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 『原発ゼロ』(小出裕章、幻冬舎ルネッサンス新書、2014.2)

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 「乱読日記」発表の段取りを明かそう。原稿は1年前に書く。書いたものを1年寝かせて発表するわけだ。1年もたてばおのれの文章でも客観的に読める。 アラもみつけやすい。今月書いたものを来月発表するなどという芸当はわたしにはできない。いきおいジャーナリスティックな本は避けることになる。 ジャーナリスティックなものは腐りやすいからでもある。だが、11.3.11以後上梓されるものに関してはそんなのんきなことはいっていられない。 ここに読みたての本の紹介を載せるのもそういう意味合いからだ。

 小出裕章(ヒロアキ)、1949年東京生まれ。わたしと同い年だから「アトム世代」だ。 原子力の平和利用に夢をいだいて東北大学工学部原子核工学科に入学するも、 原子力発電(以下、原発)の真実を知れば知るほどその危険性を知り反原発に転じ、以来40年以上原発をなくす運動をおこなっている。 本書出版時は京都大学原子炉実験所助教。助教は、昔でいう助手のこと。ふつう助手、講師、助教授、教授と登っていくものだが、 小出はとうとう助手のままで終わるのだ。2014年には65歳になる。国立大学の定年は65歳だから、京大はいまごろ胸をなでおろしているのではないか。

●買電はそのうちなくなるだろう

 わたしは反原発を唱えながら、いままで原発のことはあまり知らなかったので、たいへん参考になった。 本書は原発の教科書といっていい。とりあえず原発がいかに不経済なものであるか、ゼニコの話からみていきたい。

 わたしは数字とか図表というものにアレルギーがあり、目の端にはいっただけで伏せるようにしているが、本書はとてもわかりやすい。 1930年から2011年までのあいだで、電力が水力発電と火力発電だけで足りなかったのは、 1990年代に数時間あっただけだということを小出はわかりやすいグラフを作って証明している。 足りないといっても自家発電から融通してもらえばなんとでもなる程度の話だった。原発なんかなくてもいっこうに困らなかったのだ。

 電源別の電力単価は、原発がいちばん高い(立命館大学大島堅一教授)。発電所の建設費を電源別にみてみると−−。

 北海道電力泊原子力発電所3号機(91万2000KW)…………約3000億円
 北陸電力敦賀火力(石炭)発電所2号機(70万KW)……………約1275億円
 東京電力富津火力(天然ガス)発電所3号系列(152万KW)…約1700億円
 東京電力葛野川揚水型水力発電所(160万KW)…………………約3800億円

 揚水型水力発電は、夜間の「安い」電力で上部のダムに水を送りあげ、昼間はその水を下のダムに落としてタービンを回す発電法だ。 と聞けばなかなか賢い発電法のように聞こえるが、原発には必ず付随して作られると聞くととたんに怪しげなものになる。 じつはこうだ。原発というものはいったん稼働したら、水力や火力のように発電量を下げられない。 そこで夜間の余った電力を揚水に使って約30%捨てるのだそうだ。だが疑問もわく。 福島第一原子力発電所は海岸ペリの平坦な場所に建っていて(だからこそ津波の被害に遭ったのだが)、そんなダムなんか見当たらない。なぜだろう。

 ところで「障害老人乱読日記」bU2(2014.3掲載)『徹底比較!「新エネルギー」がよくわかる本』でわたしは 「ソーラー発電でもうけようなどと考えるな」と忠告した。 予言したとおり2014年秋には電力各社がソーラー発電の買取り価格を安くするどころか買取り制度そのものを中止するといいだした。 テレビでその理由の解説をする“識者”は「送電網がどうのこうの」とわけのわからないことをいっている。

 原発が停まったからだとわたしは考える。原発がフル稼働しているころは夜間電力なんかただ同然で配れたのだ。 捨てていたくらいなのだから。捨てていたのを隠すため「夜間電力を使ってくれるひとは安くしてあげるからどんどん使ってね」といったのだ。 おまけに昼間はいままでより高くして。ところが原発がすべて停まったために夜間料金を安くすることもできなければ、 「買い電」(買い春みたい)する余裕もなくなってしまった。そのあたりが再生エネルギー買取り制度停止の実情ではないか。

●平気でウソをつく政治家

 原発が危険なものであることは、最初に手がけたひとも知っていた。だから電気を使う都会ではなく道路もないような過疎地に建設したのだ。 《二〇一一年一二月、当時の野田佳彦首相は、福島の事故は収束したと宣言しましたが、今に至るまで、収束などまったくしていません。 事故から三年近く経っても、およそ一五万人もの被害者が故郷を奪われて流浪化しています。福島第一原子力発電所内では、毎日約三〇〇〇人の作業員が、 いまも被曝をしながら収束作業にあたっています。汚染水の海洋放出も止められないままです。 次から次へと深刻な事態が明るみに出て、いまもたくさんの放射能が漏れている。たくさんの人々がたくさん被曝をしなければ、 とても収束できない、と、そういうところまで来ているのが現状です。/そのような状況下で現自民党政権を率いる安倍晋三首相は、 二〇一三年九月七日に東京オリンピック招致の最終プレゼンテーションで、汚染水について「完全にブロックされている」と世界に大うそをつきました。 そして、「福島の事故は、コントロールされている」とも言いました。それでこの先、目指しているのが日本中の原発再稼働と、原発の海外輸出です。》

 あの安倍首相の「フクシマの状況は統御されている」という例の「アンダー・コントロール」スピーチを聞いたときには日本中がひっくり返ったものだ。 政治家がこうなら経済産業省も福島の事故直後に原発推進方針を確認し、東京電力もいっさい責任を取ることなく、 さっそく柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を策動しはじめた。原発を作ったのは自民党政権なのだから民主党はそこを攻めればいいものを、 民主党の首相まで原発を擁護するとはどういうことだろう。よほどオイシイ仕組みができあがっているにちがいない。 だからこの国では政官財こぞって原発推進に走っているのだ。

●「汚染水は海へ流すしかない」

 東京電力福島第一原子力発電所には6基の発電所が海沿いに並んで建っており、そのうち1号機から3号機までメルトダウンを起こした。 それを防ぐために水を注入したのだが、水の大半は原子炉に届いていなかった。なぜなら原子炉建屋の中には何千本という配管が設置されており、 配管の分岐点の一つ一つに弁が付いていたのだが、それが閉じていなかったために途中で水が逃げてしまい、炉心まで届かなかった。 東電は2011年3月にはそのことを把握していながら公表しなかったことを小出はあきれているが、同時に東電の「当時すでに現場周辺の放射線量が高く、 弁を閉めるのは困難だった」という説明を、「それはそうだと私も思います」と容認している。 なんでもかんでも東電や政府のいうことにけちをつけて論難するという態度ではなく、科学者らしい冷静な判断をおこなっている。

 炉心にかけた水は放射能汚染水になる。当初、その汚染水を放射能除去装置にかけてセシウムを取り除き再利用するという計画だった。 そういえばフランスのアレバ社の女社長が乗り込んできて自信満々「任せなさい」と見得を切り1トンにつき2億円とずいぶん高い金をふっかけていたようだが、 2011年6月から稼働したものの9月には撤退してしまった。どうにもならなかったわけだ。

 炉心は圧力容器という頑丈な容器の中にあって、外に漏れ出すことなどないとされていたが、メルトダウンしてしまったら最後、 その外側の格納容器も溶かして落下し、いちばん外側の建屋はただのコンクリートだから、 たぶん炉心は地下へどんどんしみこんでいるのではないだろうかとわたしは想像している。 《もしそうだとすると、地下水と必ず接触してしまいますし、そうなるともう、 猛烈な放射能が地下水に混じって海へ流れ出ることを食い止められなくなってしまいます。》 小出は5月から遮水壁を原子炉建屋の地下に張り巡らせるべきだと主張したが、東電は1000億円かかるから株主総会が乗り切れないという理由で拒否。 事故から半年たった2011年10月になってようやく着手したが、不完全なものを作ったので地下水の流入を遮断できず、 いまも猛烈に高濃度の放射性物質が流れ出ている。

 本書出版の時点で凍土壁もうまくいかないだろうと予言しているが、2014年秋には予言どおりになっている。 驚くべきことに、福一はもともと海抜30〜40メートルあった土地を海抜数メートルまで削って作ったものだから、 高台から地下水が流れ落ちてくるのだそうだ。だから原子炉から流れ出る汚染水と地下水が渾然一体となっているという。 なんというおろかな……。ことばが出てこないほどおろかなことをしたものだ。もともとの位置に建てていれば、 地震はともかく津波の害は受けなかったはずだ。低い土地に建てたほうが運用しやすいのだろうが。ここまで来て先ほどの、 原発にはかならず揚水型水力発電所が併設されるものなのに、福一が海辺の平坦な場所に作られているのでは水力発電所なんか作れないではないかという疑問が解決。 「Google画像検索」で見たら、みごとに崖を数十メートル削って作った様子が見て取れる。 しかし揚水型をすぐそばに作る必要はないのだから、どこか遠方に作っているのかもしれない。 このあたりはしろうとの想像に過ぎない。

 《漁民から見ればとんでもないことだと思われるでしょう。でも、私が言うのは大変申し訳ないですけれども、どうしようもないのです。 今闘っている相手は、人間がどんなに手を加えても消すことができない放射能です。唯一できるのが漏れを防ぐということですが、 次々と炉心に水を入れ続けるしかない状況では、放射能に汚染された水がまた増えてしまう。その浄化が間に合わず、貯めておく場所もなくなってしまえば、 その時はやはり、できるだけ薄めて海に捨てるしかない。しかもそうした破綻が近い将来に訪れてしまう、と、そういう段階に来ているのです。》

 海に流れ込んだ放射性物質は、海流に乗っていずれ世界中の海を汚してしまうのだろうか。 そうしたらわれわれは魚類・海藻類を食べることができなくなり、やがて汚染は陸上にも広がり、陸上のものも摂取できなくなる。 ヒトに限らずほとんどの生命は死滅してしまうのだろう。なんとか放射性物質は列島の東方にある日本海溝の奥底に沈み込んでいってくれないものだろうか…… などとまたまたしろうとの夢想を書きつらねたところで意味のないことだ。

 小出によれば事故後3年たった今では、短い寿命の放射性物質はすでになくなっているし、崩壊熱は事故直後の数百分の1に減っているとのこと。 そこで《今なら水に頼らずに、溶け落ちた炉心を冷やすことができる可能性があると考えます。》 水に代わる物質とはスズ・ナマリ・ビスマスのような融点の低い金属。これを溶けた炉心に到達させれば、炉心と一体となり、 やがて溶けなくなるポイントが必ず来るという(オーッと、明るい日ざしが射した)。ただし溶けた炉心がどこにどのような状態で存在しているかわからないので、 まだ雲をつかむような話のようだ(日ざしは消えた)。

 未曾有の経験をしているわれわれ日本人は、《世界中から多くの知恵を集めて、どの方法がベストなのかを議論しながら前に進んでいくしかないわけです。 残念ながら国や東京電力にはそうしようとする意思もないし、体制もないのです。》なぜなのだろう。不思議だ。日本人はそんなあほな民族ではないはずなのだが。

●「故郷はもうすでに失われているのです」

 セシウムにも2種類あって、危険なのは半減期の長いセシウム137。 東京電力福島第一原子力発電所1〜3号機の放出した137は広島原爆の168発分と政府は発表しているが、 絶対安全を標榜して58基もの原発を作らせた犯罪国家が本当のことをいうわけがない。小出はその2〜3倍はあるとみている。 《つまり、広島に落ちた原爆がまき散らした死の灰の、四百倍、五百倍もの量が、福島第一原子力発電所から大気中に放出された。 これは本当に大変な事故なのです。》

 《東京電力で「偉い」と言われる人々、そして日本の政府や官僚も、自分の身体は一切傷つかないようにする。 そして、正面を切ってものを言えない立場の人たちに、大変なことや辛いことを全部押しつける、そうやって責任逃れをすることを、 今までずっと繰り返してきたわけです。そして福島第一原子力発電所の事故を起こして窮地に追い込まれた今この時でさえも、 何が何でも、自分たちだけは無傷で生き延びようとすることを諦めない。/この醜癖を、いい加減止めさせなければいけないところに、 私たちはきているのだと思います。そのためにも、原発を再稼働させることなど絶対に許してはいけません。》

 除染と称して民家や校舎の屋根を洗ったり庭の土を削ったりしている様子をテレビで見ながら、それで本当に安心なのだろうか、 風が吹いたら山に降った放射性物質が飛んできて元の木阿弥になるのではないかとおもった。 インターネットにある動画サイトに投稿できる能力が自分にあったらこんなことをしたいとおもった。 キャストはそうさね内田裕也がいい。カメラに向かって狂ったように白髪を振り乱しながら馬鹿声を張り上げるのだ。

  放射能が来た、放射能が来た、どこに来たー!
  山に来た、里に来た、脳にも来たー! ロッケンロール!

 《ゼネコンや地元の建設会社といった除染の元請け企業は、仕事を受注すると、受注額のいくらかを渡す約束をして、下請け業者にその仕事をやるように言います。 そしてこの時に責任もバトンタッチをしてしまいます。以後、この元請け業者が除染現場を見に行くことはありません。》 その下請け業者は仕事をさらに下の孫請け会社に回し、孫請けはさらに下のひ孫請けに回し、みんなで下におろすたびにマージンを取る。 最下層の現場は期限が決められているから、除染で使った水は垂れ流し、枝葉などの汚染物を川に蹴り落としたり、削り取った土は穴を掘って埋めてしまう。 《人々が生活している場所にある放射性物質を、とにかく集めて隔離するということが、今、行なわれている除染の目的であるのですけれども、 手抜き除染というものは、隔離をするのではなくて、むしろその汚染を拡散してしまうというようなことをやっているわけです。》

 「除染」というのは放射性物質などによる汚染を除くという意味だが、ほんとうのことをいえば汚染は除けない。 いまやっているのは汚染を移動させることだと小出はいう。さらに人間が移動させなくても自然が移動させる。 《山に降った汚染は里に下りてくるし、川に流れた汚染は海に流れる。》ホーラ、おれのいったとおりだろ(笑)

 絶望的なことばかりが書かれている本書の中で、唯一ホッとするのが以下の部分だ(まやかしの安堵だが)。 年間20ミリシーベルトなら被曝しても良いと政府は決めた。ほんとうは1ミリシーベルトでもダメなのだが、いまは緊急時だからそれぐらい我慢しろよというのだ。 《そもそも、「年間二〇ミリシーベルト」というのが目標値であるなら、わざわざ多額のお金をかけて除染する必要はありません。》 なぜか。セシウムには134と137とがあるが、134は半減期が2年だから10年もすればほとんどなくなる。 ただしこれは空間線量率での計算であり、外部被曝だけを考えた数字。妊婦は2ミリシ−ベルトでもいけない。 だから汚染地域にいるひとは一刻も早く逃がさなければいけないと小出は警告する。

 《仮に一ミリシーベルト以下としたとして、そうなるまでには、多分、何百年もかかると私は思います。故郷はもうすでに失われているのです。 日本政府は、その厳しい現実を汚染地域に住む人々に知らせなければいけないと思います。 「国や行政が率先して除染すればなんとかなる」などといつまでも宣伝して幻想を持たせるのは今すぐ止めるべきです。 そして、一人あるいは家族単位でどこかに行くというのではなくて、その地域ごと、コミュニティごと移住できるような政策を、国は講じなければならないと思います。 莫大な国費を除染ビジネスに投資してロビー勢力を増やすよりも、国庫を潤す納税者一人一人の命を守り、その生活再建に当てるほうが、よほど堅実だし、 被害者に寄り添った方策であると私は思います。》

●「最後は石棺で閉じ込めるしかない」

 溶け落ちた核燃料は取り出せない。だから最後はチェルノブイリのように石棺で閉じ込めるしかないのだそうだ。 チェルノブイリで溶け落ちた炉心は1つ。フクシマは3つ。石棺で閉じ込めても30年たてばコンクリートはぼろぼろになるから、 またその上に石棺をかぶせる。これを永遠につづけるしかないようだ。

 生み出した放射性物質を消す能力を人類は持っていない。それは1942年にアメリカで原子炉を動かしたときすでに、わかっていたことだが、 そのうち解決法が見つかるだろうと高をくくった。これが人類滅亡、いや地球滅亡の始まりだったのだ。