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 『【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』
 
(ヒュー・グレゴリー・ギャラファー著、長瀬修訳、現代書館、2017.1)
 原題は BY TRUST BETRAYED: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich 裏切られた信頼

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(1月号からの続き)

U 優生学とヒトラー自身の健康

 安楽死管理局の所在地は、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」にあった。そこから障害者安楽死計画をT4計画と呼ぶ。

 《第三帝国の殺人計画関係の文献を探っていると、ハダマー精神病院の名前に何度も出くわした。》ハダマーは、ドイツ中西部の町。 ここにガス室がつくられた。対象は精神病院から選ばれた。おもに精神分裂症、鬱病、知的障害者、結核、小人症、マヒ、てんかん。 時には非行、性的倒錯、アル中、「反社会的」行動も含まれた。

●障害者、ユダヤ人殲滅の衝動はどこから

 さてここからがヒトラーの心の奥底を伺い知るためのカギ。

 生物学的に卓越したドイツの能力を保存できるかどうかがヒトラーの気がかりだった。ドイツ民族を強化し、「雑種化」を防ぐのを望んでいた。 ヒトラーの偏執症的な観点からすれば、ドイツ人は外部の敵と内部の汚染から脅かされていた。 汚染はユダヤ人やジプシーからだけではなく、劣等で欠陥を持つドイツ人、つまり「梅毒病患者、結核患者、遺伝的変質者、肢体不自由者など」にもあった。 これは『わが闘争』のリストにある。こういった人々は劣弱な遺伝子の産物とされ、健康なドイツ人との間に子孫をつくるため、 ドイツ民族の遺伝子群を弱める恐れがある。存在すること自体がドイツ民族の力を損ない、弱める。

 ヒトラーは古代スパルタの直接的な解決策を賛美していた。この古代ギリシャの都市国家は劣った子供たちを始末していた。 「病人・弱者・奇形児の遺棄つまり彼らを絶滅するのは、最も病的な人間を保護しようとする現代の軽蔑すべき狂気よりもよほどまともで、 実際には数千倍も慈悲深い」と考えていた。

 わたし自身も肢体不自由者として抹殺リストに入っていることが気になる。わたしの障害は事故によるもので遺伝的なものではない。 ……そんなことをいうと、先天的な肢体不自由者からにらまれそうだが。

 さらにヒトラーはこうくりかえす。帝国は「健康な者だけが子供をもうけることができるようにしなければならない。 病気を患いながら子供をつくるのは最も恥ずべき行為である。肉体と精神が健全かつ価値あるものでない者は、 自分の苦しみを子供の肉体を通して永続させてはならない……明らかに障害があり、遺伝子的に汚され、子孫に障害を伝える恐れのある者全てを対象に、 子孫を作ることはできないと(国家は)宣言し、実際にもできないようにしなければならない」。 「肉体的に悪化している者と精神病者から六百年間、生殖の能力と機会を取り除けば、人類を計り知れない不幸から解放することになる」

●いまいち解せないユダヤ人差別の理由

 そうなると西洋文明が他人種の影響を受けていることなど認められないだけでなく、 われわれ白人が劣った他人種を支配し搾取するのは当然だというふうにエスカレートしていく。 じつはヒトラーは、ユダヤ人の優秀さを知り、世界を牛耳るであろうことを恐れたという見方もある。

●優生学とヒトラー自身の健康

 《ヒトラーの見解は当時受け入れられていた優生学の教義を曲解した不正確なものだった。遺伝子に欠陥がある場合の選択的断種手術は、 米国とヨーロッパの医学雑誌で幅広く議論されていた。政権の座について五カ月後にナチスが遺伝病予防法(通称・断種法) を公布したのは驚くべきことでも異常なことでもない。》他国にも同様の法があったが、ナチスほど熱心にとりくんだ国はなかった。 ヒトラーは不治の患者の殺人許可を医者に与えた。

 さてそれでは優生学とは何だろうか。「生物の遺伝構造を改良することで人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義されるそうだ。 これを読んだだけでうさんくささを感じる。ブリタニカ国際大百科事典によれば、「遺伝学的に人類をよりよくすることを目的として起った応用生物科学。 すなわち世代を重ねながら遺伝的に有利な素質が発展し、生存にとって有害な素質が少くなるようにはかるもので、 近代的な優生学的運動はF.ゴルトンに始る (1883) 。」そんなことをいったら小説家はどうなるのだ。 身近なところで太宰治・芥川龍之介・夏目漱石などは明らかに精神異常だった。だがその作品はわれわれに価値あるものであり、 その子孫はりっぱな常識人に成長しているではないか。

 もう十分だ。要するに競走の速い男と女を掛け合わせればその子はもっと速くなるという考え方だろう。 アメリカの奴隷でおこなわれたと聞く。たしかに日本でも卓球選手なんかを見てみると、両親とも卓球選手であることが多い。 だがそれだからこそ幼児のころから卓球に触れて興味を持つとか強制的にやらされてうまくなるという面もあるように見える。 遺伝か後天かははっきりしない。

 アタマのほうに関していえば、東大生の親は東大出身が多いとのことだから、やはり遺伝するのかとも思えるが、これにはカラクリがあり、 東大出身の親は裕福で、そのため子どもも小さいころから有利な環境で勉強でき、優秀な私立中高校にも行けるからだという見方もある。 カネの問題だという説だ。ただわたしは金銭だけではなく、子どものころに学校の勉強に限らずわからないことがあるとき、 すぐ教えてくれるひとがそばにいる環境は絶対に有利だとおもう。小学生のころは茶の間で勉強するといいという説だ。 もっとも親がバカではどうにもならん。

●T4計画の起源――ダーウィンとアメリカ

 障害者安楽死の議論は、ドイツだけでなくヨーロッパやアメリカであまねくおこなわれていたと著者はいう。 《最終的医学援助はチャールズ・ダーウィンの『種の起源』の出版以後に起こった生物学分野の活発な探求と活動の予期せざる鬼子(オニゴ)だった。》 みんな『種の起源』が悪いという見方だ。アメリカでは知的障害者の断種が第3帝国より20年も早く始まっている。

●結核・梅毒も遺伝とみられ

 高名な生物学者だったヘッケル(1834〜1919)は、わたしの好きな「個体発生は系統発生をくりかえす」という説を唱えたひとだが、 「数えきれない狂人、ライ病患者、癌患者などの不治者が人為的に生かされるのは、本人にも社会にもなんの利益もない」とも述べている。 当時は肺結核も梅毒も遺伝病だと信じられていた。《科学者たちは障害者を悪の運び役としてとらえ、「悪からの救済」をもたらそうとした。》 ライも癌も肺結核も梅毒も、いまや不治の病ではない。その時代の常識を未来に敷衍することはできない。

 ヘッケルはまた「精神病者や肢体障害者用の施設を増やしてばかりいる代わりに、 不幸な者があまり頻繁に生まれてこないような措置を講じて人間の淘汰を一層はかるのが、将来を見すえた人道主義である。」と述べている。 どのような措置を講じるのか。

 厭な時代だった。ツィーグラーは1920年代の経済混乱を扱った本の中で「障害を持つ多くの退役軍人」に「最後の英雄的行為」、 つまり自殺を呼びかけた。なんたること。お国のために闘って障害者になったのに。

●ヒトラー自身の遺伝は?

 ヒトラー自身の健康を探ってみると、「オイオイ、どの面さげていってるんだ」という気になる。 Wikipediaによれば、「ヒトラーは体が弱いほうではなかったが、母親ががんで苦しむのを見ていたため、 自らもがんで死ぬのではないかという不安にとりつかれていた。父親も脳卒中で亡くなっており、家系的な病気に神経質なほどに気を使っていたが、 その不安自体が悪循環に精神の病(不安障害)として体調不良につながっていった。 第一次世界大戦時に敵軍が投下した化学兵器に動揺して、ヒステリーによる失明症状を起こして精神科医による治療を受けている。 1928年頃、不安による強迫観念から逃れるため、精神科に通院して治療を試みているがうまくいかなかった。」 癌や脳卒中が遺伝なのか生活習慣病なのか現代でも判別しがたいが、とにかく体も弱いし精神も弱い。 それでまずは精神障害者の抹殺に取りかかったのだろう。

 どうやら結婚もしなければ子供もいなかったようだ。生まれた子供が自分の政策と矛盾するような存在であることを恐れて作らなかったのかもしれない。 もし子供がいてそのうちのひとりでも障害者であれば、以上のような政策を掲げることも、第一そんなことを考えることもなかっただろう。(つづく)