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 『言わなければよかったのに日記』 (深沢七郎、中央公論、1958)

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 わたしはあるひとから「おまえは自分がどれほどひとを傷つけているのかわかっているのか」と面罵されたことがある。 そんなおぼえはないが、ゴキブリ算でいえば、1人そうおもっているひとがいるということは30人はいるということだろう。 いや確かに「あんなこといわなければよかった」と後悔することが多々ある。フラッシュバックに悩まされるほうだ。

 いったん文庫本を入手したものの、できれば1958年に発行された底本のほうで読みたかったので、底本をネット古書店で買った。 装画は同じ。定価250円、あのころはそんなものだったのだなあ。送料別できれいな本が1000円で入手できた。 これからは古本を売ってないかどうか確かめてから買うことにしよう。文庫版はたいてい単行本の廉価版として出されるのだから。 特にわたしのばあい書見台に固定して読む関係上、小さな本は読みにくいという事情もある。

 深沢は1914〜1987、小説家、ギタリスト。1956年「楢山節考」で第1回中央公論新人賞を受賞。 丸尾長顕氏に文学の手ほどきを受ける。1960年に「中央公論」に発表した「風流夢譚」が皇室を侮辱しているとして 右翼の青年が中央公論社社長自宅で家政婦を刺し殺したため、深沢は一時筆を折り放浪の旅へ。 「言わなければよかったこと」が「風流夢譚」をさしている気配は感じられない。 だが文中で「自分はただの田舎のギター弾き」とくりかえすのは、身をやつすためか。

 本書は3部構成になっており、1は「言わなければよかったのに日記」を中心とした文壇話、2は母を偲ぶ記、3は各篇ポルカと名付けた軽い小篇。 《第三部の「十五のポルカ」は、落語のようなオチもないし、コントより違うものを書きたいと、「ポルカ」という名で、小さな軽いものをとりまぜてみたかったのですが。》とある。 ポルカがどんなものかよくわからないが、ま、たのしげな軽音楽ととらえておけばいいのだろう。

●作家小唄とはなんぞや

 《ボクは文壇事情を知らないから時々失敗してしまうのだ。》という書出しで本書は始まるのだが、初めて正宗白鳥(1879〜1962)の家を訪ねたとき、 白鳥というからにはきっと家には湖があるにちがいないと思ったり、そうでないと知ると菊正宗の御曹司だろうと推測している。 《今、考えても、まずいことを云っちゃって、と悔やんでいる。》ウーン、たしかに恥ずかしいことをいったものだが、 正宗白鳥というペンネームのほうにも責任の一端はある。

 正宗白鳥とはなぜそんなに親しいのだろう(中央公論新人賞の授賞式には正宗白鳥・伊藤整・三島由紀夫・武田泰淳が列席している)。 意外におもえるほど昵懇にしている。かわいがられているという感じ。ネットの記事によれば、正宗は「私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。 人生永遠の書の一つとして心読したつもりである。」と激賞しているそうだ。 軽井沢の別荘に泊まっていっしょに散歩すると、早足で歩きながら明治・大正・昭和の文壇の様子を話してくれるのだが、 未知の名前が頻出するのでそれが作家なのか編集者なのかさえわからない。気が引けて質問できない。

 《作家になどなれないと昔からきめていたし、ボクは絵が下手なので自分の好きな情景を書きたいだけなのだ。 「笛吹川」で小説はおしまいにしようと思ったのは、書いても発表などしないで、仕舞っておいて、ときどき出して読んで、 見せたいようなものが出来たら親しい人達にでも読んで貰おうということぐらいが、楽しいことだと思ったからだ。 作家になると、何か、責任を負わされるようで恐ろしいことだ。》笛吹川は山梨の生まれ故郷。

 深沢はひょっとしたら自分を選んでくれたひと一人一人を詣でたのかもしれない。今は知らず、かつて笛吹川の河原には月見草がたくさん生えていたらしい。 小説『笛吹川』出版記念に石坂洋次郎邸の庭に植えさせてもらおうとおもったら、家の者に「月見草なんか」と反対された。 雑草だという評価なのだろう(ちなみにわたしは好きで好きでたまらない。いつか月光のしたで揺れる月見草の群生を見たいとおもっている)。 電車を降りて駅前の果物屋でお宅を聞くと、「陽の当たる坂道を下って、上れば、すぐ左側ですよ」とのこと。『陽のあたる坂道』にかけた果物屋の親爺のしゃれか。

 さあここからが深沢の真骨頂だ。《玄関の前に立ったが(こんなものを持って来てしまった)と思うと気が引けてしまった。》 庭の様子をうかがうため塀の中を覗こうとしたが、塀が高くてだめ。そこで路傍の高い松によじ登り中をうかがう。 すぐ猛犬に吠えられるわ女中が外に駆け出してくるわで大騒ぎ。女中が松の上に気づかず行ってしまったから降りようとしたら、石坂に見つかってしまう。 こんな格好で挨拶するのはいやだなあとおもっていると、《「そこにいる方は、何をしているのですか?」/と声をかけられたのである。 下を向けば顔を見られるので遠くの方に目をそらせていた。五月晴れの空は青く、鯉のぼりが風に吹かれて空を泳いですばらしい景色である。》 こののどかさがたまらない。自分が木によじ登っているような感覚になる。

 そのほか武田泰淳、伊藤整、村松梢風などの家を訪ねている。村松には《「作家というものも、ナラズモノみたいな商売ですね、 ヨロクもあるけどインネンもくっつけられたりして、年中遊んでばかりいて」/と云ってしまった。 気がつくと村松先生は作家なので、(作家の前で、まずいことを云っちゃった)と、恥ずかしくなってしまった。》

 作家の家を訪ねるときはまるでおみやげのように何の雑誌に載っていたのか「作家小唄」の切り抜きを持参して披露している。

 村松梢風には、

♪ハア……
  欲の熊鷹 放し飼い
  尽きはせぬぞえ 色の道
  アラ ホラさのさ 〃(縦組み用クリカエシ記号)

  を見せると、意味がわからないというので、「欲の熊鷹放し飼いというのは意味のない言葉だと思います。 尽きないという言葉の枕詞のようなものらしいですが」と説明すると、村松はたちどころに、

♪ハア……
  抱いて寝てみりゃ 三年三月
  厭きはせぬぞえ 色の道
  アラ ホラさのさ 〃(クリカエシ記号)

  と返した。「抱いて寝てみりゃ三年三月というのは厭きないという言葉の飾りで、序だよ」

 読売新聞の記者に原稿を渡す。記者はその場で原稿を読んで、《嫌な顔つきをして僕の顔を眺めるのである。 (ソラ、ハジマッタ)と思った。この田中さんにははじめて原稿を渡すのだが、このヒトもやっぱり、ほかの人達と同じような顔つきをしたのだ。》 「こんなふうなものではなく……」とか「もっと、凄いもので、民話風な随筆を書くかと思っていたけど、これでは、あなたの感じが少しも出ていないじゃないですか」 「こんなもの社長に見せられない」とかいろいろごねる。失礼だ。原稿依頼時の打合せがなってないからこういうことになる。 《だからボクのような作家は、開店してもすぐに店じまいをするのだとはじめから思っていた。 作家というものは芸者買いをするのに似ていると思う。長い間、ゼニを溜めといて、ぱーっと金を撒いて芸者をあげて、 ぱーっと家へ帰って来るのが綺麗な遊び方だと思う。》

 そのほか作家生活に関する雑感にこんなものがある。 《さて僕は今、こわいものは対談である。対談が活字になって読み物になると字だけでふんいきがなくなってしまうのである。 当人どうしだけ知っている空気がなくなってしまうのだから殺伐としたものになってしまう。だから対談しろなんていわれると寒気がしてくる。》 これは現代のメールその他文字だけのコミュニケーションに通じる問題だ。 メールは少しでも誤解を減らそうとして、顔文字・絵文字というものを発明した。活字村でもまねればいいのではないか(^J^)。(つづく)