72(2015.1掲載)

 新企画 ***読者の反響***

 2003年6月から開始して67回つづけた「障害中年乱読日記」も、
60歳になったのをきっかけに2009年には「障害老人乱読日記」と名を変え、それも2015年にはおかげさまで70回を越えました。
いままでいただいた感想を掲載するのも読者に対する感謝の一表現かとおもい、掲載することにしました。

 これまでいただいた感想は今回まとめて発表し、今後は発表した「乱読日記」の末尾に掲載させていただくつもりです。

「障害中年乱読日記」64(2008.9 掲載)
 『累犯障害者――獄の中の不条理――』(山本譲司、新潮社)

 ◆S氏(50代男性) 累犯障害者、いや、これも哀れだな。悲惨。
子どもの頃から、身近に知的障害者がいてね。学校でだけ
ど。当時は特別学級がないころで(中学に入って初めてで
きた。でも、白痴に近い重度の一握りだけ収容された)、
けっこう俺、彼ら(彼女ら)と付き合いがあったの。ろく
に字もかけず、算数もほとんどダメというのと遊んだもん
です。
こっちはオトナシイ少年だったし、イジメなんてまったく
やらないから、彼らは安心して近づいてきたのかもしれない。
冷たいところもあるけど、親切なところもないわけじゃな
かったせいで、彼らの親からも「うちの子、あんなだから、
これからも遊んであげてね」なんて過分にお菓子をもらっ
て、そんな母親と口を利くのがまたつらくってね。きれい
で、優しいおばさんなんだよ、これがまた。
閑話休題。
受験という知的障害者の足きりを経験したあとの高校生に
なってからは身近にいなくなったけれど、でもバイト先や
社会人になってからも新しく接触があった。みな、お人好
しでね、それがまた哀れで。だって、愚図でまともに仕事
ができない、お前を押し付けられて迷惑しているって、周
りの連中が口汚くののしるわ、いじめる、からかう、もう
やりたい放題だからね。人間というのはいくらでも根性悪
くなれる、とつくづく思ったよ。それで、知的障害者のほ
うはどうしたかというと、みな大人しく泣きながら言われ
たとおりにしているんだ。
犯罪おかしていいよ! 気に入らなかったら刺せ、棍棒で
殴れ、と声をかけたかった。刑務所のほうが暮らしやすい
に違いないって想像できるもの。彼らの知性では、まとも
な社会生活なんておくれそうにないんだから。
話が、変なほうにとんじゃった。この手の話題は、感情的
になりやすいんだ、俺。

55(2007.12 掲載)
■以下の文章は、すでに本文の下に掲載されています。
『中島虎彦歌集 とろうのおの』(中島虎彦、アピアランス工房)

【中島虎彦】 1953年佐賀県生まれ、本書のほか『障害者の文学』『夜明けの闇』などの著作がある。その3作ともわたしは書評を書いた。上記の文を「はがき通信」(2007.1.25発行)に掲載してすぐ氏からつぎのようなメールがあった。《「はがき通信」の「とろうのおの」書評、読みました。痛快でした。今までに頂いた批評の中で一番です。引用の歌が的確なのばかりで舌を巻きました。》直後の3月、脳出血で死去。書評が間に合ってよかった。氏は念願の独居生活をはじめたばかりだった。 「花吹雪ひとりで死んでゆく覚悟できているからまたことのほか」(虎彦)

号外(2010.3 掲載)
 「家族力大賞」で東京新聞賞を受賞

◆O氏(70代男性) おめでとう!「家族力大賞」とはうれしいですね、ほんとに良かった。
「優しさに包まれて」の中身はまだ読んでませんが(ホームページの
開き方を間違えたのかも)タイトルだけでも暖かくなります。
藤川さんはしっかり生きている、闘っていると思うと、こちらもぼやぼや
していられません。今日で武蔵小杉のマンション生活も丸1年、油絵の仲間
も増え、日本点字図書館のお手伝いも続けてはいますが、老いの感触を日ごと
深めています。もっと前向き、強気にならなくっちゃと思う時、藤川さんを
イメージします。いま77歳、これから3年間にやりたいこと、やらなくちゃ
いけないことは何だろうと考えて、ヨーシ行くぞ、と言い聞かせています。
お手本の藤川さんも、どうぞ明るく前進しつづけて行ってください。

「乱読日記」の質と量に圧倒されました。まだ全部は読み切れていませんが、
その読書慾と藤川節がいつまでも続きますように祈ります。
「日記」は48(2007年5月)で止まっていますが、この後を、つまり
「家族力大賞」を読むにはどうすればいいんでしょう?済みません、まだパソコン
いじりが身についていないのです。
「日記」でうらやましいのは、本文の核心部分をズバリ切り取った所と後に続く
ニンマリ藤川節がはっきり分かれていてメリハリが効いていること。私の点字図書
館の読書案内cdは15分(400字12枚)であらすじ紹介、さわりの描写、こちら
の言い分まで欲ばるので、いつも欲求不満の中途半端な仕上がりでお恥ずかしい。
藤川さんと違って、こちらはやや小説が中心。例えば、川上弘美「センセイの鞄」、
横山秀夫「クライマーズ・ハイ」、荻原浩「明日の記憶」を読んでしびれても、本文
引用と感想などがごちゃごちゃになって、どうもしまらない。もう10年も続けたから
そろそろ選手交替を要望してはいるのですが、まだ暫くはずるずるになりそうです。
こちらは来月末、前立腺癌の簡単な手術を控えていますが、のんびりマンション暮し
1年目を楽しんでいます。「乱読日記」を読んで、元気をもらい、もう少しがんばり
ましょう。藤川さんもますますご乱読に精進されますように・・・

「優しさに包まれて」をしっかり拝読しました。
全身麻痺の人の介護制度の歴史を丸ごと刻み込んだ生き証人の記録に、賞の選考委員も
どんなにか衝撃を受けられたことでしょう。最後に新妻の優しさが書き込まれていて、
読む人すべてがホッとしたことでしょうね。この作品を得たことで、「家族力大賞」その
ものが輝きを増したと思います。
それにしても、ホームページ巻頭の受賞シーン、いい写真ですね。
ここまで闘いぬいてきた戦士・藤川のなんと誇らしく美しく輝いていることか!本当におめでとう!!

「障害老人乱読日記」 17(2010.6 掲載)
 『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』(岸田秀、新書館)

◆O氏(50代男性) 【私の知っているキリスト教 1】
毎月書評を感心しながら、にやにやしながら読んでいます。
今月の「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」を見て、
私の知っているキリスト教をお伝えしようかなという気になりました。
だって私はクリスチャンのはしくれですもの。

まずユダヤ人がなぜエジプトにいたのか、です。
これだけでも長くなりそうです。
簡単にいうと、カナンににいた一族(アブラハムの血族)が飢饉のためエジプトに助けを求めると、
そこには死んだはずの末子が宰相になっていて、受け入れたという話です。
そのままエジプトにい続けた一族は年月とともに人数が増え
権力者に疎んじられて奴隷になっていったと聖書にあります。
神と民との関係は弱く、モーセの出現からはっきりとしたユダヤ教として歩みだしています。
ヤハウェと一般に言われている神の名も、モーセが名をたずねたときからはっきりしました。
それまでは一般名詞の「神」です。
ユダヤ人たちは、モーセに率いられた出エジプトを今も記念して儀式を行いますから、
始祖はアブラハムとしても、ユダヤ教としての歩みだしは、モーセ時代からと認識していると思います。

あ〜やっぱり長くなっちゃった。
第一部はここまでということにします。
ご休憩くださいませ。

【2】
すみません。
モーセ以前のユダヤ人はなんだったのかという疑問がありましたよね。
はじめ、アブラハムという人が、神と契約をします。
それでアブラハムの家族は、彼に従ったというのが始まりです。
家族といっても数人ではありません。
奴隷も含まれています。
一族といえばわかりやすいと思います。

アブラハムの子イサクも、改めて神と契約をします。
その子ヤコブもそうです。
一族の歴史はこうして続いていきます。
エジプトで人数が爆発的に増えたのは、年月のなせるわざだったのでしょう。
むろんこの経過は聖書の記述ですので、どこまで歴史的事実なのかはわかりませんが。

【3】
エジプトで人数が爆発的に増えたのは、年月のなせるわざだったのでしょう。
むろんこの経過は聖書の記述ですので、どこまで歴史的事実なのかはわかりませんが。
え〜と、それでは、イエス時代です。
モーセ時代から2000年経ってしまいます。

これだけ時間がたつと、ユダヤ教にはさまざまな派が生まれています。
地位がある、名誉があるというのは神の祝福、病気になっている、貧しいというのは罪があるから
という考えが強いのはサドカイ派(王族、貴族が中心)、
反対に伝統的信仰を重んじるパリサイ派、
この2つの派が新約聖書によくでてきます。
また、派ではありませんが、律法学者という立場の人もいました。
モーセの十戒は最低限の戒律でしたが、生活にはいろいろな場面があります。
こういう場合にはこう解釈すると解き明かしてくれるのが律法学者。
2000年も経てば、その時代にあった解釈が加わって、律法は膨大な数になってきます。
ローマの支配下にありましたから、派を超えて熱心党というものもありました。
ユダヤ民族解放戦線ですね。
ローマに対して武力的反抗を画策していました。

イエスは荒野派と呼ばれるものに近いと言われています。
伝道をはじめる最初のころ、バプテスマのヨハネという荒野派の預言者にヨルダン川で洗礼を受けていますから。
当時ヨハネはメシアの出現を預言しています。
ただしこれは、ヨハネに始まったことではなく、長い間のユダヤ人たちの願望でもありました。
ヘブライ語でメシア、ギリシア語ではキリストです。

あららら、また長くなってしまいました。
それでは、また続く、です。

【4】
何回連続になってしまうのでしょうね。
すみません。

キリスト教はユダヤ教の一派かと問われれば、そのとおりだと思います。
まったく同じ流れです。
イエスはユダヤ人に向かって、「あなたたちの神に立ち帰れ」と叫んでいます。
異邦人に向かっては言っていません。

今回はイエスの名前です。
「イエス」というのはギリシア語です(イエスースだったかな、ギリシア語をローマ字読みすると)。
ヘブライ語ではヨシュアになると思います。
マリアが懐妊したとき、天使にこの名前をつけよといわれています。
当時も、今もユダヤ人には珍しい名前ではありません。
ユダという名前もそうですね。
だから区別するため、イスカリオテのユダ、ゼロテ党(熱心党)のユダなどと呼んでいたようです。
ユダ・ベン・ハーはハーの息子(ベン)であるユダとでもいうのでしょうね。
イエス・キリストという言い方は、キリスト(メシア)であるイエス(ヨシュア)です。

じゃあ、この回はこれまでということで。

【5】
え〜と次はどちらからいきましょうか。

マサダ要塞にしましょうか。
(マサダというのはヘブライ語で要塞という意味らしいですからマサダ要塞という言い方は変かな)
ローマの圧制に苦しんでいたユダヤ人たちは、ついに武装蜂起します。
熱心党の1000人に満たない人々がマサダに立てこもり、
1万人とも言われるローマ軍相手に3年間攻防を繰り広げました。
紀元70年ごろのことです。
要塞の司令官は、ラビ(ユダヤ教の神官)によって「メシア」とされます。
最後は全員自決。
これでイスラエルという国は滅びました。
以後復興まで1900年を待たないとなりません。

熱心党に加わらなかったユダヤ人たちはちりぢりばらばら、もちろんキリスト教徒も同様です。

【6】
この回は「三位一体」論にしましょうか。
これは宗教的な話からはじめなければなりません。

イエスの刑死のあと「エルサレムに留まって祈れ」というイエスの言葉を守れず、
弟子たちはちりじりばらばらに故郷へ、他地へとのがれます。
エルサレムにいたら殺されてしまう恐怖におののいていました。
復活したイエスが弟子たちを丹念に呼び戻し、最後の晩餐の部屋で祈ることを促します。
そして弟子たちの目の前で昇天。
その後、弟子たち120人は約束どおり祈り続けます。
十字架刑から五十日後、祈っている弟子たちに聖霊(精霊)激しく降ります。
そこから人格一変して、弟子たちはイエスと同じ言葉を伝え、次々に殉教していきます。

弟子たちの激しい伝道を見て、「困ったやつらがまた邪教を伝えている」と
憤りを隠さないのは、熱心なユダヤ教徒パウロでした。
たぶん石打ちの刑(大勢で石を投げ、罪ある人を打つユダヤ教の刑)に加担して、
何人かのクリスチャンたちの死にかかわっていたはずです。
ある日、「脅迫、殺害の息をはずませ」て走っていると、光に打ち倒され、自分の名前を呼ばれます。
「主よ、あなたはどなたですか」「あなたが迫害しているイエスである」
パウロも弟子たち同様、すっかりひっくりかえってしまいますが、弟子たちは彼を信用しません。
まあ何年間もすったもんだあって、パウロも仲間と認識されてきますが・・・・・・。

これが聖書に記されている聖霊のはたらきの一部です。

教会はしかし、一神教であるはずなのに、父なる神、イエス・キリスト、聖霊と3つもあがめるものがあって困ったのでしょう。
「これらはすべて同じである」という説が「三位一体」論です。

【7】
パウロの参加によって、キリスト教の方向ががらりと変わってきます。 同胞の救い、同胞の立ちかえりが伝道の眼目だったのですが、
異邦人たちもどんどん改宗して混乱が起こってきました。
筆頭弟子であったペテロはあるとき夢を見て、
ユダヤ教で食べてはいけないとされる動物をほふって食べろと強制されます。
「主よ、それはできません」。
神が清めたものを清くないといって食べないのは違うと叱られる始末。

異邦人たちも改宗したからには、ユダヤ人と同様に律法を守らなければならないと
主張する人々と、それは形に過ぎないと譲らないパウロたちとの激しい論争を経ながら、
キリスト教は貧しい異邦人たちにどんどん浸透していきます。
弟子たちの大半、パウロもまた殉教していきました。
たぶん下層階級の人々が信仰していましたから、ローマの富裕階級の乳母や下男の
役割をしながら、その家庭に影響を与えていったと思います。
生まれたてのその家のおぼっちゃんなんかが乳母から教えられたらもう大変、
こうやってローマの中で広がっていったのではないでしょうかね。

【8】
聖書のなかで、イエスを死刑にせよという裁判の場面があります。
ローマの総督ピラトにユダヤ教の議会が訴えるのです。
ピラトはローマ流の質疑応答で、「死刑には値しない」と判断します。
ユダヤ教の議会は宗教上の理由で死刑だと主張、
「それならば、その血の責任は私は負わない」とピラトは言います。
「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」

その後のユダヤ人たちへの迫害は、ここから始まったと思うと、暗澹たる気分です。

ヨーロッパでコレラが流行ったとき、ユダヤ人の死亡率はかなり低かったとも聞きます。
律法を守っていたからです。
要するに、外から帰ったら手を洗ってうがいをしなければならない、とか
大便、小便はふだんの生活の中の外へすて、埋めなければならないなど
衛生的なものもずいぶんあったと思います。
皆がばたばた倒れていくなかで、死なないグループがいたら、これは悪魔、魔女の類と
感じますよね。
迫害の具体的動機は、こんなところにあったのかもしれません。

【9】
水木しげるの漫画に「悪魔くん」ってありますよね。
あの中で
「エロイム エッサイム 我は求め、訴えたり」
と言って、悪魔を召喚しています。
あの言葉は、西洋魔術書(黒魔術)にほんとに記されているようです。

あれはヘブライ語です。
ユダヤ人の祈り言葉を聞いて、魔術師扱いしたのでしょうか。

確か
エロヒーム(エリが神の単数形で、エロヒームは複数形)
イッシーム(炎の)
だったと思います。

【10】
すみません。
長いメールを読んでいただいて、恐縮しています。
私のお伝えしたものは、聖書に書いている歴史であって、
その検証については、いろいろな学者が行っていますので、真偽のほどは学者さんたちにお任せします。

少し補足をしておきます。
アブラハムが神と契約をしたときに、神の名はいろいろな表現で記されています。
名がはっきりしないというのは、とらえる実体が漠然としていたとも読めます。
乱暴に言えば、「うちらのお偉いさんが契約したそうだから、とりあえずこの神様で信仰しよう」、
「他にいい神様がいればお偉いさんには悪いけれど乗り換えようか」くらいのことであったかもしれません。
エジプトで爆発的にユダヤ人口が増えた(12部族になりました)のは、時間経過が長くあったと想像します。
出エジプトしたあとも民は迷います。
「エジプトにいたほうがうまいもの食えたよなあ」
「モーセさんはシナイ山にのぼったきり帰ってこやしない。あの神様で大丈夫かい」
モーセが十戒をさずかっているとき、ユダヤの民は金で子牛像を作り、それを拝みはじめています。
エジプトの風習がしみこんでなかなかぬけだせない、
結局、エジプトから2〜3か月で行けるカナンに入るまで40年荒野をさまよいます。
一世代が入れ替わる時間を経て、たぶんそこでユダヤ教が確立して、カナンの地に入っていきます。

ユダヤ人が今にいたるまで守っている「安息日」は、まずモーセの出エジプトを思い起こす儀式からはじめます。

イスラエルはその後、ダビデ、ソロモンのころに絶頂期を迎え、やがて二つに分裂、
イエスの時代にはローマに占領される植民地になっていきます。
聖書から離れて、他の書を読むと、なかなか従わない、ローマにとっては扱いにくい植民地だったようです。

【11】
補足2です、

私の説明が悪かったせいで、誤解されているところがあります。
「最後の晩餐」は十字架前のできごとです。
ただし同じ場所に、弟子たちが再び集まり、祈り続けて、
聖霊降臨の出来事が起こります。

ダ・ビンチの「最後の晩餐」の絵はテーブル、イスの表現ですが、
イエス時代は低いテーブルのまわりに皆が寝転がって食事をとったようです。

三位一体より二位一体のほうがすっきりするというのはもっともだと思います。
「聖霊」の表現が聖書では「神(ヤハウェ)の霊」「神(ヤハウェ)ご自身」
「キリストの霊」「イエスそのもの」とさまざまに出てきます。
場合によっては力であったり、神の実体そのものであったり、
神からつかわされて人格化していたり……。
人によっては、父なる神、イエス・キリスト、聖霊様がいると読んでしまうことも
あったのではと思います。

23(2010.12 掲載)
 『差別と日本人』(野中広務・辛淑玉、角川oneテーマ21)

 ◆K氏(60代男性) しばらく前から「差別と日本人」が続いているような気がしたも
のだから、HPを更新していないのかと思いました。よく見たらこ
れが12月分だったんですね。
 「差別と日本人」は私もだいぶ前に、会社の人から借りて読みま
したが、少々気に入らなかったな。
 野中にもっとしゃべらせろ、というのがその一。辛が、この原稿
全体を自分の世界に無理矢理引き込もうとしているのが第二。とく
に対談以外の部分がいけません。あの論旨は、我々(藤川さんと私)
にとっては70年代からお馴染みのものだけど、あれでは現代の状
況をすくい取れないと思うな。手もとに本がないので、詳しくは書
けないけど(あっても書く気がないけどね)。

28(2011.5 掲載)
 『快楽亭ブラックの毒落語』(平岡正明、彩流社)

◆K氏(60代男性) 今月の快楽亭ブラックは面白い。本を読まなくても十分楽しめました。
三河島のアパートの話はワタシ好みだなあ。

 私は落語好きだけど、落語家が佐幕派とは知らなかった。そう言えば、
漱石も落語好きだったが、漱石は江戸の名主の伜だから、やっぱり佐幕派
なんだろうな。かく申す私の祖先も佐幕派です。

 ついでながら、圓朝作の「文七元結」の結末は、所帯を持って麹町貝坂
で元結屋を営むということになっていますが、その貝坂というのは、いま
私が構えている事務所から20mほどのところです。へえ、こんなところ
にねえ、と見回しても、いまは寿司屋と蕎麦屋とラーメン屋以外、何にも
ありませんが。

   ところで、一個所ミスタッチがあるよ。断腸亭が断腸邸になっています。

36(2012.1 掲載)
 『逝きし世の面影――日本近代素描T――』(渡辺京二、葦書房)

 ◆S氏(60代男性) 「逝きし世の面影」は、いいですね、本当に。
藤川氏の書評を読んでいると、再度読みたくなるから不思議。
同じ本を読んでも、受けとめ方が異なるところが必ずある
からなんでしょうね。

42(2012.7 掲載)
 『絶対貧困――世界最貧民の目線――』(石井光太、光文社、2009.3)

 ◆S氏(60代男性) 今月のはケッサクですね。面白かった。
大兄の文章にも感心。還暦過ぎても腕は上がるのだと思うと、
老齢の同輩としてもちょっと嬉しい。

44(2012.9 掲載)
 『木馬と石牛』(金関丈夫、法政大学出版局、1982.3)

 ◆S氏(60代男性) 『木馬と石牛』には、大兄の簡単な抜粋だけで辟易するほど
あきれました。法政大学出版局というのは、けっこう面白い
本を出すところで、高校時代の恩師の奥さんも先年そこから
人形劇の本を刊行し(その原稿の下読み、事前校閲みたいな
ボランティア協力をした)、割合評判がよかった。もちろん
そんなに売れる本ではないのだけれど、その本を編集部に出
版依頼する経緯などをお聞きして、予算獲得や出版企画の決
定が割合ラフなことを知りました。ある意味、親方日の丸の
版元なのね。

 45(2012.10 掲載)
 『パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い――』
(黒岩比佐子、講談社、2010.10)

 ◆S氏(60代男性) この間の堺利彦、面白かった。売文業、というのがいいね。
この頃の新聞社員の言動は、岸田吟香をはじめとして実に
愉快なところがある。

すっかり記憶力が減衰して、誰の何という本で読んだのか、
あるいは資料調べの最中に、なにかで拾い読みしたのか、
まったく思い出せないのだが、大逆事件で刑死した人物の
遺体引き取りの話を読んだことがある。刑死した男の弟が
引き取り、中身が本物かどうか確認する話だけど、これを
実見して記事にしたのが松崎天民だという話。

48(2013.1 掲載)
 『ナノ・スケール生物の世界』(リチャード・ジョーンズ著、梶山あゆみ訳、河出書房新社、2010.12)
 原題NANO NATURE:Nature's spectacular hidden world

 ◆S氏(60代男性) 写真集の写真掲載だと、著作権に注意が必要だね。いまは、
画像検索で、撮影者が自分の写真をウェブ上で再利用されて
いるかどうか、すぐ確認できてしまうから、転載は必ずバレル
と思っていないと。

50(2013.3 掲載)
 『この地名が危ない―大地震・大津波があなたの町を襲う―』
 (楠原佑介、幻冬舎新書、2011.12)

 ◆S氏(60代男性) 昔のことを調べるのって、大変だよね。今回の地名の話も、調査が
大変だったと思うよ。その成果だけ頂戴できて、読書はありがたい。
面白かった。気仙沼、鎌倉、双葉町、なるほどね……と。

森進一の「港町ブルース」の歌詞二番は、
「流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼」
とあって、三陸沖地震を思うと、この唄をうたいたくなる。
「だました男の」ではなく「むごい津波の」と言い換えて。
気仙沼の港ふれあい公園には、この歌碑が建っているらしい。
津波で傾いたが、無事とのこと。

51(2013.4 掲載)52(2013.5 掲載)
 『仏教、本当の教え―インド、中国、日本の理解と誤解―』
(植木雅俊、中公新書、2011.10)

 ◆S氏(60代男性) 『仏教、本当の教え』、内容が良さそうですね。
長いこと『正法眼蔵』の製作をを担当して、個人的にも
少しだけど、仏教に関心があったから、面白く読めます。

著者の植木って、どんな人かと興味が湧いて、気付いたら
大兄の乱読日記は、著者についての情報を、基本的には掲載
していないのね。善し悪しを論議すべき問題じゃないけれど。
おかげで、ネットで著者の履歴を調べてしまった。中村元
大先生のお弟子さんなのね。いい宗教センスをお持ちのはずだ。

次回も楽しみ。

◆K氏(60代男性)  「乱読日記」を読んで、『仏教、本当の教え』が面白そうだから、買って読みました。
私もまさに「仏教に関する本など今まで1冊も読んだことがないから、 薄い新書1冊読んだだけで仏教が分かったなどとおこがましいことをいうつもりはないが、「仏教、本当の教え」の一端に触れ得たことは収穫だった。」ということです。
 サンスクリット語の経典や原始仏教の考え方には共感できました。どうも日本の仏教は怪しいところがあると思っていたのだが、その一端が理解できたような気がする。そもそもいまのお坊さんは経典の意味を勉強しているんだろうか、と疑いたくなりますね。
 この本も、後半はつまらんね。面白いのはサンスクリットからの変遷の部分だね。

 ずいぶん前だが、ダライ・ラマの「チベット、わが祖国」を読んで、
すっかり彼に心服しました。中国は非難したり、ネガティブキャンペー
ンを張ったりしているけれど、私は彼を信用しています。

◆Tさん(70代尼僧) 藤川さんとブッダの間に何も入らず、何人も入らずにブッダの説かれた教えが、そのままにつながっていることに“善し”と思いました。
こんな風に、続けて書いて頂きたいと思いました。
寺持ちの僧が、しがらみにしばられて、本来ブッダの説かれた説を大きくゆがめて俗世の人々にエラソーにお説法するのはきき苦しいものです。
寺を守る立場にない藤川さんの正論はまことにすがすがしく耳に心地よい。

インドでカーストの位の高い人程、肌は白くなり、目鼻立ち、容姿はヨーロッパ風でした。なぜか? アレキサンダーが侵入し、ヨーロッパ人との混血、支配があり、カースト上位者はそんな風になったとききました。
だからカースト下位になればなる程、肌は黒さを増し、容姿は身長低く、顔は鼻ペチャでみにくいのです。(これ、インドでききました。)

ブッダのお説法はすばらしく魅力的で、遠くから宗教を越えて、多くの人々がきくために集まったことでしょう。
バラモンだって、土地土地の土俗宗教者も教えをきき、心酔し、弟子になるものは多かったと思うのです。
中には身命をとして、仏教を守りたい、法を伝えるために力をつくしたい、苦しみや危険の多い現世をブッダの教えに従ってゆこうとする人々の守護をしたいと願うすぐれた人々もいたでしょう。
それらの人々が守護神としてあがめられていき、いつの間にか、仏教の多神が出来上っていったのではないでしょうか。

キリスト教の中にも聖人、聖女がいますよね。

藤川さんの健全なブッダ信仰を尊いと思います。    かしこ

53(2013.6 掲載)
 『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる―地の底の人生記録(新装版)―』
(山本作兵衛、講談社、2011.7)

 ◆S氏(60代男性) 今回の書評、ありがたかった。

下手くそな絵で、「これが世界記憶遺産か」と忸怩たる気分で
いたのだけれど、文章がいいのを教えてもらって安堵しています。
図書館で、読んでみようかしら。

朝鮮人の徴用の話に触れていたけれど、これ、ひどいのね。朝鮮
から徴用された人数は、都市部だと、向こう三軒両隣りから若者
一人が引っ張られたぐらいの率だったそうだね。現財務相の麻生
の父と祖父らも石炭で納屋制度をやっていた。侵略を否定しよう
とする自民党の政調会長や、同類の安倍など、何にも勉強しとら
んのね、困ったもんだ。

54(2013.7掲載)
 『生きる悪知恵―正しくないけど役に立つ60のヒント―』
 (西原理恵子、文春新書、2012.7)

 ◆S氏(60代男性) 今号の、「高地流」という言葉だけれど、 あの書評からだけでは意味がわからない。 この本を読めばわかるのかしら。

55(2013.8掲載)、56,57
 『日本人の戦争―作家の日記を読む―』
(ドナルド・キーン著、角地幸男訳、文藝春秋、2009.7)

 ◆S氏(60代男性) ドナルド・キーンはいい。『高見順日記』の、上野駅部分を読んで、
彼は「日本人になりたい」と思ったと、瀬戸内寂聴との対談で告白
してました。それからウン十年、ずっとそう思いつづけて、3.11を
きっかけに、やっと実行したのだと。

今回の原稿に、「グークス」という有色人種に対する
蔑称が出てきますが、この差別語、簡単な英和辞典などには載って
いないし、カタカナ語でも滅多にお目にかからない(六十何年生き
てきて、目にしたのは今度でたぶん2〜3回目。前回出会ったのは、
大兄の書評『ネルソンさん…』だった。今回、初めて辞書をひいた)。
単語に注釈をつけたほうがいいと思います。

伊藤整って、こんな日記を!

大兄の、『日本人の戦争――作家の日記を読む――』、面白かったな。
もう一回、連載を続けてくれても、個人的には嬉しかったのに。
そうも、いかないか。

58(2013.11掲載)
 『韓国が漢字を復活できない理由』
(豊田有恒、祥伝社新書、2012.7)

 ◆S氏(60代男性) 『韓国が漢字を復活できない理由』、おもしろかった。

韓国の言語事情はわからないけれど、中国語に氾濫する 和製漢字熟語の多さをみれば、おおよそは推察でき、肯けそう。

著者の意向・原稿内容もよかったのだろうが、
この本は 編集企画の勝利のようにも見えてしまう。

59(2013.12掲載)
 『川の学校――吉野川・川ガキ養成講座――』
(野田知佑、三五館、2012.6)

 ◆S氏(60代男性) 野田を教えてくれたのは、カヌーが趣味のMさんで、かれこれ 20年くらい前かしら。
彼が貸してくれた本のほか、数冊を集中的に 読んで、「オイ、コラ、こいつはスゲエ、本物だ」と思った記憶が あります。
「本物」って、ナンノコッチャか説明不能の、単なる感嘆詞デス。

ともあれ、久しぶりの野田クンの話題に接し、彼が元気らしいと
知って嬉しかった。
野田クンは、好きで遊んで生きて、セイギの味方になっちまったのね。
そして女には、怨みツラミあきれはてのオーバー・ザ・レインボウの
男に…。若年の離婚は当然で、いまはどうなのかしら。

大兄の内海の経験、良かったねエ−――、ほんとに。

65(2014.6掲載)
 『希望の現場 メタンハイドレート』
(青山千春、ワニブックス、2013.7)

◆S氏(60代男性) しかし、メタンハイドレートなんて、アブナイ問題によく飛び付きましたね。
まだ、目鼻もハッキリしないみたいなのに。
それに、青山繁晴って、安倍のシンパらしいし。
文章に、ソコツな様子は、なかった?

 69(2014.10掲載)
 『夜と霧(新版)』

◆S氏(60代男性) しかし、この二回分の内容は重いね。
原本の引用紹介も、大兄の述懐も。
深々と、痛切。
しかし、変な話しだけど、少し元気が湧いた。

◆K氏(70代男性) 藤川様、フランクルの夜と霧の評、大変な迫力で次月号が 大変楽しみです。今回、読者評を見る事が出来、これも読み応えがありました。 実は先週末から又、入院(情けない!)携帯で見ているのでちょっと見辛いのですが・・ ・ひき込まれました。

◆S氏(60代男性) 『夜と霧』は、お疲れ様でした。
昔から関心を持っていた本だけど、読む気になれなくてね。
青二才時代の小生は、愚図で不貞腐れノンポリだったもんで、
この手の本は、縁がなかったんでしょうね。
辛くて嫌な本みたいだし、推奨する人士は左翼の生真面目インテリが多かったから。

今は、読んでもいいと思うけれど、気力減退気味で高嶺のナントカ。
大兄が案内してくれた内容で、満足だとして逃げておきますワ。