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『日本人の知らない日本語――なるほど〜×爆笑!の日本語“再発見”コミックエッセイ――1〜3』
(蛇蔵・海野凪子、メディアファクトリー、2009〜2012)
●来日動機はマンガ・映画
日本語学校教師の海野が外国人就学生と体験した珍談奇談を、漫画家の蛇蔵が漫画化。
こんな面々が登場する。
時代劇大好きスウェーデン娘エレーン。黒沢映画と忍者に憧れて来日。
「日本に来たら馬でなく車が走っていてビックリ」スウェーデンでは誰も日本のことなど知らないという事実にこちらもびっくり。
あるいはジョークかも。
高倉健ファンのフランスマダム。自己紹介で「おひかえなすって、私マリーともうします」仁侠映画のDVDで日本語をおぼえた。
ロシア美人のダイアナ。男子学生あこがれの的だが、男にはつれない。ロシア美女が全員無表情なのは、寒くて顔が凍るからだという。
ほんとうだろうか。ロシア通の佐藤優氏にでも聞いてみたい。
そんななかでめずらしくまともなイギリス人ジャック。高度な日本語を話す。
なのになぜこれ以上勉強するのかときかれ、来日早々の失敗談を告白。取引先の社長のお宅にお伺いしたところ、娘さんが出てきた。
ジャックは頭の中をフル回転させて敬語を探す。えーと「父はいますか」をていねいにていねいにと考え、出てきた言葉が、
「えー、おじょうさんの……おちちはございますか?」通報されかかったという。
トンチンカンで愉快な本(漫画だもんね)。
しかし海外から日本語を学びに来るひとの大半が漫画や映画などサブカルチャーが動機だというのはおもしろい。
しかもたいていの就学生は1年で日常会話ができるようになり(アルバイトしながらの勉強でだ)、
日本での大学進学をめざすというのは感心というほかない。
苦手なのは意外にもカタカナ。バイト先で買い物を命じられ、カタカナだらけのメモ用紙を渡される。
店員に読んでもらえばいいやと思ってコンビニに向かったら、コンビニの店員も外国人で読めない。
●日本人が知らなかったこと
はじめは変な日本語を話していた学生が、「さしつかえなければ」と「おそれいりますが」の使い分けを質問しにくる。
これは、相手に断る余地をどれくらい与えるかのちがいなのだそうだ。
さらにコマカイ解説が付されているが(なにしろ日本語の先生だから)、めんどうなので省略。
日本人自体、正確にはわかってない。「凪子先生おられますか?」という日本人職員には、
《「おる」は居るの謙譲語なので、「られる」をつけて尊敬の形にしようとしてもダメなんです》と苦言を呈する。
「いらっしゃいますか」だろうなあ正解は。わたしも「おっしゃられる」は二重敬語だからダメだということは知っていたが
(これをいちばん使うのが政治家)、「おられます」はダメだとわかっていても使ってしまいそうだ。いちいち考えるのはめんどうだもの。
この「めんどう」「伝わればいいだろ」がよくない。日本語を堕落させるもとだ。
そこへいくと外国人は謙虚に教わったとおりに話し書こうとするから美しく上達していくのだろう。
−−と、ここでいつもの疑問。どうして日本人は何年間も英語を勉強しているのに、
英語で大学の授業を受けられる水準に達しないのだろうか。外国人の相撲取りを見てみろ、
いい体をしているというだけで連れてこられた体力バカばっかりなのに日本語ペラペラだぞ
(ゴメン、偏見です。相撲部屋に入ったら日本語以外は禁止、これだろう)。
日本人の能力不足は、環境、それに英語教師の能力不足ではないか。
先生が漢字クイズを出す。「鳩・蚊・鴉・猫の共通点は?」答えは、すべて漢字の一部に鳴き声が入っている。
鳩はクー、蚊はブン、鴉はガー。猫はナエではなく、ここではミョウだからだと説明されているが、すっきりしない。
『字通』ではビョウとなっている。広東省出身の王さんが「食べたらおいしいが答えかと思った」というのがこの話のオチ。
食は広州にあり。
御――これを「お」と読むか「ご」と読むかには、使い分けの法則がある。
お母さんのような和語には「お」、ご家族のような漢語には「ご」。
ここで女学生が、「お」はカタカナにも付きますかと質問。よくそこに気づいたわねと先生感心し、
「何かカタカナに『お』がつく言葉を知ってるのかな」と聞くと、女学生すかさず「おビール」と回答。
先生、水商売のバイトは禁止といっとるじゃろと絶句。
凪子先生の友人でドイツ人のクララは、独・日・英の3ヶ国語に堪能で、恋多き魅力的な女性。
そんな彼女が来日間もなく失恋、泣きはらした顔をひとに説明するのにそなえ、
「恋が終わった状態」を説明する日本語は「失恋」であることを辞書で調べる。
はたせるかな友達から「どうしたのその顔? 何かあったの?」と聞かれたとき、
いまだと思い「失恋(シツコイ)」と答えた。友達はしばらく口をきいてくれなかったとか。
ふたりがけのイスで男性が飲みものを飲んでいる。そこへやってきたクララが「さわっていいですか?」と言ったものだから、
男はまっかになって固まってしまう。まちがいに気づいたクララもあせりまくる。「すわっていいですか」といいたかったのだ。
●「です」の違和感
われわれが標準語だと思っている「です」「ます」は、江戸の“芸者”ことばなのだそうだ。
地方からやってきた武士が遊里で「だんな これっきりはイヤですよぅ」などといわれ、「です」を標準語だと勘違いしたのだという。
《上品な言葉遣いとして有名な「〜ザマス」も もともとはおいらんの言葉でした》という意見はもっともだが、
本当の上流社会では「ゴザイマス」といったはず。そんなことより、芸者が遊里(廓)にいたというのが解せない。
芸者と花魁は別物だと思うのだが。それともなぎこ先生には「結局やることは同じなんだから同列に扱っていいのよ!」
という信念がおありなのだろうか。
「です」には私も若いころから居心地の悪さを感じている。
駅のホームで流れるアナウンス「危ないデスから白線の内側までお下がりください」これを聞くたびにいらだった。
「危険です」なら文句はない。「危ない」という形容詞に「です」をつけると、馬鹿のように聞こえる。
赤いです、青いです、みんなそう。特にテレビタレントが映画の試写会かなにかのにぎやかしに呼ばれて感想を求められ
「良かったです、スッゴク良かったです」などと答えているのを聞くと、ほんとうにアホにみえる。
昔の映画女優はこんなとき「良かったわ」と答えたような気がする。ぞんざいでも何でもないのだ。
だから「です」なんかヘタにつけない「ローラのため口」がわたしはあまり気にならない。
無論いまはジムショの方針でそれをウリにしているのだろうが、本格的な日本語教師をつければ、
いずれだれよりも美しい日本語をさりげなくしゃべるタレントになれるとおもう。
もっともそうなったらなったで全然仕事が来なくなるかもしれないけど。
志村けんには目尻に墨を塗って少年ふうのカツラをかぶり、何を聞かれても「デシ」「デシ」と答える魯鈍な少年の持ちネタがある
(デシ男というそうだ)。あれは、知的障害の子どもたちの学校で、「良かった」ではなく
「良かったデスとテイネイにいわなければいけません」と教えていることに対するヒニクだとわたしはにらんでいる。
喜劇役者を甘く見てはいけない。
●カルチャー・ギャップ
おもしろい話にはことかかない。授業中、学生がすわったまま質問しようとするので、
海野が「立って言ってください」と注意すると、学生は「た」と答える。
就学生は古い日本語の教科書を持っていて、「そうでござるか」などという。
そういえば野田知佑氏がギリシャで道行くひとに話しかけたら、「おまえのギリシャ語は古代ギリシャ語だ」と笑われたとか。
どこの国でも外国語の教科書を書くひとは大学教授だから、代々受け継がれてきた教科書で学ぶ。
自分の教わった言葉が古いものだということに気づかない。さすがにいまは……いや、アヤシイ。
先生が正解のつもりで答案用紙に〇を付け、「あなたは成績優秀ね」などというと、
多くの国の学生はショックを受けて落ち込む。中国でもアメリカでもフランスでも、正解にはチェックマークを付ける。
花丸など論外。
色や自然現象に対する評価は国によって異なる。アラブの女性をほめるつもりで「君は太陽のようだ」といっても、
いやな顔をされる。「月のようだ」といわなければ褒めことばにならない。雨はいい天気。
就学生は、バイトさきの日本人から尊敬語を教えてといわれることがある。
日本人がガイジンに日本語を教わる時代になった。先生は「尊敬と受身の形は同じです」と教えてみたらどうかとアドバイス。
翌日。「先生、日本人に言ったら『受身って何ですか』って聞かれました」
そういえばむかし「ビートたけしの『ここがヘンだよ日本人』」というテレビ番組があり、
オーストラリアから来た女性が、オーストラリアの場所がわからないという日本のバカ女子大生に、
「四国に似た形の国です」とこたえたら、くだんの女子大生は「四国の場所がわかんない」とのたもうた。
見ていたわたしはお笑いの危機だとおもった。笑いは常識をひっくりかえしたりねじったりしてつくるものだ。
常識という基礎がなくなったらなりたたない。
●この日本語のどこが悪いのか
就学生のバイトさきはコンビニが多いようだ。そこでガイジンどうしが妙な日本語を教え合う。
《最近あった質問では「緑色は『みどりい』と言いますか」。「そんな言い方はしませんよ」と答えると、
アルバイト先の人たちはよく使っているというのです。ほかにも「ピンクい」と言ったりするのだとか。
この場合、「黄色、茶色は『きいろい、ちゃいろい』と言います。どうして緑色は『みどりいろい』と言いませんか?」
と聞かれて答えに詰まりました。》
これはわたしもむかしから疑問に思っていたことで、「赤」や「黒」という名詞を形容詞形にするには「赤い」「黒い」
と「い」を付ければすむのに、なぜ「緑」「茶」は緑い、茶いにならないのだろうか。
返答に詰まったらこれらは「ヘンだからヘンだ」とネイティブ・スピーカーの権威を振りかざすしかない。
「ピンクい」なんかはキャリー・パミュパミュが使ったら似合いそうだ。
日本語に未熟な学生は妙な言いまわしをして笑わせてくれる。すこし頭痛のする先生に「なぎこ先生はいま気持ち悪いです!!」
「それをいうなら、気分が悪い」
「なぎこ先生だいじょうぶですか。学生が先生は今日『頭がおかしい』って話してましたよ」
髪を切って気分もスッキリした先生に、「あ、先生。頭いかれましたか」
イタリア人アントーニオはとにかく女性を褒める。すれ違った女性に「とてもかわいそうなひとですね」と声をかけてにらまれる。
……「おもしろい」が「おもしろそう」になるなら、「かわいい」も「かわいそう」になると勘違いしたのだ。
……ウーン、かわいそうで何が悪いのだろう。「かわいそう」も「かわいい」から派生したのだろうが、
もはや別の独立した単語になったということなのかな。
日本人は外国人と見れば英語を話すものだと思いこんでいる。
そこで毛色の変わったひとが話しかけてきたとたんに、「アイキャンノットスピークイングリシュ」といって逃げてしまう。
在日20年のオーストラリア人が、日本人に逃げられない話しかたを伝授する。
「いきなり話しかけずに、あたまに『え〜っとね』をつけるだけ」とのこと。これは賢い。
ここにたどり着くためにはそうとうな試行錯誤があったにちがいない。
卒業の季節――それぞれ大学や大学院への進路が決まった就学生たちが、
なぎこ先生のところに花束を持ってあつまり、感謝の言葉をささげる。
「大きなお世話になりました!!」……ウーン、これまた文法的な誤りがあるとは思えないが……。
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