわば和製漢語は、中国でも使用されている。 「共産主義」も日本製だ。なぜそんな現象が起こったかというと、 江戸時代日本は鎖国していたといっても海外事情にはずいぶん目をくばっており、それに古代の漢字渡来以来、 日本には翻訳文化の伝統があるからだ。日本は翻訳大国なのだ。それにひきかえ、鎖国していた朝鮮には欧米世界の知識がなかった。 中国は中華意識から欧米を蔑視していた。だから近代化を迫られたとき日本製の漢語を採用せざるを得なかったのだ。

 しかし韓国ではこのような和製漢語だけでなく、漢字表記のヤマトことばも数えきれないほど使われている。 たとえば日本では「手続」、「貸切」などと漢字で書くけれども、これはもともとテツヅキ、 カシキリというヤマトことばに漢字をあてただけの単語だ。 韓国ではこの和製漢字語をスソク、テージョルと読んでハングル表記する (ちなみに豊田は新聞・科学・物理など、日本人が欧米語から翻訳して作った和製漢語を「第1群」と名づけ、 手続き・売り出し・貸し切りなどのヤマトことばをハングル表記したものを「第2群」と分類している)。

 そんなことをせず漢字で書いてくれれば日本人にもすぐ読めるのに、と日本人はおもう。 《ソウルの街中を歩けば、もし漢字で表記してあれば、ただちに日本人にも読める日本語が、まさに大氾濫している。 改札口、大売出、現金引出機(ATM)、割引(以下略)》これを意地でもハングル表記にしているのだ。 日本ではゴミ置き場にだって英・中・韓の表記があるのに、なんというちがい。

●日本統治がひきおこした韓国の文化変容

 なぜ漢字で書かないか。漢字で書いたら、これらが日本起源だとわかってしまうからだ。わかって何が悪いのだろう。 《韓国も、もともとは、漢字国だった。日本以上に漢字を多用していた。 となりの中国への半従属関係から、公文書は、すべて漢文であり、 世宗王(セ・ジョン・ウン)がせっかく創製したハングルも、諺文(オンムン)と呼ばれ、蔑まれつづけ、知識人が使うことはなかった。》 世宗王(1397〜1450)は、李氏朝鮮の第4代国王。

 蔑視され普及しなかったハングルに光を当てたのは、じつは福沢諭吉(1834〜1901)だったと豊田は指摘する。 朝鮮王朝から多くの留学生を迎え、檄を飛ばしてアジアの覚醒をうながそうとし、 明治19年(1886)に日本で鋳造させたハングル活字で「漢城週報」を発刊した(韓国には当時ハングルの活字がなかった)。 「漢文だけでは読者範囲が狭すぎるため、仮名(ハングル)を使うことで、朝鮮の漢文を至上主義とする旧主義を一転させたい。 日本でも古論を排したのは仮名混じりの通俗文の力と言うべきで、このことをけっして軽視してはならない」という文章を残している (『韓国併合への道』呉善花、文藝春秋)。日本でも仮名が発明されるまであらゆる文書は中国語で書かれていた。 これでは一部のエリート層しか学問をすることができない。

 そのおかげもあって、日本の漢字・仮名混じり文と同様に、漢字と併用して使われるようになったのだが、 日本統治時代を迎えると、日本製の漢語が大量に流入することになり、 韓国語は、壊滅に近いくらい「言語学上の文化変容」を起こしてしまった。これがシャクの種だ。 《独立後、北朝鮮も韓国も、日本色を払拭することを政策の優先事項とした。 日本の影響を受けた、あるいは日本の世話になったような事柄を隠蔽する、いわゆる「日本隠し」が、あらゆる分野で行なわれてきた。 言語政策もその一環である。》

 1945年以来、韓国の漢字政策は揺れに揺れた。漢字・ハングル混じり文の便利さと反日政策のあいだで揺れたといってもいい。 《戦前の日本教育世代の多くの方々は、漢字・ハングル混じり文の効用を知っているから、日本語の言い換えと平行して、 国語を再編成するに当たって、漢字語の重要性を説いたが、李承晩大統領は、ハングル優先策を採った。》

 韓国は、日本語由来の単語をなるべく使うまいと努力し、「日本語風生活用語純化集」というリストを作成して、 日本語ふうのにおいのするものを極力韓国固有語に言いかえている。 《たとえば、〈出口(チュルグ)〉も第二群の和製漢語だが、(中略)〈出ていくところ(ナガスンゴツ)〉と表示されているケースも少なくない。 だが、無理に固有語で言い換えると、どうしても音節(シラブル)が長くなる。》 漢語はなによりも短いのが長所。日本でも事情は韓国と同じで、これをヤマトことばに置き換えようとすると長くなってしまう。 たとえばのはなし「愛玩動物」をヤマトことばに置き換えると、「気に入っているトリ・ケモノ・ムシ・サカナ」と長くなってしまう。 いや「気」は漢語か。では「こころもちのよいトリ・ケモノ・ムシ・サカナ」と、ますます長くなる。 外来語をすべて排除しようなどというのはどだい無理な話なのだ。便利なものは使えばいい。

 日本統治時代も《日本語を国語とし、国語常用家庭を表彰するなど、日鮮一体化政策を遂行したが、 かならずしも漢字・ハングル混じり文を、禁止したわけではなかった。 (中略)ただ、第二次世界大戦後、このことが仇となり、漢字・ハングル併用は、日本帝国主義の残滓(ザンシ)のように誤解され、 排斥の対象とされるようになった。その一方で、ハングルは、民族のシンボルの域にまで祭り上げられることになった。》 福沢諭吉の功績を忘れている。「正しい歴史認識」をもってほしいものだ。

 韓国は日本と同様、識字率の高い国だったが、韓国語の70パーセントを占める漢字語を排斥した結果、相当数の教養欠落者を出した。 角を矯めて牛を殺すといったところか。 《かつての漢字国、韓国の漢字教養の低下は、目を覆うばかりである。》といって豊田はこんな笑い話を披露する。 テレビの韓国紹介番組を見ていたら、タレントの井森美幸が韓国の街角で「あれ、この店、〈がんぐみ〉って、書いてある!」 と言ったそうだ。《なるほど、映像に映った店には〈元組〉と書いてあった。もちろん、元祖の間違いである。》

●翻訳文化が日本を先進国にした

 《結局、なぜ、漢字を復活できないかといえば、もし漢字を復活すれば、韓国で使われている漢語のほとんどが、 本家の中国起源でなく、日本起源であることが、ばれてしまうからである。》

 社長・取締役・専務・常務・部長・課長・係長。原子炉・軽水炉・圧力容器・格納容器……ハングル表記してあっても、 すべて日本製の漢字だ。 《学術用語などは、中国でも韓国でも、日本人の訳語を自国語の発音に読み替えて、そのまま使っているケースがほとんどだ。 (中略)韓国から見れば、すぐ隣りに翻訳マニアの国民が住んでいたおかげで、いちいち訳語を作らずに済んだわけだ。》

 韓国では英語も排斥している。サッカーといわずに蹴球といっているのだが、 これが日本製の漢語であることを知っている韓国人はどれぐらいいるのだろう。 野球・卓球・排球(バレーボール)・籠球(バスケ)・撞球(ビリヤード)など、 今の日本人には注を付けないとわからないものまでつかわれている。

 日本統治によって文化変容を起こしたのがシャクだからといって「日本隠し」をするのは無理なことだとわかる。 日本なんかアメリカに原爆を2発も落とされたうえにいまだ属国あつかいを受けている。 それでも上は官僚から下はポップス歌手まで嬉々としてわけのわからん英風単語をジャカスカ使っている。 フランス語のentrepreneurを「アントレプレナー」などというにおよんでは噴飯もの。 発音できないなら「起業家」でいいではないか。 ここまでくるといくらなんでも恥知らずといわざるを得ないが、便利なものはこだわりなく使えばいい。

 たとえば中南米各国の公用語を見てみると、ブラジルのポルトガル語を除けばほとんどスペイン語だ。 大航海時代の侵略の結果であることは明々白々。 だがそれまでことばの通じなかった部族間で意思の疎通が図れるようになったというメリットもある。 言語を抹消されたという事実は重大な主権侵害ではあるが、近代化の遅れた地域が新しい概念を獲得するには、 先進国のことばをとりいれるのが手っ取り早いという側面もある。

 『翻訳と日本の近代』(丸山真男・加藤周一、岩波新書)を見ると、徳川時代の文化は翻訳文化だった。 その経験が明治期の西洋文化摂取を容易にした、とある。こうしてみてくると、 日本がアジア諸国のなかでいち早く先進国の仲間入りができたのは、この翻訳文化という土壌があったからだといっても過言ではない。

●激しい性格はどこから来たか

 韓国人は、《物事を検証しながら、理路整然と相手を納得させることは、きわめて苦手である。 冷静な議論ではなく、罵詈雑言に訴えても、相手の意見を圧殺したほうが勝ちだと考える。》 と50回以上韓国に足を運んだ豊田は観察している。これは北朝鮮との交渉にも見られることだとか。 いったん何らかの合意が成立しても、つぎの会合ではそれをひっくり返し、むしろハードルをあげてくるという。 ……そういうことは北朝鮮のお家芸だとおもっていたが、韓国はそれ以上なのか。しんどい隣人たち。

 なぜそのような国民性が形成されてしまったのだろう。原因はその歴史にありそうだ。 韓国は気の毒な国で、過去2000年のあいだに国境侵犯のような小競り合いも含めて960回も異民族の侵攻にさらされてきた。 《現在、もっぱら日本が悪役を押し付けられているが、ほとんどは、国境を接している中国からの侵略である。》 中国はあまりに強大で、これに逆らうことができない。韓国人の姓が金とか朴などの1字姓になったのは中国に従った結果だ。 なのに「創氏改名」だけが責められる。直近の被害は記憶に新しいからだろう。

 《感心するようだが、韓国人が、ほぼ二年に一回起こる異民族の侵略、中華文明の圧倒的な影響にさらされながら、 今日まで独自の文化を守ってきたことは、むしろ驚異に値する。 それでも、いや、それだからというべきか、今日の韓国語の基層には、固有語は少ししか残っていない。》 相手に罵詈雑言を浴びせてでも自説を押し通さないと、民族のアイデンティティまで危うくなってしまうのだ。

●「正しい歴史認識」とは何か

 豊田は、日本統治時代(1910、明治43〜)を「併合」であり「植民地」ではなかったといって区別する。 《一般には日帝時代(イルジェシデー)と呼ばれているが、韓国人ばかりでなく、 おおかたの日本人が誤解しているような植民地経営をしたわけではなかった。 日韓併合であり、日本の主導のもとではあったが、両国は併合したわけである。》 京城帝国大学を設けたのが何よりの証拠、帝国大学は国立大学の雄であり、本土にもいくつもなかった。 イギリスがインドにケンブリッジやオックスフォードに匹敵する大学を建てたか、あくまでもインドは収奪のための植民地だった。 《日本人が、日本の都合にもしろ、朝鮮半島を内地並みに扱おうとしたことはまちがいない。 (中略)日本人は、韓国人を日本人にしようとしたのである。 別な文化を持つ隣りの異民族を、同化しようとしたのだから、独善といえば独善だが、少なくとも善意ではあったのだ。》

 日清戦争で清が倒れたおかげで大韓帝国が誕生したものの、 《当時の帝国主義列強が牙を剥く世界で生きていけるような国家ではなかった。 もし、日本が進出しなければ、帝政ロシア、あるいは中国の、それこそ文字どおりの植民地となっていただろう。》

 ここはむつかしい。善意といえば善意だったのだろうが、それは独善であったと見ることもできるし、現に韓国人は反日になっている。 もしロシアの植民地になっていれば今のような対日感情はなかっただろう。 だがしかし。ロシアには南下政策で鉄道を朝鮮半島まで引いてこようとする計画があった。 それをやられたら日本は指呼の間であり、 日本としてはなんとしてもそれを許すことができなかったところから日露戦争に進んでいったのだと、 『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社)という本は述べていた。 朝鮮併合にかぎらず、世界情勢はさまざまな要因がからみあって進んでいくものだから、 歴史事象の原因を単純に断言することはできない。

 併合は植民地ではなく日本化であるから、学校・工場・鉄道など、それまで半島になかったものをつぎつぎに導入して、 民生も向上した。『僕の見た「大日本帝国」――教わらなかった歴史と出会う旅――』(西牟田靖、情報センター出版局)も、 「鉄道、道路、電気などのインフラ整備に力が注がれ、立派な建物や橋が各地につくられた。 (中略)日本統治時代、朝鮮の人口は一九一〇年(明治四三年)の約一三〇〇万人から一九四五年(昭和二〇年)の 約二九〇〇万人と倍以上に増えている。」と同趣旨のことが述べられていた。 現在北朝鮮のピョンヤン以外のひとびとは飢餓に悩まされているが、 同書には、昭和18年にピョンヤン北方で大規模な水利事業にたずさわった日本人が登場し、 もし終戦前にあれが完成していたら「北朝鮮の食糧事情はずいぶん違うものになっていたのではないだろうか」と残念そうに述べている。 政府の上層部はともかく、現地におもむいた日本人は本気で朝鮮の福利厚生を考えていたと見ていい。 これは半島に限らない。台湾やポリネシアでも同じ。

 ◆S氏(60代男性) 『韓国が漢字を復活できない理由』、おもしろかった。

韓国の言語事情はわからないけれど、中国語に氾濫する 和製漢字熟語の多さをみれば、おおよそは推察でき、肯けそう。

著者の意向・原稿内容もよかったのだろうが、
この本は 編集企画の勝利のようにも見えてしまう。