112(2018.6掲載)

 『世間のカラクリ』
 
(池田清彦、新潮社、2014.9)

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 むかし山本夏彦の本を読んでいたら、生命保険会社の隆盛は生保レディたちの肉弾戦のおかげだというようなことが書いてあったのでびっくりした。 「魚心あれば水心っていうことわざ知ってるかい」なんてブタ目(c椎名誠)の親爺がいっていたんだろうな、いやいまでもいっているんだろうな、 これが世間というものかと呆然とした。

 わたしは世間知らずだ。生来ボーッとした性格である上に38歳で世間をドロップアウトしたせいもあるのだろう。 世の中のしくみがどうなっているのか、テレビやラジオを聞いていてもボンヤリとしか頭に入らない。新聞も読めないことはないが媒体としてかなりむつかしい。 電子版も取っているが、いったんパソコンに向かうと、自由時間が少ないのでやらなければならないことが山ほどある。 とても読んでいる暇がない。だから本書を読めばきっと古老が世間のカラクリあれこれを解き明かしてくれるのだとおもった。

 すこしちがった。主に癌の話だ。IPCCのインチキぶりもおもしろいが、前にも読んだことがあるので省略(地球温暖化は人間の営みによるものではなく、 太陽活動の強弱によるというのが池田や養老孟司の説)。それよりつぎのような話こそまさにわたしの求めていたものだ。

 池田清彦、1947年生、生物学者。本書は池田のメルマガ「新おとなの遊び場」(池田清彦のやせ我慢日記)、2013〜2014、 約1年分を再構成したもののよし。近藤誠の「がんは放置していても治療をしても余命は同じだ」という近藤説に大いにみかたをしている。

 近藤誠は1948年生。元慶應義塾大学医学部専任講師。現在は近藤誠がん研究所の所長。癌の放射線治療の専門家だが、 癌の放射線治療、抗がん剤治療を一部否定している。《近藤誠も私もデータに基づいて一般的な事実を言っているだけのことであって、 私は手術をして助かったから、無治療を薦めるのはけしからんといった、非論理的な感情論には付き合いきれない。》

 Tでは主にがんの話、Uでは大麻の話に焦点を当てた。

T 世間は既得権益の奪合い

●国民の健康を利用して金を稼ぐ

 犬や猫を飼ったひとなら、それぞれの個体に個性があることを知っている。わたしもむかしアパートのゴミ捨て場で野良猫にエサをやっているとき、 信頼されたのだろう、母猫が生まれたての子猫数匹をわたしの机の下に置いていた段ボールのゴミ箱に運んできた。 子猫を観察していると、しきりに箱から出ようとしてほかの猫の頭を踏んづけてでも這い上がろうとするのもいれば、踏まれたままになっている子猫もいる。 大きくなってもその傾向は変わらないので猫にも持って生まれた個性があるのだと知った。

 ところが人間の健康診断の基準値に関しては、個々人の個性の違いは認められないことになっている。 《日本高血圧学会は2000年に高血圧の基準値を、従来の最高血圧160oHg、最低血圧95oHgから、それぞれ140oHg、 90oHgに引き下げて高血圧の患者を大幅に増やした。その結果、30歳以上の4割、60歳以上の6割の人が高血圧ということになったのだ。》

 高血圧学会は製薬会社と結託してもうけようという魂胆なのだ。降圧剤の市場規模は年々拡大して1兆円に達しようとしてくる。 さあそうするとさらに欲が出てきて、基準値を130oHg/85oHgまで下げた。ところが――。2014年、日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が、 高血圧学会の基準を大幅に緩和する健康診断の新基準を発表した。なぜか。病気ということになったものだから 血圧を下げる薬に健康保険が適用され患者がふえすぎて健保組合の財政が破綻寸前になったのだ(14年間も放置しているとはまた悠長な話)。 その結果、最高血圧正常値は88〜147o、最低血圧正常値は51oHgということになった。高血圧学会は怒り心頭、 人間ドック学会の新基準値は日本国民の健康に悪影響を及ぼしかねないと批判した。

 池田はこう結論する。世界でトップの平均寿命を誇る国の国民の半分以上が高血圧という病気であるのは、どう考えてもおかしな理屈ではないかと。 痛快痛快。医学のような厳密客観的な世界でもじつは既得権益の奪い合いがあるということ。この一節が、本書のなかでわたしの期待に最も応えるものだった。 なるほど世間とはそういうカラクリでできているのだ。

●ヤクザと原発推進者

 健康診断に行くひとが減れば、有害な治療を受けるひとが減り、医療費が削減する。健康診断で食っているひとは、検診というシステムを死守しようとして、 さまざまなインチキ話をマスコミに流す。ここからが「世間のカラクリ」のバックボーン。《製薬会社はテレビや新聞の大スポンサーなので、 この構図はしばらくは続くだろうが、人々が賢くなって無闇に医者に行かず、不必要な薬も飲まなくなれば、製薬会社の経営も傾き、 広告も減ってマスコミも検診の有害さを喧伝するようになるだろう。/なんであれ、強固なシステムが確立されてそれで生活している人がたくさんいればいるほど、 システムの基礎になっている根拠が実は間違っていましたということになっても、システムを潰すのはなかなか難しい。》

 原発と同じ。原発で食っているひとびとは、これこそ大システムなので、「原発で働いているひとびとをないがしろにするな」という。 原発は事故を起こしたら、原発で食っているひとの何十倍、何百倍というひとびとの生活を成り立たなくするというのに。 フクイチなんか地球規模の災害だ。《暴対法が施行されたら俺たちの生活はどうなるのだ、といっているやくざと選ぶところがない。》 異なるのはやくざは政治的弱者だが、原発推進者は政治的強者だということだけだ。いいぞ池田!

●がんはなぜ治らないのか

 健康本のたぐいはめったに読まない。だが自分ががんであると医師から告げられたらどういう態度を取るだろう。おれが死んでも誰も困らないが、 おまえが死んだらおれが困るから、先に死んではいけないとさだまさしのような台詞を家内にはいってある。こういう体だから60を過ぎてすぐ遺言書を作成した (いわずもがなだが遺言書と遺書は別物。遺言書は死後の財産の処分を定める公的文書)。遺言書は必ず本人が手で書かなければならないものと定められているので、 手の使えないわたしは知り合いの弁護士に関わってもらった。そのことを友人のひとりに打ち明けたら、おれはゼンゼン死ぬ気がしないなあと笑っていたが、 数年後胃がんになった。手術後さいわい酒も飲めるようになったと豪語していたが、その数年後には脳卒中になった。 年賀状を出したら、文語体の武張った長文を返してきた。脳みそはなんともないぞということを示したかったのだ。遺言書を書いたといっていた。

 池田は慶応大学元講師の近藤誠が、がんは放置するに限るという本を書いて軒並みベストセラーになっていることについて言及する。 《手術や抗がん剤には一定の効果があると主張する医者も多い。近藤は無効だといい、一部の医者は有効だという。どちらが正しいのだろう。 /そのためには効果があるという物言いの中身を調べる必要がある。手術をして症状が緩和されれば効果があったといえることは確かだ。 無症状か大した苦痛があったわけでもないのに、早期発見されてよかったですねといわれて手術を受けた場合は、手術そのものによる苦痛があるので、 症状の緩和という点では無効どころかマイナスである。/もちろん手術を受けたほうが余命が伸びるというのであれば、 一時的に多少の苦痛があったとしても手術にはメリットがある。しかし、寿命に差がないとすれば、 無症状なのに手術を受けるのはデメリットのほうが大きいことになる。》

 抗がん剤に延命効果はないと、池田は身もふたもないことをいう。《多くの抗がん剤は分裂している細胞を攻撃する。 がんは盛んに分裂するので抗がん剤により相当死滅する。同時に正常細胞でも分裂期の細胞は抗がん剤により相当殺される。 抗がん剤が毒であるゆえんである。》抗がん剤を投与して最も危険なのは、白血球が桁違いに減ることだ。白血球が減ると感染症の病気になりやすくなる。 《抗がん剤を毎日投与されていれば、どんな頑健な人でも必ず死んでしまうに違いない。》

●発見されたらすでに「末期」

 《そもそもがんはたった一つのがん幹細胞から出発するのだ。》それが増殖したあげく直径1ミリになったがんは、 すでに約100万個のがん細胞からできている。1ミリでは発見できない。15年経過してやっと1センチになる。ここまで大きくなると発見され、 「早期発見で良かった」といわれるが、ほんとうは末期がんなのだという。1センチで末期がん!

 《近藤に言わせれば、転移する能力のあるがんであれば、すでに転移を起こしていることになる。一方、 転移する性質のないがんもどきでは生存に支障が生じるほど大きくならなければ、命に別状はないというわけである。 (中略)転移性のものならば治療しても苦しいばかりで助からないし、転移性のものでなければ、 しばらく放置しておいていざ症状が出たときに対処すればいい。》(つづく)