97(2017.2掲載)

 『さいごの色街 飛田』
 
(井上理津子、筑摩書房、2011.10)

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(1月号からの続き)

●万一の時はわたしがヤルから

 女の子がやめそうなので急いで後任を探しているという料亭の女将と知り合う。
「あなた、いくつ?」
「え? なんでまた。五十四ですけど何か?」
 フリーライターという名刺の肩書きをフリーターと勘違いした女将は「なんや。あなたでもいいと思ったのに。 誰かいないかな、うちへ来てくれる子。紹介してくれたら、相応のお礼するし、悪いようにはせえへん」
「どんな子がいいんですか」
「年は四十くらいまで。けど、お金貯めようと、真面目で向上心のある子やったら、ちょっとくらい上でもいいよ」

 《とんだ展開になってきた。私は、これは「面接」をリアルに見られるチャンス到来だ、現役の料亭に上がり込めるチャンス到来だと思い、 /「すぐに心当たりはないけど、探しときます。連絡しますわ」/と言って電話を切った。》

 それからというもの、年若い友人たちに「私がついてゆくから、囮で面接を受けてみてくれない?」と頼みまくったが、 「うしろからヤクザが出てきて、一回客とるまで帰さへんてなったらどうしてくれる?」ことごとく断わられるも、 子どもの保育園時代に保護者どうしとして知り合ったタカヤマという48歳の女性が「しゃあない。協力したろ」と申し出てくれた。 2009年12月のことだ。当日の昼間に「やっぱりコワイ。やめとく」と電話してきたが、「万が一お客とヤらなければならなければならないことになれば、 私が代わりにヤる」と約束した。――
たいしたプロ根性ではないか。54だけど。

 ママと対面。
「あの〜、聞きにくいこと聞きますけど、あれ、つけるんですよね?」
「それはあかんわ。稼ごうと思たっら、つけたらあかんわ」
「え〜? そんなアホな。病気心配ですやん」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと一回ずつ洗ったら大丈夫。洗うのあるし」

 冒頭に見た若い子と待遇が異なる。若い子は口でコンドームを付けていた。ママは、こんなオバはんにはそんなぜいたくはさせられないと値踏みしたのだろう。 案内された部屋の様子は、冒頭に見たとおり。《廊下にトイレがあったので、ドアを開けて、タカヤマと思わず顔を見合わせた。 はっきり言って、ぞっとした。/段のある和式トイレ。床がタイルの、一昔も二昔も前のタイプだ。タンクが頭上にあり、紐を引いて水を流す。 そこまでは百歩譲るとしても、手洗いの蛇口からホースが延びていたのだ。半透明の薄緑色のホース。これがママの言っていた「洗うの」なのだ。 ビデ代わりなのだ。消毒液も置いてある。“接客”が終わるたび、このホースの先を膣に突っ込み、水で洗うのだ。 /「共同で、同じホースを使うっていうこと?」/「そうちゃう? あすこの消毒液につけて」/ 「しかし、なんぼ洗ても、たとえばイノウエが使ったぬくもりが残ってるホースをあたしが使うこともあり、ってコトやんか〜」 /二人して「げ〜」と声をあげて絶句してしまった。》現在、お店の部屋はトレンディドラマに出てくるような清潔感ただようしつらえになっているが、 トイレだけは和式。ホースと、「オスバンS」と書かれた殺菌消毒液の容器は変わらない。

●ついに真相に肉薄

 井上は飛田で働くお姉さんの話を聞きたくてビラまで配っている。いわく「飛田のおねえさん、経営者、おばちゃんのみなさまへ  『あなたの人生』を聞かせていただけませんか 『飛田物語』を書くため取材しています。匿名でもOKです。何日、何時でもOKです。 お電話お待ちしています」謝礼を求める者が多くて、あまり成果は上がらなかった。

 最後の最後に出会ったのが、飛田の料亭の女性経営者、まゆ美ママ。1956年生。2006年10月から2010年1月までブログを書いていた。 10年間に13億6000万円儲けたという。井上はまゆ美さんと出会って初めて飛田の内情を知ることになる。けしてアマイ経営者ではない。 《まゆ美ママは、徹底的に従業員教育を行った。「客の財布を空にして帰らせろ」と激励した。そのためには、「ふう(コンドーム)は使うな。 病気持ちでないかどうか、尺八を念入りにして調べてから、やれ」と指導。女の子は、一人の客が終わると、ローションや唾液で体がどろどろになる。 トイレに設置した、瞬間湯沸かし器付きの蛇口からのホースで、膣内のみならず、和式トイレにまたがった恰好で体を洗って、次の客に備えた。 /生理休暇は三日間。売れっ子には毎月二十二、二十三、二十四の暇な日にしか取らせない。 ピルを飲んで調整させ、調整できなかったら、海綿を詰めて出血を防ぎ、仕事をさせた。/「それが当たり前」と洗脳していった。 「ふう」をしないために移る病気には、HIVのほか、梅毒、コンジローム、ヘルペス、淋菌、毛ジラミがある。毎月、病院での検査を義務づけ、 十五日に検査結果を提出させた。/客の支払金をごまかす女の子には、殴る蹴るの制裁を容赦なく加えた。》

 《多くの女の子は「バンス持ち」だ。バンスがなくても、飛田の近くのマンションを借りるので、マイナス二百万円ほどからスタートさせることが多い。 この借金が終わるまでに、宝石、ブランドの服などを買わせ、海外旅行をさせ、「夢と希望」を持たせ、 「この店にいるからこそ自分がある」と思うように洗脳してゆく。》バンスはadvance、前払い。ここでは女の子の借金。 借金が減ってくるとホスト遊びを覚えさせ、またもや高額な借金を背負わせる。よく働く子は、月に600万、700万と稼ぐ。 ただし、1日に30万売り上げても1万しか渡さない。

 HIVの心配はとたずねると、「あんなもんは喫茶店のコップでも移ることあるんやから、それいいだしたらこの商売でけへん」むちゃくちゃの医学知識だが、 しゃあしゃあとしたもの。金が一番大事なのだ。お金ってそんなにも必要なのだろうかと聞く井上に、 《あのね。お金って、ものすごい力を持っています。女の子、ちょっとだけこの仕事をやってやめたら、心に深い傷が残ります。 けど、一千万円手に持って辞めたら、傷にならないの。/お金があったら、たいがいの問題は解決します。 (中略)お金ない時、人に親切にしなさい言うてもできへん。生理ナプキン買えないでいて、人のことを思う余裕ないでしょう?》 最後のひとことはなるほどとおもわせる。ぎりぎりの金銭哲学なのだ。貧乏のどん底を経験した女の子、 あるいはヤミ金に追い詰められてビクビクした日々を送ってきた女の子にとって、安心して暮らしていける唯一の場を提供してくれるひとなのだ。 まゆ美ママはヤミ金業者の100人中99人を電話一本で黙らせる。

●貧困の連鎖に行き着く

 井上は「後書き」の中でこう書いている。《売買春の是非を問いたいわけではなかったが、そのことについては、書き終わった今も私に解答はない。 それよりも、今思うのは、飛田とその周辺に巣食う、貧困の連鎖であり、自己防衛のための差別がまかり通っていることである。 /多くの「女の子」「おばちゃん」は、他の職業を選択することができないために、飛田で働いている。他の職業を選べないのは、 連鎖する貧困に抗えないからだ。抗うためのベースとなる家庭教育、学校教育、社会教育が欠落した中に、育たざるを得なかった。 多くは十代で親になる。親になると、わが子を、かつての自分と類似した状況下におくことになる。》 貧困の連鎖、これこそが本書のテーマであるとわたしは読んだ。

 「ヤミ金に借金を抱えてる女の子は、自分で弁護士に相談しようとか、場合によっては自己破産しようとか、なんで思わないのでしょう?」 「あの子らに、そんな頭ないんよ」というやりとりで、吉行淳之介のことばを思い出した。「こういう場でなければ生きていけない女性もいる」 と確かいっていた。そこには知的障害の女性という意味と、 一日何回か性行為をしなければ我慢できない女性もこの世にはいるのだという二つの意味が込められているように読み取れた。 本書にもご亭主がダメなので、昼間飛田で働いて夕方すっきりして家路につく主婦が登場する。