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 『本当はひどかった昔の日本――古典文学で知るしたたかな日本――  (大塚ひかり、新潮社、2014.1)

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●「むかしは良かった」はウソ

 1961年生、早稲田大学第一文学部日本史学専攻。とかくいまを生きるひとは「むかしは良かった」といいがちだが、とんでもないと、 古典を読みあさってきた著者は結論づける。捨て子、男女差別、強姦事件、少年犯罪、家庭内暴力、貧困ビジネス、ブラック企業、 そのどれをとっても今は昔より減少し、日本はほんとうにいい国になったという。

 『逝きし世の面影』(「障害老人乱読日記」bR6〜38)でもとりあげたように、 幕末明治期に日本を訪れた外国人の目に最も印象的に映ったのは日本が「子どもの楽園」であることだった。 「来日した者で日本の子どもの愛らしさと子どもをほとんど溺愛する親に目をとめなかった者はいない」とわたしは記した。 ところが本書には正反対のことが書いてある。《江戸時代だって、話の分かる優しい親のもとに生まれ、姑に可愛がられれば幸せかもしれません。》 そうでない大部分の子どもはさんざんな目に遭ったようだ。もうそろそろそんなことは忘れ去られかけているが、江戸時代は男尊女卑の気風が強かった。 《一八七八年、日本を訪れた英国女性イザベラ・バードは、日本の法は「夫と両親にきわめて有利」で、夫は妻を「負傷させた場合ですら、 妻から申し立てのないかぎり、検事は犯罪として認めることができない」と書いています(『イザベラ・バードの日本紀行』)》。 「現代に生まれて良かったな〜」と大塚はしみじみ思う。

 『逝きし世の面影』を意識したのか、《残したい、古き良き日本の姿ももちろんありますが、それはすでに多くの人が紹介しています。 古典が大好きな私が、あえて昔の日本の「ここはつらい」という過去を見せてもいいのではないかと思い至りました。》いいところに目をつけた。

 「身分差別は良くない」という常識、清潔な食べ物が手に入りトイレも清潔、薬も手に入れば狂犬病がめったにない現代日本は、 なんて住み心地がいいんだろうと、長く古典のなかに悲惨な世界を見てきた大塚は、幸せをかみしめる。そのとおりだとおもう。 わたしを例に取れば、1988年に在宅障害者になった当時、福祉の社会資源はほとんどなかった。 ヘルパーがいなかった、訪問看護師がいなかった、ホームドクターがいなかった。駅にエレベーターがなく、バスにスロープが付いていなかったから、 電車にもバスにも乗れない。椅子ごと乗り込める福祉タクシーがなかった。 存在したのは家政婦だけ。妻は重圧に押しつぶされて死んでしまった。……そう、わずか四半世紀でうんと生きやすくなった。 単純計算すれば、1000年前の日本はいまより40倍悲惨だったことになりはしないか。

●「かつてあったことは、これからもある」

 本書を始めるに当たって、大塚は上記小見出しの言葉を聖書から引用してエピグラフとしている。 2010年に男遊びに狂った若いシングル・マザーが幼子ふたりをマンションに閉じ込めて餓死させた。 「まったく近ごろの母親ときたら」と世間は嘆いたが、なあに『日本霊異記』(平安初期)にも同じ話が出てくる。 しかもこんなことはそれほど悪いこととは思われていなかったという。なぜなら当時は親子関係より男女関係のほうが重んじられていて、 しかも男が女の家に通う「婿取り婚」だったから、男が来なくなれば女は乳飲み子をかかえたシングル・マザーになるしかない。 そこへ正妻にというひきあいがあったものだから、乳児2人を連れて行くわけにはいかず捨てたという次第。 いまなら非難ゴーゴーだが、当時は同情されたという。

 まだまだあるぞ、きりがない。『今昔物語』には、幼い子どもを連れて山中をいくと、物乞い二人に犯されそうになり、子どもをおいて逃げた。 通りすがりの武士にわけを話すと現場に駆けつけてくれたが、子どもはすでに“二つ三つ”に引き裂かれていた。 いまならわが身かわいさに子を犠牲にしたと批判されようが、当時は「物乞いに身を任せるわけにはいかない、 ゲスのなかにもこのように恥を知る者はいるのだ」と賞賛されたようだ。これらは儒教の影響が強い律令制度の結果だという。 大塚は「物乞いに身を任せてしまったほうが簡単なのに」という。現代っ子ね。

 ここで儒教思想のほかに仏教思想も悪者にされていることに注目したい。 小林一茶(1763〜1827)は3歳で実母を亡くし、8歳で父が再婚し、13のとき弟が生まれると 《弟のお守りをさせられるだけでなく、継母や父から激しい折檻を受けるようになり、三十九歳の時、父が病死して以来、 十三年間も財産問題で継母や弟と対立しています。》1日100回杖でぶたれたと本人は記している。 ここまで虐待されても「すべては前世からの宿縁、たとへ此身はちぢに砕かるるとも、身体髪膚皆父母の借もの、何をか悔いん、何をか恨まん」とあきらめている。 《これは孝行を説く儒教思想と、この世の幸不幸はすべて前世での善悪業の報いという仏教思想に、どっぷりつかった江戸人ならでは。》と大塚は見ている。

 まったく思想・宗教というものは恐ろしいものだ。孝行を説くったって、孔子はそんなことを説いたのだろうか。 釈尊はほんとうに前世の報いだと説いたのだろうか。 何度も自説をくりかえして恐縮だが、「障害老人乱読日記」bT2『仏教、本当の教え―インド、中国、日本の理解と誤解―』 (植木雅俊、中公新書、2011.10)をとりあげた中で述べたように、仏教が日本に伝わったのは5〜6世紀。 紀元前500年に生まれた釈尊の「カースト制度廃止」「男女平等」の思想は、釈尊の死後バラモン教にやぶれ、 さらにバラモン教を前身とするヒンドゥー教にやぶれさったのだから、日本に渡来したのは仏教ではなくヒンドゥー教だったと見るのが自然ではないか。 いまでもヒンドゥー教を国教とするインドであいかわらずカースト制度が隆盛であることが何よりの証拠だ。 インドではバスに乗った女性を男どもが輪姦してしまうのだよ。 ヒンドゥー教のなんたるかを私は知らないが、ろくなもんじゃないことは、日本人を洗脳して不幸にしたことで明らかではないか。 なんかモンクあるか。いつでもいってこい。拙文と同量のスペースを本欄に提供する。

●古典にあふれる育児放棄

 日本最古の育児放棄は何かご存じか。 女神イザナミから男神イザナギを誘うという“逆ナン”をしたために生まれた「水蛭子(ヒルコ)」を葦船にのせて川に流したという 『古事記』の話がそれだ(とわたしはおもう)。いま中国人は死んだ大量のブタでも家でもなんでも川に流してしまうとわれわれ日本人はしかめ面をするが、 わが邦にもなんでも「水に流す」という習慣がある。目の前から忌まわしいものが消えればそれでいいのだ。 『古事記』は、ほんの一握りの読者しか持たない天皇家の秘伝であったろう。 つまり、こういう時にはこうすればいいという家訓だ。障害児は捨てよと教えたのだ。道学者ぶるつもりはない。 当時それ以外に方途はなかった。現在なら出生前診断から生後の社会福祉制度までがある。 前掲『ランドセル俳人の五・七・五』の著者小林少年のように900グラムで産まれた子どもがすばらしい精彩を放つこともできるようになったのだ。

 《捨て子が取り締まりの対象になるのは江戸も太平の世となった五代将軍徳川綱吉の代生類憐れみ政策の一環として、 捨て子が禁止された貞享四(一六八七)年以後のこと。》以来捨て子は捨てられた場で養育することが義務づけられた。 綱吉は15代将軍中随一の名君といえるのではないか。少なくとも福祉思想においては。 「生類憐れみの令」も、子に恵まれなかった綱吉が跡継ぎ誕生のための願掛けとしておこなわれたもので、 「犬公方」と中傷されたとれわれは学校で教わったが、じつはそうではなく捨て子保護を主眼としたものだったのだ。 いずれそのように教科書は塗り替えられていくだろう。

 それよりはるか以前の中世の村落では、乞食を養っていた。あれ? 話がおかしいじゃないか、やっぱり昔のほうが人情に篤かったのではとおもいたくなるが、 ところがぎっちょんちょん、これは村に難題がふりかかったとき、 たとえば村の誰かが殺人を犯して「加害者を差し出せ」と要求されたときに差し出すための「保険」だったのだそうだ。ウーン、短編映画が1本撮れそうな話だ。

 だがじつは近代以前の日本では、捨て子より堕胎や間引きなどによる子殺しが多く、 「ヨーロッパでは嬰児が生まれてから殺されるということは滅多に、というよりはほとんど全くない。 日本の女性は、育てていくことができないと思うと、みんな喉の上に足をのせて殺してしまう」と安土桃山時代(16世紀)のルイス・フロイスは書いている。

 ところで訪問看護の最中、看護師とヘルパー相手にそんな話をしていると、看護師が「コ・ケ・シ」とつぶやいた。 ハッとした。そうかこけしはやむなく消さざるを得なかった子どもを慰霊するための人形だったのかと気づいた。 そういえば歌手の島倉千代子さんは、楽屋の化粧台の上にいつもこけしを3つ並べていたとか。元阪神タイガースの藤本勝巳氏とのあいだに3人の子を宿したが、 いずれも中絶しているからだ。ただし「こけし=子消し説」を鵜呑みにしてはならない。あらゆる語源は説に過ぎない。

 1879年(明治12)、日本の人口3500万人のころ、棄児は5000人以上。 それが1987年には131人、1998年には81人、2003年には67人だという。 日本文化は着実に向上している。熊本県の慈恵病院がおこなっている「こうのとりのゆりかご」(通称赤ちゃんポスト)はすばらしいシステムだ。 殺すくらいなら捨てなさいとわたしはいいたい。生みの親より育ての親。だいじょうぶ、日本は高度福祉国家だ。(つづく)