88(2016.5掲載) 『一神教と国家−−イスラーム、キリスト教、ユダヤ教−−』 (内田樹・中田考、集英社新書、2014.2)
(4月号からの続き)
U 「アメリカ一強作戦」に対峙するイスラーム圏
対談は気心の知れた相手とするのが成功の秘訣といわれる。内田と中田は初対面らしく、どうも談論風発とはまいらぬ。
2人の意見をかいつまんでいえば、内田はやや国民国家擁護派、中田はノマド(イスラム教徒による遊牧もしくは隊商)で
たとえばシルクロードのような所を移動することが正しい生き方だとおもっている。
●ユダヤ教・キリスト教・イスラーム3者の関係
タイトルがタイトルだから宗教について触れざるを得ないのだが、これ、難しくてよくわからない。
《内田 今ではまったく別々の宗教になってしまっているユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの一神教はいずれも中東の砂漠で、
同じ唯一絶対の神を戴いて成立した兄弟のような宗教です。その一神教の起源というあたりの事情を、中田先生からご説明していただけますか。
わたしの常識では、世界に現存する一神教は、発生順にユダヤ教・キリスト教・イスラム教だ。
そして信者は「違う」というけれども三者の神は同じく全知全能のヤハウェ。神の名をみだりに口にしては畏れ多いので三者の信者は別の名で呼んでいる。
時代と地域が異なるから、ヤハウェはエホバともアッラーフとも発音される。何千年も昔のことだから正確なところはわからない。
いくら違いを強調しても、聖地は同じエルサレム。エルサレムを擁するイスラエル国にはユダヤ人76%のほかにムスリムもキリスト教徒も住んでいる。
《中田 あくまでイスラームから見た場合、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの関係は逆転します。
イスラームこそが、アダム以来の預言者たちの宗教、オリジナルであり、キリスト教とはイエスの福音を直弟子の後に続く世代が誤って解釈することによって
歪曲して創り上げた宗教、ユダヤ教とはモーセの律法をイスラエルの民たちが歪曲、改変を重ねたものをラビたちが集大成したものだということになります。》
で、イスラム教だけがアッラーフがムハンマドにじかに授けたホンマモンというわけか。
そもそも「アダム以来の預言者たちの宗教」といっても、アダムがいつのひとなのかわからないくらい古いひとなのだから、
最も新しいムハンマドがいちばん確かだということにはなる。しかしそれって後出しじゃんけんとどう違うのか。
●国民国家と反するグローバリズム
正直いって、わたしはグローバリズムということばや発想を初めて聞いたとき、すばらしいと思った。
Wikipediaによれば「グローバリズム(英: globalism)とは、地球上を一つの共同体とみなし、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想である。
訳して地球主義とも言われる。」世界は今後その方向に進むだろうとおもった。
ところがある年のダボス会議で「グローバリズム反対」のデモがおこなわれたと聞いて驚いた。
理想的なものではなさそうだ。内田は韓国のグローバル化を目にして危機感を強めた。
《内田 サムスンとかヒュンダイとかLGとか、企業はグローバル化していますし、英語公用化も日本とは比較にならないくらいに過激なペースで進んでいます。
「選択と集中」ですから、階層も二極化するし、ソウルに資源が一極集中して、地方都市は地盤沈下が止まらない。
アメリカとのFTA(自由貿易協定)のせいで、予測されていたことではありますけれど、農林水産業は壊滅状態。》
要するにグローバリズムとは「アメリカ一人勝ち作戦」のことなのだ。
●iPhoneは食えない
《内田 自由貿易論者は人間というのは生身の生きものなのだということがわかっていないんです。》
グローバリストは、それぞれの国は自分たちの得意分野に特化してカネを稼げばいいと思っているが、TPP(環太平洋経済連携協定)に参加したら、
日本の農林水産業は確実に壊滅する。農産物は商品ではない。それは輸入できなくなると餓死者が出る『糧』だからだ。
「iPhoneの入荷が遅れて困るね」というのと食料の輸入が遅れて困るということはまったく異なる。
食糧が自給できない国で食料輸入が途絶したら1ヶ月で餓死者が出る。
ナチスによって600万人の同胞が殺されたユダヤ人の恐怖が身にしみついた発言のようにおもわれる。
●イスラームを無力化するための戦略
イスラーム諸国は連帯していない。なぜか。《中田 それはイスラーム世界の支配層が分裂の恒久化を図っているからにほかならない。》
民衆はイスラーム世界を統一しようとしている。だが湾岸の王政諸国は既得権を守るためOIC(イスラーム諸国会議機構)を結成した。
−−なんだ、それじゃあ「強欲資本主義」と同じではないか。
《内田 ですから、これからのアメリカの世界戦略は、非イスラーム圏に対しては国民国家を解体する方向で圧力をかける、
イスラーム圏に対しては逆に国民国家を強化するというかたちで圧力をかける、そういうダブル・スタンダードを使っていくのじゃないかと思っています。
日本や韓国のような非イスラーム圏に対しては、自由貿易によって市場を開放させ、食料の自給自足体制を破壊し、
英語公用化を進め、固有の食文化や商習慣を廃絶して、国民国家としての自立性・主権性をなし崩しに無化していく。
その一方で、イスラーム圏においては、それぞれに正統性の乏しい独裁的な政権を支援して、境界線によって厳しく分断し、
イスラームの内部の連帯が成立しないように全力を尽くす。アメリカにしてみたら、もっとシンプルな世界戦略を採択したいのでしょうけれど、
現にイスラーム圏という領域国民国家を超えた巨大な宗教的連帯が存在する以上、ダブル・スタンダードでいくしかない。
このイスラーム圏を政治的に無力化することはアメリカ主導のグローバリゼーションにとって必須の戦略的課題であるわけです。》ここが本書のキモと見た。
●植民地の落とし子として生まれた国民国家
近代の国民国家の成立は、宗教を政治から排除する、すなわち政教分離から始まった。
司法・立法・行政などの国家行動に宗教を介在させないことによってカネをもうけるのに成功したと内田はいう。
《内田 フランスが政教分離の先進国ですけれど、フランスの場合はまず学校教育からキリスト教を排除するというところから始まりました。》
2011年以降フランスが欧州で最初にイスラム女性のブルカ(スカーフ)を禁止した理由もここから見えてくる。
一方、イスラーム圏では本来世俗と宗教を分けず、人間が生きるうえでおこなうほとんどの営為に神の判断を借りる、と中田はいう。
しかしそれも今では西欧的な価値観に習って、かなり世俗主義的になりつつある。
《中田 そして、それがイスラームの世界をおかしくしてしまったところがある。かつてはアッラーの教えのもとに皆が協調して生きていたのに、
いまは分断された国民国家がそれぞれ柵を作って、それぞれが利権を守り、それぞれの利益を追求して対立している。
だから、悪いことばかりとも言えませんが、世俗主義の弊害というのはやはり大きいのです。》
ここで内田が「国民国家とはなんぞや」と大上段に振りかぶる。「得たりやおう」と中田は応ずる。
《中田 「領域」と「国民」と「主権」という三点セットから成り立つものです。ではこのような概念は果たして昔からあったのか?》
日本は島国なので、われわれは日本と呼ばれる国は昔からあって、日本人と呼ばれるひとは昔からいたと思っていた。
ところが国民国家のほとんどが20世紀以降にできた新しい国だと中田はいう。
《中田 インドネシアは一応公用語としてインドネシア語というものを作りましたが、しゃべれない人がたくさんいます。
これは日本のような方言の違いのレベルではなく、互いにまったく違う系統の言語をしゃべっている。言葉も違う、習俗も違う、食文化も違う、
そういう普通なら一緒になることのない部族をインドネシアという国名で無理やりまとめただけだからです。
中田は独立の国家を作ることに意味があるとすれば、少なくとも二つの条件を満たす必要があると唱える。
《中田 一つは、その国家の内部に一つの国家として束ねられているだけの顕著な同一性があるということ。
もう一つは、その国家と外の国家の間に境界が必要なほどの異他性があるということ。その点から言うとイスラームの国々はあまり独立している意味がないのです。》
宗教はイスラーム、言語はアラビア語、国土は砂漠と3拍子そろっているからな。これで石油さえ出なければ、悠久の安寧が保たれたのに。
それにしても日本は恵まれた場所にあった。世界の果ての島国で、欧米列強が産業革命を成し遂げて世界中を植民地にしてやろうと日本に押しかけたとき、
日本はすでに相当な文明国になっていた。一例を挙げれば、頭にチョンマゲなんか載っけた黄色い猿など一ひねりで征服できると思っていたところ、
シーボルトがヨーロッパに密輸した伊能忠敬の「大日本沿海輿地図」を見るや、これは侮れぬ文明国だと驚嘆したのだった。
●イスラームに国家なんかいらない
シリアのアレッポやダマスカスには2000年以上の歴史がある。つまりイスラーム以前の宗教もあって共存してきた。
そういう複雑怪奇なものを国家としてまとめるために、アサド大統領のような抑圧的政権が続いてきた。
われわれはイラクのフセインやリビアのカダフィ等々独裁政権が倒れると、民主的国家が誕生して「中東に春が来た」とよろこんだものだが、
そもそもその西欧的な「民主主義」を疑ってかからねばならない。
《中田 シリアはフランスの植民地になり、その後独立したわけですけれど、不自然な境界線によって仕切りが作られることによって、
複雑なものが混在しつつ生きてきた許容力みたいなものが破壊されてしまったのではないかと。
(中略)私今のシリアを見ていると、ああ、やっぱりイスラームには国家なんかいらない、政府もいらないと実感するのですよ。》
先ごろシリアの反政府側支配地に行ってみての実感だという。戦争中だからモノはないが、みんな相互扶助で生きていて、けっこう安らか。
《中田 政府がなければ劇画『北斗の拳』のような弱肉強食の無法地帯になる、というのは現実に基づかない妄想です。
(中略)その意味では自然状態を「万人の万人に対する闘争」と考えたホッブスは間違っており、「自然権が実現された平和状態」と考えたロックが正しかったのです。》
●イスラームというオルタナティブが必要
《中田 また旧ソ連共産圏が存在した時に、対抗上、資本主義国でも、労働者の権利、社会福祉が整備されていったように、
イスラーム世界というオルタナティブが存在することにより、アメリカ流のハゲタカ資本主義、グローバリゼーションの不正、
過酷さに歯止めがかかることになるでしょう。》オルタナティブは「二者択一」。戦争やテロでなく、
「イスラーム世界というオルタナティブ」が並立することによって、
僕たちのものの考え方が絶えず相対化されるということには大きな意味があるとおもいますと内田は結んでいる。
|