109(2018.3掲載)

 『植物は〈知性〉を持っている――20の感覚で思考する生命システム――
 
(ステファノ・マンクーゾ+アレッサンドラ・ヴィオラ共著、久保耕司訳、NHK出版、2015.11)
原題VERDE BRILLANTE : Sensibillita e intelligenza del mondo vegetale
原題の意味は、「輝ける緑〜植物界の感覚と知性」マンクーゾはフィレンツェ大学教授

109_syokubutsuwa.jpg"

T 地球は「緑の星」

●植物に対する先入観を覆す

 植物は、考える力などない下等生物だとみなされてきた。いや、生物ではないとさえ思われていた時期もある。 植物は眠らない、動かないというむかしからの誤解を解き、さらに視覚・嗅覚・味覚・触覚・聴覚・伝達力すらあることを証明していく。 ただここでそれらのいちいちを取り上げるのはあまりにも辛気くさいのでわたしはそのいくつか、とくに気孔と根端を詳しく見ていきたい。

 たとえば植物が動くということが幼稚園児にも理解されるようになったのは、ほんの数十年前。写真技術や撮影技術が精巧になってからだ。 現実的には、人間と植物の動くスピードには差がありすぎるため、未だにわれわれは植物が動くという実感がないのだが。

 ……それにしてもイタリア人というのは多弁だと思う。なにもそんなにくどくどしく説明しなくても、著者のいわんとすること、わたしなら直感的にわかる。 ただ、障害老人乱読日記bP1『もの思う鳥たち――鳥類の知られざる人間性――』(セオドア・ゼノフォン・バーバー著、笠原敏雄訳、日本教文社)を読んだとき、 著者がいかにキリスト教の世界に気をつかっているかを知って驚いた。鳥に知恵があることを証明するだけで戦々恐々としているのだから、 まして植物に人間に似た能力があるなどと迂闊にいったのではどれほどたたかれるか知れたものではない。 おそらくそういった事情でくどいほどの説明を尽くさざるを得ないのだろう。

 たとえばこんなぐあいだ。《よく知られているように、神の仕事は七日間で成し遂げられた。 植物は三日目に創造されたが、生きもののなかでもっともおごった存在である人間が世界に登場したのは、六日目になってからだ。》

 いちおう『旧約聖書』創世記で確認しておこう。神は1日め天と地、昼と夜を作った。2日め大空を天と名付け、3日め陸と海を作り、ついで植物を作った。 4日め宇宙を作った。5日め動物たちを作った。そしてやっと6日め人間を作った。7日めは休日。

 生きものの登場の順番は、現在定説になっている科学的な見解とある程度一致している。 《その定説によれば、光合成を行なうことのできる最初の生細胞は、30億年以上も前に地球上に現れたという(これがなければ何も始まらないだろう)。 いっぽうで、最初のホモ・サピエンス、つまり、「現代人」が20万年以上前(進化の時間においては、ほんのわずかな時間に過ぎない) に存在していた痕跡はないそうだ。》  イスラム教も植物を生物とは認めなかった。だから偶像崇拝を禁じたにもかかわらずモスクを植物模様で飾ることをを認めてきたのだ。

●モジュール構造で生きのびた植物

 きっとだれもが、地球を支配しているのは人間だと考えているのではないだろうか。 だが、バイオマス(生物の総重量)の99.7%は植物が占めている。人類とすべての動物をあわせてもわずか0.3%にすぎない。 この事実からすれば、まちがいなく地球は「緑の星」だと定義できる。 植物は、私たちが考えているよりもはるかに洗練され、はるかに優れた知性を持った生物なのだ。

 《人間に知られている植物種は、地上に存在する全植物種の五〜一〇%にすぎないといわれている。 でも、そのわずかな種類から、医薬品の全成分の九五%が抽出されているのだ。》 その植物の贈り物の価値を知らないままわれわれ人類は植物を滅亡に追いこんでいる。

 《動物とちがい、植物は生まれた場所から移動しない生物であり、地面に根を張って生きている(例外もいるが)。 そんな状態で生きのびるために、植物は、動物とは異なる方法で栄養を摂取し、繁殖し、世界に広がっていけるよう進化してきた。 さらに、外敵からの攻撃に対処するために、モジュール構造の体を作り上げてきた。この構造のおかげで、 動物に体の一部を奪われても(たとえば、草食動物に葉や茎を食べられても)たいした問題にはならない。 植物の体には、脳、心臓、肺、胃などの個々の器官が存在しない。そうした器官を持っていたら、 (草食動物によって)被害にあったり食べられたりした場合に個体の生存が危険にさらされることになるからだ。 植物の体は、たいてい必要以上の量の同じモジュール(部品)が集まってできている。》

 この脳をはじめとする「内蔵がない」という点で植物は知性がないとさげすまされてきたのだ。 《植物は口がないのに栄養を摂取し、肺がないのに呼吸している。私たちと同じような感覚器官をもっていないのに、植物は見て、味わって、 聞いて、コミュニケーションを行ない、おまけに動くのである。それならどうして植物が思考しないと決めつけられるのだろうか?  植物が栄養をとったり呼吸したりしていることは、誰にも否定できない。だとしたら、植物に知性があるという仮説だけが、 どうしてあからさまな拒絶反応を引き起こしてしまうのだろう?》

●知性とは「問題を解決する能力」

 著者はここで自説を巧妙に展開していく。「知性とは問題を解決する能力のこと」と定義づける。 動物と同じこと、すなわち《複雑な戦略を使って捕食者から身を守る。その際には、ほかの種を巻きこむことも珍しくはない。 受粉のために信頼できる「配達人」に花粉を運んでもらう。障害物を迂回する。互いに助けあう。動物を狩ったり、うまく操ったりすることができる。 養分、水、光、酸素を手に入れるために動くことができる。(中略)知性はすべての生命の特質であり、もっとも下等な単細胞生物さえももっているはずのものだ。》

 むかしダーウィンの『ミミズと土』(平凡社ライブラリー)を読んだことがある。ダーウィン生涯最後の論文だ。 その著作でダーウィンが長年にわたって実験した結果、ミミズには判断力があることを実証した。 ところがそれをわが友人に伝えると、まるで相手にしてもらえなかった。いまならどうだろうか。

●全身をめぐる伝達能力

 一本の樹木の根が土壌に水が足りないことに気づくと、これは一大事とばかりに、もっとも伝達力の強い電気信号 (化学物質=植物ホルモン)を使って葉に気孔を閉じるように伝えるという。体内全身をめぐる伝達能力を持っているのだ。

 植物は固有の言語を使って仲間どうしでコミュニケーションをとることができる。まずボディランゲージがある。 《じつは植物も、触れあったり(一般的に根どうしのことが多いが、地上部分のこともある)、 (中略)植物は、光を手に入れる戦いに勝利するために、互いに異なった姿勢をとるのだ。》

 一本の木が傷つけられると、仲間の木に危険信号を送るために、葉から揮発性化合物を放出して知らせるという話を聞いたことがある。 おそらく同種の木にだけ知らせているのだろう。というのも、こんな実験結果が報告されているからだ。 2つの容器を用意し、片方の容器には1つの植物の種(母親は同じ)を30個育てる。同族だ。 もう片方には互いに異なる個体の種子(母親は異なる)30個を育てる。同族の子どもたちはお互いに根の数を抑え共生しようとするのに、 母親の異なる子どもたちは少しでも自分のテリトリーを拡大しようと無数の根を伸ばし、栄養分と水を自分だけのものにしようとした。

 《ヨーロッパでもっとも古いトウモロコシの品種や野生のトウモロコシは、ハムシの攻撃から完璧に身を守ることができていた。》 いまわれわれが食べているトウモロコシは、品種改良され大きな実を大量に付けるよう品種改良されたものだが、こちらはハムシからの攻撃に弱い。 在来種はハムシから攻撃されると、カリオフィレンという物質を作ってある種の線虫を呼ぶ。線虫はハムシをすべてむさぼり食ってしまう。 人類はトウモロコシの防御能力をとりもどすのに遺伝子組替え技術まで総動員しなければならなくなかった。

 今では果物なみの糖度を持つトウモロコシまであらわれた。うまいといえばうまいが、むかしの小粒でもちもちした食感のものも食いたい。(つづく)