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 『公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し――ソープの帝王鈴木正雄伝―― (木谷恭介、光文社、2012.8)

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 ソープの帝王? ひょっとしたら彼のことではないか。 「障害中年乱読日記」4『欲望の司祭たち――風俗産業に君臨した八人の主役――』(いその・えいたろう、評伝社)にいた。 わたしはこう書いていた。「鈴木正雄はソープ王。角海老商事会長。ボクシングの会長はソープの会長でもあったのだ。 びっくり。ともに肉体労働にはちがいないけど。 自前の洗濯工場でみずから店のシーツを洗う鈴木は、食い物が変わったせいか精液がこびりついて取れない、 それはいいとしても女がぐっしょり濡れすぎだと嘆く。体は売っても心は売らないというモラルが吹っ飛んだという。 ソープの親爺がモラルを論じている。」なつかしい。まだ存命だったのだ。

T ソープ略史

 鈴木に聞き書きをした木谷(コタニ)恭介は昭和2(1927)年生まれ、鈴木は7年生まれ。 終戦時には17歳と13歳。この終戦時の年齢はきわめて重要なものだとわたしはかねてから考えている。 《ぼくや鈴木さんが見て、経験してきた戦後の東京の姿は、現在七十五歳以下のひとたちに、どんなにくわしく語っても、 信じてもらえないと思います。》有楽町のガード下、数寄屋橋の両サイド、新宿、上野、池袋、 どこの駅の前にも身をひさぐ女「パンパン」が壁のように並んでいたそうだ。

 街娼パンパンは、1950年にはじまった朝鮮戦争とともに姿を消していく。 朝鮮特需で闇市経済が衰退するとともに、江戸時代からつづく遊郭の後身「赤線」がはじまるからだ。

 1957(昭和32)年施行の「売春防止法」で、性を売り物にすることが犯罪になり、一時的に性商売は空白期を迎える。 《この時期に登場してきたのが、いまのソープランドの前身で、当時は「トルコ風呂」という個室サウナでした。》

 おどろいたのは木谷のつぎの記述。《初期のトルコ風呂は、ひとり用の箱形の蒸し風呂にはいり、ミストルコに体を洗ってもらい、 その後、軽くマッサージをしてもらうもので、ミストルコは客の股間を洗うことさえしなかった。》 売春防止法施行直後とあって、個室のドアには猥褻行為を監視する覗き窓まであった。 そんなことなら風呂屋で三助を呼んだほうがましだろう。男と女がふたりきりになった個室だ。 そんなケンゼンな状態は1年もつづかなかった。

 トルコ嬢たちは、はじめはセックスではなく、手で客の性の処理をした(スペシャルサービス=オスぺと称した)。 つまり女性器をつかったら売春、つかわなければ合法というしだい。

 ここで特筆すべきは、木谷の「オスペ論」だ。 《オナニー代行に変わりはないのだが、自分でするのと、他人にしてもらうのでは、感覚的にまるで異質だった。》という。 これには少し首をかしげざるを得ないのだが、木谷はさらに《その時、ぼくが感じたのは、男と女で、セックスの感覚が違うというのは、 先入観からくる誤った考えではないかという疑問であった。 /つまりどちらが主導権をとるかで、感覚のあり方が正反対になることであった。》といいはる。 女は男の30倍イイという説は、能動か受動かのちがいだといいたいのだろう。

 ただし、《豪華なトルコ風呂が主流となった今では、 五本の指と手のひらに命を賭けるゴールドフィンガーの存在は希少になってしまった。 当時は、指先ひとつで男をキリキリ舞いさせる指の魔術師が、それこそ雨後の筍のように輩出していたのだ。》 といわれると、合法と非合法のあわいで、職人技が生まれたのかもしれないともおもう。 なにごとも、お上に禁じられると、庶民はなんとか法の網をくぐり抜け、それまでになかった斬新なものを考えだす。 1960年ごろの話だ。

 ついで客がトルコ嬢の性器をいじりながら射精する「ダブル」が出現。 そんなことをされたら女のほうもたまらない。昭和40年代のトルコ経営者はトルコ嬢の悩みにこう答えている。 「柿沼 おスぺをやるコほど欲求不満なんですね。相談に来ますよ。 あんた自身は男がほしい。若いんだし、健康だし、あたりまえの話で恥じることはない。」お店以外の場所でやりなさいと。 (「障害老人乱読日記」bU1『平身傾聴裏街道戦後史 色の道商売往来』(小沢昭一・永六輔、ちくま文庫、2007.5)

●ボディ洗い

 《本来は単身用のサウナ風呂をそなえた個室サウナからはじまった「トルコ風呂」が、 時代の変化とともに売春の場に変わり、一九七〇年頃、エアマットと石鹸の泡を使った『ボディ洗い=泡踊り』が始まるようになって、 首都圏で営業していた「トルコ風呂」は完全に売春の場と化し、呼称もソープランドへと変化していくのです。》

 ちなみに「泡踊り」を発明したのは、吉原の「夕月」、川崎の「川崎城」を開店させた業界の風雲児、池田氏であるとのこと。 さらに正確を期すれば、川崎城ではたらいていた桃太郎ねえさんだという。 ときに1969年。こんなことはどうでも良さそうなことだが、わたしは記録しておきたいタチなのだ。

 泡踊りとはいかなるものか。こんなことはどうでも良さそうなことだが(笑)、あくまでも後世のための記録として残しておきたい。 木谷の証言によれば――。

 《間もなく個室へ案内された。個室には大きなエアマットが立てかけられていて、 ひと風呂つかって温まったところでボディ洗いになるのだが、 浴用のスポンジを揉んでつくった洗い桶いっぱいのクリーミーな石鹸の泡を、マットに五センチくらいの高さに敷きのべ、 そこにぼくが仰向けに寝る。トルコ嬢は全身に泡を塗りたくって、ぼくに重なってくる。 暖かい石鹸の泡、女体、トルコ嬢の動きにつれて、不安定に浮き沈みするエアマット。 /これはなんとも快感の極致で、さぞや、楊貴妃を愛した玄宗皇帝でさえ、これほどの快楽は体験したことがないであろう。》 数十年にわたって風俗ライターをつづけた木谷がここまでいうのだから、たしかに快感の極致にちがいない。ザンネン。

 ただし、以上は関東の話であって、関西はいまだに座布団売春にこだわっているそうだ。

 《ぼくが知るかぎり、赤線時代から現在まで(実際は二〇〇九年、この年を最後に、鈴木さんは性産業から引退)、 性風俗のなかに身を置き、成功しつづけてきた人物は鈴木さん以外に、ただのひとりもいません。 /鈴木さんこそ、戦後性風俗界の第一人者であり、風俗史の生きた証人なのです。》

 ところで世界中で売春を禁止しているのはアメリカと日本のみだというから意外。 沖縄におけるアメリカ兵の強姦を防ぐために普天間飛行場の司令官に「風俗を利用しろ」といった橋下大阪市長は、 沖縄県民からもアメリカ国民からも総スカンを食らって政治的立場を弱体化させてしまったが、 売春婦だらけのアメリカがまさか売春を禁止しているとは思わなかったのだろう。 一方ドイツはベルリンだけで400軒の売春宿があり、売春婦はドイツ全土で40万人いるそうだ。

 まあみんな何食わぬ顔をして勝手なことをいう。 ドイツに占領されていたフランスを「史上最大の作戦」でフランスを救うべくノルマンディーに上陸した米軍は、 ノルマンディーの女たちを犯しまくった。敵軍ドイツの女性を犯したならともかく、「解放」に来て強姦するとはなにごとか。 まあ、日本のパンパンたちもへなちょこ日本人男性より米兵を好むところがあったから、すべてが強姦とはいいきれないだろうが。 写真ジャーナリズムの米誌「ライフ」は、フランスを「快楽主義者4000万人が住む巨大な売春宿」と表現したそうだ。

 ベトナム戦争に参加してベトナム人女性をおおぜい強姦したり虐殺したりした韓国が、 「強制連行されて性奴隷にされた」などといって少女像を在韓日本大使館の前に設置したりしている。 韓国兵とベトナム女性のあいだに生まれた子は「ライダイハン」と呼ばれ、そのかず数千とも数万ともいわれる。 韓国人によるベトナムの民間人虐殺を最初に報道したのは、韓国の「ハンギョレ新聞」、筆者は韓国人女性記者だ。

 韓国人男性が日本人男性にくらべて性道徳が低いといいたいわけではない。 日本がベトナム戦争に参加していたら、日本兵も同じことをしただろう。 「集団的自衛権」の拡大解釈で世界各地に戦争に行けばそういうことになる。 男とはそういうものであり、戦争とはそういうものなのだ。少なくとも自分だけが紳士面するのはまちがっている。

●モラル低下を嘆く鈴木

 売春業界はいま2つの危機に直面しているようだ。 若い世代のセックスレスは、ソープ業界にも及び、いまやソープも低迷しているという。 それとモラルの低下。《いまの時代、ソープが社会的な問題になっているかというと、そうとは思えないのです。 /むしろ問題になっているのは、売春、買春ともに、モラルが低下していることにあるようです。 /中高生の子供がブランドバッグ欲しさに売春をする。マスコミはそれを「援助交際」などといいますが、 戦後の食うや食わずの時代に、多くの女性が生きるために仕方なくしたことが「売春」で、 遊び半分は「援助交際」というのは、実態を知る者としては納得できません。》 自分のためにこの世界にはいった子は、がんばりがきかない。根性がすわっていない。ひとは自分だけのためには生きられないのだ。

 『欲望の司祭たち』(1990年刊)の昔から、鈴木は一貫して家族の犠牲になるため売春をする女性を褒め、 おのれの欲望のため体を売る女性をこころよく思わない。

●いまやデリヘル全盛時代

 おもしろい数字が載っている。いつの統計かは知らないが、 性風俗業界の売り上げはソープランド9819億円に対しデリヘルは2兆4000億円だという(日本生産性本部の調査)。 《ようするに現代日本の売春の多くが、いまや地下に潜行してしまっていることを意味している。》 デリヘルは税金を払わない。これが一番の問題らしい。それにしても税金を払わない業界の売り上げをどうやって捕捉したのだろう。

 売春は世界最古の職業といわれるほどだから、詳しい歴史などたどりようがないが、 日本でいえばいちおう江戸時代に吉原のような遊廓が官許の「悪所」として公認された。 《この日本の「悪所」という文化は、売春という「是非で論じられない」行為を、取り締まる側の為政者と、 取り締まられる業者、利用する社会の三者が合意できる、落とし所として考え出されたシステムといえる。》 織田信長が本能寺の変で明智光秀に急襲されたとき発した「是非に及ばず」ということばの意味が長らくわからなかったが、 これは昔からあることばで、要するに「謀反の意味を論じる必要はない。 いいも悪いもない。世の中とはそういうものだ」という意味だったのだろう。

 ちなみに吉原は、現在の台東区千束4丁目。浅草寺のすぐ北だ。日本中の遊廓がそうだったのか詳しくはわからないが、 けっこうルールがきびしかった。《まず、初めて店にあがり、女性と肌をともにすることを『初見』といい、 同じ女性との二度目を『返し』、三度目で『馴染み』となる。 /馴染みになると、その店のなかでは、夫婦になったのとおなじで、他の女性に手を出すことが許されなくなる。》 このルールを破った者がいると、《馴染みの女性の店の遊女たちが、全員で押しかけて行って、その客を拉致、 通りに伏せて置かれた大桶に閉じこめ、桶の一部を切り取った窓から、男の首を出させ、“浮気男”だと懲らしめたそうだ。》

 ことは稼ぎにとどまらず体面や嫉妬の問題もからんでくるから、 あたいの客を盗っただの盗られたなどといういさかいは現代でもあることらしい。知らないけど。 しかしだなあ、どうせ“一妻多夫”でやっているんだから、そんなに男にばかり厳しくするのは不公平ではないか。 マいいかどうでも。

 「是非で論じられない行為」ということばが本書にはたびたび登場する。 いいともわるいともいえない、それを為政者と業者と利用者が合意できる落とし所として長らく維持してきたのに、 地下でコソコソ、しかもガッポリもうけるデリヘルが出てきたのだ。

 《一昔前、売春、脱税、児童福祉法違反、時間外営業といった犯罪で、 新聞や雑誌をにぎわすのはソープランドの経営者と相場が決まっていた。 /しかも、逮捕されるソープランド経営社長は、ほとんどが“雇われ社長”で、本当のオーナーは、 大邸宅で悠々自適の人生を楽しんでいるということが多かった。 /それどころか、国会議員や県会議員、東京都の某区議会議員をつとめた政治家が、 実はソープランドチェーンのオーナーだったという例もある。》 手口が単純で、いまからみると、のどかな印象すら受ける。

 初期のトルコ風呂建設にたずさわったのは、銭湯建設の得意だった石川・富山・新潟の業者。 石川県の建設会社社長稲村左近四郎は、のちに自民党の衆議院議員になっている。 池袋で数軒のトルコを経営していた自民党の加藤卓二は、立候補にさいしてトルコを鈴木に売却、 のち政務次官に出世したとさ。(つづく)