87(2016.4掲載)

 『一神教と国家−−イスラーム、キリスト教、ユダヤ教−− (内田樹・中田考、集英社新書、2014.2)

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ユダヤ教に詳しい学者内田樹(タツル)とイスラーム学者中田考の対談集。 正直いってスラスラ読める本ではないが、これをいかにして自家薬籠中のものとするかが勝負の本。さてうまくいきましたかどうか。

 内田は1950年東京都生まれ、東大仏文科卒、思想家・武道家。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論等。 かたや中田考は1960年岡山県生まれ。灘高、東大教養学部。同志社大学神学部元教授。専門はイスラーム法学・神学。哲学博士。 中田がムスリムになったのは《イスラームというのは、信者になるとそれまでの罪はリセットされて、新しく生活を始めることができるのです。》 過去を清算できる宗教。なにかよほどまずいことをやらかしたのだろうか。目つきが鋭い。

 テーマは、国民国家とノマド(移動型遊牧民)の対比いったところか。あまりにも堅い内容だからT部とU部に分けて、柔らかいところから入っていこう。 なお2015年にISによって日本人湯川遥菜(ハルナ)氏と、ジャーナリストの後藤健二氏の2人が虐殺され、 パリの風刺週刊誌「シャルリ・エブド」が襲撃されて12人が虐殺され、さらにはその後パリで同時多発テロが起きて120人が犠牲になったが、 本書はそういう事件の起きる前、日本人にとって中東情勢がひとごとであったころの対談。

T ユダヤ、イスラームあれこれ

●ユダヤ諜報機関の起源

 イスラームのひとたちは共同生活が好きで、ひととひとのつながりを大事にする。それは依存といえるほど。 中田の知り合いのアラブ人は、中田が日本人だと知ると、「おれ日本行きたいんだ」といってすぐ来てしまう。 寝るとこないっていってるのに、そこにソファがあるじゃないかといってふたりでムギュッと寝てしまう。 ……むかし『かくれた次元』(エドワード・T・ホール、みすず書房、1996)を読んでいたら、アラブ人と日本人は「個人距離」(近づいてもいい距離)が短い、 アラブ人はモスクのお祈りのとき体を左右のひととぴったりくっつけるからだろうと書いてあったような気がする。慣習から性格が決まったという説だ。

 それに対して内田は、ユダヤのネットワークも凄いという経験談を披露する。 《内田 僕たちには想像できないくらいに強固な宗教的・民族的ネットワークを持っていますからね。 それだから、「ユダヤ人の陰謀」なんて言葉が生まれてくる。(中略)一九八〇年代にパリに行った時、 資料の検索のために全イスラエル同盟というユダヤ人の国際組織の図書館に電話したことがあるんです。 その時、司書の女性とやりとりしたんです。図書館は夏休みで使えませんと言われたんですけれど、なんとかなりませんかと食い下がったら、 「お名前は」と訊かれたので、「日本から来た内田といいます」。そしたら、「ああ、この間、レヴィナスの『困難な自由』を翻訳した人ですね」って言われました。 これには驚きましたね。なんで知ってるんだ、こんな本。ついこの前出版されたばかりで、初版千五百部くらいの本のことをあんたはなんで知っているんだって。
中田 お姉さん、アナタ何者ですかと。
内田 たぶんユダヤ人たちって、自分たちがどこでどういうふうに認識されているかということを、ものすごく一所懸命リサーチしているんでしょうね。 つい半世紀前にナチスのホロコーストで六百万人の同胞が殺されたのですから、そういう民族的警戒心があって当然だと思います。 自分たちの生き死にに直接関わる情報として、世界中の出版物や言論をチェックしている。そして、その情報をみんなで共有する。》

●イスラームの基礎知識

中田 アッラーは基本、慈悲の神なのです。やたらに峻厳な神様だと思われていますが、『クルアーン』を読む限り、 峻厳さよりも懐深く許してくれる性格の方が強いです。》入信の手続きも至って簡単。 モスクへ行って「アッラーの他に神なし」「ムハンマドはその使徒である」と唱えるだけ。 「目には目を、歯には歯を」というのは単純な復讐法ではない。イスラームのばあいはあくまでも許すのがいちばんいい。 これは『クルアーン』にはっきり書かれている。人の罪を許すと自分の罪の償いになるので、許すのがいちばんいい。 それができないばあいはやりかえしてもいいが、自分がされた以上のことをしてはならないという意味。

 《内田 イスラームは偶像崇拝禁止でしたね。この道場、神棚がありますし、合気道開祖の植芝盛平翁の写真も正面に飾ってありますけれど、気にしないで下さいね。
中田 いえ、イスラームもそれほど厳しくはないのです。イランなどは原理主義の総元締のごとくに言われてますが、ホメイニ師の特大の写真が飾ってあったりしますし。 なぜかと言うと写真は偶像ではなく影だという判断で、鏡と同じようなものだからいいそうです。》へりくつではないか。 アルカイダが爆破したバーミヤン大仏とホメイニ氏の大写真はどこが異なるのか。立体的なものはダメで平面的なものはかまわないのか。偶像にかわりはない。

 布教活動をしないにもかかわらず世界に16億もの信者がいるのはなぜかという内田の質問に対し、「やめないから。棄教は許されない。 信者の子は信者になる決まり。だからふえる」と答えるのに対し、内田は、イスラーム諸国はアラビア語という「宗教的なリンガフランカ」 (母語の異なる人どうしが用いる共通語)を共有しているのが強みだろうと指摘する。モロッコでもインドネシアでも、ムスリムたちは同じアラビア語の聖典を読み、 アラビア語で祈る。ということはムスリムはみなバイリンガルということだろうか。ビジネスマンもこれからは英語よりアラビア語の勉強をしたほうがよさそうだ。 いずれにせよリンガフランカということばはおぼえておいて損はなさそう。

 ここで一言つけくわえると、イラン人はイスラム教徒であっても、ペルシア語を話すから、アラブ人ではなく、ペルシア人。 大昔からペルシア帝国を築いてきたから、あくまでも国民国家なのだ。

●荒蕪の地から生まれた一神教の苛烈さと優しさ

 ラマダンについてはわれわれ日本人もだいぶ知るようになったが、この時期は市中のモスクやレストランで食事が無料でふるまわれる。 日が落ちるとひとがいっせいに集まってくるそうだ。《中田 今時の洗練された考え方では、貧しい人には「魚をあげる」よりも「魚を釣る方法を教えなさい」 なんて言いますね。お金をあげるのではなく、その人が自立できるように支援しろと。でも、やっぱり食べ物を配る方がいいのですよ、絶対に。 やり方を教えたって現実にはできない人の方が多いんですから。》

 《内田 一神教が生まれた中近東のあの荒蕪の地においては、砂漠の彼方から、身にまとうものもなく、 飢え渇いた旅人が倒れるように幕屋を訪れるということはある意味日常的な出来事だったと思うのです。 寡婦、孤児、異邦人的な様態は決して例外的なものではなかった。それは「ひとごと」ではなく「わがこと」であった。 (中略)ですから、僕たちのような暖かく、豊かな自然環境の中で暮らしてきた人間たちには、一神教の教えが非人間的なまでに要求の多いものに思えてしまう。(中略)
中田 預言者ムハンマドにも、飢えて食べ物を求める者に食べ物を施す時、そこには神様がいらっしゃる、という言葉があります。》

 内田は「ハラール」と「コーシェル」についてもおもしろいことをいっている。ハラールは、ムスリムにとって清浄化された食物。 コーシェルはユダヤ教の食事規定。このような食物禁忌には科学的な根拠はない。 《内田 それぞれの集団が「食べてよいもの」と「食べてはならぬもの」を違う方法で区分することによって、 全人類が同じものを食べないようなしくみを作っているのです。》生態学でいう棲み分けをヒトもしているのだ。

●日露戦争秘話

 1900年ごろニューヨークにジェイコブ・シフというユダヤ人銀行家がいた。 ロシアではユダヤ人の迫害がおこなわれていたからロシア皇帝に深い恨みを抱いていた。 当時ロシアとの会戦に備えて戦時公債の引受け手を探していた高橋是清と出会ったことから、シフは国際ユダヤ資本に指示して、 ロシアの公債ではなく日本の公債を2億ドル買わせた。これによって日露戦争に勝つことができた。 シフは明治天皇に拝謁して勲一等旭日大綬章をたまわった。これを知った一部の日本人は、ユダヤ人は親日的であると感じ、 同時に戦争を買うことができるほどの超国家勢力であるという恐怖感を抱いた。

●ユダヤ人のイスラエル観

 《中田 ユダヤ人はもともと国がなくて世界を越境し続ける交易の民、コスモポリタンだったわけですよね。 それで実力をつけたから嫌われたわけですけれど、さらに国家を作っちゃったからますます話が複雑になったのではないですか。 ノマドだったのに定住民になろうとしたから。
内田 同感です。結局イスラエルを作ったのが問題をややこしくしちゃったんですよね。
中田 本人たちはどう思っているのでしょう?
内田 イスラエルという国がろくでもないことをやっているのは、ユダヤ人自身もわかっていると思うのです。 パレスチナに対する暴力的な弾圧を見て、とんでもないことをすると内心で思っているユダヤ人は世界中にいると思います。 でも、それを公然とは批判できないのです。なぜかと言うと、世界中に散っているユダヤ人たちは、自分たちのいる国でいつ反ユダヤ的な動きがあるかわからない、 そういう不安を払拭できないからです。またいつユダヤ人迫害が始まって、財産を奪われ、すみかを逐われ、収容所に追い込まれるか、 そんなことは絶対に起こらないとはとても言い切れない。そのいざという時に、最後の頼みの綱はイスラエルなんです。 イスラエルだけには逃げ帰ることができる。最後の避難場所なんです。アメリカのようなユダヤ人が大きな集団を形成して、 政治的実力も大きな国においてさえ、ユダヤ人自身はいつ反ユダヤ主義的な動きが起きるかわからないと思っている。 ですから、イスラエルというのは、できたら行かずに済ませたいが、それでもどんなことがあっても守らなければならない「保険」なんです。 そして、イスラエルにいないユダヤ人が感じているのは、自分たちが中東に存在していることによって、いくばくかの安心を得ているけれど、 その代償としてイスラエルに大きな負荷を押しつけているという「疚しさ」です。言ってみれば、自分たちが平和に暮らせるように、 「汚れ仕事」をイスラエルに押しつけている。だから、イスラエルの政治に対しては嫌悪感を持っているけれど、 イスラエルを責める資格が自分にあるとも思えない。》なるほどなあ、じつに精緻な分析だ。(つづく)