92(2016.9掲載)

 『風俗ライター、戦場へ行く』
 
(小野一光、講談社文庫、2010.3)

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 1966年、北九州市生。風俗から戦場まで幅広くとりくむノンフィクションライター。最初は白夜書房でエロ本の編集アルバイトに明け暮れていたが、 退社後はポルポト亡きあとのカンボジアを手始めに戦場にのめり込んでいく。本書のほかにも、事件・風俗・戦争関係の著書多数。

 今となっては当時のおおざっぱな国際関係も把握しがたい。以下、小野の経巡った戦場を鳥瞰すると――

 〇1989年ソ連軍撤退後のムジャヒディーンによるアフガニスタン内戦、タリバン政権下のアフガニスタン、
 〇1990年8月イラクがクウェートに侵攻、国連多国籍軍がイラクを空爆した湾岸戦争、
 〇2001年9.11アメリカ同時多発テロにつづく米軍によるアフガン空爆、
 〇2003年ついでアメリカによる石油目当てのいちゃもんイラク攻撃

 だからその後起こった2010年のチュニジアのジャスミン革命、それに引き続く2012年のリビア、エジプトの政権崩壊と混乱、 「イスラム国」出現、シリアの内戦状態と難民の欧州脱出など中東の大混乱には本書は及んでいない。 大局的に見れば、これらの政変は帝国主義時代の旧宗主国ヨーロッパに対する旧植民地側アラブの反乱ではないかとわたしはおもう。 テロやゲリラには核兵器をもってしても勝てない。日本は、「アラブで手を汚していない唯一の先進国」といわれてきた。 だから中東の紛争にはなるべく巻き込まれないようにしなければならないのに、2015年安倍首相が「イスラム国」との戦いに2億ドル拠出すると発言したとたん、 「今後はすべての日本人を標的にする」との宣言が出された。そして翌年バングラデシュで日本人7人が虐殺された。

●戦場ジャンキーの実感

 タイからカンボジアに密入国しようと国境近くの村に滞在。密貿易商のキティなる人物にガイドを依頼。戦場ではガイドなしには歩けない。 特にカンボジアには1000万個の地雷が埋まっている。その夜、遠くに「ドーン」という戦闘音を聞く。 《本物だ。/なぜか興奮していた。戦争は悲劇のはずなのに、生まれて初めて聞いた本物の戦争に、駆け出したいほど興奮していた。》 ひとごとなら戦争ほど興奮を呼び起こすものはない。フィクション、ノンフィクションを問わず世界中で戦争物が作られるゆえんだ (テレビのニュースで殺人や放火、大事故などがトップで取り上げられるのも、視聴者が喜ぶからだとわたしは見ている)。 現にカンボジアに入ってポルポト兵に迫撃砲やAK-47を向けられ、わがことになったとたん《オレ、なんでこんな所に来ちゃったんだろう。すっかり後悔していた。》

 カンボジアでは難民キャンプを回っただけでカネが尽き3ヶ月で帰国、再びエロ本編集のアルバイトに。 ところが、あの全身が粟立つような恐怖をもう一度感じたいという欲望が芽生える。《ヒューマニズムの観点からの取材対象ではなく、 好奇心を満たすための対象だったのだ。決して取材ではない。取材にかこつけた見物、だ。》照れ隠し半分、本音半分といったところか。 これを戦場ジャンキーというようだ。

 つぎのような体験は戦場ジャンキーの最たるものといえよう。カンボジアの地雷撤去作業でのこと。 一人の兵士が地面に四つん這いになってナイフで地雷を掘り起こしている。なんの防備もしていない。はじめ望遠レンズで撮影していた小野は、 28ミリレンズに替えて兵士のそばに近づく。《これで運命共同体だ。もし地雷が爆発するとボクも間違いなく被爆する。 やがて額に玉の汗を浮かべた彼がこちらを見て微笑んだ。すかさず目を見て微笑み返す。共鳴、した瞬間だった。》 このあと小野はあろうことか兵士の前に回り込んで正面からの撮影に及ぶのだ。《不思議と恐怖はなく、静かな気持ちだった。 蓮の花が浮かび、水すましが泳ぐ沼に生まれた波紋を凝視しているような、そんな落ち着きだった。》前に回り込むということは、 埋まっているかもしれない地雷の上に腹ばいになるということだ。

 戦場ジャンキーはまた、金満日本、平和ボケ日本に猛烈な反感を抱く。赤十字国際委員会(ICRC)の営む病院に運ばれてきた青年は、 朝9時に地雷を踏んでからここまで運ばれてくるのに6時間が経っている。手術が始まったのは午後9時。ここでまた小野の怒りは爆発する。 《べつに無理矢理こじつけようとは思っていないが、この悲惨を目の当たりにすると、日本でのたいていのことは悲劇に思えない。 リストラ、借金、失恋……そんなことで、みんな首をくくったり、飛び降りたり、人に刃物を向けたりする。馬鹿じゃねえか、お前ら。 死にたいなら死ね、死ね、どんどん死ね、勝手に一人で死ね。そう涙を流しながら思う。》

 《近所のコンビニに行けば食い物がいくらでもあるいま、時を同じくして、たとえばテレビで『大食い選手権』や『どっちの料理ショー』を放送している時間に、 アフガニスタンでは死んでしまうほど食い物がないのである。しかも気温は氷点下で、家がないため屋外で寝るしかないという人も多い。》 だが金満日本に住むわれわれにどうしろというのか。《できればこの本を読んだ人は頭に留めておいてもらえないだろうか。 いまこの瞬間、あなたの子供や親、兄弟、恋人、友達と同じように、痛みや苦しみや喜びの感覚を持った人々が、 実際に地獄のような状況に置かれているということを。(中略)頭に留めておくだけでいい。一瞬でもその状況を想像するだけでかまわない。 たぶんその一瞬に何かを感じることがあれば、いまの餓死者は救えなくても、未来の餓死者を救うことにはつながっていくはずだ。》 未来の餓死者を救う……。エロ本の編集者でも戦争を眼前にすれば、これだけの思想の高みに達することができるのだ。

 戦場ジャーナリストにも打算がある。《前回のアフガン訪問もそうだし、その前のカンボジアやヨルダンなどでもそうだったのだが、 戦争をやっている地域では、必ず病院に立ち寄ることにしている。/あざといと思われるかもしれないが、そこには「痛い」景色がたくさん転がっているからだ。 /ボク個人の意見としては、死体もいいが、それよりも生きて苦しんでいるひとびとのほうが、 実際の戦争というものがいかに残酷なものかを伝えることができるのでないかと思っている。》

  ●戦場で発狂しないためには

 1991年、カンボジア内戦の終結が宣言されて、1000万個という地雷の撤去作業が始まった。92年再びタイを経由してカンボジアへ。 タイのカオイダン・キャンプには、ポルポト派による大虐殺を脱出してきた難民約2万人がいる。国境を越えようとして地雷を踏んだ民間人がほとんど。 対人地雷は殺戮のためでなく障害者製造武器だ。精神病棟もある。ポルポト時代の虐殺の恐怖や、その後の内戦のショックで狂ってしまったひとがいっぱいいる。 《人間はみな平等なんて説いてるヤツらは、いったい何を考えているんだろう。なんて現実を知らないんだろう。 これのどこが平等だ? だれもが平等なのは、最後は死ぬということだけだ。》これは若気の至り。 人間はみな平等と説くひとは、平等であるべきだと説いているのであって、いま現在地球上のひとがみな平等な状態にあるといっているわけではない。

 かく憤る小野も、夕方には町に戻り、戦場で知り合った黒田さんと一緒に飯を食い、「いやあ、やっぱり仕事のあとのビールは格別だなあ」 「これで女でもいたら最高なんですけどね」というやりとりをする。ノーテンキなわけではない。 《悲劇を目の当たりにして、それを四六時中引きずることには耐えられない。だから、その場を離れたときにはすべてを忘れようとする。 それでも澱(オリ)のように、心のどこかには残ってしまうが……。》その切替えがヘタな戦場ジャーナリストは、 西原理恵子の夫のようにアル中になってしまうのだろう。

 ホテルの夜。いきなり雷が落ちたような爆音に飛び起きる。ついで機関銃の音。町じゅう停電しているからなにも見えないが、 音から判断して戦車と重機関銃の音のようだ。まだ最前線までの距離はありそうだ。《そして戦闘の音が響くなか、ベッドに入るといつしか眠っていた。 やはり疲れがひどかったのか、翌朝7時に(カメラマンの)藤内さんが「おう、メシ食いに行こうぜ」と声をかけてくれるまで、目が覚めることはなかった。 /どんな状況でも眠れる。これ、べつにゴルゴ13(サーティーン)を気取るわけじゃないが、かなり大切な才能だと思う。 幸いにして、ボクにはそれがあったようだ。その体質のおかげで、この旅の間に睡眠不足で苦しむことだけはなかった。》 わたしにはとてもできない芸当だ。しかし臆病でなければ危機を生き延びることはできないともいうし……。どちらなのだろう。
(つづく)