91(2016.8掲載)

 『自殺』
 
(末井昭(アキラ)、朝日出版社、2013.1)

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●自殺したくなったらまわりにいいふらせ

 この本には祈りがある。自殺してはいけないという祈りが。《もしいまあなたが、自殺しようかどうしようか迷っているのでしたら、どうか死なないでください。 そこまで自分を追い込んだらもう充分です。あなたはもう、それまでの自分とは違うのです。いまがどん底だと思えば、少々のことには耐えられます。 そして生きていてよかったと思う日が必ず来ます。》と、とりあえず本書の趣旨を掲げておくが、さてどうかな、と先妻の自死を体験したわたしは、 にわかには共感しがたい。狂気の段階にまでいたってしまったら止めるすべはない。「いのちの電話」という自殺を考えているひとが最後に頼る団体がある。 妻は電話の子機を持って2階のトイレにこもり、しばしば電話をしていたようだが、あまりにも頻回で長時間かけるものだから、 係のひとも音をあげ「ほかに電話をしてくるかたもたくさんいらっしゃるので、あまり長時間は困ります」といわれ、 おそらく絶望したのだろう、2度とかけなかった。

 1948年岡山の寒村にうまれる。物心がついたころには、母親は結核で入院していた。わたしも小学生のころ母親が結核になったが、 隔離されると家庭が成り立たないので「肺浸潤」ということにしてもらったようだ。よく母の代わりに買い物に行かされた。 結局わたしにも移ったが、これも「肺浸潤」ということにして学校を長期欠席するだけですんだ。 敗戦直後だったが、そろそろ抗生物質が普及しだしたころだから助かったのだろう。

 だが岡山の寒村ではどうにもならない。処置なしということで母親は家に戻されたが、すっかり「不良」になっており、 貧乏家庭のわずかな財産も売り払って、30歳のとき隣家の若者と抱き合ったままダイナマイトを爆発させ粉みじんになった。 村人から白い目で見られたが、さほどイジメを受けるようなことはなかったという。それでもひとりで裏山に登って孤独な時間を過ごし、 木の股を相手にオナニーをした。「最初の恋人は木でした」と笑う。本書にはオナニーやセックスの話がたくさん出てくる。

 上京後も母親のことは誰にも話さなかった。このひとなら話せるとおもってうちあけたひとに「それが末井君の売り物なんだね」 といわれてショックを受け、それ以来口を閉ざしていたが、あるときゲージツカの篠原勝之(シノハラカツユキ)氏にうちあけたところ 「おー、すごいじゃないか」と大いに笑ってくれたので、それからは隠しだてするようなことはなくなったという。 と同時に「売り物にしてなぜ悪い」と開きなおれるようになった。常識の破壊者ゲージツカはえらい。

 わたしも受傷後、椎名誠氏から「ことの顛末を書いてみないか」といわれたとき、障害を売り物にするのはいやだといったんは拒否したものの、 自分に書けるのはそれしかないとおもいなおし『上の空』を上梓した。頸損モノはそれ以前に星野富弘氏の『愛、深き淵より』という大ベストセラーがあるが、 感傷的なもので実用的でない。わたしは頸損についてそれがいかなるものかを世に知らしめたいとおもい、「頸髄損傷の体と心」というサブタイトルを付けた。 おそらくそのての本は本邦初のはずだ……って、ちょっと自慢が過ぎたかな。閑話休題。

 時は経ち――。30年も連れ添った妻を置いて、当時坪内祐三氏と結婚していた神蔵美子さんと浮気をし同棲を始めたものの、 「生きていても何もおもしろくない」なんていわれて自責の念にかられ、それは自分のせいだと思って鬱々としているころ、 会社のホームページに日記形式で身辺雑記を書きはじめたら意外に好評。《死にたいと思っている時は、窓がない、出口がないと感じている。 悩みについて考え始めると、人に言えなくなって、自分の中で堂々巡りが始まります。ひとりで悩んで、考えても問題は解決しない。 /だから、まず「死のうと思っている」と周囲に言いふらして、窓を開けることです。死のふちで迷っている人の話は、みんな真剣に聴いてくれるはずです。》

 そのころ朝日出版社の鈴木久仁子編集者から自殺に関する本の執筆を依頼されたが、どうも気がすすまず1年ほどたってしまう。 そこへ起きたのが3.11東日本大震災。自分もなにかしなければならないという思いに駆られる。あのときは日本中のひとがそうおもったはずだ。 おもしろいのはパチンコ屋へ行くと、社会に背を向けているはずのパチプロも、寄付やボランティアを口にしたというエピソード(差別的表現だろうか)。 朝日出版社のブログに月1回「自殺」という連載を始める。これで心が解放され、しだいに元気をとりもどしていく。 このあたりは「うつと自殺」という章に詳しい。ここが本書のキモだけど、簡単には要約できないから省略。

●末井夫妻はクリスチャン

 末井夫妻は聖書を生きかたの指針にしているという。ギリシャ語から「ケセン語聖書」を訳した医師の山浦玄嗣(ハルツグ)氏が住む大船渡に向かう。 震災後、多くのマスコミがインタビューしに来た。みな一様に「東北のひとたちは我慢強く正直で善良なのに、なぜこんな目に遭わなくてはならないのか」と質問する。 藤原新也氏に至っては「わたしは水責め火責めの地獄の中で完膚なきまでに残酷な方法で殺され、破壊し尽くされた三陸の延々たる屍土(カバネド)の上に立ち、 人間の歴史の中で築かれた神の存在をいま疑う」(「AERA」2011.4)と書いた。山浦氏は「それは、お前たちが拝んでいる神は、 お前たちを見捨てたということで、これほど悪質なことはありませんよ」とビクともしない。

 だーかーらー、何度もいうようだけど、べつに1000年に1度の大津波じゃないのよ。気仙の地は半世紀に1度はあの程度の津波に襲われてきたの。 地球にしてみればちょっと咳払いをした程度のこと。東電の役員みたいなこといったら恥をかくことになりまっせ。 末井は別に「ヨブ記」を引用する。ヨブはどれほどサタンに残酷な目に遭わされても信仰を捨てなかった、と。けっこう本格的に聖書を読んでいるようだ。

 わたしが首の骨を折って全身麻痺になり、まだ病院のベッドで呻吟していたころ、クリスチャンの父が見舞いに来て、 「神様はその苦痛に耐えられる者だけに苦痛をお与えになるのだ」といった。それでわたしがクリスチャンになったかといえばまるでそんなことはないのだが、 その論理には納得したし、励まされた。その当時わが父は、ヨブのような立場に置かれていた。 その妻はいまでいう認知症で、父は介護におわれながら大学で教鞭をとっていた。 娘は神経を病み、わが妻は小姑からヤツアタリ的攻撃を受けてノイローゼになり精神科に通っていた。 わたしも引きずられるようにノイローゼになり、同じく精神科に通っていた。そこへわたしの大事故だ。 なにかの著作からの引用だろう、父は「不幸が艦隊のように押し寄せてくる」と、わたしの前でグチをこぼした。 見舞いに来たにもかかわらずグチをこぼしたくなるほどの状況に置かれていたのだ。

 末井が本格的なクリスチャンになったのは、「千石イエス」こと千石剛賢(タケヨシ)氏と出会ってからだ。 なにしろあのころは「イエスの方舟」といえば、スケベなおっさんが二十歳前後の娘さんをことば巧みにおびき寄せてキャバレーのホステスとしてつかい、 酒池肉林をたのしんでいるという世間の願望をモロ具体化したような噂を立てては、みんなで道学者風な顔をしていたものだ。 騒ぎが大きくなって「イエスの方舟」は忽然と姿を消すのだが、「サンデー毎日」のスクープで、じつは娘さんたちはみんな親とのあいだに悩みを抱え、 千石氏が親身になって相談に乗っていただけで、「イエスの方舟」は単なる聖書研究会であったということが明らかになった。

 しかし世間は自分を尺度に物を見る。そんなこといったってじつは淫靡なことやってたんじゃないのと。 末井は千石氏の『父とは誰か、母とは誰か――「イエスの方舟」の生活と思想――』(春秋社、1986)を読み、 「イエスにはなぜ性欲の悩みがなかったか」という一節に驚く。《千石さんは、もしイエスに性欲があって女性問題があったとしたら、 聖書にそのことが書かれているはずで、都合が悪くて隠しているのなら、聖書は嘘ということになると言います。 (中略)ではなぜイエスに性欲の悩みがなかったのか。それはイエスに原罪がなかったからだと。》

 さあまた「原罪」などという、われら信仰なき者にはわけの分からん単語が出てきた。千石氏はこう説明する。 《何かに熱中している場合は性欲は起きない、たとえば野球がクライマックスになっているとき、満塁でこの一球が勝負みたいなときに、 キャッチャーがきれいな女の人で股広げていたとしても、そのときピッチャーに性欲は起きないと。まあ、確かにそうです。 (中略)あのイエスは四六時中おそろしい精神の高揚状態にあった、と千石さんは言うのです。》しかしこれでは原罪とは何かということが分からない。 欲望と同義だろうか。また千石氏はイエスなみに四六時中精神が高揚していたのか、すなわち千石氏はイエスなみの聖人ということになりゃしないか。 まあ聖書研究の本ではないから詳述はない。

●自殺の原因

 自殺の原因の1位は健康というか病気。2位はお金。末井はいう。《お金は人間が便宜上作った印刷物です。単なる紙切れです。 お金がなくても、借金で首が回らなくなっても、単なる紙切れの問題ですからなんとかなるものです。 /しかし、その単なる紙切れがいまや世界を制覇しているのは事実です。(中略)聖書に出てくる悪魔とは、この世の物質面を牛耳っている存在のことです。 (中略)人は悪魔に牛耳られていますから、お金を稼ぐことに必死です。いい学校に入り、いい会社に入り、いい生活をするために 、みんな一生懸命努力してクタクタになって、最後は病気になって死んでいくのです。》

 いまでこそそんなリッパな教訓を垂れる末井だが、バブルのころには飛込みの営業マンに引っかかり金の先物取引で1億7000万円ぐらい注ぎこんだ。 そして1987年10月、ニューヨーク株式市場過去最大の大暴落「ブラックマンデー」がきた。 泡を食って営業マンに電話すると「株が暴落すると金の先物が急騰するから、ひょっとして1億ぐらい儲かるかもしれませんよ」と、 敵もさる者ひっかく者、甘言を弄する。末井はすっかり1億儲かった気になり、その夜は行きつけのスナックに友だちを呼んでいいふらし、 《いま思えば気が狂っていたとしか思えませんけど、下半身丸出しでカウンターの上でカラオケを歌ってみたり》 ママにカウンターの取り替え代600万円を約束したりと乱痴気騒ぎ。《僕がお金でテンションが上がったのはそのときだけです。 ちょうど日本がバブル経済の真っ只中で、みんながお金に夢中になっていた頃のことです。》で2日後、金も大暴落。 そのころのわたしといえば病院のベッドで奥歯をかみしめていないと舌を噛みそうになるほど震える状態がつづいているころで、世間のことなどまるで知らなかった。

●『秋田県の憂鬱』

 全国の学力テスト(小6、中3の国語・算数)で秋田県はここ7年ほど毎年トップを走っている。その理由をネットで探ってみると――、 早寝・早起き・朝ご飯、大家族、高い持ち家率、低い給食費滞納率――等々であるという。 なんというか古き良き日本の修身が生き残っているからだという郷愁が、理由を左右しているような感じもする。

 それなのに自殺率も毎年日本1だというのはどうしたわけだろう。特に高齢者の自殺が多い。 なんだ、3世代大家族で和やかに暮らしているから子どもの成績が良かったんじゃないのか。 平成23年度の都道府県別自殺率は、1位山梨県、2位秋田県、3位新潟県……とつづく。 1位の山梨は樹海があって他県から自殺しに来るひとがいるからこれは例外。そういえばわたしが高島平団地に住んでいるころも飛び降り自殺が多かったが、 たいていは団地のひとではなく出張自殺だった。

 平成4年、秋田大学医学部法医学教室の吉岡尚史(ナオフミ)教授はなんとか自殺を防ごうと、『秋田県の憂鬱』という小冊子を自費出版した。 教授によれば、じつは昭和40年代末ごろから高齢者の自殺率は高かった。県庁のある役人が問題提起したが、意見は葬られた。闇は深い。 『秋田県の憂鬱』を出しても反響がなく、吉岡氏は定年後も調査を続行、年間300人も400人も調査をして、 その結果を15年にわたって『秋田県はまだ憂鬱』『秋田県はいまも憂鬱』と続刊、それでも秋田県は腰を上げない。

 吉岡氏はこういって県を批判する。《自殺予防っていうのは、僕とか大学関係者が変な理屈を振りかざして、ああしたらいいこうしたらいいと言うよりも、 社会の人たちが自発的にどうしたらいいかみんなで考えてみるとか、そっちのほうが効果があるような気がしますけどね。 県はすぐ大学に頼っちゃってね。すると何をやるかというと、中央から人呼んできて講演会開くとか、シンポジウムを開くとか、 そんなのは全然予防対策にはなってないわけでただ予算を遣うだけです。》そのうえで《前にお年寄りにアンケート取ったんですけど、 そのアンケートを書くだけで気分が楽になったっていう記述があるんですよ。》という。 わたし流にいえば、秋田の老人は寂しいのだ。冒頭で末井がいっていたように「自殺したくなったらまわりにいいふらせ」という提言が当てはまる。

 海や山に住んでいれば飢え死にすることなどないという体験から、末井は秋田県人の「人の世話にはなりたくない」という見栄を疑う。 吉岡氏は《それはあると思いますよ。たとえば家族に経済的な負担を掛けるとか、ひとりで通院できないんで家族に連れて行ってもらわないといけないととか、 あとは主導権が自分から別の人に移ってしまうという精神的な苦痛とかですね。》と答えるのだが、そんなことはどこの県でも同じではないか。 それに子どもの成績日本一の背景には、3世代家族が多く、家族が年寄りを敬う古き良き日本が残っているからだという分析はどこへ行ったのだ。

 お話変わって龍角散。最近(2015春夏)、TVCMで佐竹藩の殿様が喉の薬を作ってくれた龍角散の創始者に、  「ほうびを取らすぞ、何がいい」とやんごとなきお声でお尋ねになる。この殿様役が佐竹北家の21代当主佐竹敬久現秋田県知事本人だというから驚いた。  佐竹氏といえば江戸時代初期から秋田藩の殿様をやっている。知事とは、廃藩置県がおこなわれた際、大名という名前を知事に変えたもの。  要するに秋田は江戸時代から400年にわたって佐竹家が牛耳っているのだ。わたしはどうもこのへんがクサイのではないかという気がする。

●秋田の日照量

 都道府県別年間日照時間では、秋田は47位で最下位。色の白いは七難隠す。色白秋田美人を生んだのは日照時間の短さであるといわれている。 だが日に当たる時間が短いと、「睡眠ホルモン」のメラトニンの分泌が少なくなり、睡眠不足が鬱を呼ぶということだ。 鬱が自殺の1原因であることはいうまでもない。自殺の男女比を見てみると、平成26年で男188人、女81人。 秋田美男ということばも聞いたことがないし、秋田の男はさんざんだ。だが、「秋田県は住民の平均年齢が日本一高く、 人口割合で自殺しやすい中高年が多いため、このランキングのような結果になっている可能性があります。」という意見もある。軽々しい結論は出せない。