61(2014.1掲載)
『平身傾聴裏街道戦後史 色の道商売往来』
(小沢昭一・永六輔、ちくま文庫、2007.5)
(1月号からのつづき)
●「あかん」処女には卵の白身
ブルーフィルムの男優X氏とY氏の話などは、「戦後史」の名にふさわしく終戦直後を感じさせる。
女の子はアルサロでスカウトしてくるというが、わたしにはよくわからない。
「アルバイトサロン」の略で、きっといまのキャバクラみたいなものなのだろう。
キャバクラも実態は知らないが、まあいつの世でも女が男を喜ばせる店というのは似たり寄ったりだ。
姉とふたりで大阪から出てきたが、客を知らんから指名がない。どんな仕事でもするさかい紹介してくれと――。
《とりあえずホテルへ行って、処女やったら商売にならんよ、いうて、ぼくがまずやった。
そしたらほんまの処女ですよ。あきまへん。》出血がひどくて、また翌日ということになり、
有馬温泉の旅館でべつの男優とやり始めるのだが、それでもあかん、半分もあかん。
《その人は、有馬のホテルから産婦人科医に電話して聞いた。卵の白身使ったらええいうので、それを使うてやった。
あくる日から仕事やりました。三日たってようやく処女でなくなりました。》いまならそんな苦労はしないだろう。
《小沢 撮影現場の話ですけど、Yさん以外のスタッフは撮影中にお立ちあそばされるようなことはありませんか?
《小沢 でもどうなんですか、いれたり、だしたりも大切でしょうが、なぶったり、いらったりのほうは?
経験豊富な小沢にして、この時代はまだ処女幻想というか淑女幻想というようなものを女性に対して抱いていたことがわかる。
●女房に浮気させるのも一苦労
本書においてもっとも刺激的なのは、第4回の「夫婦交換」篇だろう。
対談のあとに付された「六輔・陰学エッセイ」で、さすがの永も舌を巻いている。
食事しながらの対談には小沢と対談相手、それに「アサヒ芸能」の担当者と速記者が同席する。
《僕の役目は、あとで百枚ほどになる原稿を整理して三十枚程度にすることなのだから、
その場ではどんな形にまとめるかを考えながら、喰べていればいいという野次馬なのである。
観客席で弁当を喰いながら芝居を見ているのと同じだ。/昔、芝居の方では「客の箸を止めてみせる」という言葉があって、
桟敷客に食事をさせないような迫力のある演技をすることがモットーだったことがあるが、
この対談でもしばしば食事どころではなかったことがある。/この花田サンの場合もそうで、
ぼくは完全に箸をとめられたのをおぼえている。》
速記者は女性だった。速記者は意味不明な点を質問する。
《それが際どい質問でも仕事になってしまうと実に淡々としたもので、これにはゲストの方が驚いたりしていた。/
それでも、僕が食事を中断してしまうように、速記者も顔を赤くして、身体を固くしてしまうような光景がしばしばあり、
それは大変に艶っぽいものであった。》
インタビューを受ける花田氏は、自分が外でうまいものを食ってきたら女房にも食わしてやりたい。
女房にそういうチャンスがなかったら機会を作ってやるのが夫の愛情というもので、
一夫一婦制を前提とするチェンジはまじめなものだという。
《花田 家庭を破壊しないかぎりは、女房に浮気させ、自分も浮気する。
それでもって、おたがいにぜんぜん秘密を持たない。わたしなんかの場合、どっちが浮気してきても、
いっさい隠しごとなく、床に入ってから話し合う。話し合うことによって、また軽いジェラシーというか、
新鮮な刺激というか、おたがいに燃え上がる。
秘蔵の春画を新婚早々みつけて引き裂いてしまうほど堅気の奥さんを浮気させるのにどれほど苦労したかと、妙な苦労談を始める。
奥さんに好意を持つ友人に、おれは今夜ある未亡人のところに泊まりに行くが、家が不用心だからおまえ泊まりに行ってくれ、
後家さんの件は内緒だといえば、友人は喜んでやってくる。じつは昼のうちに外から寝室が覗けるような穴をあけてあった。
《花田 友人はウイスキーを持ってきて、女房に火ばちの前ですすめている。女房は寒いからといって、チビチビなめている。
女房は立ち上がって、鏡台の前へ行って、あまり顔に出ないわね、といって顔をさすっている。
友人は火ばちのとこにすわっていて、だんなはきょうある後家さんのとこに泊まりにいった、これは秘密になっているんだ、
そういって、女房が立ち上がったところを、友人も立ち上がって、肩をぐっと抱いたんです。
「なにするのよ、いけない」って抵抗したけど、友人は女房を強引に押し倒して、乗りかかるように接吻して、
着物の前に手を入れた。そしたら女房は、わたしに対する反抗心もあったんでしょうね、
それに以前から浮気してもいいということはしょっちゅう冗談にいっていたから……。
布団を敷いてはじまった。
《花田 十一月の寒いころだったんですが、二人とも裸になって、そのときに、わたし、見ておって、
ジェラシーと興奮と、それから後悔ですね。これでほんとうに貞節だった女房を不貞にするんじゃないだろうかというような不安と、
いろんな入りまじったもので……。それをまた見ながら、じつにきれいだと思ったですね。
そうこうするうちに、わたしは終わっちゃったですよ。見ているだけで、最初のときに……。
それが貞操という壁を破るはじめだったですね。》枕もとには使った紙が白椿のようにたくさん散っていた。
それから表へ回ってわざと靴音高く「いま帰ったよ」
《花田 友人が一人で寝ている。チリ紙なんかぜんぜんない。ああいうときは早いもんですねェ。
ふだんの掃除は時間がかかるけど……(笑)。わたしは女房に、友人の寝ている隣に布団を敷かせました。
家内はとぼけているし、友人は寝ている。タヌキです。それを「よく寝ているからここでやろう」(笑)。
そこではじめたわけです。家内は異様に興奮する。そしたら友人が盗み見てる。
こうなると不思議ですねェ、男同士ってのは「どう?」っていったら、「うん」(笑)。
翌朝、友人を帰したあと、女房に「おまえ、ゆうべはよかったなあ」「おとうちゃんみとったの」
「おれ、はじめから見とった」「おとうちゃん芝居したんでしょ」
「じつは芝居したんだ。そうでもしなきゃあおまえがとても浮気しないから。どう、よかったか」「すごくよかった」
その後は夫婦しめしあわせて、出入りの職人を導き入れ自分は天井裏からのぞき込んだり、
見たり見られたりで同好の士をふやしていった。初めての夫婦をスワッピングにもちこんでいく段取りや、
そとで会っても知らぬふりをするなどのルール、人妻が一番喜ぶテクニックなど興味は尽きない。
ただ、小沢が「ワイフ・チェンジ」という用語を使うのに対し、花田氏はチェンジとしか言わない。
「ワイフ・チェンジ」では平等でないという考えからだろう。
●トルコ風呂では何をしたのか
六輔《小沢サンの仕事のひとつに『日本の放浪芸』(ビクターレコード)という労作があるわけだが、
ここに芸能史に対する彼の姿勢がある。/芸能史を放浪芸からとらえようとする視点とおなじように、
彼は戦後史をトルコ風呂でまとめようとして資料を集めている。》
あそこで本番をやるってことは邪道だと思う、と小沢はいう。トルコ経営の柿沼氏も同意見。
ここはふたつの意味で昭和40年代の対談であることに留意しなければならない。
ひとつは終戦直後とちがって売春はもはや非合法であること。もうひとつは女性の側の性意識。いまほど奔放ではない。
すくなくとも初期のトルコ嬢は非合法意識が強くて本番は避けたのだろう。
だからトルコ嬢はいつもセックスに飢えていたようだ。寸前の「オスぺ」しかしないから目ばかり肥えてしまう。
《柿沼 おスぺをやるコほど欲求不満なんですね。相談に来ますよ。あんた自身は男がほしい。
若いんだし、健康だし、あたりまえの話で恥じることはない。》さてここから経営者はなんと答えるか。
あそこで本番をやっていると、病気の男もたくさん来る。《柿沼 それとなしになぞをかければ男はわかるから、
あした休みよ、ひまなのよ、どっかでここでするようなことをそっちでしよう、というかたちにすれば、
あんたも男も十二分に納得するじゃないか、ここはトルコ浴場なんだから、ここで本番をやるのはやめなさい。》
そうすれば顔なんかじゃなくて本当のお客の品定めができる。
《だから三日働いたら、そのあいだに一番いいのを選んでおいて、それをつぎの休みに使えばいい。》と小沢は感心する。
トルコの実入りは少なくなるとしても警察の手がはいるよりずっと堅実だ。
ここからその後の店外風俗産業が発達していったのだろう。
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