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 『本当はひどかった昔の日本――古典文学で知るしたたかな日本――  (大塚ひかり、新潮社、2014.1)

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(10月号からの続き)

●陳腐な童話に秘められた庶民の願い

 最近児童虐待のニュースが目に付くのは、ひとびとが敏感になり役所に届けるようになったからであって、なにも最近になってふえたわけではない。

 《江戸時代の家族が「もろい」と聞くと意外な感じがするかもしれませんが、そもそも結婚して夫婦で子育てするといった「家族」を多くの人が作れるようになったのは 十七世紀ころからといわれます。》長男以外まともな結婚はできないし、一夫多妻の社会では夫あるいは父親と同居できる妻や子どもは限られていた。 《『一寸法師』や『ものくさ太郎』など多くの物語で、/「結婚して子どももたくさんできました、めでたしめでたし」/と終わるのは現代人には陳腐に見えますが、 特権階級しか「家族」を持てない時代にあっては究極のハッピーエンドだったのです。》子どものころから馴染んできてもはや陳腐化したとおもえるストーリー展開には、 じつは庶民の悲しい願いが潜んでいたのだ。

   西洋のおとぎ話にしても、「ヘンゼルとグレーテル」は子捨ての話だが、お菓子の家が出てくるということは、 当時の子どもはお菓子に無縁だったということだろう。最後は魔女を焼き殺してハッピーエンド。自分の幸せのためなら悪い奴はぶっ殺してもいいという思想だが、 現代日本の児童書ではどうなっているのだろう。「シンデレラ」は継母による養女虐待の話。最後は王子様と結婚してハッピーエンド。 「ブレーメンの音楽隊」は年老いたロバやイヌ・ネコ・ニワトリが協力して泥棒の家を襲い満腹になるという話。当時の動物虐待がしのばれる。 「白雪姫」は実母に何度も殺されかかるが、最後は王子様に救われハッピーエンド。もう切りがない。みんな不幸だったのだ。

 わたしの好きな「夕顔棚納涼図」といって、夏の夕方だろうか、 農家の夫婦と子ども1人が苫屋の高さにしつらえた夕顔の棚の下でみんな左のほうにある何かをのんびり眺めているという絵画も、 いまネットで調べてみると、確かに17世紀の作とある。江戸時代というと子だくさんのイメージがあるが 、じつは貧乏な農民はせいぜい2人しか育てられなかったのだそうだ。先月号で見たように避妊具のない時代だから間引きがおこなわれたのは想像に難くない。 (しかしスタバでアルバイトをしている若い母親に聞いてみると、「ほんとはもうひとりほしかったんですけどねえ」と口をそろえていう。 貧富の格差はいまも17世紀の日本とそう変わらないのでは。そうかとおもえば生活保護家庭によっては、一概にはいえないがやたら子だくさんのケースがある。 子ども手当目的だろうが、結局貧困の連鎖が拡大していく。)

 むかしも現代と同じ少子時代だったわけで、《子のない老人は江戸時代にもいたのですが、養子や婿養子、孫との同居でしのいでいたと言います。》 と同時に《介護や生活保護に関して、血縁で結ばれた家族に多くを期待する現在の考え方には無理があるように感じます。》 もっと養子を!と提言している。映画には詳しくないが、アメリカなどでは「血縁以外の家族」をテーマにした映画が多くつくられているような気がする。 ただし、マイケル・ジャクソンとかトム・クルーズしか知らないせいか、養子をとるといっても、どうも金持ちに限られるようで、 貧しい者どうしが助け合うといった雰囲気ではない。

●徳川5代将軍綱吉は名君だった

 いま介護離職が激増している。平成20年前後で14万人。高齢者への虐待も同時期1万6000件ほど。 大むかしは人口そのものがいまよりはるかに少なかったし短命だったから、介護問題も数の上では少なかったろうが、介護する側も少なかったし、 福祉思想も弱かったので問題はいまより深刻だった。聖武天皇の后光明皇后は「悲田院」をつくり老人・孤児・病人を保護したといわれるが、 恩恵をこうむったのはまあ奈良近辺だけのことだったろう。

 「障害老人乱読日記」bS4『木馬と石牛』(金関丈夫、法政大学出版局、1982.3)にも出てきた鎌倉時代の『沙石集』の筆者無住 (1226〜1312)も介護を受ける身であったようだ。いわく、中風になったりするとたいてい捨てられてしまう。 介護疲れの弟子に捨てられた僧侶がもうアカンというところで、《どこからともなく、“若き女人”が来て、手厚く介護してくれるので、 僧侶が素性を尋ねたところ、実は昔、ちぎった女が生んだ娘で、最後まで看病してもらったということです。》おとぎ話のように運の良すぎる話。 それにしても僧侶がちぎってめでたしめでたしとは。ジャパニーズ仏教のナマナマしいこと。

 介護してもらうなら息子がいいか娘がいいか。まあ娘かな、とも思うが、それぞれ家庭を持ってしまえばどちらも頼りにならない。 わたしのばあい、先妻が死んで10年、子どもたちも就職したので独立させて後添いをもらうという選択をした。 16歳年下、トロフィー・ワイフといっていい。後妻も若いころ結婚し、すぐ離婚したのでそれまで長く寂しい生活を送っていたから−− たとえば職場でクリスマスの話の輪には加われなかったとか−−われわれが結婚すればみんなが幸せになれると考えた。

 籍を入れる前に同棲期間を長く設け、これなら大丈夫だという確信を得て入籍した。それでも彼女は事前に信頼のおけるひとに相談したところ、 「女中がわりに使われるだけだ」と忠告されたそうだ。そのわだかまりは消えないようで、結婚当初はときどき 「わたしはヘルパーじゃない!」ということばをあびせられた。そんなつもりではないのだけれど、 重度障害者と一緒になればどうしたって介護の問題は切り離せないではないか。仏頂面のケアはいちばんコタエル。 自分がこの世にいなければひとに不快な思いをさせることはないのだと、そんなときは必ず身がちぢみ心が冷え冷えとする。

 先月号でも見たように、綱吉は、「捨て牛馬」「捨て子」に加え「捨て病人」を生類憐れみの令で禁じた。 ということはそれまで重病人を捨て去るという習俗がつづいていたということ。『源氏物語』にも出てくるそうだ。 うちに来ている鍼灸師のお年を召したわりには若々しい女性は(身近な女性については急にまだるっこしい表現になってしまう)、 若いころ世界中の難民キャンプを渡り歩いたひとだが、インドの「マザー・テレサの家」では、 ゴミ捨て場へ行ってまだ生きている障害者や老人を引きずり出し担架に乗せてテレサのところへ担架で運ぶのが朝の日課だったというから、 インドではいまだにやっているのだ。インドでやっているということは、世界中の貧困層もご同様ということだろう。 無論、ご同様なのは救出ではなく遺棄のほうだ。それにくらべれば徳川綱吉は17世紀、すでにそれを禁じていたのだから、日本はかなりの先進国だったといえる。

●同居家族に疎外されると自殺しやすい老人

 「むかしは隣近所と醤油や味噌なんかを貸し借りしてねえ」というのが向こう三軒両隣の絆の強さや暖かさを象徴する言葉として使われる。 だがこういう地域こそ自殺が多いと大塚は意外なことをいう。《老人の場合は同居家族がいる場合のほうが自殺率が高いのは、 はじめから一人でいる孤独より集団で疎外される孤独のほうが深刻だからでしょう。》コミュニケーションが希薄な都会で自殺が多いといったイメージが いかに間違ったものであるかが分かると著者は指摘する。

 高齢者の自殺が増えていることは、各国共通なのだろうか。わびしい一人暮らしの老人が健康を害し、相談相手もなく、 西日射すアパートで首をくくるという図が浮かんでくる。ところが実態は違う。たとえば福島の平成14年の自殺者の4割が老人で、 そのほとんどが家族と同居しており、一人暮らしの老人の自殺者は全体の5%以下に過ぎなかったそうだ。 《自殺多発地域は強い絆で結ばれているだけに、「一度排除されると、死活問題につながりかねない」というのです》と朝日新聞を引く。

 現代日本にどれほどの問題があろうと、平安時代や江戸時代に比べればどれほどましか耳にたこができるほどよく教えてくれた本だった。 ……それだけにいまさらナンだが、サブタイトルの「古典文学で知るしたたかな日本人」というのが内容と合わないような気がする。