93(2016.10掲載)

 『風俗ライター、戦場へ行く』
 
(小野一光、講談社文庫、2010.3)

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(9月号からの続き)

●タリバン政権下のアフガニスタンとは

 96年9月、タリバンが政権の座に就いたアフガニスタンへまたもや自費で出発。フリージャーナリストの取材旅はいつだって自費だ (山路徹氏がふたりの女性にカネを貢がせていたことがスキャンダルとして取り上げられたことがあった。APF通信代表といっても素寒貧だろう。 女なんか金づるに過ぎないと考えているのだろうが、女性もここはひとつ大きく構えて勘弁してやったらどうかね。命がけで仕事をしているのだから)。 《政権が代わってからというもの、異教徒の外国人に対しての弾圧が強まり、つい先日もインド大使館の焼き討ちがあったばかりだった。 それからNGO(非政府機関)の職員の国外追放や、前政権の関係者への拷問や虐殺、おまけに鞭打ちや手首切断といった苛烈な刑罰が日常的に行われていることを 耳にしていた。もう、あーあ、である。》

 偶像崇拝を許さず、西洋音楽のテープを没収してしまうタリバン政権だが、発電所が稼働するようになったので、前回泊ったときには真っ暗だったホテルが明るい。 だが、《1年前には軽装で街中を闊歩していた女性たちが、例外なくブルカを着用しているのだ。おまけに表を歩く女性そのものの数が減っている。》 偶像崇拝が禁止されているから、本来写真はダメなのだが、庶民にカメラを向けるとみんな笑顔を返してくる。 「タリバンの軍人と女の人にカメラを向けなければ、まず大丈夫だと思いますよ」とガイドのファヒームはいう。

 ちなみにアメリカを中心とする有志連合諸国軍によって解放されたカブールはどうなったか。《「タリバンがいなくなって自由にはなったが、安全はなくなった」 /年老いた商店主は語る。/「タリバン時代、男は髭を短くすることを許されず、女は仕事や学問を禁じられるなど、確かに多くの制約があった。 しかし彼らは同時にあらゆる犯罪を厳しく取り締まったため、それまで横行していたレイプや強盗などは皆無に近かった。タリバンがいなくなり、 きっとまた以前の治安が悪かった時代に逆戻りするだろう」》タリバンがいなくなったカブールには、インドの女優のブロマイドを売る店、 CDを売る店などが復活している。安全があれば自由がなく、自由があれば安全がなくなる。防犯カメラに似ている。

 生活のためタリバン兵になる者も多い。「1ヶ月に1500ルピー(当時約5000円)の給料が出て、病気のときや服を買うときにはべつにお金が支給される」 ほかに収入になるような仕事はないのだ。《タリバンとは決してアフガニスタン人だけの組織ではない。アラブ諸国やチェチェン、 さらにパキスタン(アフガニスタンと国境をまたいで居住するパシャットゥーン族が中心)などの外国人が数多く義勇兵として参加していることがわかる。》 いまの「イスラム国」と同じだ。

 タリバン政権下のアフガニスタンから早々に引き上げようとする小野と藤内さんに、政府ガイドのアクバルは、不満げだ。 「われわれタリバン政府が国連の承認を受けるためにも、ぜひともいい記事を書いて日本国民に伝えてほしい」出国ビザがなんとしてもほしい小野は、 入国のときと同様の最高の笑顔を作って返した。しかし99年、国連によるアフガニスタンの限定的制裁――アフガニスタンへの民間航空機の全面飛行禁止、 タリバンの国外資産の全面凍結など――が実施された。ウサマ・ビンラディンをアメリカに引き渡さなかったからだ。

●9.11同時多発テロ

 2001.9.11、あなたはあの生中継をテレビで見ただろうか。ニューヨーク世界貿易センター2棟にジェット機が突っ込む姿を。 さっそくブッシュ大統領は現場に駆けつけ、勇敢な消防士たちを背に「これは戦争だ。必ず敵をぶったたいて殲滅する」と演説し、 以後アメリカはアフガニスタンに対して地下施設まで破壊するようなミサイルを大量にぶち込み、ビンラディンを暗殺し、世界中を震え上がらせた。 だがそんな乱暴なことをすれば世界中から、とくにイスラム教徒から総スカンを食らうことまで頭が回らなかったようだ。 あのときブッシュがもう少し内省的になり、「こんなひどいことをされるのは、自分たちにもなにか落ち度があったのかも知れないなあ」 と牧場の夕日を眺めながら来し方行く末をじっくり考えていれば、こんにちのような「イスラム国」のやけくそ的自爆攻撃が頻発することはなかったのではないだろうか。

 当然この時も藤内氏とアフガニスタン取材に出かけた。いつもは自費だが、この時は「フライデー」が資金や資材を提供してくれた。 パキスタン航空はビジネスクラスを選んだ。これは贅沢なようだが、荷物が80kgを超えるので、 超過料金を取られるより超過料金のないビジネスクラスを選んだほうが得という次第。ふだんの小野はスポーツ紙の「人妻風俗嬢のインタビュー記事」で稼いでいた。 それの書き溜めを大急ぎでやり、足りない分は戦場でも書いて日本に送った。まだITがいまほど発達した時代ではなかったから大変だったようだ。

●自衛隊、イラクのサマワへ

 2003年、小泉政権は自衛隊をイラクのサマワへ派遣した。非戦闘地域にしか派遣しないという野党との約束があった。 人気絶頂の小泉首相は、民主党の岡田代表との討論で、イラク復興支援特措法が定める非戦闘地域の定義について、「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」という、 およそ首相の答弁とはおもえないような説明をくりかえした。それで通用するほど人気絶頂だったのだ。 小泉もブレアもアメリカのポチだった。「障害老人乱読日記」bP0『ジョークで読む国際政治』(名越健郎、新潮新書)に証拠が残っている。

 当時小野は37歳、テレビ局や出版社から取材費をかき集めた。2001年のアフガニスタン取材とちがって衛星携帯電話を購入し、ずいぶん荷物は減ったが、 それでも80キロになってしまう。以前と同じく「週刊現代」やスポーツ紙の人妻風俗嬢インタビューをこなすためヒイヒイいいながら風俗店まわりを続けた。 足りない分は戦場から書き送ることにした。

 サマワからほど近いルメイサという町で米軍が民間人に発砲したというので、1000人以上のデモ隊がブッシュやアメリカを批判するシュプレヒコールをあげるなか、 《わたしはビデオを回したのですが、途中で興奮した人物に怒鳴られ、ビデオカメラを取り上げられそうになってあわてて逃げたりと、 久々の激しい現場の取材にアドレナリンが出てきます。もうなんというか、好きなんでしょうね。こんな状況。》

 3月26日、サマワの自衛隊が給水作業開始の儀式を始める。これが完全にショウアップされたもので、ジャーナリストは不満たらたら。 「ダメですよ。完全につくりの絵柄しか撮れないから、いかにも広報っていう写真ばっかり。本当は自然のままにやってもらった方が記事になりやすいのに、 どうしてそうしないかなあ……」

 サマワの町は本当に小さく、日本人がどこに泊っているかということなど町民は皆知っている。それだけに危険も多い。武器商人を取材しようとしたさいは――。 《車でサマワ市内のどこだかわからない一軒家に連れて行かれたわたしは、玄関を開けるといきなり、布で顔を隠して自動小銃を持った男に 「ノートとカメラ以外は車の中に置いてこい」といわれたのです。で、そのようにして戻ると、今度は室内に同じく顔を隠した拳銃片手の男。 案内された居間には銃器がずらり。で、一人の男が自動小銃を胸に抱き、もう一人の男が戸口に立って拳銃の銃口をわたしに向けたままの状態で インタビューを行ったんですからね。はい、もう生きた心地がしませんでした。》 じつに危険な取材活動であることがわかる。

 しかし武器商人はどういう意図で取材に応じるのだろう。いかなるメリットがあるのか。そこがわからない。わたしはおそらく「自己顕示欲」だろうとおもう。 たとえ覆面はしていても自分の姿が新聞やテレビに流れればうれしいのだ。最近の日本ではおのれの犯罪行為をわざわざネットに流す若者が多い。 証拠を公開するとは信じがたいバカだとおもうが、自己顕示欲というキーワードを当てはめれば答えは出るのではないか。

 麻薬密売人の取材をしたときは――。《武器商人のときと同様に、覆面をした男から銃を突きつけられながらの取材を終えての帰り際、 彼らは(ガイドの)カリードに「あの日本人(わたしのことです)を殺して荷物を奪わないか」と誘いかけ、彼が断わると帰り際に銃を2発ブッ放されたのでした。》 そういう魂胆があって取材に応じるというならわかりやすいのだが。

◆O氏(60代男性)
 「風俗ライター、戦場へ行く」の書評を読みながら、ある本を思い出しました。1982年に徳間書店から発行された 「戦場は僕らのオモチャ箱」という作品です。
 ものすごく簡単に言うと、兵器オタが、アフガンでロシア製新型銃が使われているのを聞き、現地に見にいってしまう、 いうなれば「戦争を見物に行った」というドキュメンタリー。
 兵器オタの本領発揮で、現地で実際に使われている武器の説明はイラスト入りで正確、アフガンの街々でその武器が原始的な手作業で作られているなど、 生活者の姿と合わせて、おもしろおかしく描かれています。日本では噂だけで、新型銃はある、ないとの間をいったりきたりしていた筆者は、 現地で探しに探してついに目にすることができ、満足して日本に帰っています。結局この報告は西側で初めてロシアの新型銃を紹介することになりました。
 あたくしめが興味をもったのは、戦場経験がそれほどない人が実際の戦場にでかけていったら、パニックなり、ショックなりを起こして動けなくなるんじゃないか、 それをどう対処したのだろうということでした。
 「意外なことだが、いったん戦闘が開始されてしまうと、普通、平和なときにわれわれが考えているほどの恐怖感はわいてこない」
 自分を守るため、身体じゅうの感覚が2倍、3倍になって冷静に判断するらしいですね。集中力が高まるため、 戦闘が終わったらグッタリしてしまうと書いてありました。長生きできる、生きる意味を見出すのは、敵を憎めば簡単とも。
 ちなみに筆者の名前は東郷隆。帰国後、ルポのほかに小説も書き始めて、いまも活躍しています。