●息 抜 き(2017.12掲載)

 日本野鳥の会に入っているので会報が送られてくる。
2017年9・10月号をなにげなくめくっていたら、
「中野さんセレクト」というページにヒヨドリの写真が5枚掲載されていて、
そのうちの1枚にわたしの投稿した写真(下)が入っていた。
中野さんの講評全文を掲載させていただく。

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メジロ用のミカンをヒヨドリが食べてしまうので、食べにくい工夫をしましたが、
ホバリングをしてまで食べられてしまいました。(東京都・1月5日)

◆中野さんの講評(全文)

 中野セレクトのコーナーは、ヒヨドリの写真を集めてみました。ヒヨドリは、花の蜜を吸い、赤い木の実をよく食べ、 また庭にも現れるので被写体としてはとても良い鳥です。しかしヒヨドリはあまりにも身近すぎて、レンズを向けることが少ないかもしれません。 また熱心さも欠けてしまいがちです。そのように思っていると、家の中から障子越しに撮影したヒヨドリの写真が目に留まりました。 このような撮影方法を考えたこともありませんでした。まだまだ野鳥写真は奥が深いと感じさせられました。 身近な野鳥、もう一度じっくり撮影してみませんか。新たな発想、新たな発見ががあることでしょう。

 

障害者ならではの写真

●わたしには撮れない写真

 2017年9・10月号の巻頭には菅原貴徳氏のアカヒゲを撮した「かくれんぼ」という写真が掲載されている。 ため息が出るほど美しい。見開き2ページの中央に赤い頭のアカヒゲが小さくシャープに写っているだけで、 被写界深度をうんと浅くしているのか画面のほとんどは樹木のモワッとした緑色だ。タイトルの由来だろう。

 2重の意味でわたしには写せない写真だと眺めながら嫉妬をおぼえる。わたしは四肢マヒの身なので、本来カメラを手の中で転がしながら縦横斜めから見つめ、 いろいろなボタンを押して操作を覚え技術を向上させるべきところを、いつまでたっても向上しない。 わたしの手伝いをする者のほうが早く慣れていくほど。もう一つの嫉妬は、とてもこんな深山幽谷(とおもわれる場所)に電動車椅子で行くことは不可能だ。 たとえ美しい鳥を見つけても、モードの設定やピント合わせなどをしているうちに鳥はどこかへ行ってしまう。 動くものは写せない。せいぜい窓辺にエサを置いてやって来る野鳥を眺め、時に撮影するだけ。

●手を使わずに撮る方法

 手を使わずに撮影する簡単な方法はあるか。考えに考えたあげく、車椅子に小さな三脚を載せてまずファインダーを目の前に持ってくることにした。 構図ぐらい自分で決めたい。シャッターはリモートコードを車椅子の枕に貼り付けて頭で押すか、もしくは電波式のリモコンを口にくわえて切る。

 さていよいよ本題。この写真は障子の向こう側に来たヒヨドリを撮っただけの簡単な写真に見えるが、じつはそうではない。 ヒヨドリは実際にはこの位置よりずっと左側(東側)にいて、それが朝日に照らされて障子に映じこの位置にいるように見えるのだ。

 撮影は1月の朝の数十分に限られる。日が移ってしまうからだ。ヘルパーが来宅してふだんどおりの支度をして車椅子に移っていたのでは時機を逸する。 そこでどうしたか。わたしはベッドに寝たままベッドのわきに普通の三脚を立て、アングルを決め、なるべく鳥影が鮮明に写るように部屋の明かりを落とし、 ガラスと網戸をあけはなち障子だけを閉めた。わたしは電波式のリモコンをラップで包んで口にくわえ、ヒヨドリがくるのを待ちかまえ、 ここぞというところでリモコンを噛み、連写機能を使って撮った。

 ところで世の中のスイッチ類は誤作動を防ぐためみな凹式になっている。それを自己流で凸式に変えて使っているのだが、 なかなかシャッターを押すようには敏感に反応してくれず、悔しい思いをすることも多々ある。

●ヒヨドリの踊り食い

 さて、なぜ「野鳥」編集部は「東京・1月5日」というデータを付けたか。撮影場所と季節によって鳥の生態は大きく変わるからだ。 そこまで考えた編集作法だとおもう。

 メジロもしくはヒヨドリにやるミカンは、年末を過ぎないと柔らかくならない。ミカンを水平二つ切りにして窓辺の木の枝に刺してやるのだが、 ヒヨドリはバクバクと一気に食ってしまう。体が大きいので仕方のないことだが、メジロの分がなくなってしまう。 それでは困るので100円ショップで30センチほどもある長いS字フックを買ってきて木の枝の先端に掛け、どこにもつかまるところがないようにしてミカンを付けた。 これなら食えまいとおもったら、S字フックにつかまってしまう。S字フックに油を塗った。 もうつかまりようがあるまいとほくそ笑んでいたら、今度はホバリングをしてミカンの房に食いつき引きちぎってしまった。 ヒヨドリの貪欲がなければこの写真は生まれなかった。

 鳥を撮す機会はほとんどないし、種類も窓辺に来るものに限られる。だが観察の時間はたっぷりある。 この写真も数年、いや見方によっては数十年かけて撮ったものともいえる。だからこそプロの写真家に 「このような撮影方法を考えたこともありませんでした」といっていただけたのだろう。障害者だからこそ作れる作品もあるのだ。

   鶏頭の十四五本もありぬべし (子規)